第40話 楠林橋野戦病院

 咸寧市かんねいし南方、洞盆嶺とうぼんれい陣地守備戦、黄華尖こうかせん奪還作戦の直前に、あの帝大生の大野一等兵がどうも赤痢せきりにやられたらしい。

 その麓の野戦病院に担ぎ込まれているということだ。


 戦闘も一段落して、見舞いとかねてから将棋を指そうということで、私(宝剣信一ほうけんしんいち一等兵)は行ってみることにした。


 ヤツは赤痢にかかったばかりか、マラリアにもやられたということだ。7月4日、戦闘前に診断をうけた。つくづく運がないというか幸運だったというか。楠林橋なんりんばし野戦療養所に行ってみる。


 彼の話はこうだ。軍医から「こいつはマラリアづらしてやがるな」と一言。聴診器を一寸あてて「入院だ」と。「あとでもう一辺よく見てみる」とんでもない三分診療どころか10秒も診ずに入院になったと。

 入院にも手続きがいる。いったん部隊に戻って銃、剣を返納し、持っていく私物をまとめた。

 この野戦病院は食事もでるし、汁も中隊のものより良いと言っていた。

 そして、ここの軍医、どこかで見た顔だと思ったら、新潟高校(旧制)の同級生がいたという。その軍医の名前は海津かいづと書いてあったのですぐにわかったとのこと。

 新潟高校では大野一等兵は理甲で、海津軍医は理乙だった。彼は群馬の出身で新潟高校から新潟医科大に進んだ。高校同級生だが、この楠林橋野戦療養所長、陸軍軍医中尉になっていた。

 7月12日の洞盆嶺と黄華尖の戦闘のときは、山砲の轟音、機関銃の音が響き、ついには野戦病院の横で山砲の砲撃が始まって、敵の迫撃砲弾の音が鳴り響いて錯綜し、病室にいても落ち着いていられなかったと。

 そして続々と負傷兵が運ばれてきた。

 そして黄華尖で逃げ出した分哨の将校が運ばれてきたときは、自責の念で自殺でもしないかみんな心配になった。

 腹部を銃弾が貫通した市川直次一等兵はここで戦死となったと。

 続々と運ばれてくる負傷兵のため、マラリア患者は追い出され、他室へ引っ越し。


 黄華尖を奪還したとの報に病院内の雰囲気が明るくなってたという。


「へえなるほど」とその当時の病院の様子を聞いた。

 あとで聞くと、彼の日記には「ちぇ、うらやましい」と書いていたとのことである。それほど戦闘に参加したかったのか。


 最高学府の学生がここでお陀仏になっては困ると思うのだが、頭の上の機関銃弾が飛び交い山砲の弾が自分の上に落ちないように祈っていた立場からは、将棋を指しながら微妙なものと思った。


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