第39話 アムール川のさざ波

 私(本間花音ほんまかのん)はさっぱりわからない。


 この人達は政府転覆を謀る、反政府活動家なのか?

 でも、山本五十六元帥?海軍次官が?どうして?


「ところで、さっき『奥山少尉』と言ったようですけど?」


 「ああ、私は奥山佑おくやまたすく海軍少尉だ」

 「漁師の格好をしているけど、軍人さんですか?」

 「そうだ。この船の船頭も、もとは海軍の水兵、な、笹川さん」


 「もうとっくの昔の話らいね。おら、シベリア出兵の尼港にこう救出作戦の時にしか出ておらんし」


 「ロシア?」

 「ああ、そうだ」


 暗闇の中を漁船がポンポンと音を立てて走っていく。

 ザザー、ザザーと波音が轟き、暗闇の日本海を進んでいく。


 「たくさん人が死んだなあ、戦争なんてするもんじゃねぇな」


 「私もそう思います」宝剣ノアが答えた


 ジッと聞いていた目の見えない瞽女の石崎タツさんが言う。

「今は、そうは言えない世の中なんさね」


「なあ、お嬢ちゃん、三味線の見習かい?ロシアの唄は知ってるかい?」と船頭が言う。

「三味線だとちょっとロシアの唄は……ああ、行李こうりの中にギターが」


 ベン、ベンと弦を弾いて宝剣は音を確かめた。

「これなら……合唱コンクールで習ったし、でもこの時代はあったかな……」



 見よ、アムールに波白く

 シベリアの風たてば

 木々そよぐ河の辺に 波さかまきて

 あふれくる水 豊かに流る


 …………


 自由の河よアムール うるわしの河よ

 ふるさとの平和を守れ


(「アムール河の波」この曲に日本で有名になったのは戦後である)


 宝剣はギターを弾きながら唄い、私も歌った。


「さすが瞽女さんら。お嬢ちゃん、なかなか良い曲らなぁ、自由の河か……この海の先にシベリアがある」



 船は払暁ふつぎょうの頃、寺泊てらどまりの港に入った。

 私たちが乗った漁船は少しばかり魚をっていて、荷下ろしをした。


 私たちは魚の行商人の姿に変装して、妻折笠つまおれがさは行李に仕舞い、手ぬぐいを「あねさかぶり」にして市場いちばに紛れ込んだ。

 市場は多くの人で賑わっていた。


 そして朝飯を食う食堂ではガヤガヤと大きな声で騒いでいる。漁が終わった漁師達が飯を食っているのだ。


 奥山少尉は頭に鉢巻きを巻いて、私たち3人、私とノアとタツさんを連れて食堂の片隅のテーブルに着いた。お茶をもらった時だ。


 そこにハンチング帽を被った男が来た。

 魚の仲買人のようなフリをしている。


 私は特高(特別高等警察)かと思って、体が硬直した。

 奥山少尉は驚いてその男性を見た。

 見ると、その男性はダンディでハンサム。いわゆるイケメンだ。

 40代後半だろうか。脂ののったイイ男だ。


「田中大佐!わざわざ、大佐みずからここまで!なんでまた・・」

「そんなに驚かなくてもよかろう、この子たちかね?」

「そうです」

「私は田中菊松たなかきくまつだ。よろしく」


イケメンのくせに、キラキラした名前だなぁ……


「はじめまして」

「君たちにこの手紙を渡す。道中、憲兵に質問されたら、これを見せるがいい。私は君たちと離れたところで見ている。奥山少尉、後は頼む」


「田中大佐、まさか直々に……」


「ああ、あのガラの悪い先輩が、『キサマがいけばいいだろ!』とゴリ推しされた。あの中学(旧制中学校)の先輩は海兵かいへい(海軍兵学校)よりタチが悪い」

「山本次官からの命令ですか?」

「そうに決まってるだろ、先輩には逆らえないさ。長鉄(長岡鉄道)寺泊駅で待機しているからな」

 そう言って去って行った。


「あの田中大佐って人は?」


 奥山少尉は急に背を伸ばして畏まって言う

伏見宮博恭王ふしみのみやひろやすおう殿下の元付属武官、博恭王は帝国海軍のドンだ。その側近。そして山本(五十六)次官の長岡中学の後輩だな」



「ふしみのカマボコ?の王様?」

 相変わらずアホな宝剣だ。


 でも私は詳しくは良く解らない。

「奥山さん、奥山少尉、どう呼んだら…」

「魚屋のオクちゃんでいい」


「私、この仕事、政府転覆を謀るようなものだと思っていたけど」

「バカ言え、背後に宮様がいる。これ以上は言えない。君たちは黙って従え。憲兵には絶対に言うな。何か言ったらその場で『ズドン』だからな!」


射殺かよ……荒っぽいよな……


宮様?伏見の殿下?でも私の歴史の教科書には、そんなこと一つも書いて無いしー……



 ※伏見宮博恭王 「元帥海軍大将博恭王」「伏見軍令部総長宮」といわれ、皇族にして海軍、軍政の実権を握っていた。

 田中菊松大佐は昭和11年12月から博恭王付武官を務めた。山本五十六元帥とは旧制新潟県立長岡中学校の先輩、後輩の関係である。

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