第31話 初めての任務・汀泗橋警備

 日本占領下 湖北省武昌こほくしょうぶしょう (武漢市) 女子師範学校仮営舎

 4月19日 水曜日 曇りのち小雨


 私(宝剣信一一等兵)は東京高等師範の学生で召集を受けた。敵国といえど、

 師範学校の校地を営舎とするのは偲びがたい。

 平和な世の中なら、きっと多くの女子学生が学んでいただろう。


 床に散らばる書類をかたづけるが、教育資料だと思うと踏むには踏めない。

 捨てようにも捨てられない。


 中隊長は分隊長を一室に集めて説明があったという。

 4月21日に任地に出発する。


 連隊本部と第1大隊は武昌の南方の咸寧かんねいに、

 私が所属する第3中隊は咸寧の南方10キロメートル、粤漢線えつかんせん(鉄道・現在の京広線の一部区間・北京から広州への主要幹線である)の汀泗橋驛ていしばしえき附近に駐屯する。


 第1中隊はそれより左地区警備、第3中隊は1個小隊欠、かわりにMG(機関銃)小隊を附すと。


 敵は咸寧の南方、通山つうさん(現在の咸寧市通山縣・中国では県は市の区画を示し、日本とは逆である)に約2,000、その付近に100、200という少数の集団が多数ある。


 我々は粤漢線の鉄道警備に当たる。

 敵は夏期に攻勢をかけ、この鉄道を奪還、遮断を企てているので、防御の任務が与えられた。


 4月21日 第3中隊 営地を出発

 渡辺見習士官が指揮する機関銃小隊を配属された。


 熊本第6師団と交代。

 熊本第6師団は身方、敵ともに「赤鬼部隊」と怖れられた。

 北国から来た色白の青年兵。

 中国兵の斥候せっこうは、「日本はいよいよ兵も少なくなって、ここに年少兵をよこした」と侮っていたらしい・


 鉄道沿いに数カ所陣地を構築し、交代で巡察にあたる。


 汀泗橋鎮ていしばしちんは中華民国成立の時、激しい戦闘が行われ戦跡とされているらしい。我らは彼らにとって、関ヶ原の地を占領している。

 かならず奪還に来るはずだと。


 汀泗橋は三方が水田に囲まれ、四方に丘陵が続いていた。

 若干の地元民も残っていた。


 5月中旬に敵の夜襲があったが、わが中隊は撃退し、奪還、鉄道の遮断は免れた。


 この警備は6月1日まで続いた。

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