第22話 西進

 新潟港に停泊している陸軍徴用船、丁抹デンマーク丸の出港の汽笛が鳴った。見送り人は下船げせんしなければならない。


 宝剣ほうけんノアさんが、手に持っていた風呂敷包みを開くと、帳面ノートだった。私(折笠巳之吉おりがさみのきち)は開けて見ようとしたら、

「船の中で見て」と彼女は言った。

「そうか」というと、

 今度は本間カノさん(花音かのんとは覚えていなかった)がお守りを二つくれた。

 彌彦神社のお守りだった。


「俺たち、武運長久を祈願に彌彦神社に参拝に行きたかった。ありがとう」と礼を言った。


 本当にありがたい。


 神武天皇が東征途上、熊野で敵の毒気により昏睡に陥いった時、天照大御神あまてらすおおみかみ武甕槌命たけみかづち(建御雷神)は天香山命に韴靈剣ふつのみたまのみつるぎを神武天皇に献ずるよう夢の中で告げられた。

 韴靈剣ふつのみたまのみつるぎとは武甕槌命が国土平定に用いられた威力ある霊剣。夢告に従い天香山命が昏睡している神武天皇に韴靈剣を献じたところ、霊剣の威力によって神武天皇を始め皇軍将士は忽ち昏睡から覚醒めざめし、敵を撃破したという。


 彌彦神社の御祀神は天香具山命、まさしく正真正銘、武運長久の神様である。

 古くから謙信公を始め多くの武将から信仰されてきた。


「あれ、そんなに篤くお礼を言われると恐縮しちゃうなあ」

(実はこの女子高生ふたりは彌彦神社の由緒をよく知らない)


「早く下船ください」

 船員が見送り人に下船を促した。


 あの子たち二人が降りると、船は舷梯を引き上る。


 船員が後部甲板でドラを叩く。

 ボワーン、ボワーン、ボワーンと何度も叩き、大きく汽笛を鳴らした。


 埠頭にはたくさんの人、国防婦人会の皆様が大きく萬歳をする声が聞こえてくる。


 離岸すると、ボイラーの出力を上げたのか、船の振動が大きくなり、スクリューの回転数が増し、波が大きくうねった。対岸に泊まっている多くの小船がその波を受けてユラユラと揺れた。


 出港である。


 日本の土ともおさらば。いつ戻ってこられるのだろうか。


 出港してすぐに気がついた。


 この船は満州に向かうため、北鮮(大日本帝国領朝鮮北部)の清津せいしん港に向かい北進するかと思ったら、越佐海峡えっさかいきょう(佐渡島と本土の間の海峡のこと)の方に向かった。


 右手に佐渡の水津すいづの岬が見えて、左手に彌彦山が見える。


 この船は西進するのか。

 向かう先は釜山ぷさん大連だいれんか?

 越佐海峡の波は穏やか。


 多くの兵は彌彦山に二礼四拍手で武運長久を祈った。


 佐渡と能登半島の間を過ぎると、いよいよ日本海の荒波に入る。

 船は縦揺れ(ピッチング、船首と船尾が上下に揺れる)が始まった。


 この船に乗せているのは陸軍兵だ

 長野県の出身も多く、直江津の演習で初めて海を見たという者も多数いる。

 船酔いで具合が悪くなって甲板に出て外の空気に当たっているようだ。


 上官から「このずくなしが!」と怒られている初年兵もいた。

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