第3章 旅立ち

第17話 返事

 昭和14年、冬も終わりかけて春が近づいていたころ、


 この新潟市では、この港から戦地に赴くために出発する兵隊さんに、市民が宿を提供するのがしきたりだった。

 先日は新發田しばた歩兵第16聯隊の兵隊さんが補充兵といって、満州へと旅立っていった。


 私(本間花音ほんまかのん)はお遣いで時々港に品物を取りに出かける。

 港に到着した日満連絡船から、お葬式のように白い布を掛けた箱を持って船からおりてくる兵士を時々見ていた。

 港では出迎えの兵士が敬礼をする。

 戦死した兵士を出迎える儀式、と直感した。


 この冬、北蒲原の役場の連中が、牡蠣かき鍋の宴会をしていたが、ある日、王侯貴族のような一団の宴会を見た。


 北蒲原郡中浦村きたかんばらぐんなかうらむら(旧北蒲原郡豊浦町を経て新発田市)の大旦那様だという。


 先々代あたりは第四銀行の初代頭取で、分家は早稲田大学の図書館長を務めて東京牛込区とうきょううしごめくに住んでいるという。持っている田畑は東京の麴町区こうじまちく神田区かんだくを合わせたより広いという。もう私には理解できない広さだ(麹町区と神田区は合併し、現在の千代田区にあたる)


 そして、さすがに私でも早稲田大学は知っている。はて、牛込区ってどこだろう(現在の新宿区の一部です)。スマホもないので検索のしようもない。


 この時代、この社会、貧富の差が激しい。


 おツルちゃんのように会津から奉公に来た者、そして小作争議がおこるとおり貧しい農民も多数いる。

 新發田の16聯隊の兵隊さんは、北蒲原の小作の家だと行っていた。


 満州で無事おつとめを果たせば、子供達にいくらばかりの美味い物を食わせてやれると意気揚々に旅立っていった。



 そして、4月の初旬に、高田の1個聯隊が出発するということで、町は大わらわであった。約2千の兵士を泊める宿を提供する新潟市民、数百戸を募るという。


 この高田の聯隊という言葉を聞いて、もしかしたら、と思った。


 宝剣乃亜ほうけんのあのところに、手紙が来た。


 女将さんは「兵隊さんとお知り合いかい?ああ、この前の師範学校の学生さんらな」と云ってその手紙を渡してきた。


 左上に「軍事郵便」と書かれ、裏には「高田聯隊 折笠巳之吉」と書いてあった。

 その手紙を私と宝剣の二人で開けてみてみた。


 手紙の内容は「4月5日に新潟港から船が出るので、4日夜に新潟東堀通りの家に泊めてもらう。わずかばかり時間があるからお会いしたい、楽譜のお礼を言いたい」という内容だ。


 私たちは奉公人になっているから、夜は宴会の手伝いで大変忙しいのであるが、

深夜11頃にはすこし一段落して、それから12時ころから掃除をする。

 そのひと段落した時間に料亭のみなとやに直接お越しいただければ、と返事の手紙を出した。


 本当にあの二人は会いに来てくれるのだろうか、半信半疑であるが、

 4月の最初は役所や会社の歓送迎会でとても忙しい時期でもあり、こちらも時間が取れるかどうかである。


 そして、

 宝剣は、なにやら、また新しい曲の楽譜起こしをしている。何曲も。

 あの折笠という学生の兵隊さんにその楽譜を渡すつもりでいるらしい。


 しかし、あいみょんとかYOASOBIとか、この時代の人には理解不能だ、と言ったのだが、どうにもこうにも、あの子は私の言うことを聞かない。

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