第2章 高田城の桜
第9話 序
昭和12年12月12日 中国国民政府の南京は陥落した。
翌、13年5月19
大正12年9月1日に発生した関東大震災により、帝都復興にむけて多額の財政支出によって疲弊していた帝国政府は大正14年の加藤高明内閣で行われたいわゆる「宇垣軍縮」によって4個師団の廃止が決まり、高田の第13師団を廃止して高田は旅団に格下げし、仙台の第2師団の元におかれていたが、昭和14年に高田師団を復活することを決定した。
その頃、仙台において第33師団を設立し、師団長に甘粕重太郎を任命し、
歩兵第213聯隊を仙台に、
歩兵第214聯隊を会津若松に、
歩兵第215聯隊を高田に置くことを決定
それぞれ1ヶ大隊は新発田にて編成を開始していた。
歩兵第215聯隊の中隊長以上の要員は、昭和13年12月中に着任。
ほとんどが満州独立守備隊と満州
歩兵第215聯隊(昭和14年3月25日)
隊長 大佐 門脇 幹衛(満州独立守備隊参謀より)
副官 少佐 国生 勇吉(満州独立守備隊より)
旗手 少尉 上野 孝
第一大隊
大隊長 少佐 田中 義成(満州独立守備隊より)
副官 少尉 山岸 大二
第三中隊長 中尉 折笠 政雄(在満州歩兵第30聯隊)
昭和14年3月24日
宮中にて軍旗が下賜され、三宅坂の陸軍省にオープンカーで直行し、
時の陸軍大臣板垣征四郎中将閣下の出迎えを受けて、壮行会に臨み、
昭和14年3月25日、
軍旗は、高田に到着し、
ここに歩兵第215聯隊の編成を完結した。
歩兵第215聯隊は、新設の部隊であり古参兵は少なく多くが新兵によって構成されていた。
日米開戦後にはビルマ(現ミャンマー)に派遣され、多大な功績をあげ昭和17年に飯田祥二郎中将司令官から感状を授与されている。
新潟県護国神社の神門にはミャンマー産大理石菊花紋がミャンマー政府から贈られている。
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