第5話 稽古

「だっだぁー?糞桶あっぱおけを薪小屋に置いたんわぁ!糞臭あっぱくせいねっか!」


 朝から男性の大声で目覚めた。


 そういえば、し尿の汲み取りをした桶が、鶏小屋ではイッパイになって、別の小屋に入れたんだった。


「ごめんなさい」私(本間花音ほんまかのん)は飛んで起きて、使用人のオジサンに謝った。

「なんら?なぁ(汝=おまえ)新入りらか?」


 コテコテの新潟弁はわからない。


「ほら、糞桶あっぱおけを臭っさくねぇとこに持ってけ」


 朝からくみ取った便を運ぶとはとんだ災難だ。


 宝剣乃亜ほうけんのあが眠い目を擦って起きてきたころには、運び終わったが、彼女から「一仕事したの?」と言われた。

 ムカつく。あなたがあそこに運ぼうといったんでしょうが


 朝食の時間もまだ鼻に臭いが残っている。

 今朝の朝食も、茶碗一杯のご飯に、野沢菜みたいなもの、運んできた人は「っぱ」と言っていた。

 朝食は土間で、他の使用人と一緒だった。


 年端の若い、私たちの同じくらいの娘がとなりに座った。

 名前を「二瓶にへいツル」といった。


 うーん、相当なキラキラネームだ。お婆ちゃんの名前みたいに聞こえるが、あきらかに娘だ

「おめえら、新入りらか?」ツルが私に聞いてきた。

「昨日警察署からここに連れてこられて」

「そうらか」

「あなたは?」

「おらか?ウチは会津で貧乏して口減らしでここにきたんらて」

「口減らし?」


「新潟の港は日満航路が出来て賑わってるけん、親がここに行けって」

「会津から……ニチマンって?」

「東京と満州の新京を結ぶ、いっち(一番)ちけぇ(近い)ろ」


 満州国か?歴史の教科書でちょっと出てきた話しか覚えていない。


「そうら、これから港の市場に荷物を取りにいけ、と言われてるろも……親方、この新入りを手伝わせていいろっか?」


「そうらな、荷物が重てぇっけん、この新入りどもを手伝わせればいいこってさ」


 私と宝剣は、二瓶ツルという女の子と一緒に荷物を港に取りにいくことになった。


 昭和13年の秋、街の通りは多くの人で賑わっている。現在の令和とは比べものにならないほど多くの人が綺麗な服を着て買い物を楽しんでいるようだ。


 私はもらったモンペと着物を着て、リヤカーを押すのを手伝った。

 河岸に出ると、昔とかわらない萬代橋が右手に見えた。


 しかし対岸を見ると、大きな客船が停泊している

「あんな大きな客船が?」

「あの船が北鮮ほくせん清津せいしん羅津らしんに行く船ら」

(『北鮮』とは当時の朝鮮半島の北部のことを指す。現在の北朝鮮の清津市と羅先特別市の港)


「北鮮ってなに?」

外地がいちの港」

「外地って?」

「おめぇら、何にもしらんの、この海の対岸にある街らて」

(当時日本領の台湾、朝鮮半島を『外地』と呼んでいた)


「外国でしょ?」

「日本に決まってんねっか、ねらた(君たち)尋常小学校でなろうたろ?」


「朝鮮半島のこと?」

「そう、そこが外地。そこの港と新潟を結ぶ航路が出来て船が出ることになったんらて。いまままで敦賀に行っていたけど、こっちの方が東京から新京に近いからって」


 まったくわからない。新京って満州の首都と言っていたようだ。

 朝鮮半島が日本だったって、ああ、そうか植民地支配とか言っていたっけ。

 この時代の朝鮮半島は日本領だったんだ。そうか、それで彼女は対岸航路と言っているんだな


「そういえば、昨晩、三味線の音が聞こえたけど」

「そうそう、仕事が終わってから芸の稽古してんらて」


「三味線なら、私も習って弾けるけど」

 宝剣も「私も弾けるわ」


「ねらた、三味線弾けって?」

「ええ」

「おめえら、ひ弱で力仕事が無理みてえらし、じゃ、夜仕事終わったら来てみるか?」


「ぜひ、私たちにも弾かせて」



 ◇◇◇


 置屋では……


「なぁ、あの警察署から預けられた子らの服みたか?」

「それがどうかしたか?」


「日本製と書いてあるけど、生地から縫製から、とっても日本のモノとはおもわんね(思われない)。ドイツらかフランスとかそんなものでも見たことない」


「なんか訳ありの子か」

「さあ、なんか奇妙らよな」


「ただいま戻りました!」


 二瓶ツルと私(本間)と宝剣で、台所の脇にある野菜小屋に運んだ。


 私たちは彼女をツルちゃんと呼ぶことにした。私たちの三味線の稽古は内緒でやるという。そしてモノになったら、師匠に話をして紹介するという段取りだった。


 私たちは五線譜で見ているが、伝統的な三味線の楽譜は違う。

 カタカナで書いてあるので、それをまず五線譜に起こすことから始めた。


 ツルちゃんも、私たちの腕前に驚いていたようだ。

 本来ならギターとベースの2人、バイオリンも習っていたので音感はあったからだ。


 毎日の仕事を終えて、夜は彼女と数人で、他の宴会が開かれている三味線の音に隠れるように重ねて練習した。

 そして少しずつ上達して、「歌もの」のほか、「佐渡おけさ」や「新潟甚句」などを覚えていった。


 街の賑わいは相当なもので、宴会の給仕も足りなくなり、手伝うようになった。

 いかにも実業家らしい紳士達が、芸子を呼んで夜な夜な宴会を開いている。

 金持ちは景気がいいようだ


 だが、ツルちゃんの話だと、会津の耶麻郡やまぐんと言っていたが、昭和恐慌の時に奉公に出されたという話だった。借金のカタに新潟の街に出されたような話をしていた。

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