グラウンドの釘

浅賀ソルト

グラウンドの釘

市民グラウンドには年寄りから小学生のユースチームまで様々な年齢層の利用者がいる。野球がメインだが最近では野球だけではなく別の競技もするようになった。そのためにグラウンドの形を変えたくらいだ。何年も前に野球しかできない形なので不便だし不公平だというクレームがきて変更された。

何がサッカーだ。

おかげでベースを毎回外すことになった。練習前にベースを設置して、練習後にはベースを外す。ラインも当然引き直さなくてはならない。

ラインについてはいままでも引き直していたのだけど、上書きするときに以前より色が薄くなっていることが多くなった。前の利用者がラインを引いていないからである。むしろ前の利用者が荒らして薄くしていたりする。迷惑な話だ。次に野球をする人のことをまるで考えていない。

目印のための杭が使用されるようになった。毎回測量をするのは現実的ではない。ダイヤモンドの位置にはそれぞれ杭を打っておいて、設営のときにそこに隅を合わせるようにすれば面倒が少ない。一応メジャーで距離も測るが、固定式ではなくぽんと置くだけなので、素早く位置を合わせるには目印があった方がいい。こういうのはすぐにズレる。置くだけだとさすがにズレすぎて不便なので、地面に釘で固定する。

釘は普通の五寸釘でそれをハンマーで打ち付けて地面に固定していた。練習が終わるとベースごと引き抜けば簡単に抜ける。安物なので使い捨てでも懐は痛まなかった。とはいってもグラウンドにそのまま放置は危ないのでフィールドの外にまとめておいた。基本的に車に釘のケースは置きっぱなしなので忘れることはないが、車から出すのを忘れて面倒なときはその辺から拾って再利用することはあった。

そこら中に落ちているのでまとめればかなりの数になっているはずだった。俺やチームのみんなはそれに気づかないフリをした。いまさら回収するには無理のある数になっていたからだ。

最近は金属の価格が高騰していて、マンホールを盗んだり建設現場から銅線を盗んだりする奴がいる。単なる金属として売ればそれなりの金になる時代だ。

夜になってからたまたまその市民グラウンドの横を自転車で走っていると暗闇の中で人影が動いていた。あったかい季節なので夜の散歩は不自然ではないが、グラウンドをうろうろする様子は、何か怪しいものを感じた。

俺は自転車を止めてグラウンド横の道から目をこらした。

市民グラウンドは大きな公園の一角にあり、公園は夜でも街灯が灯っていた。その街灯の中で人影がグラウンドをうろうろしている。忘れ物を探しているようにも見えたが、よく見ると大きな草刈機のようなものを持っていた。腰に機械が固定してあり、地面に向かって棒が伸びているシルエットだった。見た目なら草刈機とまったく一緒だ。だが、草刈りのぶいーっというエンジン音が聞こえなかったし、そもそも夜に一人でやるような仕事ではない。

その長い棒の先端を地面すれすれで左右に振っている。金属探知機で地雷撤去でもしているような構えだ。

俺はしばらく、怪しいが声をかけるほどの気にもならず、かといって立ち去ることもできずに見ていたが、やがてその人影が自分の知っている男だと気づいた。同じ草野球チームの木部きべという男だった。30代そこそこでまだ独身だったはずだ。野球は上手くないが遅刻はしないし真面目に準備も片付けもする働き者だった。

俺はグラウンドに入り、木部へと近づいた。

あまり近くならない場所で俺は声をかけた。近づくと木部の持っている機械が何か低い唸り声のような音を出しているのが分かった。驚かさないように気をつけた。「おい」

木部は動きを止めた。驚いた様子はなかった。俺の音量は適切だったようだ。

木部は機械の先端を地面に置いた犬のエサ皿のようなものの上に移動させた。そこでぶーんという音が止むとバラバラと音が聞こえた。金属音だった。

恒松つねまつさんですか。こんばんは」声の調子は朝の町内清掃中にご近所さんに遭遇したようなトーンだった。あまりに普通で、夜に変なことをしているという言い訳っぽさがまるでなかった。

「ああ。こんばんは。これは、釘の回収か?」俺は言った。暗くてよくは見えないが、地面に置いたプラスチックの皿にあるのは大量の釘のようだった。

「ええ、そうです。最近、ちょっと無視できなくなったので」やはり声の調子が明るい。窓枠の汚れが気になったのでというような普通さだ。

「その道具は?」

「これは釘拾いですよ。マグネットで釘を拾うんです。自分で改造して、手元にライトがつくようにしました」

木部が手元の何かを操作するとぶーんと音がして先端に明かりがつき、四角いボックス型のチリトリのようなそれが地面を照らした。

俺は声をかけながら近づいていたが、会話をするのに苦労はしないくらいの距離で止まり、それ以上は近づかなかった。夜の公園での人と人の距離としては適切といえた。

「そのために自分で買ったのか?」

「ええ、そうです。気になったので。昼間は仕事ですし、週末の練習は練習したいので平日の夜にやってしまうのが一番効率がいいんですよね」木部は論理的でいたって普通の結論のように説明した。淡々とした喋り方が逆にこちらを不安にさせた。もっとも彼は普段からこういう喋り方なので、いつもと違うわけではない。

「なんで一人でやってるんだ?」どこか自分も詰問するようになっていた。別に職務質問しているわけではない。ただ、不審感というか、得体の知れない感じがした。

「みんなに声をかけてやるほどじゃないですからね。このくらいなら一人でやってしまおうと思いまして」

「ふーん」

木部は地面の釘を集めた皿に近づくとそれを拾った。ざざっと音がした。テクテク歩くとちょっと離れたところにあるバケツにそれをざーっと落とした。バケツは大きかった。釘の落ちる音からいってかなりの量だというのが分かった。というか、尋常な量ではなく、一人で持てるのか不安になる音だった。

「すごい量だな」

「ええ、20キロくらいはあるんじゃないですかね」

何時なんじからやってるんだ?」

「え、いやー、夕方くらいからです。グラウンドに人がいなくなってから」

五時間以上は経過している。

「そうか。大丈夫なのか?」

「大丈夫ですよ。っていうかどんなに回収しても出てきてキリがないです」

そのあと、少し沈黙があった。

木部はまたスイッチを入れて地面を照らすと、金属探知機かチリトリのようなそれを左右に振って歩き始めた。カチ、カチと釘がくっつく音が小さく響いた。

仕組みはなんとなく分かった。

「手伝いたいが、こんな夜中では俺は何もできないんで、このまま帰るな」俺は言った。

「ええ、お疲れさまでした。また週末に」

「ああ」俺は戸惑いながら挨拶をした。「ちょっとその回収したバケツを見てもいいか?」

「ええ、もちろん」

俺は近づいて地面に置かれたバケツの中を見た。街灯に鈍く照らされて、山のような釘がみっしり入っていた。薄暗いので汚れははっきりと分からなかったが、錆や泥がついているのは分かった。

俺はしゃがみ、手を伸ばして釘を一掴みした。ちょっとちくっとした。一掴みでも金属なのでそれなりに重い。汚れが感じられた。俺は握った釘をまたバケツにばらばらと戻した。ズボンで手の汚れを払った。

「危ないな」

「ええ、危ないです」

「ありがとうな。もしかしたらひどい事故になっていたかもしれない」

「あー、いや、もう事故は起こっています」木部はさらりと言った。

「え?」

「昼間に。ひどい事故でした」木部は手を止めなかった。回収作業をしながらグラウンドの隅の方を見た。

俺は視線を追った。立入禁止の保護テープが張られた区画があった。

「あそこか?」

「ええ」

「何があった?」

「だから、ひどい事故ですよ。子供も使うグラウンドで釘をその辺に散らかしちゃいかんですよ」

俺はその区画を見ながらもう一度聞いた。「で、どんな事故だったんだ?」

「さー、それはちょっとよく分からないんですけど」

木部の釘回収の機械から、かちっ、かちっという音が不規則に聞こえてきた。何を聞いても、木部は教えようとしなかった。

結局、俺は手伝わずに家に帰った。

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グラウンドの釘 浅賀ソルト @asaga-salt

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