幕間①【03】『その名はククル』
八ツ崎ククル――。
それは底辺真っしぐらだった、俺のミリタリー小説を熱心に応援してくれていたフォロワーのハンドルネームだった。
拡散こそしてくれなかったが、更新する度にコメントもくれていたし、何よりも明確な読者が一人でも存在するという事に、どれだけ俺は救われていただろう……。
顔の見えないネット世界の相手。しかも自分を応援してくれていた読者。
それが今、目の前にいる事実に、こんな状況の中でも俺は純粋に感動していた。
まあ、とは言っても顔面踏まれてるから、また顔見えなくなったけどね。
それにしても、こんな女だったのか……。
そう言いたくなる理由が、もう一つある。
彼女――その時点では性別は不明だったが――のハンドルネームをある日、なんの気なしでネットで検索してみたら、その正体がなんと業界トップクラスの同人漫画家だったのである。
ソロ同人サークル『八つ裂き牧場』で活動する彼女の作品は、陵辱系エロ。
しかもその内容は一貫して、ストーリー前半で女子が陵辱の限りを尽くされた後、後半でその被害者もしくは黒幕の女子が、加害者の男に逆陵辱を加えた末に奴隷化してしまうという『服従もの』だった。
一歩間違えばリョナともいえるその作風は、極楽から地獄への緩急と、身体への打撃を巧妙に精神の快楽へとすりかえる手法で、男子からすれば屈辱以外のなにものでもない奴隷契約を、ある種の様式美にまで高めていた。
実際それらを読んだ俺も、自分を応援してくれる人だからという理由だけでなく、心の底から作品に引き込まれた。
かといって俺はMではないし、どちらかというとSだが……、それでも彼女の作品にはそんな俺でさえ取り込んでしまう『魔力』があった。
しかも、さらに調べてみると彼女は性別を女性とだけ公表しているが、各イベント会場にも姿を見せる事はなく、委託販売しか行っていないという事だった。
そういった神秘性と作品の苛烈さから、一部では『八ツ崎ククル、オッサン説』まで流布される始末で、とにかく彼女はネット界では、謎の都市伝説とまで言われる存在でもあった。
だがそんな事より、俺にとって八ツ崎ククルとは、かけがえのない一読者だった。
だから――、
「く、ククルさん。俺……、レオです」
厚底ブーツに踏まれている口が、自然に言葉を放っていた。
レオっていうのは、俺がネット小説を書く時に使っていたペンネームだ。
由来は単純。元来、器用貧乏のせいか飽きっぽくもあった俺は、ペンネームぐらいは飽きがこない様にと、『俺』のアナグラムで『レオ』にしていたのだ。
「レオ……さん? あのレオさんですか?」
「そうです。『漆黒の裁断者イエロー』『弾丸野郎マシンガン』『爆風は子守唄』『逆襲のリヴェンジャー』の作者のレオです!」
俺のペンネームに反応してくれた事が嬉しくて、思わずこれまでの作品名を口走ってしまった。
「ウフフッ」
おっ、笑ってる。いや、なんでそこで笑う?
「そうですか。そーなんですかー。あなたがレオさんなんですね」
そうです。そうなんです。だから、そろそろ俺の顔面踏むの、やめてもらっていいですか?
「――――。ふぅ」
って、ククルさん、なんか呼吸整えてます?
なに、やっぱり俺との対面に緊張してるって事ですか?
「アハッ、アハッ、アハハハハーッ!」
えっ、なんでまた笑う訳? しかも爆笑だし?
あと笑ったはずみで、俺の顔面踏んでる足にさらに力入っちゃってるんですけどー⁉︎
「はあ、嬉しいです。嬉しいですー。こんなプレゼントをもらえるなんて――、やっぱり異世界は最高ですー!」
ククルさんがスカートをひらめかせながら、ピョンピョン飛び跳ねている。
もちろんこの状況は、仰向けに寝転がってる俺にとって、合法的におパンツ見放題のはずだったが、飛び跳ねる瞬間、俺の顔面を踏み台にしやがったせいで、目がチカチカしてそれどころじゃなかった。
それよりも気になったのは、彼女が『異世界』と、はっきり口にした事だ。
っていう事は、初戦の美少女と同じく、彼女も自分が転移者という事を自覚しているのか?
ならやはり俺の敵か? それと『プレゼント』ってなんだ? もう訳が分からなくなってきたぞ。
とはいえ、やっと顔面踏まれる状況から解放された事には一安心した。
たぶん俺は、あの『一発必中しないと出られない回廊』を脱出した直後、ここに出てすぐに力尽きて、ぶっ倒れてしまったんだろう。
それから、ずっとか⁉︎ ずっと俺は後頭部、横っ面、顔面の順で、こいつのブーツに踏まれ続けてたのか⁉︎
込み上げる怒りと共に、ようやく上半身を起こして、ククルという女の全身を見る。
厚底ブーツのせいで視点は高いが、実際の身長は一六〇センチもなさそうだった。
あと、ずっと限られた視界で見上げていたせいか、ククルの衣装がゴスロリ調のものだという事に初めて気付いた。
それでいてカラーは、上下とも血の様に赤黒いというのが悪趣味極まりない。
しかも胸元が大胆に開いてもいる――。一歩間違えば、ゴスロリ系SMの女王様だ。
だが黒いリボンで束ねた金髪ドリルツインテと、赤いフリフリカチューシャが、それに妙にマッチしてもいるのも事実だ。
なんか女子のファッションは、年々分かんなくなってくるな……。
なーんてオッサンみたいな事言って……って俺、オッサンだったわ。
ちなみに俺が許せないのはスカートに見せて、実はキュロットになってるっていうあれだ。
あれにはどれだけ男のロマンを踏みにじられてきた事か……。
いつか俺が世界を征服した暁には、あれを発明した奴は、処罰してやろうって常々思ってるんだよね。
ん――⁉︎ 思わず話がそれたが、そういえば『世界征服』といえば、なんかよく分かんねえけど、俺の『願い』って事になってるんだよな。
ククルがはしゃいでいる隙に自分のステータスを目の前に表示させると、やはり『願い:世界征服』となっていた。
まあ、あれも逆上した上での言葉だったが……って、そうか! ククルも転移者なら『願い』があるはずだよな。
さっきククルに使った『洞察』が、まだ有効なら見れるはずだ。
ククルのステータス表示を密かにめくっていく。
その最終ページ――。
「――――⁉︎」
それを目にした俺は息を呑んだ。
願い:『すべての男を奴隷にして女王様になる』
またか⁉︎ この世界への転移者は、みんなトチ狂ってるのか⁉︎
「あー、いーけないんだー。女の子の秘密を覗き見しちゃうなんてー」
耳に飛び込んでくる声に、空中に表示されたステータスの奥に焦点を合わせ直す――。
いつの間にか――ククルがあの憐れみの目で俺を睨み付けていた。
「これはお仕置きが必要かな……。ねっ、ダーリン?」
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