ガラスの絆

あきこ

第1話 真夜中の客

 真夜中の住宅街は静まり返っていた。


 同じような家が何軒も並んでいる新興住宅地だが、平日、こんな時間まで起きている人は少ないのだろう、明かりの灯っている窓はほとんど見当たらない。たとえ、窓に明かりが灯っていても冷えるこの季節、窓はきっちりと閉められていて、中に暮らす人の気配を外から感じる事は出来なかった。


 そんな夜の道を男がひとり歩いていた。


 その男が歩く姿を遠くから見ると、きっと酔っぱらいが歩いているように見えただろう。

 男は時折、家の塀に体を預けて足を止めては、またふらつきながら前に進むというような様子で、ゆっくりと足を前に進めていた。


 だが、男は酔っぱらいのオヤジなどではなかった。


 男の名は、早瀬はやせ良平りょうへい。24歳の若者だ。


 早瀬良平は額から大粒の汗を出しながら辛そうに歩いていた。

 彼はなるべく静かに歩こうとしていたが、苦しくて、大きく息をする音を消しきれていない。

 立っているのも辛そうで、時折、家の塀に体重を預けながら、なんとか歩いていた。


 良平が、そうやって辛そうに歩くのは、腹部に負った怪我が原因だ。

 彼は右手で腹の傷口を強く押えながら歩いていた。

 血が道路に落ちないよう気をつけながら、ハンカチを使って強く傷口を抑えているが、流れ出る血を抑えられず、少し前から血が地面にしたたり落ちはじめている。


 いつもの良平なら、自分の血痕を地面に残すような事は決してないだろう。


 だが、今の良平に血の痕を気にする余裕はなかった。


 良平は刺された腹の傷を左手で強く押さえながら、倒れそうになるのをギリギリ気力で堪え、前に進む事で精一杯だったのだ。


 今はもう夜中の3時前ぐらいだろうか。

 住宅街を歩く人は無く、車も通らない。


 あと、300メートル……


 良平は、なんとか気力を絞り出し、街灯の少ない暗い道を、目的の場所に向かって必死に進む。一歩、一歩、また一歩。

 もう、ほとんど惰性で足が前に出ているような状態だ。




 ”カフェ&バー キラキラ"は住宅街の中にある小さな公園の前にあった。


 この店は昼間と夜で店員を入れ替え、昼はオシャレで美味しいデザートを出すカフェとして、夜は少し高級感のある大人っぽいバーとして営業している。

 公園の前にある落ち着く店という事で、昼も夜もわりと流行っていた。


 この夜も、遅くまで地元の常連客が残って飲んでいたが、3時をまわってようやく客がいない状態になった。


 さすがに3時をまわってからでは客ももう来ないだろう


 マスターはそう判断し、一人だけの若い店員に店じまいの準備に取り掛かるように告げた。


 マスターはカウンターの中で最後の客達が使っていたグラスを磨き、店員の男はカウンターの外に出て、黙々と全部のテーブルを拭き始めた。


 カランカラン


 突然、扉が開く音が聞こえ、反射的にマスターと店員は営業用のスマイルを顔に貼り付け、顔をあげた。

「すみません! 今日はもう……」

 マスターはそこまで言い、声を止め表情を固める。


 ドアを開けて入って来たのが、酷い傷を負った早瀬良平だったからだ。

 二人は絶句して、血まみれの男を見つめた。


 良平の息は荒く、苦しそうだったが、扉にもたれながらも後ろ手できちんと扉を閉めた。そして扉にもたれた状態で上目遣いに2人を睨むように見ながら、そのまま扉にもたれて滑るように座り込む。


 先に動いたのは店員のほうだった。

 店員は素早く良平に走りよると、良平の体を店側に乱暴に引っ張って扉から離し、扉を開けて外に出た。

 同時にカウンターから出てきたマスターが良平の傷をみて、良平をもう少し奥に引っ張る。

 若い店員は外から戻ると、扉にカギをかけてからマスターの方を見た。


「誰もいません。……でも、血が落ちてます」

 そう報告する店員の顔を見てから、マスターは良平を見る。


「ひどい傷だ。喧嘩でもしたのか、坊主?」

 マスターはまだ若い良平を見てそう聞いた。


「……き、きらに……」

 良平は小さな声で苦しそうにそういった。

 途端、マスターと店員の顔色が変わり、驚いて顔を見合わせる。


「た……のむ……吉良に……つなぎ……」


 そこまで言い、良平は意識を失った。

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