溶ける不穏 壱
翌日、早速パソコンを起動させる。しかし――使い方が分からない。小説をこれで書こうにも小学校の時ローマ字のタイピング練習と、スクロール、タッチが出来るほどで、そのあとはパソコンは素人といってもいいほど使っていない。
スマホは店員さんに初期設定をやってもらって、やり方も二時間ほどメモを取りながら、丁寧に教えてもらって、やっと、メールと調べ物が出来るようになった。しかし、スマートフォンよりも難しそうなパソコンを使いこなせと言われても無茶すぎる。
試行錯誤をしていると、珍しく私の部屋にノック音が響いた。パソコンを閉じ、廊下を確認すると、壱露君が何とも言えない表情で立っていた。
「あ、どうしたの?」
「あのパソコンについて分からないことってある?」
夏休み以来、みんながいないときだけ、壱露君は私に敬語をやめてくれる。彼は顔だけをだし、首を傾げて私に聞くが、どこか羞恥心を感じてしまい、大丈夫と伝えた。
「美晴は機関音痴過ぎて前にパソコン壊されたって、夢上さんから聞いて来たんですけど」
――余計な事を。
見栄を張って、余計な恥をかいてしまい頬が熱くなる。
「まあ、わからないところがあれば手伝うよ」
どこか哀れみの含んだ言い方が、私の羞恥心をさらに掻き立てた。何も言えなくなって、俯いて、赤くなっている頬を隠す。
「じゃあ、その初期設定から、わからないから教えてほしいです」
「そこからね。わかった」
壱露君は夢上さんから、話を聞いていたおかげか、特に驚く様子もなく頷いた。そこで部屋に壱露君を入れようと思ったのだが、見返すと本が床に積まれている。他にも紙やペンなども机やベッドにも散らばっていた。
壱露君に見られないようにすぐに扉を閉めた。
「ごめん。壱露君の部屋でいい?」
「別に気にしないよ」
そして、壱露君に先に部屋に行ってもらって、私はパソコンを取って、彼の後を追った。
結局、壱露君には三時間かけてもらって、ようやく文章を書けるようになった。日もそろそろ暮れていき、夕方に差し掛かっていた。
溜め息を吐いて、安座に寄りかかり、横目に壱露君を見る。彼は眠そうに、顔をうつらうつらと揺らしていた。
「ごめんね。こんな時間まで突き合わせちゃって」
「美晴は、あの作品を出すの?」
あの作品とは、六月に見せた小説だろう。やはりあまりいいものではないからだろうか。
「もしかして、やめたほうがいい?」
私が不安げにそう聞くと、彼は特に気遣うわけでもなく。
「いや、あれならちゃんと修正を加えれば賞は取れると思うよ」
「そうなの?」
彼の意外な言葉に少し驚きを覚えた。――私の作品が?
「今のままだと、賞は取れないけど、ここまで来たからには校閲ぐらいはするよ」
「協力してくれるの?それっていいの?」
「手を加えたりして物語に影響するのは駄目だけど、誤字脱字ぐらいなら許されるよ。とりあえず、自分の小説を見返して、違和感のあるところを修正していけば、ちゃんと作品になる」
そんなものなのだろうか。そんな簡単に賞は取れるのだろうか。しかし、そんな疑問を抱いたとて、すでに私の中で答えは出ていた。ふと、そこで黒い好奇心が赤い心臓を染めた。――もし私が賞を取ったら、彼に。
「美晴」
その彼の静かな吐息で、鼓膜からざわりと意識が戻る。
「あ、うん。何?」
私が焦って聞くと彼はどこか呆れたように、溜め息をついた。その距離感が私の今までの時間と同等に並んでいるようで、肺がむず痒くなった。
「そろそろ、遅いから風呂入っちゃいな。僕もそろそろ、入りたいから」
「あ、うん。そうする」
部屋を出ようとしたけれど、ドアノブに手を掛けたところで動きが止まった。彼は私が書いた小説をどう思っているのだろうか。意見は言わない、添削だけ。そうはいったけれど、読まれたからには気になってしまう。
「ねえ、壱露君。私の小説どうだった?」
そう聞けば彼はきっと意見は言わないと答えるのだろう。
「つまらなかった」
彼はその一言だけおいて、私の小説を読み返している。いま、つまらないと言ったのだろうか。だというのに賞が取れるのか。彼の言っている矛盾が私を不安にさせた。それを察したのか彼は続ける。
「内容はいじめで引きこもってしまった少年青井春≪あおいはる≫を藤花美雅≪ふじさきみあ≫という同級生が助けるお話だよね。ラノベよりの話なのに、純文学のような、そうだな、というよりは海外小説を翻訳したときのような硬さがあるんだよ。その硬い文章が物語の起伏を駄目にしている。内容は面白いのに、書き方で駄目にしている。だから……」
と言ったところで彼は何かにきづいたのか。顔を上げる。わたしから目を逸らして、気まずそうにうなじを搔く仕草が可愛らしかった。
「大賞に出すなら言っておこうと思って、まあ、そんな感じ。嫌なこといったね」
そう謝罪の意を示す壱露君につい私はクスクスと笑ってしまった。ふと、一種の恥じらいを取るだけで、人はこんなにも変わるのだと実感した。彼はこんなにもはっきりと話す人だっただろうか。言葉遣いが変わるだけで、こんなにも慣れ親しんだ関係になるとは思わなかった。しかし、それに恐れを抱きながらも踏み込もうとしている自分が正しいのかと、困惑もあった。
彼の部屋を出て、自室に戻る間、いやその一日中だった。私は――これで良いのだろうかと、何度も問を繰り返していた。
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