進む不穏 終

 夏もようやく、後半に差し掛かっていた。私がいつものように、居間で本を読んでいると、チャイムがなった。

「宅急便でーす!」

 玄関で夏に似つかわしくない元気な男性の声が聞こえてきた。その声に傍でうつらうつらしていた夢上さんが体を起こそうとしたが、それを止め、代わりに私が出た。

 宅急便から渡された段ボール箱は若干の重みを背負いながら、宛名を見た。

 ――日崎壱露。

 その名前に思考が一瞬で真っ白になった。あの時のパソコンに書かれた名前と段ボール箱に書かれた名前が一致していた。本当に意味が分からなかった。彼の名前は藤崎壱露ではないのか。なのに、何故段ボールには日崎という苗字が使われているのだろうか。

 そう玄関で考えていると不審に思ったのか、夢上さんが私の名を呼ぶ。私は何か後ろめたい感情を抱きながらも、「なんでもないです」と一言告げ、その段ボールを壱露君の部屋の前まで、音を立てないように、置きに行った。

 日にちが流れ、二十五日になった。そういえばと、夏休み前に千代子ちゃんが私の誕生日がどうのこうのと言っていたことを思い出した。そこで自分が今日誕生日で十六歳になったのだと実感した。

 あまりスマホを見ないためか、久しぶりに形態を確認すると、二日前に千代子ちゃんから連絡が入っていた。内容は、誕生日の当日に予定が入ってしまい来れないとのことだった。彼女も高橋千代として、仕事が忙しいのだろうと、気にも止めていなかったが、さらに読み上げていくと、誕生日プレゼントは壱露君に渡してあるようだった。――なら直接欲しかったかも……。

 そう携帯を確認していると、香ばしく甘ったるいチョコレートの匂いがキッチンから漂ってきた。

「晴ちゃん、チョコレートケーキでよかったんだよね?」

 夢上さんは私の誕生日を覚えていたのか、何気なく聞いてきた。すでに作り終わっているというのに、確認をとる必要があるのだろうかと、疑問にも思ったが、私の好物を覚えてくれている夢上さんはやはりどこか憎めない。――そっか、気にも止めていなかったけど、毎年作ってくれているんだ。

「あ、ありがとうございまず」

 私が夢上さんにお礼を言うと、想定していなかったのか、彼女は「お、おう。まあ、晴ちゃんの誕生日だしな」と恥ずかしそうに返した。


 夕食はいつもより少なく食べ終えて、あらかた片付けると夢上さんが大きなホールのチョコレートを持ってきた。何故か毎年のように本を読んでいる途中に電気を突然消され、ケーキに刺さっている蝋燭の炎で自分の誕生日なのだと思い出すのだが、今回は最近思い出したばかりなのでどこか心が浮ついていた。

 私が蝋燭の炎を消すと、いつものように皆が「誕生日おめでとう!」と祝ってくれる。明かりつくと夢上さんに王冠を何故か被せられて、何故か茶番が始まる。

 「美晴お嬢様、お誕生日おめでとうございますー。あのお嬢様も十六歳になりました。さてさて、そろそろ婿さんを迎える時期ですが……誰を迎い入れますか?」

 ――茶番というよりは、悪意しかない。

 壱露君も何故が王冠を被せられているが、そんなことは気にも止めず、チョコレートケーキを見つめている。――そんなに食べたいの?

「壱露君も待っていることだし食べましょう」

 夢上さんの悪ふざけを無視して、清子さんがケーキを切り分けていく。夢上さんはつまらなそうに口を窄め、へっと喉を鳴らした。

 やはりチョコレートケーキはプロのパティシエが作る並みに美味しかった。いつだったか夢上さんの職業を聞いたのだが、製菓関係の無縁のファッション関係を取り扱っているバリバリのビジネスウーマンだった。ちょくちょく仕事の愚痴を聞かされるのだが、仕事の上では真面目に働いているのが伝わってくる。

 ケーキを食べ終え、一息ついたところで、皆が形大きさがそれぞれのプレゼントボックスを取り出した。

「さて、ではでは、プレゼント大会です!誰が一番晴ちゃんの気に入ったプレゼントを渡せるでしょう!」

 夢上さんはまた大げさに、毎年恒例の企画をだしてきた。皆がそれぞれ、私にプレゼントを渡して、それを順々に開いていく。

 清子さんは図書カード一万円分――本の消費者にとっては、幸福にも程がある。

 聡霧さんは高級ブランドのチョコレート――チョコレートは正義。

 夢上さんは服関連の商品券――使わないからだろうな。

 織部さんは万年筆――私のツボを良く分かっている。 

「なんか……いつも思うんですけど、皆なんか、私のプレゼントの時だけ、お金かけすぎでは?」

 皆は互いに顔を見合わせ、何かおかしいかと問いかけるように無表情になる。

「まあ、この企画だからね」

「とりあえず、遊びみたいな感じだから」

 聡霧さんと織部さんは遊びとして理解しているようだが、意外にも清子さんが本気だった。

「遊びは遊びでも本気でやらなくちゃね。とりあえず美晴ちゃんにとって、本は幸福の種だからその資金源として必要でしょ。それに、図書カードは色んなイラストが書かれているからコレクション性も抜群これ以上を超える安定性に長けたプレゼントはそうそうないよ」

 何故か、この時だけ清子さんの性格が変わっているように感じる。案外負けず嫌いなのだろうかと、時々良く分からなくなる時がある。――まあ、楽しんでいるならいいか。

「まあ企画は置いておいて、こんなに良いものをありがとうございます」

 ふと何かを忘れているように感じて、当たりを見回すと壱露君がいなくなっていた。すでに部屋に戻ったのかと思ったが、まだチョコレートケーキは残っているままだ。

 しばらくして、彼は小さな小包と長方形の段ボール箱を持ってきた。

「あの……まずあいつからプレゼント預かっているから」

 壱露君はそう小さい小包の方を渡した。それを開くと猫のワッペンの載った、柔らかい肌触りのハンケチが入っていた。どこか一番誕生日プレゼントとして納得のいく物だった。――というより、これが一番うれしいかも……。初めて友達からのプレゼント。しかもその友達が高橋千代という小説家だとは思いも寄らないだろう。

 それをまじまじと見ていると壱露君は「あと……」と続けた。彼の方を向くと、片手で差し出された段ボール箱が目の前にあった。何かラッピングされているわけでもなく、容易に何かがわかった。――パソコンだ……。

「別にそんないい物じゃないよ」

 彼の意図はすぐに読めた。――小説だ。

 葵文社は原稿での応募は受け付けていないため、私が小説を送るためにわざわざプレゼントとしてくれたのだ。

「なんで……」

 ただ気になることはある。何故わざわざ買ってくれたのだろうか。彼はそこまで、私のことを応援してくれているように感じられなかった。それにこんな高いもの一塊の通信制の高校生が買えるものだろうか。バイトをしているようにも見えなかったし――だというのに……。

「自分のを買うついでに、君も使うかと思って」

 いくら安いとはいえ、新品のパソコンだ。安くても三万円はするだろう。

「そっか……その、わざわざありがとう」

 最後に戸惑いが残りつつも、彼からのプレゼントは凄く嬉しかった。まさか、私の誕生日を知ってくれていたとは思わなかった。

 壱露君は、私の言葉を聞くと、「じゃあ」と残っているケーキも食べないまま自室に戻っていった。

「あいつに美晴ちゃんの誕生日教えてなかったのに……」

「え?」

 夢上さんが溢した言葉に驚いた。てっきり、夢上さんが教えているのだと思ったが。では清子さんだろうかと視線を送ると、彼女も首を横に振った。

「なんで……あ、千代子ちゃんか」

 千代子ちゃんは壱露君にプレゼントも預けていたので、そこで知ったのが自然だ。

「千代子?」

 織部さんが何か疑問に思ったのか、彼女について聞いてきた。

「あ、千代子ちゃんとは最近友達になって……その子がどうかしたんですか?」

「いや、何でもないよ。千代子って名前が珍しいって思っただけさ。仲良さそうだね」

 織部さんは私に友達が出来たのが意外だったのだろうか。そう考えると私はどれほど、友達いない認定をされていたのだろうと、心に棘が刺さる感覚がした。

 織部さんは、ははっと笑うと、少し寂しげに抉られたような手の痕を眺めていた。

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