進む不穏 七

 花火大会から帰り、リビングに入ると懐かしい人が三人と談笑していた。

「織部(おりべ)さん、帰ってきたんですか!」

織部南人(おりべみなと)さんの髪は掻き上げられて男らしさを感じるというのに、その穏やかに笑う姿が、また別の安心感を覚える。

「お帰り。晴ちゃん」

「うん。そっちもお帰り」

 そこで清子さん達からも、お帰りなさい、と迎えられた。

「壱露君もお帰り」

 清子さんが壱露君に声を掛けると、彼も会釈をする。すると、織部さんも彼に視線を向けた。しばらくして織部さんは、どこか嬉しそうに笑顔を浮かべ、壱露君に近づく。

「君が壱露君か、元気かい?」

「あ、どうも……藤崎壱露です」

 壱露君がそう挨拶をすると、織部さんもははっと気さくに笑い、彼の頭をそっと撫でる。その撫でている手には刺されたような傷跡があることを思い出し、ふと壱露君と織部さんを重ねていた。

 壱露君は戸惑っているのか何とも言えぬ表情をしている。

「そんな、身構えなくていいよ。やっぱり、ここは落ち着くかい?」

「まあ、はい」

「そっか、なら嬉しいよ。じゃあ、俺は風呂入ってきますね」

 そう言って、織部さんはリビングを出て行った。そのタイミングで夢上さんが私に耳打ちしてきた。それにうざったく感じ、距離を取るが、彼女からふざけている様子は見当たらなく、そのまま引き寄せられた。

「なんか織部さん、変わったよな。私とか聡霧に会ったとき、そっけなかったのに、ツユには結構気さくに話しかけていたよな」

 言われて、この違和感に納得した。――私たちが初めて会ったときは、軽く挨拶しただけだったのに。まあ、人は変わるっていうし。

「良いことでもあったんじゃないんですか?」

 そう軽く受け流すが、夢上さんはしかめっ面を浮かべている。聡霧さんも彼女と同じなのか、壱露君をじっと見ていた。

「そういえば、美晴ちゃんと壱露君は夕飯なくてよかったんだよね」

「はい」

「じゃあ、お風呂入っちゃいな。壱露君も織部さんが出たら、伝えるから」

 壱露君は小さく会釈を清子さんに返すと、自室へと戻っていった。

「で、どうだったんだよ?」

 壱露君が二階に上がったのを見据えたのか、夢上さんは私の肩を肘で小突く。

「何にもありませんけど」

 そうは言ったものの、先ほどの光景が明瞭に瞬く。無意識に顔が熱くなって、何も言えずに俯いてしまった。

「何かありそうじゃん。どうしたんだよぉ。いきなり黙って」

 夢上さんのにやけた表情に無性に腹が立つ。

「だから!何もないですって!」

 つい怒鳴ってしまって我に返るが、夢上さんはさらに口角を上げ、「へぇー」と私をおちょくってくる。――一瞬、反省した私が馬鹿だった。

 そこから、夢上さんが聡霧さんにも話を振り、まためんどくさいことが続いた。仕方なく、花火の出来事以外のことを語っていくうちに、二人は静かに話を聞いていた。

「楽しそうだね」

 そういう夢上さんは微笑まし気に頬杖をついていた。

「そうだね。夢上ちゃんは恋人いないからこういうこと出来ないもんね」

 聡霧さんが皮肉を言うと、夢上さんは眉をぴくりと震わせながら彼を睨みつけた。

「ああ?殴るぞ。そういうお前は彼女と夏祭りに行かなくて良かったのかよ」

「別の日に約束しているんだ。残念ながらね」

 そうして、いつもの小競り合いが始まる。それを清子さんと私は呆れながら見つめている。改めて、自分はこの日常に受け入れられているように感じて、心が温かくなった。

 そういえばとお風呂に入ることを忘れていた。三人にそのことを告げて、自室に戻る。そこで着物を脱ぎ、部屋着に着替えてからお風呂に入った。

 

 浴槽でつい寝てしまったらしく、長い時間浸かっていた。居間に入ると、夢上さんと聡霧さんの姿はなく、清子さんも丁度、就寝しようとしていたところだった。

「楽しかった?」

 清子さんに聞かれて、何故か言い淀む。彼女は先ほど二人との会話を聞いていたはずだ。きっと、その本意は壱露君のことを聞いているのだろう。

「まあ、壱露君は終始楽しくなさそうでしたけど……でも、花火を見たときは笑っていました」

「そう……美晴ちゃんは?」

「私ですか?」

「美晴ちゃんに楽しかったって聞いているんだから、そりゃあ、美晴ちゃんについて聞いているのよ」

「それは……さっきの会話聞いていれば分かりませんか?」

 恥ずかしさで言いたくなかった。この気持ちをなかったことにしたいのに、でも、もう逃れられない。明確に色付いてしまった花を消すことなんて。

「まあ、楽しかったですよ」

 不愛想に返事をしたせいか、清子さんはどこか納得行かないような笑みを向ける。

「んー、壱露君とは?」

「まあ、まあまあ……です……」

「楽しくなかったの?」

「楽しかったですけど」

 めんどくさくなって溜め息を吐きながら言うと、清子さんは満足そうに微笑んで「おやすみ」と自室へと去った。――分かっていることをわざと言って。

 月明かりの射す居間は一日の終わりと、遠くの未来を光と影で映しているようだった。風呂上がりのせいか、目が覚めており、なんとなく縁側に座る。明瞭に照らされている月を眺める。それを眺めてそれほど時間も経たぬうちに、瞼が急に重くなった。体も疲労の重りが圧し掛かり、体を動かすのも怠くて、横になる。――少しだけ……。

 そこから、どれほど寝ていただろう。床から耳元に、じりりぃと足音が響いて、寝ぼけ眼で起き上がる。軽く辺りを見回すと、誰もいない。 そして、ここが居間ということも忘れて、また横になった。――気のせいか。

 冷えた体を毛布で包みながら、私はまた心地よい眠りについた。

 またゆっくりと目覚めて、毛布を脱がして、体を起こす。古本の匂いがせず、違和感を覚える。――あれ、居間で寝ていた?

 軽く居間を見回したところで、人影に気づき、寝ぼけ眼で隣を見ると、織部さんが庭の景色を眺めていた。起きた私に気がつくと、彼は私に微笑みを向けた。

「そこで寝ると風邪引くよ」

 そう言われ、彼が私に布団をかけてくれていたのに気づいた。

「ありがとうございます」

「いや、毛布をかけたのは僕じゃないよ。壱露君」

「壱露君が?」

 私がきょとんと毛布を見ていると、織部さんは小さく笑う。

「そんなに驚くことじゃないよ」

 彼は遠くの人影を見つめるように、真っ直ぐな瞳で私を見ている。その達観のような、諦観のような表情と穏やかさが、丁度良く冷えた声がどこか落ち着く。

「織部さんはどうしてここに?」

 ふと気になって聞いて見ると、彼はあー、と悩ましげに唸ると、愛想笑いをする。

「水を飲もうと思ってね。丁度、廊下で壱露君に会って少し話したんだよ」

 彼は私を見て、微笑むと何も答えずに話を変えた。

「美晴ちゃんは、彼のことをどう思っているんだい?」

 織部さんも私達の関係が気になっているようで、心臓がドクリと息を飲んだ。

「どういう意味ですか?」

「夢上ちゃんみたいにいじるつもりはないよ。ただ、あの子は幸せになるべきだと思ってね」

 織部さんの言っていることが理解できなかった。幸せになるべきなのは当たり前だ。それは壱露君以外にも当てはまる。それに――あなたは壱露君の何を知っているんですか。

 そんな疑問を浮かべながら見つめていると、私を見透かしたかのように、彼は理由を述べた。

「いやね、あの子は僕の友達に似ているんだよ。でも、あいつは幸せなんかになろうとしなかった。だから、少なくとも彼だけには幸せなって欲しいのさ」

 織部さんの過去は何も知らない。一瞬、失望したような表情をしていたような気がしたが、瞬きをしているうちに、彼はいつものように微笑みを見せてた。

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