進む不穏 五
――聡霧
「ただいまぁ」
玄関は居間からの暖色が漏れ、目の前の廊下は暗い。居間に向かう途中、香ばしい匂いが鼻の奥を通り、脳に届く。
居間に入ると、暖かい明かりと共に、二人の視線がこちらに向いた。
「聡霧君おかえり、遅くなるって聞いたのに、早かったね」
清子が柔らかい笑みをこちらに向ける。今までの無表情から、満面の笑みを浮かべ元気よく返事を返した。
「ただいま!清子さん!あと、美晴ちゃんも元気してた?」
「聡霧さんのせいで、元気がなくなりました」
美晴ちゃんは俺とは裏腹に本を読みながら、優しく冷たい返事をする。
「お、それは、ひでえや。その聡霧ってやつはどこのどいつだよ。それと……」
そして、キッチンから音が聞こえて、そちらに向くと、三十路にしては若すぎる顔立ちが俺を睨んでいた。
「聡霧、帰ってきたんだ」
「おお、結婚出来たか?三十路」
目を細め、皮肉めいた言葉を向ける。
「おい、三十路じゃねえよ。二十七だ」
夢上ちゃんは威嚇するように、顔を歪ませ、それを笑って受け流して、適当に座った。
「清子さん、そろそろご飯できるから手伝って」
「うん」
清子さんは夢上ちゃんに声を掛けられ、立ち上がろうとするが、俺がそれを制止する。
「あ、清子さんいいっすよ。夢上ちゃん、俺でもいい?」
「まあ、いいけど」
「聡霧君、帰ってきてそうそうごめんね」
清子さんにしては簡単に引き下がったことに、違和感を感じたが、疲れているのだろうと自分を納得させ、立ち上がる。
「清子さん、そこはありがとうですよ」
大げさにドヤ顔を見せ、キッチンに入った。
しばらくして夕飯が出来上がり、食卓に並び終わったところで、見覚えのない女子が部屋に入ってきた。お風呂上がりのため、髪にはつやが出来ており、顔もはっきりと見える。
「お、もしかして、新しい入居者?ただいま!名前は?」
その子はぼーっと俺をみたまま固まっている。
「壱露、こいつは聡霧。彼女持ち自慢の面倒くせえやつ」
夢上がフォローを入れると、壱露君と言われている女の子ははっと頷き、軽く会釈する。
「壱露っていいます。十五歳です。ご迷惑掛けています」
声で気づいたが、男のようだった。女子が増えるのかと、肩身が狭くなる思いをしなくて良さそうだ。
「おう!美晴ちゃんとおなじタイプか、なに?二人は付き合ってんの?」
適当に茶化すと、壱露君は特に反応を示さず、代わりに美晴ちゃんがお茶を飲んでいる途中で噎せ、頬を赤めた。
「は?そんな訳ないでしょう」
美晴ちゃんは焦りのためか口調が荒くなる。そこではっと我に返り、壱露君の方を見る。壱露君は啞然と彼女を見つめていたが、そっと庭の方へ顔を背けた。
それを見ていた夢上ちゃんが口角を上げ、いたずらに目を細める。そして俺の服を引っ張り、耳打ちをする。
「まだ付き合ってねえぞ。まだな。美晴ちゃんは壱露に惚れてんだ」
夢上ちゃんの声はしっかりと誰にでも聞こえ、ほおっと彼女と同じように、表情をにやけさせ、一緒に美晴ちゃんに視線を向ける。
「まだって……別にそういうことじゃないです!親しいだけっていうか、友達なだけです!ですよね?清子さん」
「あら、どうしてわざわざ私に確認を取るのかしら?壱露君に聞けばいいのに」
清子さんもこの状況を楽しんでいるのか、美晴ちゃんをいじる。そして、もう無駄だと悟ったようで黙ってしまった。
「で、壱露君は美晴ちゃんのこと、好きなのかい?」
壱露君に狙いを変えるが、しばらく黙り込んでしまった。それが恥ずかしさとは別に、純粋にどんな関係性を考えているようで、その雰囲気に俺の口角は下がっていた。
「別にそういう意味じゃなくてもさ、青空ハウスの皆は好きかい?」
「好きっていうか……まあ、はい……」
「そっか」と微笑みを向けると、視線が落ちる。それを察したのか壱露君は頬を掻きながら、困惑の表情を浮かべた。
「なんか、すいません」
「なんで、謝るんだい?」
突然の謝罪に疑問を向けたが、きっと人の事に気を遣ってのことだろう。
「いえ、また気まずくさせたなって申し訳なくて……」
壱露君は俯き、口元を締める。
しかし、皆の反応を観察すると、またかといった微笑みを彼に向けていた。――そういうことか。
「壱露君、ご飯が冷めちゃうから、席について食べちゃおう」
彼に柔らかい笑みを向け、壱露君を隣に座らせると、ふと彼だけにしか聞こえないように呟いた。
「申し訳ないなんて、誰かと喧嘩したとき、誰かを傷つけたときに、漏れる言葉だよ。君は誰も傷つけてない」
壱露君は唖然とこちらを見たが、適当に頷き、皆とともに手を合わせる。
「いただきます」と暖かい言葉が居間を満たした。
しばらく会話の中で、大学で聞いた話を思い出した。
「そういえば、今年から地元で大きな花火大会やるらしいけど、二人は行かないのかい?」
「花火大会ですか?」
「うん。美晴ちゃんと壱露君はそろそろ夏休みだし、思い出の一つや二つ作ってもいいじゃないかな」
美晴ちゃんは壱露君の方を見る。彼も彼女のほうを見ていた様で、目が合い、彼女のほうが目を逸らしてしまった。
「い、壱露君は……どうする?」
「行かない、千代子といけばいい」
壱露君は、顔色一つ変えずに拒否した。
「千代子ちゃんは先約がいるらしくて」
「ああ、なるほど」
彼はその千代子ちゃんとやらの先約に宛があるのか、そんな素振りを見せる。
「いいじゃないか。美晴ちゃん一人じゃあ寂しいだろう」
そうだと言って俺は二枚のチケットを取り出して二人に差し出す。
「このチケットさ、花火の一等星ちょうど二枚あるから二人で行ってきなよ」
「あれ聡霧、彼女とは行かないのか」
「彼女とは別の場所行くからね」
チケットを受け取った彼は、俺を迷惑そうに見てくる。その初めて見せた表情がどこかおかしく感じ、くすりと喉が鳴って「頑張れ」と彼にしか聞こえないように呟いた。
しばらく、彼は思案するそぶりをみせ、一つ溜め息を吐いた。
「まあ……時間があったら……」
「そっか」
美晴ちゃんの口角は震えており、それが妙に昔の自分と重なった。――俺も彼女と告白する前はこんな感じだったな。
「まあ、何もないよりはいいだろ。行ってきな」
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