進む不穏 四
私たちは花火大会に向けて浴衣を見に、待ち合わせをしていた。
「お待たせしましたぁ……」
どこかの風鈴が鳴り、振り向くと、そこには白いワンピースを着た千代子ちゃんが、気まずそうに俯いていた。
「うん。大丈夫だよ。待ってないから」
「そ、そうですか……」
月曜日以来、気まずい雰囲気の最中にいたが、それでも約束したため、連絡をとっていた。私はもう怒ってはいないのだが、千代子ちゃんはまだ引きずっているみたいで落ち込んでいる。ていうか、あの後感情的になって怒りすぎたせいか。千代子ちゃんと目を合わせられずにいると、一つの深い溜め息が聞こえてきた。
「それで……なんで僕がここにいるの?」
私の隣で面倒くさそうに表情を歪めている壱露君は、何事かと訪ねてきた。私と千代子ちゃんは一瞬、顔を見合わせ、苦笑いを浮かべる。
彼には行く当日についてきてもらった。ひどく嫌がっていたのだが、背に腹は変えられない。何とか、気まずい雰囲気を誰かが取り持ってくれないと、気まずいまま、死ぬ。――主に私の心が。ここで初めてちゃんと話した友達が居なくなることは辛すぎる。ていうか、高橋千代という小説家と仲悪くなって、この人の本を読めなくなるのは何よりも死ぬ。
そう思いながら彼を見ると、冷たい目つきがむしろ私を安心させてくれた。千代子ちゃんも暗い表情が和らぎ、今は微笑みを浮かべている。
「突然ごめんね。その……そう、ほら、男子の目線って大切じゃん?だから……ね?」
壱露君は千代子ちゃんを一瞥して、次は私にじとっとした視線を向けた。そして、すぐさま顔をどこかに向け、小さく呟いた。
「千代子が言いそうな言い訳」
心臓がどきっと跳ね上がる。彼に私たちの状況は伝えていない。しかし、それすらも見透かしているようだった。
「いやあ、でも私も壱露さんが来てくれるとうれしいですね。ほら、やっぱり冷めている人がいると落ち着きやすいっていうか……」
壱露君は千代子を睨むと、また溜め息を吐くと諭すように千代子ちゃんに話しかける。
「千代子、落ち着くことは大事だよ。ただでさえわざとなのか本心なのか知らないけど、失言しやすいんだから」
そういわれ、千代子は暗い顔で俯き「はい」と呟く。
「美晴さんも千代子が失言しやすいのは理解してあげてください。だいたい、この子が言うことは誉め言葉です。言葉が悪いだけで」
「そうなんだ……」
私と千代子ちゃんは顔を見合わせる。そしてしばらく黙った後、美晴は視線を上に逸らし、頬を掻いた。きっと、彼を連れてきたのは、こうなることを期待したからだろう。 ――そうだ。千代子ちゃんはクラス内での私の誤解を解いてくれたのだ。まだ、またありがとうを言えてない。
「あ、あの、月曜日は、その……ありがとう」
「え?私、何かしましたか?なんか、酷いことしか言ってなかったと思うんですけど……」
千代子ちゃんは罪悪感が抜けていないのか、頬掻きながら苦笑いを見せる。
「いや、確かに恥ずかしかったけど……うん、まあ、うれしかったから、後、色々助かったから」
「そ、そうですか?何をしたのか分かりませんけど、美晴さんがよかったなら……」
千代子ちゃんと私の暑さのためか頬が熱い。
「じゃあ、僕は帰ります」
壱露君は自分の仕事が終ったと思ったのか、様子を見かねて、岐路に立とうと、背を向ける。しかし、千代子ちゃんはそんな彼の気持ちなど無視して腕を掴んで、ぐっとひっぱった。
「じゃあ行きましょう。壱露さんも方向はそっちじゃないですよ」
千代子は切り替えたのか、声をはきはきと明瞭に、暑苦しい。壱露君の汗がさらに肌に滲むのがはっきりと見えた。
来たのは最寄りの駅から歩いて、徒歩五分のショッピングモールであった。ここでは学生や主婦、仕事帰りの社会人、など休みの日、平日問わず、大勢の客で賑わっている。
壱露君はやっと解放されたのか、一メートル程離れ、私たちの背中を追っていた。彼はどこか珍しそうにショッピングモール内を見回している。
「もしかして、壱露君はこういうところは初めて?」
「小学生ぶり」
「じゃあそれまでは誰とも?」
壱露君は、そうだね、と頷く。
そっか、と呟き、表情を落とす。壱露君は何とも思っていないのだろう。それでも、その態度が寂しい。
「壱露君は……本当に友達とかいないの?」
「いないと思いますよ。今までそんな話聞いたことありません」
彼は早くから親を亡くしている。誰もが持っているものを持っていない人は辛いと思わないのだろうか。
「なんか、壱露君って」
寂しい人、なんて口に出せるはずがなかった。
千代子ちゃんは、私の言おうとしていることが、気になったのか首を傾げる。なんでもない、と誤魔化している私を気遣ったのか、千代子ちゃんは
「壱露先輩は優しいですよ。気遣いもできるし、周りのこともちゃんと見ている」
「そうだね。壱露君は優しい。でも、最近私とは距離があるように感じて……」
私が俯くと千代子ちゃんは対称的に天井を仰ぐ。
「それは、慣れていないだけですよ。慣れれば、壱露先輩も心開いてくれますよ。むしろ冷たく見せるというのは心開いているのと同義です」
「そうなのかな……」
千代子ちゃんの言葉に違和感を覚えながらも、押し込むように頷く。そんな私を読み取ったのか、紛らわすように壱露君との身の上を話し始めた。
「私も初対面のときは、本当にあんな感じでしたよ。今みたいに毒を吐くこともないし、いい人に見えて敬語でしたから。最初、私も気を遣っていたんですけど……私がやらしてしまったことがあって」
何があったのかは、千代子ちゃんは答えない。千代子ちゃんは大したことがないように、笑っているが、口元は引きつっているように見えた。
「壱露君、怒ったの?」
「翠さんにはひどく怒られました。もう会わせないって言われて。でも、壱露先輩はそれでも許してくれて。それがとても嬉しくて、優しくて、本当に……」
千代子ちゃんから、笑みが消えていた。苦虫を潰したかのように体が強張っていた。
しかし、彼女は咄嗟に我に返ると、またいつもの笑顔を向けた。
「ごめんなさい。何か不毛な話をしてしまいましたね」
千代子ちゃんは彼をどう見ているのだろうか。
そういえば、と後ろに振り向くと、話声は聞こえていなかったようで、壱露君は気にせずに色々な店を見ていた。そして、何か気づいたように立ち止まった。
「通り過ぎてない?」
壱露君に声を掛けられ、既に呉服屋を少し通り過ぎていることに気づいた。
「話過ぎましたね」
千代子ちゃんは苦笑いを浮かべながら、小走りで呉服屋に向かっていた。私も壱露君と共に彼女に付いていった。
呉服屋は浴衣の他にも多種多様な織物や着物、ドレス等が並んでいた。私と千代子ちゃんはその品ぞろえに、目を輝かせていた。壱露君も物珍しさに感心した様子で店内を見回している。
私が色んな着物に見とれてからしばらくして、ふと店内を見回すと、千代子ちゃんと壱露君が何やら仲良さそうに着物を選んでいた。その様子にどこか胸の痛みを感じた。
千代子ちゃんは白い着物を壱露君に持ってきた。壱露君がその着物をじっと見つめてから、何故か気まずそうに私の方に視線を送る。
無意識に眼を逸らしてしまったが、壱露君は着物を持ってこちらに寄ってきた。
「それって……」
壱露君は鬼灯の花の載った着物を持っており、私に差し出す。
「その、似合うって……」
その恥ずかしそうに視線を逸らした壱露君を見て、私も恥ずかしくなった。
「ありがと……」
私たちの会話は細々としており、どこかぎこちない。壱露君が横目で千代子ちゃんを見て私も釣られて視線を送るが、彼女は他の着物に夢中であった。
壱露から着物を受け取り、近くの店員に試着を頼んだ。そして壱露君の方を見返し、小さく微笑みを見せ、腕を取った。
「見てくれる?」
壱露君は表情を開き、じっと固まる。
「うん、まあ、それぐらいなら」
試着室にと入って、少し着物を見たが、――そういえば、着方わからない。また試着室開け、店員さんに声を掛け、手伝ってもらった。
ようやく着替え終えて、試着室を出た。彼は私の姿を捉えると、そのまま視線が離れない。それが妙に恥ずかしく、頬が熱くなる。
「ど、どう?変かな?」
声を掛けると、彼は我に返ったように瞬きをして、こちらから顔を逸らす。
「え、まあ、いいと思うけど」
「そっか、ならいいんだけど……」
私たちの声は段々と小さくなっていき、周りの声でかき消されていく。
「ていうか。この浴衣どれくらいするんだろ」
ふと、その疑問をぶつけるように、店員さんに視線を向ける。店員さんは二人の空気を読み、確認してきますね、と一言を置いて、その場を離れた。その間、ずっと黙ったまま、お互い俯いていると、その空気を壊すのを申し訳なさそうに店員さんが戻ってきた。
「お待たせしました。購入となると、お値段は……十二万八千円になりますね」
火照っていた顔から、急に熱が引いた。
「十二万……六百円の小説が二百冊……」
壱露君はそっちのけで着物を選んでいる千代子ちゃんを呆れたように睨んでいる。
壱露君は小さくため息を吐き、私に視線を戻す。相変わらずその破格の値段を見て、あたふたしている私に声を掛けた。
「どうするの?」
「え、どうするって……払えないです」
「いえ、そうじゃなくて、欲しいの?」
「まあ……良いって言ってくれたから……でも……」
「では……」
店員さんは私たちの状況を察したのか、壱露の言葉を遮り、提案をした。
「レンタルも出来ますが、そうすると、そちらの浴衣で当日午後二時からのレンタルで、一万一千円になりますけど、如何なさいますか?」
「それなら……」
なかなか決められず、壱露に視線を向ける。決定権を託されたことに、壱露君は嫌そうな表情を見せるが、もう一度こちらをみると、諦めたように溜め息を吐いた。
「まあ、何度も試着していると、他のお客さんの迷惑なるし、いいんじゃない」
棘のある言い方に、疑念を抱いたが、とりあえず頷いておく。
「そっか……そか」
私の納得のいかない表情に気づいたのか、壱露は顔を強張らせる。
「まあ、あれです。その、探してもそれ以上に似合う服がないかなーと、思って」
彼の苦し紛れの言い訳にさらに苛立ちが沸いたが、それを何とか堪えた。
「じゃあ、これにする」
そう言って試着室のカーテンを締めて、私服に着替え始める。
着替えている途中、何やら千代子ちゃんと壱露君が言い合いをしているのが聞こえて来た。着替え終えて、試着室を出ると、千代子ちゃんが私に気が付いて、こちらに向かってきた。
「壱露先輩、何かひどいことを言ったようですね」
千代子ちゃんは呆れたように壱露君を一瞥すると、困ったように私に微笑んで来た。釣られて私も同じように笑ってしまった。
ふと、周囲を見渡して壱露君を探していると、お店の外で、適当な柱に寄りかかっていた。多くの視線がちらちらと彼を伺っており、それが欠損している左腕に視線が向いているように感じた。それを気にも止めない彼は、何か置き忘れたように遠くを見つめていた。
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