進む不穏

 壱露君と千代子ちゃんを見送るってから、彼に謝罪をした。

「ごめん、なんか勝手なことをしちゃって」

 なんだか今日は終始怒っているように思えた。いつもよりもずっと冷たいように見えたから。それともそれが彼の本性だとでも言うのだろうか。だけど彼はすぐに笑みを取り繕って答える。

「別に怒っていないよ。あれは千代子と僕の仲だからね。あいつったらすぐに僻んだり自虐したりするから困るんだ。自分の価値を分かっていない」

「そうなんだ」

 変な話をしちゃったね、と壱露君は言って部屋に戻ろうとしたとき私はつい彼の手を取って引き留めてしまった。千代子ちゃんが壱露君に小説を見せているというのを聞いて、もし私の小説を読んでくれるのなら。

「あのさ、実は……私小説を書いてるの。だから」「悪いけど、僕はそれを読むつもりはないよ」私の言葉を遮って、彼は先に断ってきた。

「千代子もそうだけど、僕が読んだって何の意味もない。それなら編集部に出すべきだし、君は大賞に応募するべきだ」

「そうだけど、壱露君の意見も聞きたいって言うか」「無意味なことはしたくない」

 へ?、と彼のことを見る。私には見せない冷たい表情。

「君の小説を読んでも、僕からは何にも言えないよ。」

「じゃあなんで」「千代子小説を読んでいるのは、必要なことなんだよ。必要だから、読む。でも君の小説を読んだって、なんの意味もないじゃないか」

 まさか壱露君にそんなことを言われるなんて思わなかった。今までの愛想がいいのが嘘のように彼は私に対して冷淡に接してくる。

「そんなこと言わなくても。読んでみないとわかんないじゃん」

 自分の小説が無価値と言われているようだった。

 突然どうしたとでもいうのか。彼はやはり私が勝手に千代子ちゃんと接したことを怒っているのだろうか。

「そもそも、君が僕の後をつけてきたから、千代子が小説家であることをばらさなくちゃいけなかったんだよ。そのことについての弁解は一切聞いていないけど」

やっぱり怒っていた。それもそのはずだ。考えれば、千代子ちゃんは壱露君に同級生と出くわしてしまったことを聞いているだろうし、私が話掛けた時点でその同級生である私が壱露君のことをつけたことは明白だろう。

「ごめん、でもあれは夢上さんが」「あの人にならバレてもよかったんだけどね。ばれたとしても、きっと君には言わなかったろうから。でも君は本人に接触した。考えたことがあるかい。今まで自分が小説家であることばらされて、みんなちやほやされる恐怖、どこの誰かもしらないやつがファンだとか勝手に呼んだ感想とかひそひそいったり、直接言われたり。あの子はああいうみんなの注目の的になることを極度に嫌うんだ。それでも君と友達になることを選んだ。あの子はすごいよ」

 まさか壱露君がそこまで千代子ちゃんのことを考えているとは思いもよらなかった。いや、むしろ私なんかよりも長い付き合いだから、そこまで人のことを考えているのだろう。

「ごめんなさい」

「あの子は色んなことを見て見ぬふりもせずに、逃げずに戦っている。僕なんかよりも。君はどうなんだい?」「へ?」

 どうってどういうことなのだろうか。私が逃げているとでも言いたいのだろうか。私のことを知らないはず、彼のにやつきに不気味さを覚えた。あの最初の自己紹介に見せた表情に似ていた。

「私の何を知っているの」

「なんでも、青咲のことも、この家のことも何でも知ってる」

 まあいいや、と他人事のように呟いて、階段を上っていく彼を止めることは出来なかった。私のこと、というより言い方的に青咲家のことを知っているのか。この家のことってどういうことだろうか。彼が住んでいる自殺部屋にも何か秘密があるのだろうか。怖い。今、彼が何を考えて、何を意図してそんなことを言っているのか分からない。

 私を突き放すような言い方。私は彼に何をしたのだろう。ここで何があったのだろうか。

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