レプリカ 終
「で、口を滑らしたと」
私は土曜日に、青咲さんに呼び出されていた。青咲さんには席を外してもらい私と先輩の部屋で二人っきりになっていた。
罪悪感が十割、死にたいが十割で、私は正座をして俯いている。
「いや……その……すいません」
「まあいいや。とりあえず、僕のことはバラしてないよね」
先輩の冷たい視線が見なくても私の心臓に刺さり、顔を逸らす。最低ながらも、どこか自嘲的な気分になっていた。
「多分……」
「多分ってなに」
「いや、違うんですよ!めっちゃ怖かったんですよ!今まで無表情で何考えているのかわからない人だと思ったら、ころころと表情変えて、本当に何考えているんだか……」
私は早口になり段々と声は大きくなっていく。さながら、なんと卑怯な言い訳なのだろうか。
「千代子の言っていることはよくわからないけど……で、話したの?」
先輩は前髪の隙間から冷たい視線を覗かせる。その圧力に尻込みしてしまい、自然と視線を逸らしてしまった。
「やらかしたような、やらかさなかったような……」
先輩は窓の景色を眺める。彼はやはり怒ってないのだろう。――怒ることなんてない。冷たく、他人事のように。
「それじゃ、青咲さんのところ行こうか」
先輩と共に居間へと向かった。青咲さんは居間の隅で本を読んでいた。
青咲さんは二人に気がつくと、本を閉じ、目を輝かせて先輩に近づいてきた。
「あ、あの壱露君って、あの、高橋千代さんの友達なの?」
「違う」
先輩は即座にはぐらかしたが、彼女はさらに顔を近づけ、真っ直ぐな眼差しで彼を見つめる。
「え、じゃあ、もしかして壱露君って……小説」
「それも違う」
先輩は彼女の言葉を遮る。彼は冷たく眉を顰め、床を見下している。青咲さんは壱露の態度に、体を引かせ、啞然と表情筋を広げる。
「千代子とは……翠さんの伝手であっただけです。僕は小説家じゃないし、そういう才能はない」
思わず、先輩から視線を逸らす。
「そ、そうだよね。ごめん変なこと聞いちゃって……」
青咲さんも気まずそうに視線を逸らした。そこで沈黙がながれ、全員の視線を合わない。
「あら、どうしたの?」
それを救うように廊下から声が聞こえ、私達が振り向くと、そこには穏やかそうな女性が不思議そうに首を傾げていた。その柔らかい笑顔が初めて会ったときの先輩と同じで、妙に胃が気持ち悪かった。
「いえ、なんにもないです。あ、えっと……」
気まずい雰囲気を隠そうとしたが、見覚えのない女性の姿に言葉が詰まってしまう。
「こんにちは。青空ハウスの管理人をしています。青空清子です。もしかして、美晴ちゃんのお友達?」
清子さんは落ち着いた様子で青咲さんに聞く。彼女は口を開こうとしたが、言葉が上手く見つけられず、清子さんから視線を逸した。
――私が説明したほうが良さそう。
「乃木先千代子って言います。その、美晴さんとは同じ学校で最近仲良くなったっていうか、たまたま、壱露さんもいたっていうか……」
清子さんはしばらく私達を見つめていたが、キッチンに向かい、持っていた荷物を片づけ始めた。
「よく分からないけど、千代子ちゃんゆっくりしていってね」
清子の柔らかい声色にそれぞれが顔を見合わせる。
「と、とりあえず、座らない?立ち話もあれだから」
青咲さんが促すと、私達はそれぞれ席に着く。
「三人とも麦茶でいい?」
台所から清子が顔を出して聞くと、私達は小さく頷いた。清子さんも頷くと、鼻歌を鳴らしながら台所へ戻っていった。
「で、その……」
青咲さんが話を切り出す。彼女からその先の言葉は出てこなかったが、何を言いたいのかは理解していた。
先輩は小さく溜め息を吐くと、説明しだした。
「翠さんが葵文社に連れてかれたときに、千代子を紹介されたんだ。そこから、千代子に気に入られて、彼女の小説を読ませてもらっているだけだよ」
先輩があらかた説明をすると、青咲さんは納得したのか、そうなんだ……と小さく呟いた。しかしその表情はどこか不満げな視線を先輩に送っている。
「なに……?」
先輩はじっと青咲さんと視線を合わせたまま、手を強く握る。
「いや、別に……特になにもないけど……」
青咲さんは先輩から目を逸らすと、顎に添えていた手を膝に戻した。
「初めてじゃないんだ……」
「え?」
先輩は青咲さんの言葉が聞き取れなかったようで、聞き返したが、彼女は「別に」と冷たく返すだけだった。その光景をじっと見ていて、気づいた。
「これって……」
二人がとても微笑ましく思い、自然と口角が上がる。
「なんか、仲いいですね。二人とも」
青咲さんは、はあ?と驚き、頬を赤めた。先輩は呆れたように私を睨む。
「別に仲いいってわけじゃないよ。ただ、一つ屋根の下で暮らしているだけだから、必然的に会話するだけだよ」
「そうだよ。千代子ちゃんみたいにため口使ってくれないし……って、え?」
青咲さんは何に驚いたのか先輩の方をみる。だけど、壱露先輩は特に返すわけでもなく黙って彼女から顔を背けていた。
しばらくして、台所から清子さんが麦茶を持ってきた。外から生ぬるい風が吹く。運ばれたコップから、氷の音が風鈴のように響いた。
「今日はすごい暑いからね。はい、どうぞ」
清子さんが順々に麦茶を配ると、各自は「ありがとうございます」と軽く会釈した。
「どんな話していたの?」
清子さんは知ってか知らずか、幼稚な笑みを向けながら座る。青咲さんは彼女から視線を逸らし、むすっと不機嫌な表情になる。
「千代子は小説家なんですよ。高橋千代でやっている」
「え?壱露さん?何を言って……」
突然の発言で先輩の肩を掴む。先輩は私の手を振りほどき、また顔を逸らし続ける。――やっぱり怒っている?
「へぇ、そうなの!すごいわね。まだ若いのに」
「え、いや、そんなことはない……です」
先輩の悪意に納得はいかなかったが、自業自得なのでなんとも言えない。
「あ、そうだ。千代子さんは、なんで小説家になろうとしたの?」
青咲さんの瞳はまた純粋な幼児のように大きくなり、私を捉える。
「え、私ですか?」
そういえば、青咲さんは小説が好きらしい。――私のペンネームを知っているってことはそうとう幅広く読んでいるのだろう。
「私はただ、色んな人の人生を作るのが好きなんです。それを眺めている感じっていうか……それを、みんなにも見て欲しいって思っただけなんです」
「そうなんだ……」
恥ずかしながらも、自分の理想を話すことは案外楽しかった。暑さで背中の汗が蒸発して、背中が冷えたのか、青咲さんは背筋をぶるりと震わせた。
「千代さんの作品は、表現が真っ直ぐで好き。ちゃんと感情が伝わって、でももどかしくて、最後にはすっきりする。綺麗にまとまっていて、読んだ後にじわじわって心が満たされていく感じがするの」
青咲さんの突然の感想に、私は身体が固まる。
私の小説は本当にそうなのだろうか。自分の小説を読むたび、普通という文字が突きつけられているように感じる。私にそんな人を感動させる才能があるのだろうか。――先輩も同じ気持ちなのだろうか。
頬を搔きながら、堅い笑顔を作った。
「なんていうか……そんなに真っ直ぐに言われると、恥ずかしいですね……あ、そうだ。青咲さんは日崎壱楼さんの作品読んでいますか」
恥ずかしさを隠すために話題を変えた。そこでまたやらかしたかと、先輩の方を見たが、どこか他人事のように部屋の角を見ていた。
「日崎さんのことを知っているの?!」
青咲さんは目の色をさらに輝かせて私にすり寄る。私が戸惑い気味に頷くと、彼女は正気を失ったように話だした。
「日崎さんの小説はどこか遠回しな表現が多いんだけど、それでもすっと身に入ってくるっていうか。とにかく、感情が直に伝わってくるの!」
青咲さんの言葉は段々と強くなっていく。そこで彼女は我に返り、周囲を見回す。
青咲さんは日崎壱楼のファンなのだろうと気づいた。それがひどく可哀想に思い、自身の心臓が痛くなった。
「あ、ごめんなさい。なんか、熱が入っちゃって……」
「いや、そういうふうに直接感想を言ってくれるの嬉しかったから、ありがとうございます」
焦ってフォローをすると、青咲さんは安心したように胸をなでおろした。
「そっか、なら良かった」
「それに、なんか美晴さん怖い人だと思っていましたけど、案外そうでもないんですね」
美晴は硬直する。
「え、私怖がられていたの?」
「あ、え?」
何かおかしいかと思い、周囲を見回すと、清子さんは気まずそうに苦笑い、先輩は冷たい麦茶を啜っている。そして、青咲さんと目が合う。美晴は驚いた表情で彼女を見ていたが、段々と表情が曇っていく。
「そっか……」
「千代子」
状況を掴めずに、先輩に名を呼ばれ、そこで気づき焦る。
「あ、いや、私はもうそんな怖いとか思っていませんよ」
「千代子」
また、口を滑らし、先輩に戒める。
「他の人は怖いって思っていたんだ……」
「あ……」
沈黙が流れる。不穏な空気が、居間を支配する。寂しそうな表情をしている青咲さんを先輩は横目に見ている。しばらくして、先輩は溜め息を吐き、頬杖をついた。
「まあ、でも別に、友達の多かったら本読めないし疲れるし、面倒なことばっかだよね」
「そ、そうです!むしろ、友達作らないように怖い態度とるのも」
「千代子、もう喋んなくていい」
そのやり取りをじっと見ていた清子さんが、突然、ふふっと笑みを零した。私達は彼女を一斉に見る。
「もう、本当に面白い子ね。美晴ちゃん、いい友達持ったね」
「え……友達?」
青咲さんに見られ、肩を強張らせる。
「えっと、すいませんでした。変なこと言って」
「別に友達ではないですよ。話してそんな時間たってないし」
「え、今やり返されました?私達って友達じゃないんですか?」
学校に友達がいなかったため余計に言われると傷つく。――私が失言して相手が傷つく理由がわかった気がする。
「別にそういうつもりじゃなくて、千代子ちゃんは小説家だから、私なんかが友達って思っていいのかなって。実際私が憧れている小説家の一人だし」
青咲さんは恥ずかしそうに、視線を逸らす。
「関係ないですよ。別に私が小説家とか。別に小説書いてはいても、普段の私は普通なんで、だから……」
青咲さんは察したのか、私が言いかけたところで、どこか無理やり納得しようと、ぎこちなく頷いた。
しばらくして話の区切りがつき、私は立ち上がり、一礼をする。
「私はそろそろ帰ります。お邪魔しました」
「あ、うん。こっちも無理やり呼び出して、ごめんね」
青咲さんも立ち上がり、私を玄関まで見送ってくれた。玄関に手を掛けたところで、振り返る。
「あ、あの。よかったら、連絡先交換しませんか?」
私が提案すると青咲さんはしばらくじっと固まり、そして驚いたように聞き返す。
「え、私が乃木先千代さんの連絡先聞いていいんですか?」
「なんで突然、敬語。あの、ほら、美晴さんの家にも上がらせてもらいましたし。それに楽しかったから、また話したいなって思って」
また青咲さんはしばらく硬直していたが、急いで自室まで走り、スマホを持ってきた。
「これ……」
青咲さんはバーコードの写った携帯を差し出す。私も携帯を取り出しそのバーコードを読み取ると、満面の笑みを彼女に向ける。
「壱露さんのことお願いします。では私はこれで、今日はありがとうございました」
そういって、今度こそ玄関の引き戸を開けた。
「あ、あの!」
青咲さんは咄嗟に、私を呼び止める。彼女は左右落ち着きなく顔を動かし、は言葉を惑わせている。
「また学校で!」
青咲さんはそう言って手を振った。私も無表情の表情から、柔らかい微笑みに変え、手を振り返した。
「はい。また明日」
私は走って、青空ハウスから逃げ出した。
初めての友達、初めて会った読者、どこか体の奥で心地のいい寒気を感じた。ただ、どこか違和感から目を逸らしながら。
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