レプリカ 七
「行ってきます……」
「気を付けてね」
お母さん、に見送られて、家を出る。六月は、衣替えで制服は夏服に変わっていた。
太陽は白く光り、その暑さのせいか私の体は雨雲のようにどんよりと項垂れている。それに昨日の出来事が脳内をぐるぐると巡り、迷路のように抜け出せない。それでも私は背筋を伸ばして、手提げかばんを前にやって歩く。
学校に着き教室に向かう。途中の廊下で、ショートボブの女子生徒が私を追い越した。それを目で追うと、彼女もこちらを振り向き、そこで目があう。途端に心臓は悲鳴を上げ、上手く呼吸が出来ないでいた。――青咲さん……。
反射的に顔を背け、小走りで教室に入った。教室内は男女の喧騒に包まれており、それが鼓膜を刺し、さらに心臓が忙しくなる。窓際にある自分の席に座り、すぐさまうつ伏せで顔を隠す。
「あの」
喧騒の中から起伏のない静かな声が聞こえてきた。肩を軽く揺すられ、恐る恐る顔を上げると、そこには青咲さんが目を細め、こちらを見下ろしていた。
「何か御用でしょうか……」
何とか愛想笑いを向けるが、声が震え、表情も上手く動かせない。
「ちょっと話したいことがあるんだけど、お昼時間取れる?」
「あ、ちょっと……忙し……」
昨日のことだ。何とか言葉を繋ごうとしたが、目を合わせられず、声もぼそぼそとしてしまい上手く話せない。
「何?」
青咲さんは私が誤魔化したのに苛ついたのか、私に顔を寄せ、聞き返してきた。
「超暇です!マジで!友達欲しいぐらい!」
びっくりして声が大きくなった。それがうるさかったようで、青咲さんは眉を顰め、溜め息を吐く。皆の視線も一瞬こちらを向いて、静かになる。その空気に耐えられず、お昼の待ち合わせをすることにした。
四時間目が終わり、千代子が教材を片付けていると美晴さんが弁当箱を片手にこちらに近づいてきた。
「あの」
「はいぃ!」
恐怖の声が聞こえ、肩がびくりと上がり、声が裏返る。
美晴さんは身を引き、眉を顰めた。
「ここじゃ、人いるから場所移そう」
「はい」
移動の途中、顔を上げられず、体も強張っていた。庭に出ると、青咲さんは適当なベンチに座り、弁当を広げる。
「お昼ご飯食べないの?」
私がそのまま立ち尽くしていると、青咲さんはこちらを睨みつけて威圧してきた。
「食べます。ごめんなさい」
私も急いで座り、弁当を広げる。
食べている途中会話はなく、その気まずさも相まって箸も一向に進まない。しばらくして、青咲さんは小さく息を吐き、閉ざしていた口をゆっくりと開いた。
「あのさ」
「は、はい……」
「まず、名前何だっけ?」
どういうことだろうか。青咲さんは頬を掻き、私から顔を背けている。
「乃木先千代子です」
そう名前を言った途端に気づいた。――ばれてる!高橋千代ってばれてる!
確認を取ったのだろう。膝に置いた握っている手に汗が滲む。
「そっか……」
青咲さんは顔を顰めて俯いている。心なしか頬もどこか赤い。その長い間が緊張で心臓が張り裂けそうで、だけどこちらも何か言えずじまいで。何を言われるのかと、恐怖していると彼女は突拍子も無いことを聞いてきた。
「乃木先さんは……壱露君と付き合っているの?」
「え?」
想定外の質問に肩の力が抜けた。彼女は顔を赤く火照らせ、俯いている。
「だから……壱露君と付き合ってるの?」
先程までの威圧感はまったく感じず、どこか子供のようにいじけた表情が不思議と私を冷静にさせた。――壱露先輩のことをなんで……。
「付き合ってないですよ。ていうか、なんで壱露さんを知っているんですか?」
「本当に?」
青咲さんは私の質問を無視して、押しよってくる。
「付き合ってないです。ていうか」
「本当に付き合ってない?」
再度、聞こうとしたが青咲さんは私の言葉を遮り、顔を近づけてきた。
「あ、あの!一旦落ち着いてください。壱露先輩とは本当に付き合っていませんので!」
「じゃあ、どういう関係なの?学校行ってない壱露君となんで関わりを持っているの?」
青咲さんは私に顔を近づけて睨みつける。関係性を聞かれ、言葉が詰まる。壱露先輩はいくらでもごまかせるとは言っていたが、何をどう誤魔化せば正解なのか私にはわからなかった。それに――嘘吐くの苦手なんだけど……。
それでも、彼女は私に何度も聞いてくる。それがまた怖くて、いや、正確には余計なことを言って、先輩の正体がばれてしまうことが何よりも怖い。気づけば涙目になってしまい、肩も震える。
「その違うんです。あの、壱露さんとはそういう関係ではなくて。そ、そう!小説家仲間です!だから付き合ってもいません!」
「え……」
青咲さんは目を見開き、じっと固まる。
しばらく沈黙が流れ、自身の失態に血の気がひいた。
「あ、ちが……えっと、小説仲間です……」
「千代子?……千代?高橋千代」
――あ、死んだ。
庭に風が吹く。青咲さんは前のめりだった姿勢がぴんと真っすぐ伸びる。多分自分の目は虚ろだったと思う。
「飲み物買ってこなくちゃ……」
最後の言い逃れは、果てしなく虚しいものだった。
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