レプリカ 四
休日が明け学校に向かう。彼は通信制らしく、結局家に引きこもっている。夢上さんが何だか彼に対しての愚痴を言っていた。家を出るには熱いと書いてしまうほどの日差しと気持ち悪いほどの湿気だった。まだ五月に入っていないというのに、こんな暑さには御免こうむりたいのだけど、自然現象なら仕方がない。科学だったかの授業で地球温暖化は二酸化炭素のせいだと言っていたけれど、実際二酸化炭素の増えた寮なんてさほどだし、ただ地球が熱くなる時期になっているだけなのではと思ってしまう。そんなことを昨日壱露君に振ってみたところ『実際科学的な証明がされていないというのに、二酸化炭素の削減なんて企業の策略なんじゃない』と思想が強そうなことを冗談まじりに言っていた。そんな冗談を言うのは私にだけだった。
暑い、と声を漏らして俯く。熱がうなじを焼いて、身体が上手く動かなくて、干からびそう。
「怠い」と言葉と共に一つの足音が私を追いこした。
シルクのように綺麗な黒の長髪を垂らし、小さく礼儀正しく歩く同じ学校の制服の女子高生。あの子確か、見たことがある。隣のクラスで休み時間も放課後も静かに本を読んでいる。いわば優等生の子だ。名前は確か何だっけ。男子にも密かに人気で女子もああいう人になりたいと思っている人もいるらしい。なんで友達のいない私がそんなことを知っているかと言われれば、友達がいないからこそ、そういうひそひそ話とか恋バナをしているグループがいても私なんて見向きもされないからだ。
教室に入る。数人の視線が一瞬、私を刺してきてそれから何事もないようにみんなが自分のグループの会話に戻る。私は少し怖がられているらしい。無表情だとか言葉遣いが冷淡だとか、一時、トイレに入ろうとしたときそんな話を聞いたことがある。それもあの優等生の女子と比べられて。私が無表情なのは人と話さないから、言葉遣いが冷淡なのは話し慣れていないから。みんな自分のこと陰キャ陰キャって言うけれど、ホンモノを見るとまるで異端人のよう私を警戒する。
苦笑いを浮かべる。結局、人間なんてものは自分の都合の良いことしか考えていない。決めつけて、自分を見下げてそうじゃないよって同情を誘って、醜い。理性なんてなければいいのにーー友達か。
なにもない学校。なにもない一人。なにもない時間。なにもない数学。なにもない私。なにもないってつまんない。でも何かをする勇気もない。
「青咲さん、青咲さん」
え、と喉が鳴って顔を上げる。国語の先生がこちらを睨んでいて「どうしたのですか。早く読んでください」と指示してきた。すかさず私はページを探すけどわからない。人に聞く、と周りを見るけど時が止まったように私を見てこない。汗が机に浸りと落ちたとき「もういいです。次の人読んで」と後ろの席の女の子が平淡な声で読み上げる。こんなとき誰も笑う人はない。私もヘラヘラと笑えない。俯いているだけ。そうやっていつもの学校を過ごしている。
青空ハウスに帰って、清子さんに迎えてもらって、私の足取りは彼の元まで来ていた。トントンとノックすると彼はすぐに出た。
「青咲さん?」
心臓がどきりと鳴った。私を睨みつけるような表情があの国語の先生を連想させる。
「何?どうしたの?」
「いや」と言葉が詰まって、黙る。それから「青咲、じゃなくて美晴でいい。美晴がいい」そう言うと彼は目を逸らして考える素振りを見せた。んー、と唸ってから彼はわかったと呟いた。
「で、美晴。どうしたの?」
その軽い呼び方で心が少し落ち着いて。
「いや、その夢上さんに謝ってもらったかなって思って。清子さんが夢上さんに謝らせるとかなんとか」
私が言葉を濁しながら伝えると彼はうなじを搔いて、だからか、と面倒くさそうに呟く。なんかあったの、と聞くとパンケーキをごちそうしてもらったらしい。それと何だか曖昧にだが謝られたらしい。そういえば今日は夢上さんは休みだったなと思い出した。
「謝罪ってのは、罪の意識を感じて、謝ろうと自発的になるもので、誰かに言われてするものじゃないのだけど」
そんな御託を並べて。
「そもそも身だしなみをしっかりとしていなかった僕が悪いわけで」
そんな言い訳をして。
「私達って友達かな」つい変なことを口走ってしまった。彼は、え、とこっち見て固まり、私もいや、違うの、とか言い訳をしようと必死になる。
だけど彼はすぐに落ち着いて、また考える素振りを見せた。その間が品定めされているようで怖い。
「知り合いというには近い存在かな」「それって友達じゃないの」「ん、まあ、そうだね。友達でいいの?」そう聞き返されて私はどう答えればいいのかわからなかった。彼の純粋な眼と首を傾げる姿があどけなくて、「そうだよ。友達でいいと思う」自分も子どもに戻ったようだった。
「それだけ」と私がそう言って階段を降りようとしたとき、彼に呼び止められた。
「美晴」その声に振り向く。
「壱露、壱露でいい」
彼の笑みが柔らかくて私には眩しく思えた。
「うん」
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