レプリカ ニ
お昼は独りで食べた。壱露君が帰ってきたのは夕暮れ時だった。帰ったと思えば、居間にある荷物だけを取って、さっさと二階に上がってしまった。私も自室で、小説を書いているとき、引き戸が開く音が遠くで鳴った。もう清子さんが返ってきたのかと玄関に向かうと、そこにはダークブラウンの長髪で胸の薄い私なんかと比べれば圧倒的に出ている言わば持っている者である
怠そうに曲がった背中を伸ばし、夢上はこちらに振り向いた。
「ただいまあ、ハルちゃん」
私はそんな彼女に目を細めて「もう帰って来たんですか」と嫌味を言うと、そんな不機嫌な対応に堪えず私に抱き着いてきた。
「そんなこと言わないでよ。ハルちゃん。私たちの仲なんだから」
とお気楽そうな夢上さんは、実際には衣類関係の企業に勤めており、結構忙しい。今回もその出張らしく、いつになくしっとりと絡んでくるのがうざい。だけど、そんな面倒くさい夢上さんだけど、私は仕方なく頭を撫でる。
「はいはい、ほらお風呂入りましょう」「え、一緒に入ってくれんの?」「入らないです」即答返しをして、私は自室に戻ろうとしたけれど「そうだ。清子さん、親戚の用事で明日の朝まで帰らないって、それと新しい入居者が来ました」と簡潔に伝える。夢上さんは「ふーん」と喉を鳴らして、壱露君の靴を見て「こいつ、ろくでもないやつだな」と吐き捨てた。
夢上さんは毒舌こそ吐くものの、そこに本心さはない。だけど今の言い方には明らかな本気が伺えた。
「いや、関わってもいないでそんなこと言うのはどうかと」「いや、ろくでもないよ。こいつ。少なくとも人にも自分にも敬意が足りない」そう冷たく言い放つ夢上さんに苛立って、「だから、そもそも会ってすらいないのに、なんでそんなこと言えるんですか!」と叫んでしまった。
「靴見ればわかるんだよ。それとも、美晴ちゃんそいつに惚れてんの」
にやけながらこちらを見る夢上さんに私は呆れて「もういいです」と言って自室に戻った。頬が熱くなるを覚えた。
お風呂に入って、夕飯時になった。疲れた様子で帰ってきたというのに、夢上さんはキッチンで夕食を作っていた。
「あの何をしているんです?」と訊くと「夕飯作ってる」と当たり前の返答が来た。
「そうじゃなくて、清子さんの作り置きがあるんですけど」
「ん、知ってる。それと追加で作ってる」
よくそんな体力あるなと思いながら、私もキッチンに入って夢上さんの料理を覗く。夢上さんは「少し食べる?」と言ってスプーンを私の口にやる。トマトスープは下に酸っぱさと若干の甘さを感じさせた。
「とりまコンソメ入れとけば、スープなんて簡単に作れるよ。あ、でもハルちゃんそもそも料理しないか」といつものように嫌味を私はいつものように溜め息で返した。
追加の献立が出来上がると夢上さんは「ほら呼んでこいよ。そのハルちゃんが惚れたろくでもないやつ」とお玉を廊下に向ける。
「だから、別に好きじゃないですって」
たかが一日二日で人を好きになるかと思いながら、私は彼を呼びに二階に向かった。
不思議と怖さはなかった。壱露君はあの自殺部屋に自分の部屋をかまえている。それにしても、どうして彼はそんな部屋を選んだのだろうか。ついでに聞いてみるかと思いながら、彼の部屋をノックする。だけど、返事はない。
「あの、ご飯の準備できているから降りてこれる?えっと、夢上さんって人もいるんだけど」
声を掛け続けていると、扉がゆっくりと開いた。一瞬、一昨日の光景が過って身体がびくりと跳ねそうになったけど、ちゃんと彼だ。
「ご飯」と言うと彼は、うん、と頷いて、私を横切る。朝よりもなんだか冷たいような気がする。そもそも、ここ二日間彼が夜に口を開くのをあまり見ていない。
先に向かう壱露君の背中を私は追う。私よりも若干背が低い。いや猫背がそうしているのか。
「ねえ、なんであの部屋に住んでいるの。そこで人が亡くなっているのに」
気になったことを聞いたけれど、彼から返答はない。そんなに答えられない事情があるのだろうか。すると、遅れて「ごめん。夜は鬱なんだ。あまりしゃべれない」と気だるげに返ってきた。
鬱病の人がよく鬱期に入るときがあると聞いたことがある。彼もそういう類なのだろうか。それもそうか、両親を事故で亡くしているのだから、引きずらないほうがおかしい。
そういえば引っ越した彼の学校はこれからどこになるのだろうか。もし同じだったら、自分の生活は変わるのだろうか。そもそも話さないかもしれない。
丁度、夢上さんが食卓に夕飯を並べ終わったところで壱露君の隣まで来て、居間に入った。夢上さんは壱露君を見るや否や「ほら、やっぱりろくでもない奴じゃないか」と彼本人の前で冷たく言い放った。
「あの、いくらなんでも本人の目の前でいうのは最低ですよ」
私がそう指摘すると、夢上さんはいじけたように目を逸らす。だけどすぐに壱露君の方を向いて「おい少年、まず身なりを直したらどうだ。ハルちゃんは単純だからすぐ好きになっちゃう思考だけど、他のやつらが君を観たらどう思う?まず不潔だと思うだろうな。髪を伸ばすのならちゃんとまとめろ。それとその猫背と俯く癖を直せ、陰湿に見える」思ったよりもまともな指摘をされた。何故だか私がいい籠る。
壱露君は小さく会釈して「すみません」と呟く。
「そうやってぼそぼそと呟くのも」「あの!流石に初対面の人に対してそんなことを言うのも、礼儀としてどうかと思います!」「人に敬意をもってない奴に、礼儀を払う必要はないだろ。身なりって言うのは敬意を表すんだ。それは太鼓昔からそうだろ」「それはあなたの価値観でしょう!」「だからな」
「あの」私達が言い合っていると、壱露君が気まずそうに間に入り私達は黙る。
「全部わかっているんで、自分のことは全部わかっているんで。すみません」
「じゃあ、今すぐにその髪を結わえろよ。言葉だけじゃ意味が」「壱露君は事故で両親を亡くしているんです!鬱なのにそんな簡単に身なりなんて整えられるわけないじゃないです……か」
失言をした。壱露君の方を見ると、彼はその髪の隙間から冷たい視線を私に向けている。
「事故?それ誰から聞いたんですか」
「あ、いや、翠さんっから」
めんどくせー、と夢上さんが呟いた。
今度こそは怒られると思ったけど、彼はそんな気力もないようで「そっか」と言い放つ。
「別に隠していることではないし、それを言われてどう思うこともないですけど」
そう独り言のように綴っていく彼の声は平淡で。
「だけど、まあ、僕は何もないからですかね。家族もこの腕も。そのせいで人の目だとか自分のことに無頓着で」
でもどこか異様に寂しそうで。
「すみません。何もできないで」
他人事のように無情で虚しかった。
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