始まりはいつだって最低で 終

 朝食を食べ終え、彼が自室へと戻ろうとしたとき、私は彼の腕を掴み引き留めようと手を伸ばした。左腕がかけているせいかそのまま空振りしてそのまま前かがみに倒れてしまった。気付いた彼が焦ったようにこちらを向く。

「大丈夫ですか?」

 別に痛くなかったのだけど、つい「痛」と出てしまったからだろう。大丈夫、大丈夫、と苦笑いを浮かべながら顔を上げた。初めて彼の表情を見た気がした。ただの一人の高校生が転んだだけだというのに、子どもが怪我したときに見せる母の苦痛な表情と似ていた。じっと彼は私を見つめて、それからはっと我に返ったように小さく呼気した。

「あ、で、まだ何かある?」

「いや」なんでも、という言葉を飲み込んで、深呼吸をする。怪我させてしまったことを彼は気にしていないだろう。それは先ほどの会話でわかった。けれど、ちゃんとけじめをつけなければならない。

「あ、あのさ、昨日のこと、謝りたくて……」

 唇が震える。目頭に力が入る。

 彼はただ黙って私の懺悔を聞いていた。

「昨日、その頭を怪我させちゃって、ごめん、なさい」

 彼の表情を見るのが怖かった。うえ、という間の抜けた声に私は顔を上げた。彼は困惑した様子を隠せないでいた。

「どういうこと?」

 ――どういうこと、とは?

 理解できていない彼に、私も首を傾げる。

「いやあ、だから私が君のこと突き飛ばしちゃって、それでドアノブに頭をぶつけたのかな。君が怪我しちゃって」

 わざとではない、こっちも怖かったから、というのは言い訳にはならないだろう。だから私はとにかく謝るしかない。できるのなら、慰謝料も払うべきかもしれない。

「あ、そうなんだ」

 彼の返答は私の思っていたよりも軽かった。え、と私も間抜けな声を出す。それから、彼は「んーと、ね」と顔に掛かっている髪を掻き上げた。

「まあ、事故だから」それだけ、なのだろうか。もっと何か責めるべき言葉があったのではないだろうか。私が唖然としていると、彼は「とりあえず、清子さんには内緒だね。言ったら面倒なことになるから」と唇に指を添えた。

「うん……」

 まさか許されるとは思わず、なんて返せばいいのか分からなかった。安堵か、それとも罪悪感の残り火か。まだ朝だというのに、私の頬に涙が伝った。

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