始まりはいつだって最低で 四
目が重たい。下腹部に鈍痛を覚えながらも、休日の朝を迎えた。昨日は清子さんが壱露君を病院に連れて行っていた。混んでいたせいか帰ってくるのは遅く、私が高校から帰ってきても青空ハウスには誰もいなかった。
居間に入ったところで清子さんが慌ただしく何か準備をしていた。私を見ると「ごめんね。親戚の葬儀があってね。お留守番してくれないかな?帰るの明日の朝になりそうなんだけど」突然過ぎた。親戚と言っているけれど、私とは関係のない遠方の方なのだろう。なら仕方がないか。
「わかりました」
「うん、昨日聞いてね。あ、ご飯は作り置いてあるから」そう私に目も向けずに用意している清子さんの瞼に隈が出来てた。
清子さんは玄関に来たところまで、何かを思い出したように、あ、と声を出して私の方を向く。
「壱露君よろしくね。あの子ご飯とか自分から食べないから」
そう言われて、私の顔が苦くなる。一人で伸び伸びとできると思ったのだけど、彼がいたんだ。彼とは一昨日の自己紹介以来から全く話していない。彼は、食事以外は部屋に籠っており、話す機会はない。とはいえ、一緒にいたとしても話せる自信なんてどこにもないのだけど。自己紹介の時は優しい人なのかなと思ってはいたのだけど、今はやっぱりよく分からない。ずっと無表情で、無口で、怠そうで不機嫌そう。
だからよろしくと言われてもどうすればいいのかわからない。朝ごはん食べなくちゃ。ご飯はみんなで食べる。ルールは守る。だから彼を呼ぼう。ついでに清子さんことも伝えなくちゃ。そう階段を上る。一昨日のことを思い出して足が止まった。わざとではないとはいえ彼の頭をケガさせてしまった。いつかは謝らなくちゃいけない。でも――このまま引きずったままなのかな。いや今言わなくちゃ。
そもそも、私が怖った理由は彼の部屋が事故部屋だから。どうして自殺者の出た部屋に入居したのだろう。二階に住みたいというのなら右の部屋ではなく左の部屋にすればいいというのに。そこが不気味の要因だった。清子さんは何も言わなかった。自分からも聞いたこともあったけど「あそこがいいらしいから」と苦笑いを浮かべるばかりだった。
大丈夫今は朝だから、明るいから幽霊はでない。彼は多分寝ているはず。そう自分に言い聞かせて、彼の部屋をノックする。
「あの、いたら返事してくれる。美晴です。朝ごはんだから起こしに来たんだけど」
できるだけ大きな声で言ったつもりなのだけど返答がない。いない。いや、やっぱり寝ているんだ。もう一回ノックをすると、ドッと鈍い音が響いた。それから、ドアがギィィィ……と開いた。やはり寝起きだった。不機嫌そうにこちらを睨み上げる姿体が固まるが、「ご飯」と言うと、「ああ、あい」と返答が来た。
後で行くから、と言われて、先に私はご飯の用意をした。用意といっても清子さんが作ってくれたものを温めるだけなのだけど。ご飯を居間に並べて終わってたのだが、彼が降りてこない。まさか二度寝しているのではないだろうか。後で行くからというのも、後で食べるからという意味だったのだろうか。そうもう一度呼びに行こうと廊下の方を向いたところで、ドカドカ、階段から彼が落ちて来た。思わず、へぇ!と素っ頓狂な声を出してしまった。
「大丈夫!?」
そう駆け寄ると、彼は、うつ伏せのまま手を挙げる。その手に持っていたのはライトノベルだった。ラノベ好きなんだ。
「よそ見していた」と彼は何事もなかったかのように起き上がった。浮き出た肋骨をない左手でさすって、私が見えていないのかそのまま今に向かう。居間の方で「あ」という声が聞えて来た。私もすぐに戻ると「ごめんなさい。朝ごはんの準備させてしまったみたいで」と謝って来た。わざわざそんなことをいうとは思わず「別にこれぐらいは」と返した。
「いや僕は男尊女卑文化は嫌いだからね。本来は自分の物は自分ですべきだ」と納得がいっていないのか持論を語った。
「でも、まあいつも私は何もしていないし」「僕も一昨日来たばかりだけど、何もしていない」きっと私のことフォローしてくれているのだろうけど、一昨日来たばかりならむしろ何も出来ないのではないだろうか。慣れとかもあるだろうし。清子さんのことを簡潔に話して、一緒にご飯を食べた。その間無言の時間が続き、気まずさに耐え切れずに話しかけた。
「そういえばラノベ好きなんだ?」
私がそう聞くと、彼こっちを見て「ラノベ読むの?」と喰いついてきた。
「いや、むしろ苦手かな」
いや自分から話掛けておいて、すぐに会話を締めるなんて。ていうか、ラノベ好きな人に苦手とか言うのはどうなのだろうか。
「どういうところが苦手なの?」
彼はどうやら話を続ける気のようで、私に聞き返す。でもラノベ好きの人に苦手なところいうのはどうなのだろうか。そう疑問に思いながらも私は口々に並べていく。
「文章が拙い。ストーリーがつまらない。詳しくいえば主人公が最強だったり、異性を侍らせたり。とにかくご都合主義で進んでいくのに芸術性の欠片もないし、非現実的。なんであんな物が売れるのか……」
気づけば嫌なところを全部言っていた。彼を不快にさせていないか不安になり「ごめん、そういうつもりじゃ」と言ってもなかったことにはできない。しかし私が思っていた反応とは違って、彼は顎に手を当て思案するように黙りこんだ。そして一人でに頷いて「わかる」と言った。
「今青咲さんが言ったのは全部なろう系の部類に入るね。でも最近はラノベはなろう系に侵食されて言っている気がする。とどのつまり、主人公が恵まれているというのが嫌なんだね。でもそういうラノベという形態ができたのはネットの普及が原因だと思う。」
首を横に振る。分からない。彼がこんなにも話す人だとは思わなかった。
「つまりは昔は知識人だけが物書きをする特権を得ていたのが、ネットの普及によって世界に自分の作品を出せるようになったんだ。誰かが書いたものを誰かが読むという作品の共有が可能になったんだ。すると、ストーリーにマンネリ化が生まれる。でも、皆もともとそのジャンルが好きだから飽きずに読む。悪循環と言うのは少し違う気がするけど、でもそのせいで目新しさが見えなくなるのは問題かな。それこそ拙い文章っていうのも、誰でもかけるようになったからこそ、印象が強くなっているんだと思う」
この言い方だと彼はラノベは好きではないのか。まるで「研究者みたいだね」と口が勝手に開いた。彼は先ほどまで集中していたようで、はっとなり「いや、最近ラノベという形態を勉強していてね」と誤魔化した。
「じゃあさっきラノベ読んでいたのも」「ちょっと気になってかな。あれが初めて」そうなんだ。でも、ラノベが嫌いというわけではなさそう。
「でも、やっぱり私はライトノベルは嫌いかな。!マークが多かったり、感情表現が単純だったり、小説っていうのは複雑な心理描写があって、文体に芸術性を持たせないと小説じゃないっていうか」
「さっきいった文章が拙いって話だね」
「それもそうだけど、やっぱりストーリーも単純って言うか。浅い」
気づけば自分の小説に対する本心を言っていた。初めてだった気がする。自分の言いたいことをはっきりと言うのは。だけど、彼は私の言い分を否定した。
「青咲さん、それは説得力がないよ。好き嫌いで話しても誰も納得しない」
「別に納得して欲しいわけじゃ」「そうじゃないなら理解だ。感情じゃ理解は得れない。言葉で語りあおう。これじゃあ堂々巡りだ」
理解されたいのなら、言葉で語り合う。
「ねえ、さっき壱露君はラノベの文章が拙いっていうこと賛同してくれたよね。どこを賛同してくれたの?」
私がそう聞くとまた、考える素振り見せる。
「他の小説よりは拙いとは思う。でもそれが悪いとは思わない。拙いというよりは、文章が簡略化されているといった方がいいかも。前置くけど、ここでいうラノベっていうのはちゃんと出版社に出ている作品のことだよ。簡略っていうと、例えばビックリマークが多かったり感情表現が単純だったり、でも言い換えればわかりやすく伝えていると言ってもいい。ストーリーが単純なのもそれがあるからだと思う。要は万人向けってことだね」
「でも物語に深みは出ないよ。例えばミステリー作品みたいに壮大な伏線とか、謎っていうのを引き出せなくなる」
私が反論すると、一昨日の自己紹介の時と同じように彼はクスリと喉を静かな笑みたたえる。
「ミステリー作品の起源はラノベだよ」
何を言っているのか分からなかった。ミステリー作品がラノベな訳がない。理解できずには?と口に出てしまった。
「いや言い方が悪かった。ミステリー作品の起源であるコナン・ドイル著のシャーロックホームズシリーズはライトノベルなんだよ。何故なら彼は運よく殺人事件が起きたところに探偵がいて、探偵が解決してくれるという、トラックに轢かれて異世界転生するのと同じお決まり展開をつくってしまったからだ。それに、黒牢城で直木賞をとったミステリー作家の米澤穂信さんの氷菓という本ももとはライトノベルだったからね。だからそう簡単にラノベが悪だとは否定できない」
言い負かされてしまった。でも思ったよりも、小説のことについて話せたことが嬉しくて、うざったさも敗北感もない。私が言えることは「すごい知識だね」と素直に褒めることだった。だけど、彼はそれを皮肉と受け取ったのか「いや、ごめん。今のはうざかったね」と俯いて溜め息を吐いた。
「いや、別に嫌じゃないよ。むしろ、私、小説大好きだからこういう話が出来てうれしい。そうだね。壱露君の言っていることが正しいね。ライトノベルにも手を出してみようかな」
慌てて彼をいフォローする。だけど、それでも彼は自分の失態を反省するように呟いた。
「いや、僕は正しくないよ。いつだって、僕には何にもない。主義主張も、何もないまま、誰かが言った言葉を反芻しているだけなんだ」
そこまで落ち込むことだろうか。何もない。なんてそんな、自己の存在を否定するなんて。私の視線は自然と彼のない左腕に行っていた。彼の欠けた腕の先端は赤くなって、みみずばれのような跡がある。きっと事故か何かで失ったのだろう。彼は過去にどれだけの涙を失ったのだろうか。どんなあったはずの人生を失ったのだろうか。それは私にも、きっと彼にも分からない。
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