第31話 クッキーパーティ
「この子は一体どうしたんですの?」
アリシアの家に戻ると、部屋の隅でナタリーが小さく縮こまっていた。
「ナタリーさんはお菓子を焼いている最中もずーっとつまみ食いをしてたので台所から叩き出したです」
ミーナがケラケラ笑いしながらそう言う。
「だって……きれいで……おいしそうで……」
ナタリーは小さい声でそう言い、申し訳なさそうにチラチラと台所の方を見ている。叱られた子供みたいだ。
「ちゃんと火を通す前に食べるとおなか壊しちゃいますからね。ほら、もう焼けますので皆さんも席についてください」
ソフィアさんがテーブルクロスを敷き、てきぱきと人数分の食器を並べる。この部屋中に充満している澄んだ甘い香りを嗅いでいるとナタリーの気持ちもわからなくはない。
「はい!お待たせしましたー!」
アリシアが嬉しそうにテーブルに皿を並べ、お皿の上にはシンプルなクッキーだけでなく、ケーキやドーナツまで所狭しと並んでいる。焼き菓子特有の香ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
「では、皆さんどうぞお召し上がりください」
ソフィアさんの声で一斉にお菓子へと手を伸ばす。焼きたてのクッキーは初めて食べたが、ほろほろと口の中に崩れるあたたかな感触と言い、サクサク具合と言い、甘すぎない上品な味といい、とても美味しかった。
「ふぁあぁぁ……っ」
ナタリーは両手につかんだクッキーとドーナツを恍惚の表情で見つめたかとおもったら、すぐに口に放り込み、また恍惚の表情に戻る。
かと思ったら自分がかじった後を覗き見て不思議そうに首を傾げ、再度かじっていた。
「さっきのあの甘かったのにべちゃべちゃしてたのと全然ちがう!なんで?どうして……?」
ぶつぶつと独り言をつぶやきながら一口食べるたびにビクッと肩を震わせていた。
先日生徒会室で食べた時もそうだったが、挙動不審になりながらもお菓子を食べている姿はとても幸せそうだ。普段はあんなにきれいに食事もするのに、ナタリーの前だけぽろぽろとお菓子がこぼれていくのがなんだかとても面白い。
「気に入ってもらえました?」
アリシアがナタリーの顔を覗き込みながらそう聞くと、
「は……はい……え?とても……とても美味しいです……、えっ?」
と上ずった声で、アリシアと手に持っているお菓子を何度も視線を往復させながら返事をする。見事に心ここにあらずといった様相だった。
「よかった!学校の調理器具だとなかなか上手に作れなくって、ちゃんとした焼き菓子を食べてもらいたかったの」
「ナタリーじゃないけど、本当においしいな。俺様もこんなにおいしい焼き菓子を食べるのは初めてかもしれん」
「アリシアさんってばすごかったんですよ?ミーナもお手伝いしましたですけど、ほとんど一人で作っていたです」
「本当に。途中からミーナちゃんと私は食器洗いしてたものね」
みんなに褒められてアリシアは照れたように頭をかいている。
「けふっ……!んんっ!」
「あらあら、ナタリーさん大丈夫ですか?いま代わりのお茶をお出ししますね」
「あ、お母さん。私も手伝うよ」
ソフィアさんとアリシアが席を立ち、お茶を用意し始める。
「もー、そんなにあわてて食べなくても誰もとらないですよ?」
「えへへ……つい……」
「でも本当においしいよね。僕これ好きだ」
そう言いながらセシルがクッキーを一つ手に取る。
「これ、なんていう焼き菓子なんだろう。名前とかあるのかな?」
そう言いながら口の中に放り込み、サクサクという音を部屋の中に響かせた。
「へっへーん。さっきの話じゃねーけどやっぱ俺のほうが知ってることあるみたいだな!これ、ラング・ド・シャって名前のクッキーだぜ?」
得意げにノーランが答えた。
「ラング・ド・シャ……、クッキー?へぇ、初めて聞いたよ。美味しいね。今度うちのメイドにも作ってもらおうかな」
そう言ってセシルがもう一枚ラング・ド・シャに手を伸ばす。
「お前、意外とこういうの詳しいんだな」
マリウスも感心した視線でノーランを見ている。
「意外とはなんだよ、意外とは。世の中魔法だけで全部の優劣が決まると思うなよ?」
ノーランはやれやれと首を振り、ラング・ド・シャを口の中に放り込んだ。
「そうですわ!今度生徒会主催でティーパーティをやりません事?みんなでおいしいお菓子を食べながら楽しくおしゃべりするんですの!」
きっと盛り上がるに決まっている。美味しい料理の前には平民も貴族もみな平等だ。
「お、いいなそれ!やろうぜ!」
イグニスを皮切りにみんなも乗り気だ。次々に面白そうなアイデアが出てくる。中でもナタリーはずっとワクワクが止まらないといった表情だ。
「あら?皆さん何を盛り上がってるんですか?」
アリシアが芳しい紅茶をお盆に載せて、戻ってきた。
「一番アリシアに負担がかかってしまいそうなのですが、いかがでしょうか?」
「私は大歓迎です!あー……でも、私一人だけだと手が回らないので、皆さんも湯煎を覚えてくださいね」
アリシアがそう言うと、一瞬顔を見合わせて、みんなで一斉にぷっと吹き出して笑いだした。
***
「いやー!もう食えねぇ!お腹いっぱいだ!」
「本当に、とっても美味しかったです!」
結局みんなとの会話は途切れることなく、そのまま夕食もご馳走になってしまった。
ソフィアさんの料理は本当に絶品だった。
単に高級や味覚的に美味しいというだけなら先日屋敷で食べた料理の方が美味しかったと思う。
しかし、なんというか家庭的な温かみというか、シンプルながら手の込んだ料理は舌だけではなく心まで満たすものだったし、気心の知れた人とする食事は美味しかった。
「でも、きっと皆さん普段は良いものを食べているでしょうし、お口に合ったかしら?」
「今まで私が食べた高級料理となにも遜色ない程に素晴らしい料理でした。突然の訪問にも関わらず、素晴らしいおもてなしありがとうございます」
こういったところでの対応は流石に慣れているのだろう。イグニスいつもの尊大な態度は欠片も感じさせず、深々と礼をする。
「ふふっ……そんなよそよそしい態度やめてくださいな。ご学友の皆さんとしていた様に普段通りでいいんですよ?」
ソフィアさんは優しくイグニスに微笑みかける。
「じゃあ、そうさせてもらおう」
少し照れたようにイグニスは鼻の頭を搔いた。
アリシアもそうだったが、ソフィアさんも周りの雰囲気を和ませるのがとてもうまかった。
そんな優しい空気に包まれたまま、カチャカチャとキッチンの方から食器を洗う音をBGMに、ゴロゴロと転がり雑談に花を咲かせる。
ナタリーはお菓子の一件からソフィアに気に入られたのか一緒にキッチンに立っていた。
私やアリシアも席を立とうとしたのだが、「ミーナがお手伝いするですー」と先に行ってしまい、その機会を逃してしまった。
「じゃあさ、こういった時の定番の話しよーぜ」
「定番ってなんですの?」
「そりゃ決まってんだろ!コイバナ……は女性陣2人が帰ってからするとして、みんなって何か将来の夢ってあったりするのか?貴族の面々はなんか壮大そうで想像できねーんだけど」
また始まったと苦笑する。まぁ確かに昔図書館で読んだ本の登場人物たちはこうして盛り上がっていたような気もする。
「む?将来……の夢か……?将来……?」
「なんだよ、歯切れわりーな。イグニス、将来の夢とかねーの?」
「魔法でセシルに勝って、レヴィアナに学力で勝って、セレスティアル・アカデミーを首席で卒業だろうな」
イグニスがそういった途端「首席で卒業するのは俺だ」「魔法では負けないよ」と、セシルとマリウスが火花を散らし始めた。
「まぁそれも将来っちゃ将来の夢だけどよ。もっとこう……なんかないのか?もっと将来の、大人になってからしたい事とか」
ノーランが頭を掻きながらそう続けると、イグニスは視線を左上に彷徨わせる。イグニスにしては珍しく、なんだか答えに窮しているようだった。
「確かに……お前に言われるまでそんな事考えたこともなかったな」
「なんか逆にそれはそれでかっけーな……。え、で、アリシアは?」
「私ですか?うーん……私もあんまり考えたことなかったですけど、卒業したらお菓子屋さんを開いてー……、あとは素敵な人と結婚出来たらいいですね」
「でも結婚かぁ……!俺もアリシアのお婿さんとして立候補してるので、いつでも言ってくれよ」
「ふふっ……前向きに検討します」
そんなアリシアの可愛らしい夢にとは別に、これをアリシアに聞きたくてイグニスに話を振ったのが明らかな程の前のめりっぷりが実にノーランらしくて思わず笑いがこぼれる。
「検討かぁ……。で?レヴィアナは?」
「なんかアリシアの時と違って随分雑じゃありません事?」
「まぁ、まぁ、で、なんなんだよ」
何だろう。直近はアリシアを守ること、それで舞踏会を成功させることだ。でも、『将来の夢』では無い気がする。改めて言われると言葉に詰まってしまう。
「ったく……貴族様たちはそんな夢なんて見ないってか?」
そんな私にノーランは呆れた様に肩を落とした。
「そういうあなたは何ですの?」
「俺は、まぁとびっきり可愛い女の子をお嫁さんに迎えてとびっきり幸せな生活を送ることかな!」
「ほんっとうにあなたはぶれませんのね……」
「ま、いいだろ!かわいい子との結婚、立派な生きる目標だぜ」
―――トクン……
ライリーのその言葉を聞いて私の中にくすぶっていた小さな感情が大きくなってきた。
「よっし決めた!ノーランすら持っている将来の目標とやらを俺様が持っていないのはなんだか気に食わん!俺様もこの夏休み中に『将来の夢』を見つけてやる」
「あのなぁ、将来の夢なんてそんな対抗意識で見つけるもんでもないだろ?」
「いや、もう決めた。ぜってぇ見つけてやる」
そうイグニスが宣言したタイミングで丁度良くソフィアさんがお風呂の準備ができたと声をかけてくれた。アリシア発案と言う川の水を上手にせき止めて、火魔法をうまく使った露天風呂は快適だった。女4人でワイワイと入るお風呂は話も弾み、ついつい長風呂になってしまった。
「なんだかぼーっとするです……少し涼んでくるです」
「私もー……」
移動中の疲れや、新しい環境に疲れも溜まっていたのだろう。
ミーナとナタリーは2人は真っ赤になった顔を手で扇ぎながらふらふらとした足取りで風呂場を出て、ひんやりとした川沿いに腰を下ろして涼んでいる。川で冷やされた風が風呂上がりの火照った身体を撫でる。
「ほら、女の子が急に体を冷やしちゃだめですよ」
そう言いながらアリシアは部屋に羽織と飲み物を取りに行ってくれた。
うん、2人はアリシアに任せておけばいいだろう。私はお風呂に浸かりながら固めた決意を形にするために、一歩を踏み出した。
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