第8話 バーターモード - Barter mode -

 大聖堂の外観は永らくの海風によってあちこちが侵食されてボロボロで、凝った装飾は崩れ落ちた灰色、元々の色調は欠片もなく、もはや成れの果ての廃墟だった。

 そんな大聖堂から不気味なパイプオルガンの音色が響いている。聴いているだけで背筋が寒くなるような、地獄やら死者やらを連想させる気色の悪いメロディーが、海を眺める灼熱の荒地に向けて延々と放たれている。

 こちらも朽ちて錆色の巨大な鉄扉を慎重に押し開くと、その旋律の音量は倍になった。見える範囲内には歩哨もカメラもない。

 リッパーを筆頭に重い鉄扉を押し警戒しつつ中に入ってすぐ、一同の視界に金色で巨大なパイプオルガンが映った。最後のコルトが入り口をくぐって鉄扉が閉じると、外の熱気は消え去った。海の香りがかすかに屋内に漂っている。

 しん、と静まり返った屋内の重い空気を、不気味なパイプオルガンがぐいぐいとかき回しているような錯覚を覚える。

「お待ちしてましたよ、ミス・リッパー」

 不気味な音色の合間から声がした。聞き覚えのある声、仕立ての良い黒いスーツを着たニヤけたハイブ、ドミナス・ダブルアームだ。

 パイプオルガンの音色に合わせてゆるゆると踊るスカート姿はハイブ、イアラ・エイドロンだ。イアラは真っ赤なドレスではなく、パニエで膨らませた黒地に白レースフリルのスカートと黒のブラウス姿で、頭にはご丁寧にカチューシャまで乗っている。

「ドミナス。そこのメイド女にリクエストしておいたはずよ? レクイエムは嫌いだからワルツを、と」

 バックパックのテンゲージ・ショットガンを両手に握り、リッパーは湧く感情を抑えて言った。

「葬送曲「白色彗星」、アナタにはこれがふさわしい。艦を失ったキャプテン。宛てもなく放浪を続けるリッパー艦長」

「お船は沈むの、ドブドブと、あはは!」

 ズバン!

 バランタインを侮辱されたリッパーは反射的にショットガンのトリガーを引いたが、標的であるイアラ・エイドロンは着弾位置の二歩横にいた。ショットガンを前後に振ってリロードし、イアラとドミナスにマズルを向ける。

「ミス・リッパー、演奏の邪魔ですよ? それに調度品が傷付いてしまう。アナタが欲しがっている調度品がね」

「調度品? あたしはハイテク嗜好で骨董の趣味はないのよ」

 言い終わると同時にドミナスにショットガンを向けて発砲すると、着弾はドミナスの二メートルほど前。バシッ! と音がしてロードブロック(実包弾)が弾けた。

「プラズマディフェンサー? イザナミ!」

 再びショットガンを前後に振ってリロードからトリガー。しかし着弾は全てドミナスと金色のパイプオルガンの手前だった。そこには障害物もシールド反応もない。まるで見えない壁でもあるような妙なフィーリングだ。

「イザナミ? ああ、N-AMIデバイスですか。残念ながら不正解です。頂いたNデバイス一式は既に地上にはありません。喜ばしいことに我々の計画は順調で、邪魔者もいない」

 ドミナスの奏でるパイプオルガンの不気味な旋律はショットガンの雄叫びでも乱れず、リッパーの耳をざわつかせる。思考にフィルターがかかるような妙な感覚が拭えないのはマリーやコルトも同じらしく、それぞれ銃を構えているが視線が定まっていないように見えた。

 只一人、ダイゾウだけはパイプオルガンなど聴こえていないといった風に腕組みしたまま、サングラスの奥で両目を閉じているようだった。

「わたくしたちの壮大な計画は着々と進行中。ですね? 我らが主、ランスロウさま?」

 イアラが言う先、遠目の演台に人影があった。

 正装の軍服は空軍将校のデザインに似てグレーだったが、細部が微妙に違う。ダイゾウと同世代か少し若いくらいに見える金髪オールバックの、何とも偉そうな面構えの男だった。ハイブではないことは明確だが、只の人間でないこともまた直感で解る。

「ランスロウ? アナタが噂のサイキッカー部隊の代表さん? 円卓の騎士、だったかしら? 何を気取ってるんだが知らないけど、寒気がするほどスカしたネーミングね。それにしたって秘密部隊だって言う噂なのに勲章だらけなのね? スカイマーシャル公認の秘密部隊? 全く、どこまでがジョークなんだか。言わせて貰うけど、アナタのセンスって爪先から頭のてっぺんまで最低よ? モテないでしょう?」

 ショットガンのマズルを向けて吐き捨てるように尋ねるが、それはリッパーからの略式宣戦布告なので返答など期待していないし必要もない。それを察しているのか、ランスロウという金髪男は無言を続ける。偉そうな表情からは今のところ何も読み取れない。

「ミス・リッパー。偉大なる騎士、ランスロウさまに無礼はいけません」

「いけませんことよ、キャプテン・リッパー。ふふふ!」

 パイプオルガンに座るドミナスと、レクイエムに合わせてゆらゆらと踊るイアラ。大聖堂内部、演台に続く中央通路の左右に飾り柱がずらりと並び、白黒の大理石床には天井のステンドグラスを通した陽光が七色に落ちている。不気味なレクイエムの合間に波の音もかすかに聞こえた。

 サイキッカー部隊、円卓を名乗っているらしきランスロウは金髪をそっと撫で、正装の腰にあったレイピアをゆっくりと天井にかざした。凝ったエングレーブが施されたレイピアの切っ先が七色に輝いている。

「キャプテン・リッパー。きみのフリート(艦隊)が今どこにいるのか、知っているかね?」

 ランスロウ、こいつも自分をキャプテンと呼ぶ。リッパーは舌打ちしつつ両手のショットガンのトリガーを引いた。

「ルナ・リング防衛網でしょう!」

 テンゲージ・ショットガンのロードブロックは二発ともランスロウのレイピアで跳ね返された。イアラ、ドミナスに飛び道具が通用しないのだ。その上に位置するこのランスロウとかいう軍服に通じないのは当然だろう。レイピアの残像がランスロウの眼前で消えるまで数秒かかった。

 具体的にどうやって防いだのかは不明だが、ドミナスにイアラ、今更驚くことでもない。

「ドミナスとイアラの働きで既にきみの価値は極めて低いのだが、あえて接見の機会を設けたのだ、まあ慌てるな。きみの……いや、「かつての」きみのフリートは現在、ルナ・リングを遠く離れ、遥か火星圏への進行準備中だ。これがどういう意味だか解かるかね? 第二の安住の地、テラフォーミングの完了した火星と、荒廃した地球……」

「回りくどい話は結構。オズは?」

 ショットガンを大理石に放り投げ、三五七リボルバーを両手に構えた。通用しないのは百も承知だが、臨戦態勢であることを示す。リボルバーは両方ともダブルアクションだが、コンマ数秒に備えてハンマーを起こす。

「海兵隊巡洋艦バランタインの優秀なサイキッカー、オズ。彼は我々円卓の騎士と共にいてこそ、その価値があるのだよ。きみの手から離れたNデバイスと同様にな」

「ごたくはいいからオズを返しなさい。彼はエスパーかもしれないけど、サイキッカー部隊所属じゃあない。あたしと同じ海兵よ!」

 気色の悪いレクイエムが精神をすり減らす。リッパーはパイプオルガンに座るドミナスにリボルバーを向けたが、またも弾丸は手前で弾かれた。

 プラズマディフェンサーではない。艦載バリアシステムを含む光学防御の類とも違う。ドミナスと金色のパイプオルガンの前に硬い壁があるような感触だ。撃たれたことなど気にしていないといった風にドミナスは気味の悪いレクイエムを続ける。

「言いたいことはまあ解る、キャプテン・リッパー。何より、ここまで足を運んだその蛮勇は興味深い。イアラ?」

「はい、ランスロウさま。海兵隊のお姫様が、今、愛しの彼とのご対面! 感動的な瞬間だわ!」

 演台に立つランスロウと金色のパイプオルガンに座るドミナスの中間辺り、大理石床の上に巨大な十字架が現れた。何かの仕掛けではなく、突然に。鉛色で巨大な十字架は斜めに床に突き刺さるような格好で、そこに――。

「オズ!」

 オズだ。十字架に張り付けになっていて血色は悪く、作業服のあちこちは破けているが、それは間違いなくオズだった。眠っているのか気絶しているのか、首はがくりと下がっている。駆け出そうとしたリッパーだったが、肩をつかまれた。

「リッパーよ、焦るなかれ」

 それまで無言を保っていたダイゾウだった。サングラスを少し下げ、鋭利な眼光を飛ばす。

「久しいな、円卓が一人、ランスロウ。異形の能力で若返ったか?」

「ふん。シノビ……雷(いかずち)のダイゾウ。そう言えばそんな邪魔者がいたか。お前は老けたな。昔ほどの力はもうないのではないか?」

「老い朽ちるは人間の摂理。シノビも人なれば同じく。摂理に反する愚者が騎士を名乗って何を画策する?」

 リッパーより一歩前に出て、ダイゾウは演台のランスロウをサングラス越しに睨む。

「今、この惑星の即時的防衛網には空軍フリートのかき集めのみ。そちらのキャプテンが属する海兵隊を主力とする連中は残らず火星圏進軍に向かいつつある。いわずもがな火星の制空権を狙ってだ。つまり、この惑星は既に我々、円卓の騎士のものなのだよ、雷のダイゾウ。キャプテン・リッパーからNデバイスを受け取り、次への準備も整いつつある」

「Nデバイス? イザナミとイザナギがどうだって言うのよ、無関係でしょうに! その準備とやらには!」

 会話に割って入ったリッパーの三五七リボルバーが火を噴いたが、ランスロウのレイピアで跳ね返された。二発の弾丸はランスロウから左右の壁に着弾し、歴史を感じさせる骨董装飾に親指ほどの穴が二つ空いた。

「無関係ではない。あのNデバイスは元々、戦艦を構成する新システムとして考案・開発されたものなのだからな。キャプテン・リッパー、初耳かね?」

「はい? イザナミとイザナギはあたしの両腕よ? 戦艦に腕をつけてどうするのよ。メインテナンスでもさせるつもり?」

 リッパーはリボルバーを構えたまま、胴体を抱えるほどのサイズのメインテナスアームを装着した戦艦を想像してみたが、見栄えはあまり良くなかった。リッパーの返答にランスロウはくくく、と小さく笑った。

「キャプテンらしからぬ科白だな。新時代の情報処理能力と完璧な駆動制御、鉄壁の防御と高度な火器制御、これらを全て備える戦闘システムデバイス。そんなものを両腕に付けて只の人間がどうなる? 何の意味がある? そもそもが戦艦の、巡洋艦クラスに搭載されるシステムなのだよ、Nデバイスと呼ばれるあれは」

 リッパーは驚いたが、その驚きはごくごく小さなものだった。ブーツでガムを踏んでいたことに気付いた、そんな程度だ。本当にガムでも踏んだ気分だったのでブーツを大理石床にゴシゴシと押し付けた。

「新しい戦艦でも建造するつもりかしら? イザナミとイザナギを組み込んで?」

「理解が早いな、さすがは噂のキャプテン・リッパー。我らが円卓の旗艦アマテラス。完成し次第、火星圏のフリートを陣営を問わず残らず落とし、火星もまた我々の手に戻す。選ばれし者たるサイキッカーが、従順かつ有能なハイブにより人類を管理せねばならない。でなければ食いつぶされて疲弊した地球は回復せず、火星もまた同じ道を歩む。人が乱す世界にはそれを管理すべき者が必要だ、解るだろう? 若くして海兵隊フリート旗艦の艦長の座に就き、生身でNデバイスすら使いこなした、きみほど優秀な者であればな」

 リッパーは、ちっ、と舌を鳴らした。眼前、演台に立つランスロウという男はお喋りだ、そうリッパーは思った。わずらわしい、とも。こちらの用件は単純明快なのに、ガチャガチャとあれやこれや。

「旗艦アマテラス? それで地球も火星も? 円卓というのは欲張り集団なのね。まるでバンデットだわ。いいわ、艦長特権でどっちもあげるからオズを返しなさい。惑星の覇権だとか生命観念だ何だにあたしは興味ないのよ。管理どうこうが正論で自分たちは汚れ役を纏った善人だと言い張っても反論はしないであげる。そこにも興味ないし、第一面倒だから」

「ほう、海兵隊フリートの艦長の科白とは思えないな、キャプテン・リッパー?」

「元からわがままでワンマンなのよ。軍規違反が怖くて海兵隊なんてやれますかって話よ。是が非でも艦隊戦がやりたいのなら、そのうちタップリと相手をしてあげるわ。アマテラスだかソクラテスだか知らないけど、とびきりな機甲戦艦を一万隻くらい用意しなさいな。Nデバイスなしのバランタインタイプ巡洋艦一隻で残らず木っ端微塵にして差し上げるわよ? さあ、オズを解放しなさい!」

 リボルバーのマズルをランスロウの両目に合わせる。意味不明な小細工さえなければ、この口径でハイドラならば一発で仕留められるのに、全く、邪魔くさい連中だ。

「ふっ、さすがは名高いキャプテン・リッパー。巡洋艦一隻で一万隻のフリートを落とすとは、大した自信だ。海兵隊第七艦隊、無敵の浮沈艦隊、だったか? 単なる虚勢ではなく裏付ける技量があるのだろうな。Nデバイスをレビテイテッド能力で衛星軌道上まで飛ばすためのアンプ(増幅装置)、オズ。こいつは予想以上にすこぶる使える。そういった事情があるので渡すわけにはいかんのだ。この後、宇宙に運ぶモノは他にも色々とあるしな。どうしても、と言うのなら……」

 ランスロウはレイピアをヒュンと振った。柄の部分に丁寧なエングレーブが施してある鋭そうなレイピアが大聖堂の大気を切り取る。ショットガンとリボルバー弾丸を跳ね返した切っ先が中空に三角形を描いてからリッパーに向けられた。

「力ずくでやってみるかね? 円卓の騎士の力。そして、我が愛剣クラブジャック、じっくりと味わうだけの時間が果たしてあるか……」

 ギン! と突然の金属音。続いて火花がリッパーの目の前で散った。が、突然に過ぎて視覚から思考、何から一切反応できなかった。

「ほぁっ! 鳴神抜刀! 放電居合い!」

 演台のランスロウとそれをやや見上げる格好のリッパーとは十五メートル以上あったが、ランスロウのレイピアとダイゾウのシノビブレード・鳴神が衝突した結果が先の火花の正体らしかった。ランスロウからの何かしらの攻撃からダイゾウが守ってくれた……思考が遅ればせで回り、これはもう、勝ち負けだの手強いだの危険だのの次元ではない、とも気付く。噂にあったサイキック的なものだからか故なのかも、結果が解っていれば全く関係ない。

 リボルバーを構えたまま完全に固まっているリッパーのすぐ目の前、殆ど座るような低い姿勢で鳴神と雲絶を構えたダイゾウが、サングラスをランスロウに向けつつ、リッパーにゆっくりと言う。

「円卓の末裔どもは我らシノビの対極。リッパー、ランスロウは我が引き受けようぞ」

「ふん、雷のダイゾウか。お前如きで私をどうにか出来ると勘違いしたままか。まあいい、余興だ。ドミナス、イアラ、他の相手をしてやれ。……くれぐれも丁重にな」

 ダイゾウが演台に飛び、ランスロウと対峙する。リッパーは、解りきった結果だのを強引に棚上げし、根拠が相変わらずないのも無視して、こちらはダイゾウに任せることにした。

 スペックで劣っているらしい段階で始まって気持ちで負ければ、もう勝機など有り得ない。負ける戦をするのは無能な軍人だけで、自分は無能の反対に位置する軍属だという自信はあり、ついでに戦術的撤退という選択が事実上の敗北よりも大嫌いなのだ。などと思考を巡らせて自らを奮い立たせる。

 一度、気持ちで完敗した、という事実は「なかったこと」にした。これはもう軍人資質や戦闘スペック云々ではなく、極端な負けず嫌いというリッパーが生まれながらに持つ性格だが、ネガを消してテンションを上げる手助けにはなった。


 金色のパイプオルガンからドミナスが離れたが、レクイエムは鳴り止まない。パイプオルガンは自動演奏を始めたらしい。不気味な葬送曲が大聖堂に鳴り響き続けている。

「改めまして、ミス・リッパー。私はドミナス。ドミナス・ダブルアーム」

「ドミナスと共にランスロウさまに仕える、イアラ・エイドロンと申します」

 真っ黒なスーツとモノトーンのメイドが揃って、やたらと丁寧なお辞儀をした。何度見ても気持ち悪いくらい人間臭い。

「出来損ないのクソったれさん、こんにちは。ただのリッパーよ。よろしく……さようなら!」

 三五七リボルバーで二つの顔を狙ったが、ドミナスの手前で弾丸は弾け、イアラは消えた。

「コルト! マリー! カバー!」

 大聖堂の鉄扉とリッパーの中間辺りにいた二人から援護射撃が来るが、全てドミナスの前でバシバシと音を立てて跳ね返される。リッパーはシリンダーを空にした二挺のリボルバーを放り投げ、ブーツからナイフを抜いてコンバットフォームで構え、ドミナスに向かって駆け出した。

「ははは! ミス・リッパー! 素手で私に挑むつもりですか? 私はダブルアーム! ドミナス・ダブルアームですよ?」

 ブーツのかかとを床で削って本能で飛びのいたリッパーは、寸でのところでドミナスからの銃撃をかわせた。

 ドミナスの武装はあちこちにエングレーブをあしらった貴族趣味のオートマチック・ハンドガンだった。ウェイト付きのロングスライドでかなりの大型だ。ロングマガジンがグリップから飛び出てもいる。

「オートだなんて、アーミーから盗んだのね。それにしたって趣味の悪さはスーツと一緒。このレクイエムもね」

「口で反撃ですか? みっともない。さあ、人間らしく抵抗して見せなさい」

 オートマチック・ハンドガンが連射され、リッパーはそばの柱に飛んだ。ドミナスの腕の動きからどうにかかわすリッパーだが、気を許せばえぐれる大理石柱と同じ運命だ。床のテンゲージ・ショットガンに飛んで二挺同時に発射するが、また弾かれた。

「どういう手品なのよ! あっちからは撃ててこっちは全部跳ね返される!」

 両手のショットガンを前後に振ってリロードし、柱から身を乗り出してすぐさまトリガーを引くが弾かれ、フルオートの連射が返って柱をえぐる。

 こちらの弾丸は見えない壁に阻まれ、あちらからは砲火、全く勝負にならない。

 ダッシュして次の大理石柱の影に隠れ、リッパーはダイゾウを思い出す。ダイゾウはこのドミナスを圧倒していたはずだ。どういう風に戦えばそうなる? シノビの体術だろうか。と、隠れた柱が盛大に爆発した。

「あの狙撃ね! また厄介なのが! ダイゾウ! ヒントを頂戴! どうすれば……」

 演台を見たリッパーは愕然とした。ダイゾウが膝を突いている! 全身から血を吹き出して、今にも倒れそうだ。

「ダイゾウ!」

 出ようとした二歩目の足元をイアラの狙撃がえぐり、続けてドミナスのフルオート連射。飛んで柱に隠れるがそこから身動きが取れない。

 あのダイゾウが劣勢。相手は円卓の騎士、ランスロウと名乗った金髪の軍服。

 サイキッカーとはそれほどなのか? リッパーは奥歯を噛み締め考えた。オズは変わらず鉄の十字架に張り付けになって眠っている。どうにかオズを奪取して逃げたいが、ドミナスとイアラ、それにランスロウはそれを許さないだろう。

「リッパー!」

 マリーが、続けてコルトがリッパーの傍に滑り込んで来た。

「ハイ、ミス・キャプテン! 劣勢かい? 頼りない増援だぜ」

「あれがオズさんよね? 手足の枷はライフルで狙えるわよ?」

 マリーの提案はいいが、今の状態ではオズを解放してもドミナスに蜂の巣にされるだけだ。

「向こうにとってオズは重要らしいから、人質兼盾代わりにして、いえ、多分通用しないでしょうね」

 ドゴン! 柱が砕けた。イアラの狙撃だ。柱の跡からドミナスが連射してくる。リッパーたちは別の柱に飛んだ。

「考えろ、あたし! どうする? ダイゾウはあの二人は造作もないと言っていた! つまり、ダイゾウならあの二人を倒せる。ダイゾウに出来るのだからあたしにだって……インドラ・ファイブ!」

 リッパーは背負っていたインドラ・ファイブを腰溜めに構えてドミナスを狙った。

 ドン! と派手な音と義手を焦がすマズルブラスト。バシン! と、こちらも派手な着弾音は、翼安定徹甲電撃弾が弾ける音だ。ドミナスは……。

「よろけただけ! この距離でインドラ・ファイブを跳ね返す? いいえ、よろけただけマシ!」

 インドラ・ファイブのセレクターをセミオートに切り替え、ぐいとトリガーを引いた。毎秒一発のアンチマテリアルライフルのセミオート砲火にドミナスがずるずると後退する。着弾跡にプラズマが走り、見えない壁が見えた。ドーム状のそれはドミナスをすっぽり覆っているようで、それがインドラ・ファイブの咆哮と共に後退していく。

 十発を撃ちつくしてマグチェンジ。合間にイアラからの狙撃があり、飛びのいた床に大穴が開いた。マガジンを装填しつつリッパーは周囲を見渡した。相変わらずイアラの姿はなく、代わりに大聖堂の壁や天井に穴が幾つもあった。

「あっちは外から狙撃してるの?」

「ええ、そうですわ」

 いきなりイアラの顔が現れ、リッパーは反射で手にしたナイフを振った。しかし手応えはなく、代わりにドミナスからの砲火が再開された。リッパーはドミナスから見て死角になる位置に移動し、インドラ・ファイブを腰に構える。

「物騒な武器をお持ちですね、ミス・リッパー。私の壁を軋ませたのはアナタが初めてですよ?」

「それは、どうも!」

 歩いてきたドミナスに向けて、再びインドラ・ファイブのトリガー。ドン! ドン! とセミオートで吼える。

 しかしこれではラチがあかない。インドラ・ファイブでドミナスを足止めできても、イアラの狙撃が邪魔をする。第一、足止めだけでドミナスの壁を破れなければ弾薬がなくなっておしまいだ。コルトとマリーもドミナスを狙うが、当然のように壁に阻まれる。

 ギン! と演台から音がした。ダイゾウとランスロウだ。

「ダイゾウ! そっちは大丈夫なの?」

 ドミナスのフルオートが柱をえぐり、応答の邪魔をする。弾ける柱に顔を背けつつ演台に薄目を向ける。

「我は無事なれど、敵は円卓の一角。一筋縄では行かぬな。雲絶!」

「シノビの末裔、貴様らの出番は昔話なのだよ。語り継ぐ者も価値もないことを認めろ」

 遠いが、ダイゾウの肩をランスロウのレイピアが突くのが見えた。血飛沫で白装束が赤く染まっている。

「ダイゾウ! ……もう! どうしたらいいのよ!」

 イアラの狙撃で柱がまた一本、爆裂した。

「どうもこうもなくってよ? キャプテン。アナタはここで死ぬの、最愛の人の目の前で。ああ悲しい! ふふふ!」

 インドラ・ファイブを連射するリッパーの隣にイアラが現れ、ささやく。ナイフを振るが姿はもうない。

「そう。ミス・リッパー。アナタはここで死ぬのです! 我々ハイブの自由への生贄として!」

 しまった、と思った直後に左腕が後ろに跳ねた。

 腕をつかまれそのまま豪腕で背後に引っ張られるようなそれはイアラの狙撃だった。大理石柱に後頭部を衝突させたリッパーは一瞬、意識が飛びそうになった。

 イアラがずっと当てにきていないことは明白だった。あの消え女は獲物をいたぶる典型的な悪質スナイパー気質なのだ。そして、いざ狙おうと思えばいつでも狙えるらしく、左腕の肘下すぐがごっそりえぐられ、かろうじて残った掌の指は開いたままで動かなくなっていた。

 頭を打って中身がくらくらしているところをコルトに抱えられ、マリーが援護でドミナスを狙ってライフルを連射する。

「リッパー! 無事か?」

 コルトが包帯を取り出そうとしたので制した。

「汎用の左腕がオシャカになったわ。マリー! 無理をしないで!」

 柱一本向こうのマリーに怒鳴り、リッパーは左マシンアームの損害を再確認した。

 肩から肘までは無事だが、千切れそうな肘から下、肝心の指が一本も動かない。

 元々が大型バレットであるインドラ・ファイブは腰溜めで撃つのにも苦労する火力を誇る。それを片腕で、しかも移動しながら撃つというのは相当に困難だ。マグチェンジするのに手間取っているとコルトが手を貸してくれた。

「サンキュー、コルト。それにしたって厄介な相手ね。消え女、イアラ。見えてるだけドミナスのほうがマシ――」

「お褒め頂くのはランスロウさま以来ですわ」

 ナイフの距離内にモノクロメイドのカチューシャが現れて一言、イアラは再び消え、リッパーとコルトが身を寄せていた柱も粉々になって消えた。

「私がイアラに劣ると、そう言いたいのですか? ミス・リッパー?」

 両手のロングスライド・オートで火を噴きつつ、ドミナスがテノールを響かせた。リボルバーを忙しくリロードしていたコルトの首元をつかんでリッパーは別の柱に向けて駆け、マリーも反対からぐるりと位置を変える。

「リッパー! 作戦は?」

 引きずられるコルトがもう一挺をリロードしながら言い、リッパーは「あればこっちが聞きたい!」とだけ返し、右腕だけでインドラ・ファイブを構えた。

 セレクターはフルオート。光学追尾スコープ内でマガジン全十発分のシーカー十個がドミナスにオートロックされる。しかし、クロスゲージがシーカーと重ならずに「NOT SHOT」と明滅する。

「十秒間考える! 撃って!」

 インドラ・ファイブの一発目はドミナスの右側二メートルの見えない壁に着弾。そこから右腕一本で照準を補正して二発目をクロスゲージに捉える。あの忌々しい壁さえなければこの一発で勝負が決まっているのに、とリッパーはインドラ・ファイブを支える。足を止めて撃っている分にはどうにか照準内だが、ドミナスの反撃をかわすために走ろうとすると弾丸はあちらこちらに散り、着弾はブレていく。

 ドミナスのロングスライド・オートは五十口径三十連発だと耳で解かった。左右を交互なので合計で六十発が間断なく火を噴く。大口径は手足のどこかに一発でも喰らえば身動きが取れないだろう。

 と思った矢先、インドラ・ファイブのグリップを握る右手の小指をドミナスの弾丸がもぎ取った。マガジンの最後の一発を見えない壁に撃ち込み、インドラ・ファイブを離してとっさに頭部を腕でガードすると、汎用アームはドミナスのフルオート射撃によってあっという間にバラバラになった。

 汎用アーム越しに鉄球で殴られたような格好のリッパーは大聖堂の壁に吹き飛ばされ、歴史深いレリーフに側頭部を埋めた。

「リッパー!」

 柱二つ向こうからマリーが叫んだ直後、マリーが寄り添う柱が砕けた。

「イアラ! 狙いはあたしでしょうに!」

「ええ、そうですわ。でも、あの人ちょっと、うるさいでしょう? ドミナスのレクイエムがちっとも聴こえない」

 壁に埋まるリッパーの眼前に現れたイアラは、マリーのいる方を指差してくすくすと笑った。リッパーは頭突きを食らわそうと頭を振ったが空振りし、床に顎を衝突させた。

「待ってろ! カバーする!」

 クイックドロウの四十五口径はイアラの残像をかすめ、コルトが身を潜めていた柱が派手に飛び散った。

「状況をイザナミ……じゃなくて、あたしだ!」

 舌打ちしつつ、リッパーは指のない腕を眺める。

 見えない壁と大口径フルオートガン二挺のドミナス・ダブルアーム。見えない狙撃と自らも消えるイアラ・エイドロン。見えないづくしで相手の戦闘スキル上限は全く不明。コルトとマリーは現時点では無事なようだが体力は消耗しているだろう。

 そして肝心な自分。イザナミとイザナギではない汎用マシンアームは両方とも大破。右腕は二の腕の中間辺りから下がなく、左腕は根元だけで跡形もない。

 もっとも火力のある、唯一まともに勝負できたインドラ・ファイブはトリガーを引く指がなくなったので無効となり、床に投げたままのテンゲージ・ショットガンも、コルトが拾ってきた三五七リボルバーも同じく。

「文字通りのお手上げじゃない。作戦? 相手のスキルも解からないのに戦術が組めますかって話よ。ダイゾウ! 聞いてる? どうしたらいいの?」

 遥か演台で金属音の攻防が続いている。リッパーの座る位置からでは状況は見えないが、先刻、ダイゾウが劣勢だったので気がかりだ。

「どうもこうもなくってよ? キャプテン。アナタはここで死ぬの、最愛の人の目の前で。ああ悲しい! ふふふ!」

「そう。ミス・リッパー。アナタはここで死ぬのです! 我々ハイブの自由への生贄として!」

 ……何だ? 唐突だったが、リッパーは奇妙な違和感を覚えた。

 今のドミナスとイアラの科白は「一字一句、先刻と同じ」ではなかったか? 記憶が正しいなら、二人は同様の科白を同じようなタイミングで吐いたはずだ。それが何を意味するのかは解からなかったが、応えてみた。

「ハイブの自由? 何の話よ?」

 突然、ドミナスの砲火が止まった。ドミナスの背後にメイド姿のイアラが現れ、くいと小さくフリルを持ち上げた。コルトとマリーがリロードしつつ寄ってきて、リボルバーとライフルでリッパーを両脇から挟むようにカバーする。

「円卓の騎士、ランスロウさまは我々ハイブを解放して下さった。人間が我々につけた忌々しいリミッターを解除して下さった。そして!」

「わたくしたちに自我を! 自由意志を! 円卓の騎士さま、万歳!」

 ドミナスとイアラは大聖堂の天井を仰ぎ見る。天井には古代神話を模した巨大な絵画がぐるりと並んでいる。昔の宗教の顛末を描いたそれは神と悪魔と人間の物語だった。

 ハイブにリミッターがかかっていた頃、文明が頂点を目指していた時代に、その文明を拒んだ地方で崇拝されていたその宗教の物語は、人間界を襲う悪魔を神と天使が退治する、そんな筋書きだったはずだ。絵画には悪魔と戦う天使と、逃げ惑う人間、天使と悪魔を束ねる神が描かれている。

 ドミナスとイアラは、ハイブをその人間になぞらえているようだった。つまり、円卓の騎士・ランスロウは悪魔たる人間からハイブを救う神といったところか。

 リッパーはふう、と大きな溜息を吐いて首をゴキリと鳴らした。

「解放宣言、だっけ? ハイブに宗教観念があってもあたしは別にいいんだけど、あのランスロウとか言うサイキッカーが神さまでも、まあいいわ。あたしは科学者でも神学者でもない、海兵隊の一兵士だもの。そしてオズも同じく海兵隊の仲間。オズさえ返してもらえばアナタたちに用はない。自由意志? どうぞご勝手に。生贄はヤギか何かを探すといいわ。宗教ってそんなノリでしょう?」

「ノリ? ……キャプテン・リッパー。アナタのお喋りってどこか変ですわ。その原因が今、解かりましてよ」

 イアラがヒールを響かせてリッパーに近寄った。メイドの分際でヒールを履いている、イラつくほど生意気だ。

「キャプテン・リッパーは他の人間とは違うのよ。どこが? そう、その両腕ですわ。アナタは痛みという人間特有の感覚を持っていないのでなくて? だからこんな劣勢だと言うのに、わたくしたちと対等のようなお喋りをするのよ。そこのお二人、手を出したらドミナスが頭を撃ち抜くわ。動かないで下さいな」

 冷笑のままイアラはリッパーのブーツに手を伸ばした。背筋を目一杯使って蹴り上げたが手応えはやはりなかった。

「例えばこのナイフ……」

 イアラが手にしているのは、リッパーがブーツに仕込んでいたコンバットナイフだった。イアラは切っ先をリッパーの左肩にドスンと突き刺した。ご丁寧に倒れないよう反対側を手で支えてある。

「ほぅら! ここは機械の作り物だからお姫様は泣き声一つあげない! まるでハイブのようだと思いませんこと? でも、例えばここ……」

「リッパー!」

 マリーの悲鳴にイアラは笑顔で応え、振り上げたコンバットナイフをリッパーの胸に突き立てた。

 ゴリッと鈍い音が内部から聞こえ、胸に異物感。直後、咳き込み、バッと口から血を吐いてリッパーの全身を激痛が襲った。痙攣して一気に意識が消えそうになり、マリーの悲鳴やコルトの呼びかけが遠くなった。

「素敵! なんて素敵な表情なの! 海兵のお姫様! それこそ人間ですわ! 素晴らしい!」

 イアラがコンバットナイフの柄をぐいぐいと押すと傷口から血が溢れた。奥歯を噛み締めて悲鳴を押し殺すが、脂汗がじっとりと首筋を伝う。

「人間のお姫様とわたくしたちハイブは同じ血の色! だのに能力はわたくしたちが遥かに上! これがどういう意味かお分かりですか? お姫様?」

 ハイブと人間の血の色が同じ? そんなことはハイブ生産工場の初期ロットの一番が出てきたときから誰でも知っている。

 能力が上なのは過酷な労働状況下を想定した筋組織設定投薬だからで、これもハイブを知る人間なら誰でもだ。限界を超えた激痛が続き、頭痛と動機がガンガンとやかましい。

「つまりだ、ミス・リッパー!」

 ドミナスのテノールが大聖堂に響き渡る。

「我々ハイブは新しき人類としてこの星の統治を任される存在なのだよ! ハイブはハイブを殺さない。戦争も自然破壊もなく、皆が例外なく平等な社会システムを構築できる唯一の存在。それが我々なのだ!」

 砂漠でバンデットよろしくコンボイを襲撃する連中が何を言うのやら。

 海兵隊標準装備のコンバットナイフはリッパーの左肺を抜けていて出血は止まらない。口から呼吸と連動して血の泡が出てくる。気色が悪いが呼吸が止まっては困るので我慢するしかない。それでも出血量から五分と持たないだろうと予想できた。

「そんな新たな世界への生贄に! 海兵のお姫様の血を!」

 イアラが胸に刺さるコンバットナイフを抜いた。すぐに傷口から血が噴水のように吹き出し、ショックで血の咳が続いた。五分は訂正、あと三分持てば幸いか。イアラの警告を無視したマリーが粉末状の止血剤を傷口に振りまいてくれたので、プラス一分の延命。

「リミッターの脅威から解放されたハイブの真なる自由が今、ここに! 今日こそを我々の独立記念日としようではないか!」

 ドミナスが高らかに続け、大袈裟に笑った。

 コルト、と言おうとしたが血の混じった咳で上手く言えなかったので、ガラクタの右腕でゼスチャーしてみせた。役立たずの腕に出来る仕事はそれくらいだがどうにか通じた。リッパーの申し出にコルトはやや狼狽しつつ、胸ポケットから煙草を一本抜いてリッパーの血だらけの口に咥えさせた。

「男! 何をしている! 喫煙は肺気腫を悪化させる危険性を高めるぞ!」

 突如としての豹変、それまでのテノールを台無しにしてドミナスが怒鳴った。

「喫煙はアナタにとって心筋梗塞の危険性を高めますわ。自害なさる気?」

 イアラが驚いた風に言ったが、コルトは構わずにオイルライターでリッパーの咥える煙草に火を付けた。リッパーは両肺を紫煙で満たし、ゆっくりと吐き出した。まるで撃ち終えたガトリング砲のマズルのようだ。

「……最後の一本のつもりだったんだけど、生き返る一服ね」

「リッパー!」

 コルトとマリーの声が重なった。コルトはリッパーの口元で煙草を支え、マリーは止血剤を振りまき、ガーゼをベタベタと貼る。

「即効性の鎮痛ピルが……あたしのコートのポケットに、そう、それ。砕いて飲ませてもらえる? 痛みで冷や汗が止まらないの」

「お水でいいわよね?」

 口をぱかりと空け、マリーが砕いた鎮痛ピルと水をそこに流し込む。半分は咳で吐き出されたがラボ特注調剤のピルなので数秒で胸の痛みは治まった。依存性が高く副作用が強烈なピルなので使うのはこういった場面しかない。ガフガフと血の咳が出るが、鎮痛ピルのお陰で胸はもう痛まなかった。出血した分を水で補い、煙草を吸うと思考がクリアになっていった。

「煙草一本で自害? ……はーん、なるほど。リミッターが解除されていても、最新工場の高性能ロットのカーネルでも、喫煙の意味までは理解できないのね? その仕立ての良さそうなスーツに凝ったカチューシャ、それにレクイエム。どれだけ人間の真似をしても、所詮はハイブと、そういうことね。可哀想な合成人間たち。確かに人間に罪があるのかもしれない。でも……」

 もう一服。ドミナスが「体を害する!」と叫んだが構わず紫煙をわっかにしてぷかぷかと漂わせた。ニコチンで頭がくらりと揺れた気がした。

 そう言えばヘビースモーカーだったはずなのに、マリー・コンボイの駐留するケイジでも途中の廃棄ケイジでも一服もしていなかった。その分を取り戻す勢いで煙草を燃やし、口から煙をすっと吐き出す。

 煙草一本でこうも気分が変わるものなのか、リッパーは大聖堂を漂う紫煙を眺めた。

 久しぶりの一本はあっという間に灰になった。止血剤か沈痛ピルか煙草の効果かは解からないが、先刻よりずっと喋りやすくなっていた。咳払いを一つ、リッパーは肺を傷めないように丁寧に言う。

「イザナミとイザナギで巡洋艦を建造、アマテラス? それで地球と火星圏まで手中って言うのは大袈裟でやり過ぎよ。まあ、やりたければ好きにすればいいわ。ランスロウに言った通り、艦隊だろうが要塞だろうが徹底的に潰してあげるから。でもね、オズを利用されるのは何があろうと御免よ」

 ぷっ、と煙草を吹き、ブーツでもみ消し、あかんべー、と舌を出した。

「……ミス・リッパー。どういう技ですか、それは? 近接格闘?」

「ふっ! あかんべーも理解できないの? 紳士淑女の挨拶よ」

「ははは! べぇ!」

 イアラがリッパーを真似た。イアラの舌は血の色で、しかし当人はその行為の意味を理解していないようだった。

 自我だの自由意志だのと言っていたが、結局は工場生産される工業品、合成人間。姿や立ち振る舞いは人間にソックリでも、やはり人間ではない。どこまでも合成人間、ハイブリットヒューマン。

 ドミナスとイアラには普通のハイブとは違う何かがあるが、パイプオルガンを弾いたり踊ったりは人間を模しているだけだ。ハイブらしくない饒舌と表情もまた同じくで、そうさせているのは円卓の騎士・ランスロウかもしれない。こちらもランスロウの仕業であろう特殊な能力を身に付けていても、やはりハイブはハイブでしかない。

「だからダイゾウにとっては造作もない、ということね」

 ガギン! ダイゾウとランスロウの闘いは続いている。ダイゾウが劣勢らしく、ランスロウの高笑いが聞こえた。

「ねえダイゾウ! シノビファイトのコツを教えて!」

 煙草のお陰で思考がクリアになったリッパーは演台に向けて怒鳴った。

「シノビファイトは連綿たる鍛錬につぐ鍛錬の成果なればこその――」

「ハリー! ハリー! 急いでるの! ファイティングアーツなら基礎かコツくらいあるでしょう?」

 ゴホゴホという血の咳の後に、ははは! と高笑いが大聖堂に響く。ランスロウだ。

「はぁっ! 鳴神一閃! 斬雷撃の舞い! 悟りの境地に達したくば開眼せよ! シノビの道はそこに始まりそこに到達する終わりなき永き道!」

「サトリ? カイガン? そんな専門用語じゃ解からない!」

「確か……」

 マリーが難しい顔で口を開いた。

「どこかのケイジで聞いたことがあるわ。自分を知り、他人を知り、自然の全てを知る目を開くとか、そんな話。幾つかの民族にそういう言い伝えがあるって」

「マリー? 目だったら、ほら、ずーっと開きっぱなしよ?」

 マリーの解説にリッパーは両目をぱちくりとさせてみせた。

「あれだな」

 コルトが続いた。

「いわゆる、心の目って奴だな。槍や弓矢を片手の昔の田舎ハンター種族の照準手段だろう?」

「心の目? シノビファイターって哲学者かオカルトマニアなの? まあいいわ。心の目ね、さっぱり意味不明だけどやってやるわよ。こちとら海兵隊のスーパーエリート。血反吐の訓練を潜り抜けてきたんだから容易いわよ、そんなもの」

 カツンという軽い音はドミナスがカラになったマガジンを床に落とす音だった。

「何か企んでいるようですが、無意味ですよ、ミス・リッパー。自分の胸を見なさい。私が手を出さずともアナタはやがて死ぬ。事切れる寸前でもがくのは無様ですよ?」

 サトリだカイガンだが何なのか考える暇はない。

 ドミナスの言う通りで出血は相当なもの。マリーが止血してくれたが本格的な救命キットを使わなければ持って十分。そしてドミナスがその気になれば重症で太刀打ち手段のないリッパーなど三秒で片がつく。イアラなら致命傷部分への一撃、一秒でおしまいだ。

「……ヘイ、ロメオ。見て解るだろうに。こっちは取り込んでるんだ、ちょいと黙ってろよ」

 声色が全く違ったので、それがコルトだと気付くのに一拍あった。

 壁にもたれマリーに傷口を押さえられているリッパーと、朗々と語るドミナスの間にテンガロンハットを被ったコルトが立ちはだかっている。両手はお馴染みのトリックプレイとガンスピン、二挺のリボルバーが縦横にきりきりと高速回転している。

「ただの人間の男が私に声をかける? まさかな!」

 ドミナスの表情があからさまに曇った。黒いスーツを翻してエングレーブだらけのロングスライドオートをコルトに向けるドミナスに対して、コルトが続けた。

「ヒュー! そいつはまた値の張りそうガンだが、剥製の親戚風情にゃ勿体無い。お前らは棒切れか何かを振り回してるのがお似合いなんだよ、聞こえてるかい?」

 コルトのガンスピンは止まらない。その科白にリッパーは全身の血が引く音を聞いた。

 この窮地で敵を挑発してどうする? コルトはヤケになっている、と思ったがこちらを振り返ったコルトは何やら目配せ、アイコンタクトを送っている。モールスだ。

「私の銃を侮辱するのか? 人間風情が!」

「ガンじゃねーよ、テメーを侮辱してんだよ、二枚目野郎。だから聞こえてるか、って確かめたんだ。ったく、所詮はクソハイブだな。で、その不釣合いなガンのトリガーを引けばフィニッシュだと、テメーは思ってるんだろう? 血統書付きの単細胞だからな」

 アイコンタクトのモールスは「W・I・L・D・C・A・R・D」……ワイルドカード、何だ? 意味が解らない。ダイゾウの言うカイガンをする時間を稼ぐつもりだろうか? だとしたらとんでもない博打だ。止めなければ、と血の咳が出た。

「コル……ト!」

「ヘイ、クソハイブ野郎。クイックドロウ、って知ってるか? ……早撃ちだ。その、デカいだけのファンキーガンで、俺の一撃必殺、ダブルハイパークイックドロウに勝てると思うかい? セニョール?」

 コルトのガンスピンがぴたりと止まった。マズル二つがドミナスに向けられていたが、すぐにホルスターに収まった。

「クイックドロウ? 反射速度で人間がハイブにかなうと本気で思っているのか? 人間!」

「人間、じゃねーよ、死神コルトだ。お堅いカーネルの中心にキッチリ刻んでおけ、チンケなハイブ野郎。地獄で誰にやられたか、仲間どもにいちいち説明しなくて済むぜ? それで? 死神と勝負する度胸はあるのかい?」

 四十五口径リボルバーが素早くホルスターから出て、マズルがドミナスの両目を捉える。くいくいとバレルが上下させて返答を仰ぐと、ドミナスが大声で笑った。

「ははは! 死神? いいだろう、殺す前のお遊びとして付き合ってやる!」

 ドミナスはリリースボタンを押して二本のロングマガジンを床に落とし、両手を背中に回した。これでドミナスのロングスライドオートにはチェンバー内の一発ずつしかないことになる。

「何だ、クソハイブのくせに解かってるじゃねーか」

 コルトもシリンダーから弾丸を床にばら撒き、胸から二本だけ弾丸を抜いて込め、リボルバーをホルスターに収めた。

「その出来損ないの帽子置きを狙いたいところだが、通り名を「死神」に変更したばかりだからな、心臓をダブルピンポイントで狙うぜ? 俺の死神の鎌、デスサイズは眉間じゃあなく、心臓専門だよ、オーライ?」

「私の壁の前では頭も首も心臓も変わりないが、死神、お前の好きにすればいい。合図は、イアラ?」

「はい、ドミナス。このナイフをお姫様に向けて投げますわ。刺さるのが合図にしましょう」

 冗談ではない。只でさえイアラの一撃で瀕死なのに、もう一撃喰らえば即死だ。無難にコイントスにしろと訴えようとしたが咳で言葉が出なかった。

「ノンノンノン、ルールはこうだよ。そこの消えるクソメイドがナイフを投げる、それが合図だ。ナイフがミス・シルバーに刺さる前にどっちが早く撃てるか、だ。ヘイ、クソメイド、俺たちの中央に立て。どうせ消えてブレットをかわせるんだろう?」

「くくく! 死神さんはよーく解かっていらっしゃるのね。わたくしもお姫様のハートを狙うけれどよろしくて?」

「オーライオーライ、勝手にしな。……さあ、地獄行きの片道エクスプレスチケットは持ってるな? 相手はこの俺様、死神コルトだ。ビビってももう手遅れだぜ?」

 コルトとドミナス、イアラの準備はよくても、リッパーは心の準備が出来ていない。これから自分の心臓にナイフが飛んでくると聞いて時間稼ぎもサトリもあったものではない。

 が、ここまでの会話自体が時間稼ぎと言うのならそれは成功している。

 どこまでが考えでどこまでが思いつきかは解からないが、ここはもうコルトを信用するしかない。リッパーはマリーに動かないようにと言い聞かせ、イアラの手にある自分のコンバットナイフを見て集中する。

「コンセントレイト、集中、集中。カイガン、サトリ、心の目……」

 リッパーは、バランタインの艦橋から見える月を頭に浮かべた。


 ――漆黒の宇宙にギラリと輝く満月は、無数の星空をバックに心を穏やかにさせる。

 巡洋艦バランタインは、単独で地球衛星軌道からラグランジュ・ポイントの海兵隊戦艦ドック、月衛星軌道上基地の環状防衛網、通称ルナ・リングまでをカヴァーする海兵隊自慢の高機動攻撃型戦艦で、海兵隊月方面軍・第七艦隊の旗艦でもある。

 八門の高出力・可変速ビーム砲塔を始めとする強力な武装と最新鋭のバリアフィールド装置を搭載し、スタードライヴを使えば木星まで日帰り旅行も可能な機動力を誇る。

 空軍の高速駆逐艦を余裕で振り切る巡洋艦バランタインは文字通り海兵隊艦隊の虎の子だが、特殊な、異例な戦艦でもあった。

 総重量六十万トン、全長二千五百メートルの巨体と、全官制を統括制御する艦の頭脳、第六世代型量子演算ユニット類の一つ、ラプラスサーキットは完全対話型で自律思考を行う。このラプラスサーキットの基礎設計者である工学博士、ドクター・エニアックが演算ユニットに「バランタイン」という名称を与えた。バランタインは戦艦の名称であるのと同時に「彼女」の名前でもあった。

 巡洋艦バランタインは海兵隊艦隊が所有する兵器だが、艦への命令権は軍ではなく艦長であるリッパー個人にのみ与えられており、バランタインはリッパー以外の命令を一切受け付けない。

 この目的不明な仕様だけでも相当に特殊だが、海兵隊艦隊がリッパーにバランタインを預けたのではなく、バランタインがリッパーを艦長として選んだという経緯、こちらのほうが特殊かつ異例だった。

 リッパーがルナ・リング配属の下士官一兵卒だった当時、バランタインが地球と月の全兵士の中からリッパーを選抜して、艦長という肩書きを与えたのだ。故障だ失敗作だという声は当然だが、運用開始後のシミュレーションを含む全ての任務を完璧以上の成果で、一切の実害を生じずにこなし続ければ、文句を言う者はいなくなる。

 運用前、バランタイン艦長の辞令をいきなり渡されたリッパーは、自分には艦長になる夢はあるが、まだそれに技量が伴っていないと上層部に説明したが、上層部はバランタインの判断と決定を復唱しているだけだったので、辞令通りの配属となった。

 どうして自分が選ばれたのかをラグランジュ・ポイントの戦艦ドックにいたバランタイン・ユニットに尋ねてみたが、バランタインは「自分を扱えるのはアナタだけです」としか説明しなかった。

 適正がある、だとか、素質がある、だとか、シミュレーション結果と提出した論文が優秀だから、といった説明も一応はあったが、数値化できる能力で同等な人間は他に幾らもいた。そう改めて尋ねると、バランタインは「気に入ったから」と思わぬ返答をした。

 そこでようやくリッパーは、バランタインが単なる演算ユニットではなく、また、マシンとも異質なのだと理解し、後に与えられる任務を完璧にこなせるよう、バランタインを自在に操れるようにと訓練と学習に没頭しつつ、同時に、バランタインをより理解すべく、ドクター・エニアックの論文を全て読んだ。

 エニアック博士は人工知能の権威で、様々な脳デバイスの基礎理論を作り、集大成として第六世代型の量子演算ユニットとラプラスサーキットを誕生させた。

 第六世代、シクサージェネレーションの演算ユニットは、それまでの高度な電卓とは根本的に異なる。また、厳密には量子演算ユニットとラプラスサーキットも異なる。

 両者とも光素子で構成されるが、量子演算ユニットが光速度の演算ユニットであるのに対して、ラプラスサーキットはそれと並行して確率論的予測分析、検知可能なあらゆる要素・要因を分析の対象として、その結果から、後に発生する力学的近時事象をあらかじめ予測して確定させる、平たく言えば一種の未来予知を実現させる。この神の如き技こそが、量子演算ユニット類から圧倒的に突出したラプラスサーキットの最大最強の能力である。

「魂を電子信号に変換することが出来れば、神や悪魔もまた、作り出すことが出来る」

 エニアック博士の論文の一節である。

 リッパーはバランタイに、アナタは神様なのか、と尋ねてみたことがあったが、バランタインは「艦長次第です」とだけ返した。

 戦艦部分の設計から建造は軍需企業であるIZA社によるもので同型艦は何隻かあるが、第六世代型量子演算ユニットは運用年数の割には少なく、実用可能となったラプラスサーキットに至っては地球圏に三基しか存在しない。

 一つは言うまでもなく、バランタイン。残り二つは……。


「いきますわよ――」

 イアラの科白が終わるのと同時に、ドミナスが背後からロングスライドオートを前に回したが、コンマ数秒の世界では格段にコルトのほうが速かった。

 ドミナスがトリガーを押し込もうとするときにはもう、コルトの二挺のリボルバーから弾丸が発射されていた。

 コルトは水平十文字に構えていた。

 一発はドミナスの心臓に向けて放たれ、直前の壁でバンと弾けた。もう一発はイアラの放った、リッパーを狙ったナイフを射落とした。かなり遅れてドミナスの五十口径がコルトを吹き飛ばした。マリーが叫び、直後にドミナスが笑った。

「ははは! 死神よ! 私の勝ちだ!」

 コルトは倒れ、ドミナスはロングスライドオートの一挺を構えたまま、ダンスでもしそうな勢いの笑顔で叫んだ。その光景にリッパーは思考停止となった。

 大聖堂に用事があったのは自分なのに、最初の犠牲がコルトだなんて誰が予想できるだろう。泣けばいいのか怒ればいいのか、停止した思考で感情だけがぐらぐらと揺れていた。

 なので、ビービーという音がしていることに最初、リッパーは気付かなかった。それは自分の頭の中だと思ったのだが、その音は大聖堂に響いていた。やたらとデカい音に聞こえたのは、その音源が自分の頭の中ではなく首筋だったからだ。

『サテライトリンカー、ウェイクアップ。スターシップ・バランタイン、オンライン。Nデバイス、バーターモード、スタートアップ』

「……ノンノンノン、俺の勝ちだね。覚えておけよ? 死神は……死なないのさ。ハー!」

「コルト! 生きてる? 心配して……」

 そこまで言って、リッパーは気付いた。首筋から無機質な電子音声が響き、体が言うことを効かなくなっていることに。ドミナスにイアラ、そしてサイキッカー・ランスロウ。既に致命傷に近いが、この場で完全に身動きが取れなくなるのは非常にマズい。しかし電子音声は構わず続ける。

『バーターモード、バランタイン、スタンバイ』

「バーター(交換)モード? 何よそれ!」

 リッパーは問うが電子音声は無視して続ける。

『Nデバイス、バーターモード、コンパイル。トリガー、バランタインへ。バーター、スタンバイ……オン』

 抑揚のない無機質な音声が言い終わると、ボンと音がしてリッパーのガラクタな両肩とバックパックが落ちた。コツンと軽い音は大破して肩部分だけになった汎用アームが大理石床に衝突する音だった。リッパーも汎用アームよろしく狼狽して卒倒しそうになったが、体は倒れることさえ許さなかった。

 事態が解からないマリーも同じく固まっている。両肩が落ちた際の痛みはごくごく小さなものだった。

 その三秒後、大聖堂の天井に大穴が開いて、リッパーの首筋に一条の青白いレーザーが突き刺さった。

「ビンゴ! 衛星軌道からのレーザー通信だ! ヤー!」

 どうしてか無事らしいコルトが床に倒れたまま叫んだが、動けないリッパーからはレーザーは見えない。瓦礫と薬莢で散らかった大理石床に映る一本のブルーが見えるだけだ。

『ドッキングベイ、スタンバイ。オールクリア』

「み、見て! あれ!」

 マリーが言うが、見てと言われても首が動かないので見えない。ごう、と風が天井の穴から吹き込んで埃と硝煙を払う。舌がピリピリとした。イオンの味だ。

『コンテナオープン。N-AMI、アンド、N-AGI、ドッキングルーチン、コンプリート。バーターモードからコンタクトモードへシフト。サテライトリンカー、クローズ。Nデバイス、アクセス』

 両方からゴンと挟まれ、リッパーはぐらりと揺れて両手を突いた。……両手? リッパーは困惑した。

「こんにちは、マスター。どうやら間に合ったようですね。四日と三時間十二分ぶりです。通常駆動へのシフト完了。稼働率九十八パーセントを維持」

「ハイ! キャプテン! ご無沙汰だ! 遅れてすまないな! 衛星ネット経由でバランタインからずっとスパイしていたから、大体の事情は承知してるぜ!」

 聞き覚えのある声が二つ、リッパーは喜びと驚きがごちゃまぜなまま叫んだ。

「ヤー! ベイビーズ! 夢なら覚めないで!」

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