第5話 コンバットフォーム - Combat form -
一般兵士や機動歩兵はハイブを相手に二百メートル以上の長距離からの射撃で殆ど対応しているが、オズやリッパーが得意なのはナイフを握った白兵、海兵隊の体術である「コンバットフォーム」だった。
リッパーは白兵距離でハイブをベッセルで殴りつけるのだが、これはベッセルが銃を鈍器として扱うストライクガンだからである。
ロングバレル下部のカウンターウエイトは振り回せばハンマーのようだし、そこに、ショット・プロジェクションと呼ばれる三つの突起もある。グリップ底部にはストライクファング・システムと呼ばれる四枚のナイフが収納されていて、これを使えば強力な一撃になる。これらもコンバットフォームの一部である。
海兵隊のコンバットフォームは、CQBやコマンドサンボなどの軍隊格闘とは少し違っていた。
CQB、クロース・クォーター・バトルが手の届く範囲でのサブミッションを中心としているのに対して、海兵隊のコンバットフォームは足の距離での打撃を中心にした、カラテファイトに似たものだった。サブミッションのように関節を折るのではなく、関節部分に打撃を入れて破壊する。
これは密接・ゼロレンジでも同じで、肘や膝を使って関節や急所に打撃を与えることを前提として、基本的に敵とは組み合わない。背後に回り込んでナイフで喉を切る、ということも少なく、真正面で向かい合っても、敵の背後を取っても、直線移動の最短で関節や急所を狙う。
鈍器やストライクガンによる円運動での打撃もCQBに比べると少し遠い。これは、手を取られてメインアームやバックアップの銃を奪われないためで、同時に、近距離での射撃を想定しているからでもある。
仮に、同じ錬度の海兵と歩兵が素手で戦う場合、CQBで間合いを縮めようとする歩兵に対して、コンバットフォームを使う海兵は距離を取る。組もうと伸ばした手を蹴りで叩き落し、次の一撃は首などの急所を狙う。
歩兵でも特に精鋭に類する陸軍機動歩兵と海兵隊のエリートであるリッパーが素手で戦う場合、リッパーは蹴りを中心にして戦うだろう。
機動歩兵が動くのを待ち、腕などを伸ばしてきたらそれを蹴りで跳ねて、そのまま首辺りにもう一撃、回し蹴りを入れる、そんな戦いになる。
海兵の腕や首を掴もうとする手、移動目標に対して打撃を入れる、そういったスタイルである。なので、組み付かれるとCQBを使う歩兵のほうが有利なのだが、コンバットフォームはそれをさせないことを前提としている。サブミッションのバリエーションもCQBに比べると少なく、背後から首を取ってひねったり、手を取って肩関節を破壊する、といった単純なものが中心になっている。
リッパーの使うコンバットフォームはカラテファイトに近く見えるが、コンバットフォームはカラテファイトよりも重心を低く構える。筋力ではなく体重移動で破壊力を得るので、アイキファイトとカラテファイトを混ぜたようなものである。
基本概念は「後手での一撃必殺」で、組み合ってあれこれ、ということは想定していない。
組まれる前に倒すことが前提なので、組まれると不利になるが、ゼロレンジではアイキファイトやムエタイのように肘や膝や肩を使ったコンパクトな打撃を使って、そのまま倒すか、距離を取る。寝技も少なく、代わりに、ゼロレンジでの射撃を組み込んでいる。
リッパーが護身用にショートバレルのスナッブノーズ・リボルバーを下げているのも、組まれた状態から射撃するという目的であり、スナッブノーズで長距離射撃といったことはしない。
巡洋艦バランタインの艦長である以前に海兵であるリッパーはこのコンバットフォームを得意とするが、素手の訓練ではオズに勝てなかった。
オズはコンバットフォームの達人であり、それを指導するほどの腕前なのだ。当然、相手がハイブだろうがサイボーグだろうが関係ない。どんな猛者でも涼しい顔で倒し、いつものように笑顔で微笑む……。
オズの笑顔がぼやけて、コルトに変わった。
「マリー! リッパーが目覚めたらしい!」
通常睡眠からの覚醒は半年振りだったので、まだオズの笑顔が消えない。頭がガンガンに痛む。打撲ではなく内部からの頭痛だ。ディープスリープ錠剤の副作用だと気付くのにしばらくかかった。
白くて清潔な病室、小さなテーブルに水の入ったカップと見慣れた錠剤があった。その即効性のアスピリンを噛み砕いて飲み込むと一分で頭痛が消えた。
「え? 何?」
頭痛が治まった途端、リッパーは混乱した。自分は今、アスピリン錠剤を飲んだ。カップの水で流し込んだ。
「イザナミ! イザナギ!」
そう。アスピリン錠剤を飲むには両手が必要だ。それはハイブにもぎ取られたはすだった。しかし両腕はある。
「イザナミ! 状況を! イザナギ! 応答しなさい!」
「リッパー! 落ち着いて! アナタ……そう、混乱しているのよね」
マリーの柔らかい声がそっと耳に入った。両腕がイザナミとイザナギでないことはすぐに解かった。ディテールから材質、重さから感触までまるっきり別物の腕だ。解かっていたが思わず叫んだのだ。浮かぶ涙をそのままに、リッパーはマリーに尋ねた。
「イザナミとイザナギは、アナタのコンボイに少しは役に立った?」
「あの二人は恩人よ?」
「違う!」
マリーの微笑みに強く返すと涙が溢れた。
「ニヤけたハイブが言っていたわ! 目的はNデバイス! あの二人だって! あたしたちはアナタのコンボイを巻き込んだのよ!」
渾身の力で壁を叩いたが、軽い音がしただけだった。
「リッパー、良く聞いてね? アナタの言う通りだったとしても、コンボイの被害は私の予測範囲内、最小だったわ」
「ああ、そうだな」
割り込んだコルトが普段通りの口調で続けた。
「確かにハイブに一度襲撃されたが、結果として、たったの一回だ。三千キロ横断のコンボイでハイブに遭遇したのがたったの一回、殆ど奇跡だよ。リッパーを拾う前に俺たちが何度バンデットに襲撃されたか、そのたびにどれだけ犠牲が出たか、思い出したくもないぜ」
マリー・コンボイに合流してから、いや、それ以前からハイブがNデバイスを狙っていたのだとしたら、そのスペックを知っていたなら、コンボイを闇雲に襲撃せずにそれなりの作戦でリッパーのみを狙うだろう。つまり、Nデバイスの存在がコンボイを安全にしていた……。
「ハイブがコンボイを襲撃する理由を与えたことに違いはないわ……ごめんなさい」
「コルトの言う結果論でいいの、私は。コンボイが最小限の被害だったのに対して、アナタは……」
新しい両腕、汎用マシンアームはやたらと軽かった。それでいて反応は鈍い。未塗装だがフォルムは人間の女性そのもので爪まである。普通はこうなのだ、そう自分に言い聞かせてみたが失敗した。
「ありがとう、マリー、コルト。まだ上手く言えないけど、二人とも生きてる、それだけで贅沢なのかも。イザナミとイザナギが粘ってくれたから、そう思いたいわ」
「オーライ、それでいいさ。こちとら傭兵家業。仲間を失うのに慣れたことはないが、割り切らなけりゃ自分の命すら危うい、そんな世界さ」
「リッパー、歩けるでしょう? ダイゾウさんにお礼をしないと。近くの公園でずっと待ってるわよ?」
ダイゾウ? リッパーは首をかしげた。そんな名前に覚えなど……あった。
「シノビマン! 彼、このケイジにいるの?」
「あちらさんがリッパーに用事があるらしいぜ。俺とマリーは散々礼を言ったが、まあ、会おう」
ベッドから降りると、くたびれた革ブーツの横に水色のサンダルがあった。近くだと言うのでそれを履いてドアを幾つかくぐりラボを出た。
ケイジは華やかで賑やかだった。すれ違う皆が綺麗な服装で微笑んでいる。そこで始めてリッパーは、自分が普段とは全く違う服装だと気付いた。
膝丈の綿ズボンにハイビスカスがプリントされた半そでシャツ、そして水色のサンダル。慌てて銀髪を整えようとしたが既に櫛(くし)が通ったらしく寝癖もなかった。乱れていた毛先一センチほどがカットされ整っていた。
「マリー、何だかあたし……ケイジの住人みたい?」
褪せたジーンズやブーツといったコンボイでの姿のままのマリーはくすりと笑って「似合ってるわ」と銀髪を撫でた。先頭を歩くコルトもテンガロンハットにポンチョと普段の格好で、コルトとマリーはいかにもよそ者だと浮いて見えた。自分だってそうなのに、服装を整えただけで気分がこんなにも変わるのかと驚いた。
二分ほど歩くと小さな公園に到着した。ブランコにジャングルジム。砂場に滑り台。用途不明な埋め込みタイヤなどの遊具があり、数人の子供が走り回っていた。どの子供も綺麗な服装で、そこにマリー・コンボイでケイジに到着した少女ルジチカの笑顔も見えた。
「はぁぁぁぁ……来たか、リッパーよ。待ちわびたぞ」
声はするが姿は見えない。あそこ、とマリーが指差したのはジャングルジムの頂上だった。鉄パイプのジョイント部分に左足爪先で立ち、右足はあぐらのような格好で、両腕はゆっくりと二つの円を描いていた。着衣は会ったときと同じ白装束と大きなサングラス。ふー、はー、と唸り声が聞こえるが降りてくる気配はない。
「ねえ、シノビさん。お礼を言いたいんだけど、お邪魔でなければ降りてきてくれない?」
「礼なぞ不要。それよりもまず肝心なことは、我はシノビであるが名をダイゾウと言う。シノビは称号に過ぎぬ……はぁぁ」
「そうなの? ならダイゾウさん――」
「敬称など不要だ。それならばシノビと呼称するのが適切であろう……ふおぉー」
「……面倒なのね、色々と。まだあるんだったらレコーダにでも吹き込んでおいてくれる? 暇になったら聞くから。マリー、お金ある? 少しショッピングをしたくなったわ」
くるりと反転したリッパーをコルトが慌てて元に戻す。
「オーライ、気持ちはよーく解かる。この三日間、俺もマリーもこんな調子に付き合ってきたんだ。そのうち慣れるから安心しろって」
「三日間? あたし、三日も寝てたの!」
どうりで体が軽いわけだ。あちこちをさすったが痛む箇所もない。
「そう。お前は三日間、夢の世界をさ迷い、我は三日間、こうして瞑想しておる」
ダイゾウは側頭部をこちらに向けていた。爪先を軸にゆっくりと回転しているらしい。
「アナタ、それ、時計の秒針の真似?」
「いかにも。さすがはNの装備者」
バカじゃない? そう続けようとしたのだが遮られてしまった。
「我……使命……」
ダイゾウが背中を見せたので声が聞き取れなくなった。リッパーは自分のシャツの裾をつまんでピンと伸ばした。ハイビスカスの花びらが風で舞うように見えた。
「マリー? ショッピングモールはどっち?」
「ヘイヘイ! 解るが我慢してくれ!」
コルトがハイビスカスを眺めるリッパーを再びくるりと反転させた。命の恩人なのは言われるまでもないが、これではラチが空かない。
「シノビのダイゾウ、窮地を救ってくれてありがとう。感謝しているわ。用件はこれだけよ、じゃあね。マリー?」
「何を急ぐ、リッパーよ。N装備を合成人間にくれてやった今、お前に脅威はない……」
一回転して戻ってきたダイゾウが言うが、そもそもリッパーは急いではいない。
「果たしてそうかな?」
忽然と目の前にサングラス顔が現れ、驚くリッパーにそう告げた。
「真空雷剣! 無為の太刀!」
上段に構えたダイゾウの殺気が全身を貫き、リッパーは一歩退いて腕をクロスさせて叫んだ。
「ジャンプアップ!」
しかし両手にベッセルはなく、ダイゾウの両手も同じく素手だった。ダイゾウはゆっくりと構えを解くがリッパーはベッセルがスライドしてくるのをじっと待っていた。
「無為の太刀は実像にあらず。リッパー、お前の拳銃もまた実像にあらず。失いしN装備もまた同じく」
「この姿勢からコンバットフォームに入れるわよ? 回りくどいのは苦手。簡潔に説明してくれる易しさはシノビにはないのかしら?」
いきなりの臨戦態勢にコルトとマリーが慌てて割り込んだ。
「やめましょうよ! 二人とも!」
「ヘイ! リッパー! 熱くなるな!」
必死に落ち着かせようとする二人だったが、ダイゾウからこう続いた。
「我に一撃入れて見せよ。さすれば全てを話そう」
「オーライ。シンプルで解かりやすいわ。ただの軍隊格闘だとナメてると痛い目見るわよ?」
ジャンプアップ姿勢から左の掌底(しょうてい)と見せて右肘と膝。リッパーはスリーパターンの打撃を想定し、一瞬の間を置いた。そして左足に全体重を乗せて左を振ろうとした途端、水色のサンダルがちぎれた。崩れた姿勢を戻そうと爪先に重心を移したが、結局は前転するような格好でころげた。バタン! と派手な音がしたが砂地だったのでダメージはなかった。
「タ! タイム! 今のはナシよ! ……あら?」
ダイゾウが両膝を突いていた。想定打撃を全て見透かされてかわす姿勢……ではなかった。
「ほぁっ! あの動作から転身かかと落としとは……見事、なり」
言い終わるとダイゾウは前のめりで倒れ、背後に遊具のタイヤが転がっていた。
「リッパー! 生身でハイブを一掃したダイゾウを一撃かよ!」
「凄い! 銃だけでなく丸腰でもその強さ! コンボイの専属傭兵にならない?」
コルトとマリーが興奮そのままで言う。
「……こういうのも、結果オーライって言うのかしらね? ……タイヤ?」
脳天にかかと落としを喰らったダイゾウは失神しているらしく起きる気配もない。マリーが用意してくれたのであろう水色のサンダルが台無しになったことが悔やまれた。倒れたダイゾウの背後をタイヤがコロコロと転がってゆき、それにつられて寄ってきた子供が二人、倒れたダイゾウを枝で突付いて遊び始めた。
ダイゾウを除く三人は揃って手近のショップモールに向かい、リッパーはオレンジ色のサンダルを購入して履き替えた。マリーはショウウインドウを吟味してから、大粒のガーネット原石をあしらったネックレスを首に下げ、一回り小さいガーネットのイヤリングをつけた。
コルトが眺めている露店のリングはどれも毒毒しいスカル模様だった。そこから一番リアルなスカル模様を二つ選び、コルトは両手の人差し指にはめた。
「風のコルト、改め、死神コルト、ってな。死を誘う指が、鎌形のトリガーにかかる……なんてのはどうだい?」
「ぷっ! そのセンス、まるでGIね?」
リッパーは吹き出して、戦友にそんな奴がいたと話した。全身に髑髏(どくろ)の刺青を入れた屈強な男が機動歩兵部隊から調理係に転属となり、日々毒入り食材を作り続け、遂には調理場の悪魔・デビルコックと呼ばれた、そんな話だ。
「ふふ、兵隊ってそんな人ばかりね。タトゥーはお守りか何かなのかしら?」
「同胞との信頼の証だったり、心意気だったり。まあ、お守りにしている奴もいたかしらね」
マリーが売店で冷たいホイップソーダを注文し、リッパーは歩きながらそれを口にした。ふわふわとしつつ小さく弾ける食感は初めてだった。
「こんなもの、子供のもんだと思っていたが、実際のところ美味いよな?」
死神はどこに行ったのやら、コルトが真面目な顔付きで言う。
「リッパー、鼻にホイップが、ははは!」
「ねえマリー。ケイジってどこもこんななの?」
リッパーは必死に鼻のホイップを舐めようと舌を伸ばすが届かない。
「こんなって?」
目覚めてからずっと、マリーの声色はとても柔らかかった。母親と言うと失礼だが、優しく見守る姉のような、そんな感覚だ。なのでリッパーの気持ちもほぐれて、普段なら喋らない部分も口に出してしまう。
「なんて言うのかしら、平和で穏やか? そんな感じ あたしの移動ルートはダメージの大きい地域だったから、ケイジというより難民キャンプだったし、復興・再建の進んだ辺りの事情は知らないから」
コルトはスカルリングが気に入ったらしく、上にかざしたり指でくるくる回したりしていた。宿に戻ったら鏡に向かってリボルバーを構えるに違いない。
「ここはかなりの規模のケイジだから賑やかよね。ケイジからいち都市として再建計画が進んだところだと、活気以外に文化とか文明みたいな雰囲気が確かにあるわね。でもね、私は、辺境の小規模ケイジのひっそりした雰囲気が好きなの。ホイップソーダなんてないけど、酒場の一つでもあれば満足だし、静かなほうが落ち着くの。きっとコンボイで揺られすぎてるのね。ジプシーの持病よ」
ケイジの住人であろう着飾ったカップルとすれ違った。男女どちらも鮮やかな色使いの服装で、お揃いの帽子の下は笑顔だった。
「俺は酒場に寝床、そして女が……ソーリー」
リッパーとマリーは顔を見合わせて、同時に吹き出した。
「情動に素直なのは健全だけど、礼節はわきまえましょうね? 死神さん?」
マリーが優しく諭すとコルトはバツの悪そうな表情をして、スカルリングが輝く指でホイップソーダをずるずると飲んだ。
「まあつまりだ、俺は雇われの傭兵で、マリーは生粋のジプシー。どっちも渡り鳥みたいなもんだな。寂れたケイジの酒場でカード片手にグチる日もあれば、こうしてホイップを口にする日もある。落ち着きがないのはお互い様だが、こうして顔を合わせてるのも何かの縁なんだろうよ」
平穏を求めないジプシーの血、マリーが言っていた。
傭兵は危険を金で買うような家業だ。二人はここで休息はしても定住はしないのだろう。
自分はどうだろうか? 記憶にある日常の殆どは海兵隊の訓練キャンプと巡洋艦バランタインでの日々だ。オズと離れてからは灼熱と極寒を繰り返す地上と、そこでのハイブとの戦闘の記憶ばかり。嗅覚は硝煙と血で鈍り、味覚は酒と煙草で麻痺している。聴覚は銃声と爆音……五感の殆どがデタラメだ。
空調コントロールされたケイジはリゾート地のような居心地だった。銀髪を撫でるそよ風はひんやりとして、照りつける日差しは胸元をゆっくりと焦がす。ホイップソーダの甘い香りは味覚を刺激し、舌をふわふわが転がる。
喧騒の合間に何かの音楽が聞こえた。太鼓を叩くリズムは高揚感と躍動感に溢れている。どれもこれもがリッパーの緊張を手際よくほぐしていく。ケイジには闘争の気配すらない。砂漠と壁を一枚隔てただけで文字通りの別世界だった。
隣を歩くのがマリーではなくオズだったら、リッパーは想像してみた。
ここに住居を構えるだろう、間違いない。
賑やかな街なのでオズは大道芸人でもやるといい。自分は、メカに詳しいので修理工にでもなるか。油とススまみれは嫌いではない。
器用なオズはピアノが弾ける。部屋には小さくてもいいのでピアノかオルガンが欲しい。レパートリーはとびきり陽気な奴。食べる以外で甘ったるいのはあまり得意ではない。
ベッドは特大サイズだ。そこでオルガンに合わせてぴょんぴょんと飛び跳ねる。二人きりがいいが、イザナミとイザナギだけは同じ屋根の下に住まわせてもいい。二人はピアノのバックコーラスだ。低音がイザナミで高音がイザナギ。二人が大声なら自分のオンチも目立たないだろう。
オンチが治ったらマリーとコルトを招待して披露しよう。飛び切り陽気なナンバーをどっさりと……。
「リッパー? ……リッパー! どうしたの?」
慌てるようなマリーの声が空想を割った。
「リッパー! ジョイントが痛むのか? 鎮痛剤は効いてるはずだが?」
ホイップソーダを握るコルトがリッパーの肩に顔を近付け、スカルリングでコネクター部分をコンコンと突付く。
Nデバイスのマシンアームコネクターは汎用マシンアーム規格にも対応しているので、Nアームと入れ替えで別を装着してもすぐに自在に動かせるし、拒絶反応などもない、筈だった。
「え? 何? あれ、なんであたし、泣いてるのよ? 痛みはないわ、大丈夫。ディープスリープ薬の副作用か何か……」
と、マリーがそっとリッパーを抱いた。両腕にゆっくりと力が入ると、銀色の涙が大粒になった。
「ごめんなさい。私たち、自分のことをぺらぺらと、アナタの気持ちも知らずに」
「そうか、まだ三日だったか、すまないな」
コルトが子供をあやすように銀髪を撫でると、大粒の涙が溢れた。街路を行き交う住人が不思議そうに、ホイップソーダ片手の三人を眺めていた。
自分だけが特別不幸だとは決して思わない。
マリーもコルトも仲間を幾人も失っているに違いない。しかし、比べられるようなことではない。自分の、個人の問題だ。
夜のコンボイで交わしたレクイエムのショットグラス。注がれていたリキュールはマリーの涙だったのだろうし、コルトのスカルリングはかつての仲間の亡骸なのかもしれない。真相はそれぞれの胸の内だが、結局はそこまでだ。後はそれを鏡の向こうと分かち合うか、仕舞い込むか、それだけの違いだろう。
「ダイゾウ、ホイップソーダ。食べかけだけどあげるわ」
公園の鉄棒の上に爪先で立ち、片足と両腕で二つの菱形を作ったままじっとしているダイゾウに、リッパーは紙コップを差し出した。
「ホイップ……何だと? まあ良い。禅が終わったところだ、ありがたく頂戴しよう……くあっ! 甘味なり! こ、これがケイジの技術力か! シノビの長き歴史に新たな一行が加わる! ホイップ……」
「ホイップソーダ」
「ソーダ! 緊張をほぐし脳に糖分を補給する緊急補助食品!」
ストローでホイップソーダを忙しく口に運ぶダイゾウは、鉄棒から降りても片足のままだった。
「美味悶絶! 雷(いかずち)流シノビアーツに栄光あれ!」
「喜んでもらって幸いだわ。質問が幾つかあるんだけど、食べながらでいいから応えて」
「先の約束もある、知る全てを教えようぞ。ただし、シノビファイトの奥義は門外不出だ」
そんなものはいらないと首を振り、深呼吸。発しようとすると鼓動が早くなった。
「オズ……彼は生きてるの?」
質問にダイゾウの手が止まった。ダイゾウはホイップソーダを置き、地面にあぐらをかき、一言。
「半分だ」
「……何? きちんと説明すると約束したはずよ?」
リッパーは眉をひそめ、あぐらのダイゾウを睨んだ。
「だからそうしておる。オズ殿は半分、生きておる」
「解からない! 何よそれ!」
怒鳴るリッパーの隣から、あの、とマリーが入ってきた。
「つまり、そのオズという人は怪我か何かで体の半分が動かないだとか、障害があるだとか、そういうこと?」
「否。オズ殿の体の状態を我は知らぬから機械補助の可能性もあるが、体に機能障害はないと聞いた。半分とは脳だ。言語野と中枢機能の半分を消失し、正常な分析思考が出来ぬ状態なので脳機能が半分、そう聞いておる。理解したか?」
オズはやはり生きている! しかし、脳に障害がある。生きているだけでいいと思っていたが「正常な分析判断が出来ない状態」は人間として生きていると言えるのだろうか?
言語、喋れないのは仕方が無いとしても、まともに脳が機能していない姿で人間と呼べるのか……いや、何かがおかしい!
「ダイゾウ! アナタ! オズは喋れないと言ったわ! 正常に思考できないとも! だったらあのペーパーレターは何? あれはオズからのメッセージでしょう? それをアナタが受け取れるのはおかしいでしょう! 正常に思考できない人間がメッセージを発するの? アナタに伝言を頼むの? 第一、アナタはオズの何? オズの知り合いにアナタの名前なんてない! 海兵隊にシノビなんて一人もいないわ! おかしなことだらけ!」
ダイゾウの白装束の両襟を掴み、あぐらを持ち上げて目一杯の頭突き。ガンと鈍い音がしてダイゾウのサングラスが割れた。リッパーは自分の痛みなど知らないと続ける。
「イザナミとイザナギのときもそう! あたしはアナタを目指してマリー・コンボイに参加してたけど、Bポイントはあそこから南に六百キロ以上! そこにいるはずのアナタがどうしてこのケイジの入り口に、あのタイミングで出てくるのよ! Nデバイスをハイブが欲しがって襲撃してきた! アナタの戦術スペックならあのニヤけ面を倒すことなんて簡単でしょう! なのに結果はこれ! イザナミとイザナギはハイブに持ち去られて安っぽい汎用アーム! Nデバイスをハイブがどうするのかなんてどうでもいいけど、あの戦闘力をハイブに渡すなんてマトモな人間の考えることじゃあない! そもそも!」
ふっ、と息継ぎしてリッパーは怒鳴った。
「アナタは人間なの?」
問いかけを最後にリッパーは両膝を突いた。ガラクタの両腕が白装束から剥がれ落ちた。涙がばたばたと砂地を叩く。
マリーかコルトか、どちらかがリッパーの肩に手を置いた。体の震えが止まらない。シノビだとか言う男のどこまでが真実でどこまでが味方なのかさっぱり解からない。現実と夢が交錯してぐちゃまぜになる。
オズのオルガンは音の外れたレクイエムを奏で、イザナミとイザナギはスカルリングからけらけらと笑い、ホイップソーダはデビルコックの毒まみれだった。頭がくらくらとして意識が飛びそうになったが、懐から持ち出した別のサングラスをかけたダイゾウの一言でリッパーは立ち上がった。
「確かめたくば我を倒せ」
「コンバットフォーム、レディ! トリガー!」
リッパーの放った鋭い右ストレートは閃光と、バコンという鈍い音を発した。ゴムタイヤがリッパーの拳で、くの字になっていた。
「雷電変わり身の構え……激雷掌!」
真横、左に立つダイゾウが掌底をリッパーの脇腹に叩き込んだ。息が止まり、意識が飛ぶ。
「手加減してある、今は眠れ。天ある限り、我は変わらずここにおる」
「リッパー!」
マリーとコルトの声が重なり、崩れ落ちるリッパーを二人が支えたが、五感はそのまま暗闇へと落ちていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます