第4話 プラズマディフェンサー - Plasma defensor -

 ハイブ・ナイフエッジに襲撃されたマリー・コンボイは夜間移動を避けるため、ハイウェイで一泊することになった。

 日に二度も襲撃されることはないだろうが、万が一のそれが夜間の場合、被害は倍以上になる。ハイブには昼も夜も関係ない。

 食事にミート缶が手渡されたが、コンボイに途中乗車しているだけのリッパーはそれを受け取るかどうか迷った。

「だったら取り引きしましょう? 今晩の雑談相手になってくれるなら、このミートはアナタのもの。どお?」

 マリーに押し切られる形ではあったが、食べないことには戦うどころでもない。マリーの表情にストレスの影も見えた。雑談とやらでそれが消えるのならそれも良しと結論を出し、オンボロバンの座席を全て倒してディナーとなった。

 コルトとマリー、それとルジチカ・ワクスマンという少女。ナイフエッジとの交戦の最中にいたあの少女だった。

「風のコルト……同業での俺の通り名なんだが、リッパー相手だと名乗るだけ恥だな」

 シリンダーを空にした四十五口径でクイックドロウとトリックプレイ、ガンスピンを繰り返す様子をルジチカが面白そうに眺めている。縦横自在にくるくると回るリボルバーは華麗だった。同じくミート缶の味も極上だった。思えば、これほどのんびりとした食事は前のケイジを出発して以来だった。

 煙草を、とポケットに手を入れたが、ルジチカを見て止めた。

「物騒な話はまた今度。ねえリッパー? その瞳と髪の色って天然なの? 綺麗なプラチナブロンドね?」

「ありがとう。褒められるのは一ヶ月ぶりくらいかしら。クセっ毛であちこち跳ねてるし手入れは殆どしてないけど、自慢なの。でもマリー、その黒髪も素敵よ? あまり見ないけど、東の血筋なのかしら?」

 そんなところ、と濁してマリーはルジチカの濃紺の髪を撫でた。フルーツをほおばったルジチカはにこにこと笑顔を振りまいている。

「明日の夜前にはケイジに到着する予定だけど、リッパー、どうするの?」

 ルートマップを床に広げてマリーが言う。リッパーはマップのハイウェイを指差した。

「この辺りで別れるわ。こちらの目的地は随分と南なの。この辺り」

 指差した部分は山岳で、特に何も無い。

「何だリッパー。砂漠越えの次は山越えかい?」

 マップを覗き込んで、ミートをほおばるコルトが呆れた。

「何もなければないで次を目指すだけ。Aポイントは次のケイジの千キロほど先だから、近いほうから潰していくってだけよ」

「アナタの予定通りだと、何があるの?」

 マリーの質問はリッパーを唸らせた。そもそもが不明瞭な情報源での旅なだけに説明が難しい。

「Bポイント、近いほうね? そちらには、誰かいるはず。会っておきたい、そう思っただけ」

「いないかも知れない誰かに会っておきたい? そりゃまた妙な話だな」

 不精ヒゲと口をもごもごとさせコルトが相槌を打つ。

「いいじゃないの。旅の目的なんて人それぞれ。第一、私達だって似たようなものだし」

 随分と含みのある言い方だ。聞かせて、と目で訴えるとマリーは笑って返した。

「ケイジで三ヶ月ほど過ごしたら、またコンボイを編成するの」

「移住じゃあないってこと?」

 問い返すリッパーに対して、マリーは笑顔のままだった。

「生粋のジプシーなのよ、私は。旅をすることが目的。コンボイでなければ一人で、ケイジからケイジへの渡り鳥。危険だとか無意味だとかそういうのじゃあないの。血ね。安住を求めない血、新たな何かを探し続ける血。どお? 素敵だと思わない?」

 カキリと軽い音がした。コルトの銃のハンマーの音だった。

「ロマンも結構だがな、マリー。危険の度合いが昔とは違う。俺みたいな傭兵が食っていける時代だ。いい男でも見付けてどこかのケイジでのんびりやってろよ」

「だから俺について来いって? ……ふふふ、口説き文句は銃の腕ほどではないようねー」

 出会ってまだ半日だが、どうにもマリーらしくない。気のせいか、やたらと機嫌がいいように見えた。

「ねえ、マリー? アナタ、ひょっとして酔っ払ってる?」

「少しね。はい、お二人にも一杯」

 二人に渡されたショットグラスにリキュールが注がれ、二滴、ロードマップに落ちた。マップは笑顔にも涙顔にも見えた。

「おいおい。俺はいちおう傭兵として雇われてるんだ。ありがたい申し出だが、夜は警備だよ」

「あたしは……そうね、傭兵みたいな存在だから同じく」

 力を入れると途端に割れそうなショットグラスを床に置こうとしたリッパーだったが、マリーに制された。

「却下。コンボイのリーダーとして命令します」

 無理矢理ショットグラスを渡すマリーは至極まじめな表情をして、一拍置いてから静かに言う。

「今日の被害者へのレクイエム(鎮魂歌)。絶対に繰り返さない証をここに」

 そう言われて断れる人間がいるだろうか。コルトとリッパーはグラスを改めて受け取り、マリーに習ってかざした。キンと音を立ててからマリーはリキュールを飲み干した。コルトも続き、リッパーもグラスを一気に空けた。

 二つ前のケイジに向かう途中でリッパーは、別のコンボイと遭遇したことがあった。マリー・コンボイよりも小規模だったが、そこでもこんな光景があったのかもしれない、そう思い返した。

 この大陸では都市スペースであるケイジの中が人間の文明の全てで、外はハイブが徘徊する死と背中合わせの熱砂地獄だ。コンボイでケイジからケイジに渡る理由は貿易だったり移住だったりと様々だが、命がけには違いない。ゼロではない犠牲をリキュール一杯で片付けるくらいの気概がなければ、とてもコンボイなどやってられないのだろう。一人旅のリッパーはマリーを見て想像した。

 そのマリーは酒に弱いらしく、リキュール一杯で顔を真っ赤にしていた。整った顔立ちがだらりと崩れそうだ。

「雑談は以上。私はもう寝るから後をよろしくね、コルト。ルジチカ、こっちに入りなさいな」

 言うが早いか寝袋に入ったマリーを見て、リッパーはディープスリープ錠剤をポケットから出し、眺めた。

「ヘイ、リッパー」

 バンから出ようとしたコルトが振り返る。

「寝るのも傭兵の仕事だぜ? いざというときに使い物にならないとな?」

「……そうね。でも、どうしたものか。ディープスリープの完全睡眠状態はレッドアラート以外の外部からの入力を一切受け付けないのよ。それこそ、いざというときに使い物にならないわ」

「提案します」

 イザナミの電子音声が申し出た。

「傭兵コルトにガンプ弾を提供し、1チャンネルをスリープモードでオープン状態。ガンプ弾の信号でATDモードが起動出来ます」

「オートディフェンシブ起動? ノーマルへのタイムラグは?」

「二十三秒」

「遅いわね。スタンバイモードなら?」

「十二秒」

「決まり、SBDモード。コルト? アナタのリボルバーは四十五口径だったわね? この弾丸、何かあったらこれであたしの腕を撃って。すぐに目覚めるから」

 弾薬をリッパーから渡されたコルトの口は開いたままだった。自分の腕を撃てと言っているのだから無理もない。

「大丈夫。それは殺傷能力のないガンプ弾……つまり電子信号弾ね。イザナミかイザナギに向けて撃てば目覚める仕組みになってるの。タイムラグは聞いての通り十二秒。着弾させなくても放電で同じ信号が届くから、そうね、このバンの屋根でも撃てばいいかも。じゃあ、悪いけど眠らせてもらうわよ」

 最後に投げキッスをぶつけると、コルトは目をぱちくりしながらバンから消えた。二つのDSピルを噛み砕き、マリーのリキュールを拝借して飲み干す。マリーの寝袋にはルジチカが一緒だった。自分も寝袋に入り、外でコルトが指示を出す声を聞き、一分後に完全睡眠に入った。二錠なので三時間、夜明け前には目覚める計算だ……。


 ……全長二千五百メートル、総重量六十万トンの大型宇宙戦艦、リッパー大佐の指揮する「無敵の浮沈艦隊」こと海兵隊月方面軍・第七艦隊の旗艦である巡洋艦バランタイン。

 超光速推進駆動システム・チェレンコフドライヴ、通称Cドライヴを四基搭載し、主兵装は推進動力炉と直結した高出力・可変速ビーム砲塔が八門。副兵装として多用途ミサイルハッチ、オールレンジ・ワインドレーザー、CIWS。そして、超光速推進駆動航行を応用した強力な広域破壊兵器、チェレンコフ・インパクトカノンを試験搭載した攻撃型重武装戦艦ながら、恒星間超光速航行、スタードライヴをも行える高起動艦でもある。

 そんな巡洋艦バランタインの基本設計を行った希代の工学博士、ドクター・エニアックは、合成人間・ハイブの危険性を製造開始前から指摘していた一人だった。

 しかし、他の反対派が主に倫理面で議論するのに対してドクター・エニアックは、あくまでエンジニアとしての意見を貫いていた。

 人間を人為的に工場で生産すること。

 その結果生まれる、人間未満の生物を労働力としてのみ扱うこと。倫理派はこれらを否定していた。

 対するドクター・エニアックは、ハイブを制御する頭脳核・カーネルと呼ばれるデバイスの仕様そのものが脆弱であると、その設計思想を指摘していた。過酷で複雑な労働に対応するだけの擬似思考生体デバイスのスペックを、リミッター回路でそこまでで抑えるという構成は、リミッターが外れたときに制御不能となる、と。

 エニアックを含む反対派を押し切る形でハイブ製造計画を開始したのは、行き過ぎた文明による労働からの脱却という稚拙な願望と、それを叶えるだけの技術力を持った、他ならぬ人類であった。

 しかし、ハイブ製造開始から十数年、後に「解放宣言」と呼ばれる日にエニアック博士の指摘は的中した。

 総人口の半分、五十億に達するハイブのリミッターが一斉に解除されたのである。


 十五年前、この砂漠大陸には広大な緑と巨大な都市が幾つもあった。

 宇宙戦艦を飛ばして、月に百万都市を築き、火星をテラフォーミングにより第二の地球に変えて、木星に移民団を送り、外宇宙にまで手を伸ばした科学文明は絶頂を数世紀続け、地上百億の人類は、統一された軍事国家連盟による緩やかな管理の元で、文明を謳歌していた。

 ハイブリットヒューマン、ハイブ。合成人間も、そんなテクノロジーが生み出した一つだった。

 人為的に製造された半有機生命体・合成人間は、純粋な労働力として誕生した。強靭な肉体を持ち、脳の代わりにカーネルと呼ばれる擬似思考デバイスを載せられた合成人間は、従順な労働者として、人類に代わって無言で働いていた。

 合成人間の頭脳であるカーネルに施されたリミッターが突然解除されたのが、十五年前の惨劇の始まりだった。

 リミッターによる制御から解き放たれた合成人間、ハイブは、都市を壊滅させて人間を襲った。だがそれは、自我を得て人類に宣戦布告をするアンドロイドとは全く違っていた。

 ハイブのカーネルは人間脳の一部を模して作られたものではあるが、自我や魂と呼べるものは存在しないとされている。リミッター制御を失ったカーネルの思考パターンは、人間よりもライオンやトラに近かった。

 統一された意思や明確な目的を持たず、只ひたすらに人間をハンティングするハイブの群れ。軍隊がこれを迎え撃ったが、ハイブは強靭で獰猛である以上に、膨大だった。地上百億の人口に対して、ハイブの総数は五十億に達していた。宣戦布告するでもなく、自由意志を求めるでもなく、都市を壊滅させて軍事基地を潰して、人間を殺し続けた。

 人類とハイブとの戦争、ではなく、ハイブによる一方的な破壊だった。目的も意志もなく、只ひたすらに文明を壊し続けるハイブの圧倒的な物量に、地上の軍隊は圧倒された。

 カーネルのリミッター解除の原因は、太陽フレア増大説や地殻変動による地磁気説など各種あるが、原因よりも対応策が肝心だった。

 過酷で、時に複雑でもある労働に従事することを前提として製造されたハイブには、薬物チューンによる強靭な肉体が備わっていたからだ。その肉体を制御するのは人間脳を模倣した擬似思考生体デバイス、本来はリミッターで制御されていた、自我に似たものを持つカーネル。結果、野放しの知性野獣が闊歩する惨状となった。


 この惨事に対して、地球統合軍として統一されていた軍の行った作戦は、空軍と海兵隊の混成衛星軌道艦隊からのビーム砲撃、「オペレーション・オービタルショット」だった。


 宇宙戦艦に搭載された強力な荷電ビーム砲は標的のハイブを蒸発させ、それと同時に都市と、そこに住む人間を塵に変えていった。

 衛星軌道上からのビーム砲撃は、地上全土に対して一ヶ月間続いた。

 宇宙国家間の政治紛争を理由に混成艦隊が砲撃を止めた頃、地上の人口は百億から十億にまで減っていた。しかし、五十億以上いたハイブは二十億ほど消滅したが、地上総人口の三倍、三十億近くが残った。

 大規模都市はその殆どが砲撃により壊滅し、大陸プレートを貫通した砲撃によって海面が上昇し陸地を飲み込み、残った大地は激変した大気性質から砂漠化を続けた。そこに残ったのは十億の人類と、三十億のハイブ、絶滅を逃れた自然と野生動物が少し、これだけだった。

 強力な熱線で焼かれた地上は地軸が歪んで気象が狂い、地殻変動が乱発し、北極と呼ばれていた場所は地図から消えてなくなった。

 また、荷電ビーム砲の粒子は大気に残留し、強力で分厚い天然のジャミング層となって地上と宇宙との通信を寸断した。

 更に、天然ジャミング層からの電磁干渉で、当時の主な発電源であったイオン融合炉は九割が使い物にならなくなった。バッテリー駆動の乗り物は全てモーターエンジンから内燃機関エンジンに積み替えられ、油田採掘が千年ぶりに再開された。


 月面の宇宙軍基地、月衛星軌道上に浮かぶルナ・リングと呼ばれる軍事拠点と地球圏防衛艦隊。そして、地球と月の中間、ラグランジュ・ポイントに位置する海兵隊戦艦ドックや地球衛星軌道艦隊など、宇宙方面への通信施設は全てハイブによって壊滅し、情報が錯綜。結果、人類は一ヶ月で文明を二世紀ほどさかのぼることになったのだった。

 混成艦隊が行ったことが敵対するハイブの掃討なのか、九十億の人口を都市もろとも壊滅させることだったのか、知る者は艦隊の搭乗員にもいなかった。九十億の人間を二十億のハイブと一緒に消し去るその行為は、それが地球統合軍地上司令部からの命令であったとはいえ、作戦と呼ぶには陳腐でいて、残酷であった。

 その後、艦隊は地上に降りることなく、そのまま月の海兵隊艦隊と合流してルナ・リングに戻り、火星を睨み付けた。テラフォーミング、惑星改造を終えて入植も終え、いち国家が出来つつあった火星には相当数の人口と、充分に過ぎる宇宙艦隊があったからだ。

 ハイブの暴走と同時に沈黙した火星国家とその軍隊は、地球側からの一切の通信を受け付けず、ただ沈黙を続けた。

 結果、地上の統合軍司令部とルナ・リングの宇宙軍司令部は、沈黙する火星を敵対勢力の可能性ありと想定せざるを得ず、空軍と海兵隊の混成艦隊を防衛網に配置したが、火星からの攻撃はなく、それどころか小型偵察艦の一隻すらやってこなかった。しかし、混成宇宙艦隊が何度か送った偵察艦は一隻も戻らず、全て消息不明となった。

 地上の統合司令部とルナ・リングの宇宙軍司令部は、通信の殆どを強力で分厚い天然のジャミング層により遮断され、かつ、地上の主要な通信施設をことごとくハイブに潰され、結果、地球圏に二つの軍司令部が出来た。

 その間も地上に残った三十億のハイブは破壊活動を続け、十億の人間と小さな都市を守るべく、地上の残存軍隊は戦い続け、宇宙艦隊は火星に対して防衛網を維持していた。


 この意味不明な勢力図は十五年間続き、現在進行形である。


 地上の軍は暴走を続けるハイブに追い回され、月だの火星だのを考える暇もない。月の軍にしても、通信が遮断されて断片でしか様子の解らない地上は気になるが、火星方面からの進軍に備えなければならない。

 この奇妙な状況下で軍が出来ることは、とりあえず目の前のハイブを叩く、これが精一杯だった。

 地球と火星の惑星間戦争が起こる可能性を含みつつ、地上には三十億のハイブが闊歩している。軍が最新鋭の武器を山ほど投入するにしても、数で圧倒するハイブを殲滅するだけの力は地上にはなく、かといってもう一度、戦艦から砲撃するという無茶も出来ない。軍隊が暴れまわるハイブを見つつ出来ることは、機動歩兵を前線に投入し、幾らか空爆を掛けるくらいが限界なのだ。


 それでいてハイブは工場で、ハイブ自身によって次々と量産されている。自我も目的も意志も持たない半生命体ハイブのカーネルの根幹に、リミッターとは無関係な位置でインプットされている行動原理の一つ、自己保存という一種の本能がそうさせているのだ。地上軍隊と十五年間戦い続けてハイブの総数が殆ど減っていないのは、倒した分、新しいハイブが現れるからである。

 当然、ハイブ生産工場を落とす作戦は何度も実行されたが、世界各地に機密として分散している工場は見つけ出すだけでも労力が必要で、そこはハイブによって守られてもいる。

 最前線の兵士も地上司令部も、焼け石に水と知りつつ、戦闘を続けてその戦力を磨耗し続けていた。


 月の環状防衛網、ルナ・リングの兵力を地上に降ろすにしても、後に回収する手段がない現状ではそれも出来ず、受け入れ先の地上基地はハイブによって壊滅寸前にまで追い込まれている。

 地上から見れば、既にいち国家として独立している月は地球を見捨てたようでもあるが、月側には防衛任務があり、火星側に対して月と地球を丸裸には出来ない。互いの事情や立ち位置を理解しつつ、しかし、大規模な地上作戦を展開するだけの戦力は地上にも月にもなく、突発的に現れては破壊を続けるハイブを迎撃し、幾つかの秘密工場を襲撃する、これが地球と月の軍が出来る限界だった。

 地上の幾つかの都市は再建したが、そこはハイブの標的になり、地上軍はそこを守るので手一杯で打って出るだけの戦力はない。月と同じく地上も、防衛に専念するしかないのだ。


「何故、合成人間は人間を襲う?」


 聞き慣れない声が問う。ハイブは人間を食わない、つまり捕食ではない。

 人間未満で不完全ながら人間的思考能力のある生物、ハイブが殆ど同類の人間を襲う理由。回答不能、イザナミを真似てみた。


「何故、オズを探す?」


 戦友で恋人だった人間を探す理由は必要ない。オズだから、理由としてはそれで足りる。

 バランタインの動力炉を奇襲の粒子砲が貫通し、艦の半分はその場で爆散したが、残った部分から脱出ポッドが無数に射出された。生存者はクルーの二割ほどだろうが、そこにオズもいたと信じている。

 落下した先に無数のハイブがいたとしても、オズならば……。


「何故、我に向かう?」


 ワレ? 我? ワタシ? 私? つまり……。


 開こうとするまぶたが重い。細く入る視界がぼやけてもいる。思考がのんびりと起床を告げるが、現実と夢の区別がつかない。

「おはようございます」

 声はイザナミだが、腕はまだ寝袋の中だった。

「うん……おはよう? まだ眠ってるみたい。状況を」

「コンボイがケイジに到着しました。現在、車両と乗員が移動中」

 鈍い思考がいきなりクリアになった。

「到着? どうして? いえ、コンボイが到着したのはいいんだけど、途中で一度も目覚めなかったわよ?」

 寝袋から抜け出したが身体が重い。時間帯は正午辺りか、マリーの言っていた予定よりもかなり早い到着らしい。

「傭兵コルトからの申し出が六時間前にありましたが、三十キロ四方に脅威がなかったのでハイブ三体との戦闘による損耗回復を優先しました」

 経緯は解かった。いかにもイザナミらしい判断で、独断であることを除けば的確だ。寝袋のチャックを引き、上体を起こそうとしたが浮いた背中がすぐに落ちた。ベッセルがバンの床を叩く鈍い音がする。

「体が重いのはどうしてかしら? 回復してたんでしょう?」

「ATD駆動が発令されています」

「ああ、そういうこと。発令したかしら? まあいいわ、オートを解除。ディフェンシブから通常にシフト」

 リッパーは立ち上がり、久々の熟睡で重たくなった肩をごりごりと回した。リキュールでディープスリープに影響が出たのかも、ふとそう思った。寝酒の習慣はないが、ケイジに入ったらそれも悪くない、とも。床に畳んであるマントを取ろうとすると、右腕が重かった。

「イザナミ?」

「警報。九時方向二キロ地点に熱源複数出現。記録照合中、ディフェンシブモードを維持」

「おはようリッパー。よく眠れたかしら?」

「二キロなら一旦通常駆動にしなさい!」

 オンボロバンのドアから顔を出したマリーに怒鳴る格好になってしまった。意表をつかれたマリーがきょとんとしていた。ごめんなさいとゼスチャーして、リッパーはイザナミとのブリーフィングを続けた。

「リッパー? ケイジへの入管手続きが――」

「記録照合終了、カーネル反応、ハイブです。ネイキッド三、ナイフエッジ二、長距離射程タイプ四。合計九体。長距離の戦闘記録なし」

「長距離射程タイプ? また新しいハイブなの?」

 ハイブは工場生産される。その工場は今ではハイブが稼動させていると言われている。繁殖能力のないハイブがいつまでも死滅しないのは、こうやって新型を続々と誕生させているからでもある。

 単純労働従事の合成人間をハイブと称するが、頭脳労働が可能なタイプや前夜のナイフエッジなどが登場したことにより、通常のハイブをアーミーではネイキッド(丸裸)と呼称するようになった。もっとも今の地上軍にはそうやってネーミングする以外の力はないのだが。

「ハイ、リッパー! そいつはハイブ・スナイピッドだ! ロングレンジ専門の面倒な奴さ!」

 イザナギがどこかからデータを持ってきたようだが、ロングレンジだからイザナミはディフェンシブモードを解除しないらしい。それにしたって二キロは射程外だろう、と思った途端、派手な音と共にオンボロバンのボディに大穴が開いた。バンの装甲を貫通した弾頭はケイジの壁にめり込んだらしく、瓦礫のこぼれる音が遅れて聞こえた。

「スナイパーライフル?」

「ノー! リッパー! 相手は大物、アンチマテリアルライフルだ! スナイピッドのくせにシューターとスポッター(照準補佐係)のツーマンセル! このレンジなら奴らのエイミングはパーフェクト! 次は当てに来るぜ! レッドアラート! AFCS、オン!」

 イザナギの大声に事態を察知したマリーだったが、知ったからとて何が出来るでもない。相手は二キロも先で、威嚇もけん制も届かない。

「今のは?」とコルトが現れたが説明はマリーに任せ、イザナミに策敵させる。イザナギは既にAFCSオンライン。

「スナイピッド・シューターを1A、スポッターを1Bに、シューター2A、スポッター2Bに設定。ネイキッド、ナイフエッジ、移動開始。五体のハイブに二組四体の後方支援隊形」

 シンプルな編成だがこれは逆に厄介だ。待ち伏せても向かってもスナイピッドの標的になる。五体のハイブにあの高速移動のナイフエッジが含まれることも問題だ。照準補佐係、スポッターのいるスナイパー、射程範囲内での移動攻撃はあまり意味がないだろう。そのためのスポッターでもある。

 ならば、二体のハイブ・スナイピッド、シューターのAのみをピンポイントで叩く。他に有効な戦術は浮かばなかった。

「ネイキッドとスポッターは無視! 衛星を開いて! シューターAの潜伏位置と他のハイブの場所を三次元マッピング!」

 ディープスリープの影響がないことを確認するために頭を振った。視界も思考もクリアだった。

「了解。レーザーリンク開始、監視衛星へ接続完了。マップ展開。スナイピッド1A、2Aの位置は変わらず。ナイフエッジ到達まで一分」

「一分? ヘイヘイ! それであの早い奴がまた来るのか!」

「大変! 急いでコンボイを全部ケイジに入れないと!」

 一分と聞いたマリーとコルトは慌てたが、スナイパーがいる以上、バンの外に出すわけにはいかない。バンから出ようとしたマリーの襟首を掴み、コルトを手で制した。

「コルト、マリー、まだバンから出ないで。厄介なのが狙ってるの。イザナギ! AFCSスクランブル!」

「コピー! スクランブルモード! 衛星三基をサテライトリンク! オーバーロングレンジエイミング、スタンバイ! バレル電荷スタート! レンジファインダー、オン! マルチロック、オン!」

 イザナギはイザナミの三次元マップで出たハイブの位置を、三つの衛星のGPS三角測量でミリ以下まで補正していく。二キロ先にいるハイブ・スナイピッド・シューターのカーネルの中心まで捕捉。その数秒の間にリッパーは煙草に火を点け、首と肩の関節をストレッチでほぐし、深呼吸した。

「イザナミ、完全補正のために一発だけ撃たせるわよ? ディフェンスは?」

「予測口径のアンチマテリアル弾頭を二回弾くと、過負荷で待機駆動に強制シフトします。待機駆動から再起動までの二分間は対抗手段なし」

 紫煙を吹くと話が単純になった。一対二でコルトよろしくのハイパークイックドロウだ。

 と、サイレンが鳴り出した。遅ればせでケイジの策敵センサーにハイブ軍勢がかかったらしい。バンの窓からケイジの鉄壁が見える。鉄壁の一部が開き速射砲が次々と生えてくる。このケイジにはアーミーが残した武装がたっぷりあるようで実に頼もしかったが、速射砲の射程距離内であるはずなのに撃たないところを見ると、どうやら装備を扱っているのはシェリフ(保安官)辺りらしい。

 アーミーと違ってシェリフは見えない敵は撃たないし、レーダーの類をあまり信用していない。残留ビーム粒子干渉でレーダーにジャミングがかかることをシェリフたちは極端に恐れるのだ。

 かなりのデカブツ速射砲だが、百メートルの目視圏内まで発砲しないのだろう、勿体無い話だ。アーミーの標準装備である自動照準システムがあればシェリフも楽なのに、と思ったところで煙草が全て灰になった。

「マリー、コルト。念の為に、あとはよろしく。失敗したらあの速射砲を使うといいわ」

 バンの窓越しに速射砲を指差して二人に笑顔を向け、作戦スタート。

「イザナミ! イザナギ! ガンファイト、レディ! 臨界駆動イグニション!」

「ウィルコ! コール・ガンファイト、コピー! ダブルベッセル、電磁バレル展開! シーカームーヴ!」

「了解。特殊射撃戦駆動へシフト。ヒートスリットシステム、起動。ディフェンシブモードとの併用のため、臨界駆動は四秒、スタートアップ」

 両腕のヒートスリットに光が灯るのと同時にリッパーはバンから飛び出した。

「ジャンプアップ!」

 オンボロバンから横っ飛び姿勢でベッセル二挺を掌に収めて、着地したところを狙撃された。

 バシン! と弾頭が眼前で炸裂し、リッパーを覆う球状に稲妻が走った。イザナミに搭載されている防御装置、プラズマディフェンサーである。

「スナイピッド1A、2A、ミリ以下でキャッチ! レンジ二千百二メートルでシーカーダブルロック! トリガー!」

 稲妻を薄目にイザナギの言う方向に二挺のベッセルを構え、そこからAFCS補正をかけて両指のトリガー。両手のベッセルが炸裂し、周囲の空気が弾け、オンボロバンが揺れた。リッパーはヒートスリットで逃がしきれなかった反動で少しだけのけぞった。

「ダブルヒット! カーネル、ダブルクラッシュ!」

「臨界、ゼロ秒。ディフェンシブ併用臨界駆動から通常へシフト。着弾確認、カーネル反応消失。過負荷、急速排熱開始」

 ふう、と大きな溜息とヒートスリットからの排熱音を聞いて、コルトが「やったのか?」とバンから声をかけた。

「ディフェンシブ併用の臨界駆動でオーバーロングレンジ・チャージショットなんて曲芸じみた真似は始めてだけど、どうにかこうにか。イザナミが悲鳴をあげてるけど、ハイブどもがあと四十秒で来るわ。冷却に一分かかるとして二十秒近くのタイムラグ。風のコルト、アナタの出番よ?」

 リッパーの両腕からの排熱で周囲に砂塵が舞っていた。過負荷は両腕のNデバイス以外の部分にも影響を与えたらしく、足元がおぼつかなかった。

 たったの四秒の駆動でヒートスリットが真っ赤になっている。こうだから臨界駆動はいざと言うときにしか使わないし、使えないのだ。

「リロード!」とイザナギが言ったが、左右のシリンダーにはまだそれぞれ二発ずつ残っているし、そもそも通常駆動で大口径のベッセルは撃てない。コルトたちの邪魔にならないようオンボロバンに肩を預けて様子を伺う。

「来たわ! 先制!」

 マリーがライフルを撃ち、レバーを軸にぐるりと回転させリロードした。回転させるたびに銃口があちこちに向く。相手は高速移動のナイフエッジだろう。命中せずとも連射していれば距離を詰められずに済む。かいくぐって詰めてきた相手には……。

「そらよっ! 風のコルト様の、自慢の一撃必中だぜ!」

 射撃音は四十五口径リボルバーがホルスターに収まるのとほぼ同時だった。相当なクイックドロウだ。見ると、ナイフエッジの顔半分がえぐれて血が吹き出していた。コルトのリボルバー口径ではハイブの頭脳、超硬度金属の塊であるカーネルは破壊できない。それでも目や耳といった感覚器官を半分失えば、さすがのハイブもたじろぐ。

 移動目標相手にクイックドロウでこの精度。通り名はどうやら伊達ではなさそうだ。その隙をマリーのライフルが捕らえた。一発で右足、レバーでぐるりと回転させたもう一発で左足が吹き飛んだ。

 そう。ハイブのカーネルを破壊できなくとも、精度のいい銃とそれを扱う腕さえあれば、動きを封じることは可能なのだ。

「ヒートスリット、排熱終了。特殊射撃戦駆動へ?」

「シフトよ。残り四体で弾薬四発! きっかり四秒で終わらせて――」

 ガン!

 突然の炸裂音はリッパーの左肩、イザナミ側からだった。強烈な衝撃で体が中に浮き、側転するような格好でリッパーはアスファルトに転げた。何が起きたのか全く解からず、ただ体中が痛んだ。

「緊急警報。超長距離射撃により左腕損傷。稼働率三十四パーセントにまで低下。ディフェンシブモードへ強制シフト」

 超長距離? ハイブ・スナイピッドのシューターは二体とも狙撃した。別で伏せていたにしても三十キロ圏内の策敵には何もかかっていない。頭部を壁に打ったらしく視界がぐらつく。

 続く二度目の着弾は自動作動のプラズマディフェンサーで相殺されたが、アンチマテリアル弾頭かそれ以上かの一撃でディフェンシブモードは終了し、イザナミが警報を繰り返す。

 更なる三発目は右、イザナギを盛大に弾いた。爆裂音と共にリッパーはその場でぐるりと一回転した。

「エマージェンシー! AFCSブレイク! サテライトリンクがキープできない!」

 ケイジからのサイレンがやかましい。速射砲がガンガンとこちらもうるさいが、相手はナイフエッジなのか砲撃音は鳴り止まない。ぐらつく視界のまま、リッパーは棒立ちになる。まるで無防備だが、相手がレーダーでさえ見えない位置で精密射撃と強力弾頭なのだから隠れるだけ無駄だ。

 どこかに隠れるにしても、コンボイのオンボロバンの装甲は紙くず程度だろうし、緊急事態だからといって追われる身で人だらけのケイジに入るわけにもいかない。

 都市スペースであるケイジにはハイブの指先さえ入れない、これは文明が半壊した荒野での唯一無二のルールだ。規模に関わらずハイブの進入はそのケイジの崩壊を意味する。限られた居住空間を砂漠にくれてやってまで生き延びる道理はない。

 敵の位置が解からないからこその不利だが、逆を言えば位置さえ解かればどうにか対処できる。まずは冷静になれ、とリッパーは自身に言い聞かせてから、左腕に怒鳴る。

「イザナミ! 状況を! 敵はどこ?」

「強制排熱……損傷甚大、ヒートスリットシステム、排熱不能。策敵範囲を広域へ。百五十キロ四方にカーネル、および、敵対反応なし。熱負荷増大、待機駆動へシフト。稼働率五十五パーセント」

 百五十キロと言えば巡航ミサイルの射程ほどだが、その範囲内にも何もないとイザナミは言う。それだけのレンジならばもうスナイピングとは呼ばない。と、空気を弾き耳をつんざく炸裂音。

 四発目、イザナミが再び撃たれ、リッパーはその場でもう一回転して倒れた。待機駆動で五十五パーセントは重症の怪我人と同等だが、イザナミが痛覚をシャットダウンしているのでリッパーにその自覚はない。それにしても、この超精度の狙撃だ。

「両腕ばかりを狙って、遊んでるの? 狙撃地点は? どこからなの!」

 冷静さをキープしようとする分だけ語気が荒くなる。対するイザナミの口調は、内容はともかくとして普段通りだった。

「不明。緊急警報。待機駆動、七パーセント。稼動域を維持できません。ヒートスリットシステム停止。排熱不能によるオーバーロード。Nデバイス、機能停止まで三十二秒」

「エマージェンシー! どこかの凄腕でこっちはオシャカのお荷物だ! リッパー! パージ(排除)してエスケイプだ!」

 パージ? イザナギの提案にリッパーは驚いて飛び上がりそうになった。どこの世界に自分の両腕を切り離す人間がいるものか。単なる腕ではない。戦友であり友人であり、そして自分でもある両腕だ。戦場で仲間を捨てろと言うのと同義だ。待機駆動のギリギリでやたらと重く、パーツとして見れば単なるお荷物だがそういう問題ではない。

 ガン! ガン! プラズマディフェンサーなしのダイレクトでイザナミとイザナギが狙撃され、ベッセルが両手から離れ、リッパーは銀色の装甲片と共に後ろに飛ばされた。待機駆動で自由の利かない両腕なので受け身を取れず、壁に背中を衝突させた。一瞬息が止まり、視界が再びぐらりと揺れる。まるで脳みそがズレたような感触だった。

「排熱不能。警戒レベル限界。稼働率を全域で維持できません。機能停止まで十九秒。駆動制御を待機から緊急へシフト。駆動系稼働率ゼロパーセント。能力維持を最優先」

「レッドアラート! リッパー! パージ&エスケイプ! それなりのタクティクスが必要だ!」

 リッパーは口をぱくぱくとさせたが声が出なかった。背中の鈍痛が過ぎ去る数秒の間に深呼吸をして喉を整えてから、だらしなく下がった両腕に怒鳴った。

「パージなんて! 出来るわけがないでしょうに! アナタたちは、あたしの……両腕なのよ! 例え話じゃなくて本物の! それを捨てて逃げろ? 無茶を言わないで!」

 でしょう? 途切れ途切れでコルトに怒鳴って尋ねた。ぼやける視界の中にコルトとマリーがいて、その周囲にハイブが立っていた。二人とも何故か銃を地面に向けている。ハイブは四体だが二人ならどうにかなるだろうに……違う、五体いる。適当な作業着姿のネイキッドが三体に半裸のナイフエッジが一体。残るは一見するとネイキッドだが、ハイブらしからぬ奇妙な雰囲気を出している。

 仕立ての良い真っ黒なスーツと真っ赤なシャツ、そしてニヤニヤした面構え。ハイブに表情がある、これが違和感の正体だ。蒼白の顔に真っ白な笑顔で下は真っ赤なシャツと黒いスーツ、最低な組み合わせだ。

「ミス・リッパー。初めまして、私は……」

 ニヤけたハイブがリッパーを見下ろして口を開いた。そこでリッパーは自分が地面に転げているのだと再認した。

「ハイブの、分際で……喋る……の?」

 自分の息が上がっていることにリッパーは驚いた。両腕に数発喰らっただけでこれほど消耗するとは予想外だった。ヒートスリットシステムの損傷により排熱不能で、腕の切れ目が真っ赤なまま熱を放っており、ここから体力が抜けているようだった。臨界駆動によるオーバーロングレンジ射撃の直後にも関わらず、両腕の排熱が完全に止まっている。

 かなりマズい状況だと遅ればせで気付き、冷静さを保とうとして危機感を押し殺していた分も疲労に回ったのだろう。ニヤけたハイブがマリーを指差す。見ると、マリーの首筋にナイフエッジの巨大なブレードが当てがわれている。いつでも殺せる、そういう意味らしい。

 ブーツに仕込んだコンバットナイフも両腕が使えなければ無意味だ。かかとに仕込んだ爆薬も同じく。つまり、文字通りのお手上げ状態だった。

 第七艦隊旗艦の艦長で、冷静さが自慢のリッパーだが、やたらと冷たい汗が頬をすっと撫でて落ちた。これは、マズい。とてもマズいと本能が警告している。地上に降りてから幾度となく死線を乗り越えてきたが、Nデバイスの、イザナミとイザナギとベッセルの能力はハイブを圧倒していた。

 だが、これと似たような感覚を一年前に感じたことがある。バランタインが強襲された、あの時だ。

 非常灯に切り替わったブリッジで、パニックになったクルーに退避命令を出しつつ状況を把握しようとしていた、あの感覚だ。指揮系統を脱出ポッドの端末に移して、非常隔壁を降ろしつつ脱出ポッドを打ち出すのを確認していた、あの感覚……。

「改めまして、私はドミナス。ドミナス・ダブルアーム、素晴らしい響きだ。それに比べて、リッパー? なんとも無愛想な名前だ。人間だと言うのに」

 オペラ歌手顔負けの大したテノールだった。そのまま場末の舞台にでも行ってしまえ、リッパーは内心で悪態をつく。冷や汗が止まらない。この状況はとんでもなくマズいと艦長が警告している。

「あだ名よ、本名じゃあ……ない。ハイブが名乗るだなんて、カーネルが……感染してるのね?」

 どうにか言い返す、やせ我慢の無理矢理だ。ハイブ・ドミナスが腕を挙げると、パン! と音がしてコルトが唸った。ネイキッドの一体がコルトのホルスターにあるリボルバーのトリガーを引いたようで、コルトの太股から血が吹き出していた。マリーが小さく悲鳴をあげる。

「解かったわよ! 二人に手を出さないで! それで要求は? 殺すのなら、とっくの昔でしょうに……ご自慢の狙撃でね」

「そう! あれは我々の自慢の一人! 彼女のお陰で厄介なNデバイスがご覧の有様だ」

 くくく、と笑うドミナスの姿勢はどこかぎこちなかった。まるで出来の悪い人形劇だ。

「失礼、本題に入りましょう。Nデバイスはアナタが所有するのにふさわしくない。我々が活用してこそ、その真価が発揮されるものです。渡してもらいます。選択肢はありませんよ? さあ、取り外しなさい」

 黒いスーツの裾をひるがえして、ドミナスは「さあ」と両手を広げたが、こちらもどこか芝居じみている。下手くそな歌劇か要領の悪い人形劇かと言ったところだ。

「ハイブがNデバイス? ……聞いても応えないのでしょうね。パージはしないわ。欲しいのならあたしを殺してからむしり取ればいい……好きにしなさいよ」

 リッパーは上体をくねらせて地面に仰向けになった。両腕がどすんと遅れて落ちる。イザナミが駆動シフトを緊急に代えたので触覚は一切なく、肩の付け根にだけ重さが感じられた。重いバックパックを背負っているような感覚だ。最低な状況にあって遮るもののない晴天は嫌味以外のなにものでもなかった。

 狙撃が何発だったか、リッパーは頭の中で指折りで数えてみた。

 オンボロバンを飛び出してまずイザナミに一発直撃。その次はプラズマディフェンサーで弾いたが、三発目がイザナギをヒットした。四発目はイザナミでその後にほぼ同時に二発を両腕に喰らった。

 合計すると六発、不吉な数字だ。たったの六発でこちらの全コンバットスキルを無効にされ、コルトとマリーを人質に取られ、見知らぬニヤけたハイブにガヤガヤと言われている。容赦ない灼熱で気が滅入り、喋ることさえ苦痛に感じる。

「アナタを殺す? いいえ。アナタが死ねばNデバイスのブラックボックスが溶解する、それくらいのことは承知です。さあ、パージを」

 頭か足に銃を仕込んでいれば良かった。そうすればこのニヤけ面に一撃くれてやれたのに、リッパーは本気でそう思った。両腕が使えなくても海兵隊の軍隊格闘、コンバットフォームならばハイブ数匹くらいはどうにでもなりそうだが、コルトとマリーが人質なのでそれも出来ない。名乗るハイブと一騎打ちならば素足で戦えなくもないが、他に四体のハイブに人質が二人では迂闊には動けない。

「……頭の固い人ですね? ミス・リッパー」

「ハイブには絶対に言われたくない科白ね。パージはしない。さあ、もう好きにしなさい」

 やれやれ、と、またも芝居じみた様子のドミナスはしばらく思案したようなポーズをしてから、右腕、イザナギを握った。

「では、強引ですが頂くことにします」

 リッパーの脇腹に磨かれた黒のウイングチップを当てて、ドミナスはイザナギを引いた。その力はハイブそのものだった。ミシミシと音を立てて肩の皮膚が弾け血飛沫が薄く散る。肩側の激痛が全身を貫き意識が遠くなるが、見開いた銀の瞳はイザナギを捉えて離さない。右腕が伸びるように遠くなって行く。

「酷い! せめてブレードで切断だとか他にあるでしょうに!」

 ナイフエッジのブレードを掴んだマリーが叫んだ。指から血が、瞳からは涙がこぼれていた。

「サンキュー、ミス・マリー。次に会ったらシューティングをトレーニングしてやる――」

「右腕さん!」

 関節からもぎ取られる鈍い音と共にイザナギは沈黙した。リッパーは限界を超えた激痛に全身汗まみれで、声も出ない。呼吸が荒く、心臓がドカドカとやかましく聞こえた。ケイジのサイレンがそこに重なり、リッパーの五感はかく乱されっぱなしだった。サイレンを鳴らすくらいならシェリフでもアーミーでも何でもいいから助力してくれればいいのにと思ったが、恐らくコルトとマリーと自分が人質になっているので出て来れないのだろうと思うことにした。そうでもなければやってられない。

「案外とモロい、所詮は人間ですか」

 言いつつドミナスはぐるりと歩き、左腕を握った。リッパーは全身の血が冷めたような気がした。またあの激痛が、と想像すると意識が消えそうになる。

「稼働率ゼロパーセント、排熱不能により機能停止。一旦さようなら、マスター。N-AMI、全回路閉鎖――」

 ゴキリという音にコルトは顔を背けた。両腕を根元から失ったリッパーは顎から地面に激突した。鉄に似た血の味と意識は残っているが、だからどうしたと思った。人質のコルトとマリー、そして自分。順番は知らないがドミナスだとか名乗ったハイブが全員を始末することに変わりはない。対してこちらには戦闘力どころか武器も、片腕さえもない。

「さて、用事はこれまでです、ミス・リッパー。お話でもしたいところでしたが、こちらもそれなりに忙しいもので」

 ドミナスがリッパーの頭部をつかみ、ぐっと力を入れた。まるで万力だ。頭蓋骨が割れそうで、そのままひねれば首から上は容易く千切れるに違いない。コルトが怒声を上げ、マリーが涙で訴えるが、ドミナスの腕はゆっくりと頭部を右回転させる動作を止めない。ケイジからの助け舟の気配はない。

 地上に落ちてから短くはない旅だったが、それもどうやらここまでらしい。そう思うと激痛が和らいだ気がした。バランタインからの脱出ポッドではずっとパニックだったが、その経験が生かされているのか、頭は恐ろしいほどクリアだった。地上での新たな戦友、イザナミとイザナギには言葉をかけられなかった。せめてコルトとマリーには最後の挨拶をしておこうと妙に冷静に思い付いた。

「短い……付き合いだったけれど、楽しかった……わよ」

 搾り出した掠れ声が二人に届いたかどうかは解からないが、言いたいことは言った。後はこの頭がねじ切られるだけ……。

「待てぇーい!」

 突然大声が響き、ケイジのサイレンとドミナスの腕が止まった。

 聞き覚えのない……いや、ある。どこかで聞いた声だ。

 残った力で仰向けになると、コルトとマリー、そしてハイブ連中がケイジの鉄壁から突き出た速射砲の先端を見ていた。リッパーからは逆光でシルエットしか解からない。

「力無き者をいたぶるは悪! 悪を滅するは善! 善はすなわち我! 我は雷{いかずち}! 合成人間! 生物の掟から外れし者どもよ! 自らを悪たらしめる貴様らに雷の裁きが今、下る!」

 ドミナスよりも遥かに低く通る声は、いきなり速射砲から飛んだ。

「ほぁっ! 落雷すり鉢蹴り!」

 着地地点、マリーを羽交い絞めにしていたハイブ・ナイフエッジが、上空から高速回転落下してきた男の蹴り足でペーストになって飛び散った。ナイフエッジの残骸の上で四回転ほどして、男はぴたりと止まった。

 大柄の白い着衣はどこかの民族衣装のように見え、真っ黒な髪とサングラスの顔付きはコルトの数倍鋭い。まるで目鼻のあるナイフだ。静止した男は胸の前で腕を組み、サングラスの奥から視線をドミナスに突き刺している。

「何者かは知らないが、邪魔者は……排除しろ!」

 ドミナスの怒り声で三体のハイブ・ネイキッドが男を囲んだ。ハイブ三体にかかれば人間など二秒と持たずに悲惨なボロ雑巾となる。リッパーは思わず顔を背けた。

「旧式の合成人間を寄せ集めて、我にかなうと思うなかれ!」

 男の声に向き直り、三方向に飛ばされたハイブを見たリッパーは痛みも疲労も忘れて驚いた。見る限り白装束の男は丸腰だった。つまり、素手でハイブと戦っている。いや、ハイブが飛ばされている。男のほうが圧倒的で戦闘にすらなっていない。

 ハイブに対して格闘戦を挑んだ人間が有史以来、何人いるだろうか。リッパーは、人生で初めて素手でハイブと戦う人間を見た。

「お前は! サイボーグか!」

 ドミナスがリッパーを代弁した。戦闘用サイバネティックスならばハイブを上回る蹴りも拳もどうにか納得出来る。と思ったが違う。サングラス男によって飛ばされた三体のネイキッドは立ち上がり、一拍置いて三つの頭部が破裂した。カーネルの爆発なのか、内部からプラズマ光が突き出たように見えた。時限装置だろうか?

「雷鳴八十八連拳!」

 仮に男がサイボーグだったとしても先の破裂とは無関係だ。サイバネティックアームのパンチでは内部からの破裂など発生しないし、時限爆弾を埋め込んだ風でもなかった。驚きのさなか、白装束の男はあっという間に四体のハイブを倒し、残すはドミナスのみとなった。

 ドミナス、このハイブの能力は未知数だが、速射砲から舞い降りた男にとってはお構いなしのようで、再び太い腕を組み視線を飛ばしている。

「サイボーグ! 名を名乗れ!」

「聞いてどうする? 合成人間よ?」

「私はドミナス! ドミナス・ダブルアームだ! ただのハイブではない!」

 ドン! 激しい閃光と同時の低い射撃音は耳慣れたベッセルに似ていたが、リッパーのベッセルは二挺とも地面、距離を遠くに位置している。ドミナスはハンドガンを扱うタイプのハイブらしいと推測した。射撃音から想定される大口径であろう弾丸を喰らえばフルサイバネティックスでも大ダメージだ。唐突に現れた白装束の男が地面に倒れている姿が……ない。

「名乗れと言っておいてそうくるとは、いかにも合成人間らしい」

 ドミナスの真正面でくるくる回っているのは撃たれた男ではなく、オンボロバンのドアだった。男は着弾音から横に数歩の位置に立っていた。構えるでもなく胸の前で腕を組んで、サングラス越しでも解るほどの鋭い眼光のままだ。

「雷電変わり身の構え。我に射撃は無意味なり!」

「この! サイボーグめ!」

「否{いな}! 我はサイボーグにあらず! 貴様、ドミナスと言ったか? ならば応えよう。我は人。人は我を……シノビと呼ぶ! 雷(いかずち)のシノビファイター、ダイゾウ! ここに雷参(らいさん)!」

 シノビ! リッパーの脳裏に酒場の掲示板のペーパーレターにあったメモが浮かんだ。オズの居場所を知らせるらしき座標と共にあった「忍」という古代文字。差出人はこの、ダイゾウという男だ! どうやら味方らしい、とここで肝心な、致命的なことを思い出した。

「ミスター・シノビ! ス、ナイパー!」

 イザナギとイザナミの回路の一部は喉の横を通っている。引きちぎられた際にそこを損傷したらしく、リッパーは咳き込んで吐血した。そもそもこの戦況を一変させた謎の狙撃、あれを伝えなければシノビを名乗る男はリッパーの二の舞になってしまう。

「リッパー、今は休め。全て我に委ねよ」

 シノビの男は低い声でビシリと言い放った。問答無用、とも聞こえたがどこか優しく、そして頼もしかった。

「ははっ! 今、シノビと言ったか? お前が、あの方の言う例のシノビか? お前のシールドは大したものだが、耐えられるか! Nデバイスのプラズマディフェンサーさえ無効にする、この!」

 バシン! 再び激しい閃光が辺りを照らし炸裂音が響いた。しかしイザナミのプラズマディフェンサーではない。ましてや艦載のリフレクターやバリアフィールドでもない。着弾音と同時に閃光が走るがタイミングが知る範囲の光学防御システムの類とは全く違う。

 それに、着弾地点には白装束の大男ではなくコンボイのオンボロバンのハッチが大穴を空けて、くるくると踊っている。

「雷電変わり身の構えに射撃は無意味! 既に忘れたか? 合成人間よ!」

「……圧倒的だ」

 太股の銃創を押さえているコルトが呟いた。すると、シノビ男はコルトをちらりと見て、ちちちと舌を鳴らした。

「青年よ。悪意ある力は無力、善意ある力は無限。合成人間に善なくば力もまた無しと知れ」

 シノビ男の戦闘(防御?)能力に対する驚きなのか、単にハイブらしい機械的反応なのか、ドミナスは一転して無言。数秒が流れ、再びドミナスが口を開くと、その調子は登場したときのあの礼儀を纏ったフリをした高圧的なトーン、テンションに戻っていた。その瞬時の切り替えも機械的で、そして気色が悪い。

「ミス・リッパー、そしてシノビの男。たった今、予定の一部が変更されました。アナタ方に会いたいというお方がいらっしゃるので、その期待に応えて頂きたい。お二人との決着はその時までお預けということです。束の間ながら命を拾った感想も、次に聞かせて頂くとしましょうか。それでは、そう遠くない又の機会まで、御機嫌よう」

 言い終り、一拍置いて、ドミナスは消えた。消えた? ダメージで視界が鈍いからなのか、少なくともリッパーからは文字通り消えたように見えた。突然、視覚域から存在がなくなった。それが錯覚なのかどうかを判断する体力は残念ながら残っていないが、知らず安堵の溜息が漏れるのも事実だった。

 周囲の気配を頼りない視野で改めて確認する。ドミナスや他のハイブの気配もない、完全に消えた。絶体絶命の局面、とりあえずの危機は去ったようだ。半分閉じた視界の隅でライフル片手のマリーが腰を落とすのが見えると、リッパーも緊張が完全に解けた。途端、全身に激痛が走って吐血した。荒々しく損傷した両腕付け根のマシンアームコネクター部。血と肉も混じる生々しい断面が焼けるようで、まともに息が出来ない。限界を超えているのでもはや悲鳴すら出ない。

「リッパー! 生きてる?」

 叫ぶマリーに向けて口元をニヤリと上げて返事代わりにした。生きてはいるが今にも死にそうな気分だった。

「待ってて! すぐにケイジのラボに運ぶから! ……こ、腰が抜けて、コルト! お願い!」

 マリーの声色は弾んだり沈んだりと忙しい。リッパー同様、極度の緊張状態にあったようで、しどろもどろだ。

「ヘイ! リッパーの両腕がないぞ!」

 右足を引きずりながらコルトが大声を上げた。マリーに比べるとコルトは健在といったところだった。右足の銃創は致命傷ではないようで、押さえてはいるが声色に疲労は聞き取れない。

「奴、ドミナスとか言ったか? 持ち去りやがった!」

「構わぬ。主(あるじ)のないN装備など捨て置け」

 ドミナスの捨て科白前後から無言だったシノビの男が、軽く吐き捨てた。イザナミとイザナギに対してそんな言い方はあんまりだと抗議したかったが、キャパを越えた痛みで意識が遠くなったので無理だった。

 命の恩人のシノビ男、名前は確かダイゾウだったか。その男にリッパーはひょいと持ち上げられ、肩に担がれた。まるでガラクタ扱いだが抗議する前に意識が途切れた。

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