8.誰にも止められない

 辺りに金属音が響き渡る。


 どこか薄暗い森の、少し開けた場所。


 そこには赤い瞳の巨人がいた。


 その赤い瞳は女を見下ろし、手に持った大剣を振り下ろす。


 唸りを上げて迫るそれを、女は剣を寝かせて受け流した。


 巨人は即座に大剣を戻し、横薙ぎに振るう。


 そしてまた、女が受け流す。


 巨人の大剣と女の剣が幾度も閃き、金属音を響かせる。


 その音は途切れることなく、まるで一つの音のように鳴り続けた。


 一見互角に見える攻防。しかし、その内情は違う。


 女の顔が苦く歪んでいた。


 巨人の圧倒的な剣速と力を前に、反撃は許されない。まるで棒切れか何かのように振るわれる大剣――その間合いの内側に入る事も、間合いを切る事さえも出来ずにいる。


 踏み込めば遠ざかり、下がれば詰められる。常に相手の大剣が自身に届き、女の剣は――決して届かない。

 ただ迫る剣を受け流し、次に備え、また受け流す。


 もう何度目かも分からない、終わりの見えない攻防。


「おね……ちゃん、逃げ、て」


 女の後ろで、血を流した少女が呻くように声を出した。


 確かに少女を見捨てるのならば、逃げ切ることは不可能ではない。だがしかし、自身の妹を見捨てる選択肢は存在しない。


 止まない攻防の中、女は巨人を見据えた。


 ゆうに3メートルを超える巨体。青白い体毛と肌に、豚頭。そして赤い瞳。その容姿は明らかに異常だった。通常のオークとも、その上位種とも違う。


 青白い体色のオークなど、聞いたことがなかった。


 そして何よりも異常なのは、その赤い瞳。


 それは上位の魔物や魔族に現れる特徴だった。


 ――だが、そんなことは関係ない。


 ここで死ねば大切な妹も殺される。今はそれを全力で阻止する。ただそれだけだ。


 なおも続く連撃を捌き続け、突破口を探る。


 しかし、その時。


 キィンと、鋭い金属音が響いた。


「――ッ!!」


 女の剣が半ばで折れ、飛んでいく。


 その剣は魔力と神聖魔法で強化されていた。しかし巨人の圧倒的な膂力に、とうとう耐えきれなくなったようだ。


 そして、巨人の大剣が振り下ろされる。


 女はそれを眺めながら、自身の死を悟った。


 ――実に呆気ない。私はこんな所で終わってしまうのか。


 次々と走馬灯のように、これまでの出来事が脳裏に浮かぶ。そして最後には妹の笑顔が浮かんだ。


 そして、大剣が迫り、――衝撃が襲う。


 女は空中に投げ出されていた。その身体に傷はない。


「――え?」


 あわてて受身をとり、巨人の方へ目を向ける。


 そこには黒髪の少女がいた。


 なんの前触れもなく現れた少女は、あの巨人の大剣を受け流すことなく、正面から受け止めている。それも――片手だけで。


 彼女はいったい――


「……ぼ、ぼぼ、冒険者アイリ、た、ただいま参上……!」


 彼女はプルプル震えて、そう言った。




 ──────────




「うりゃあああッ!」


 私は大剣を力ずくで押し返して距離をとる。


 ――間一髪だった。ナイス自分……!


 でもギリギリ過ぎてお姉さんを突き飛ばしてしまった。


 ちらりとお姉さんを見るが、怪我をした様子も怒っている様子もない。よかった。


 それにしても、あの巨人はやばい。まじで押しつぶされるかと思った。


 突然現れた私を睨む、豚みたいな顔の巨人。おそらくオークだろう。オークに関する資料は詳しく読んでいないけれど、多分あっているはず。


 確か等級はEだ。ゴブリンより一つ上。にもかかわらず、伝わってくるオーラは、ゴブリンより数段は上に感じる。


「お姉さんはその子を連れて逃げてください……」


「で、でも――」


「大丈夫です。心配はいりません。この程度、たとえ両手が封じられていても倒せますよ」


「ッ! ……感謝する」 


 そう言って、お姉さんは血を流す女の子を抱えて走っていった。


 オークに目を向ける。


 それにしても、オークって……めっちゃブサイクだな。豚は可愛いのにそれが人型になると気持ち悪くて、おぞましい。


 そう思った瞬間、オークの圧が増した。


 う、なんだ!? ……もしやエスパーか!?


 やばい、めっちゃ睨まれてるコワイ。

 オークの圧で周りの空間が歪んでいる……気がする。


「だ、大丈夫、大丈夫。怖くない怖くない。そ、それに、い、いざとなれば逃げればいいんだ」


 自分に言い聞かせるように呟き、剣を構える。


 オークは私を観察するような目を向けたまま、攻撃を仕掛けてこない。ならば、――先手必勝っ!


 私は一瞬で肉薄した。


 それに合わせてオークが動き出すが、時すでに遅し。


 ここは大剣の間合いの内側。


 ――そう、私の剣の間合いだ。


 その勢いのまま剣先をオークに向ける。それは無防備なオークのお腹に突き刺さった。


「アイリ流奥義、先手ひ……て、あれ」


 剣が少し刺さったところで止まっていた。


 ――ふむ。どうやら防御力が高いらしい。


 大剣から手を離し、振るわれた拳が迫る。


 私はとっさに剣で防いで、吹き飛ばされた。


 その勢いのまま宙を滑り、背後の木にぶつかる。


「かはッ――」


 血を吐きつつも、オークから視線は離さない。


 オークは振り上げた拳を、ゆったりとした動作で下ろした。


 どうやら追撃はこないようだ。


 私は木の倒れる音を聞きながら立ち上がった。


 オークが大剣を担ぎ、歩いて近づいてくる。ブサイクな顔には汚い笑みが張り付いていた。


「くっ……」


 全身の痛みに耐え、口から流れる血を拭う。


 右手を見ると、剣が砕けていた。それを捨てて、背負ったもう片方の剣を抜く。


 そして、オークを見据える。


 体重差はあるが、力はほぼ互角。剣速は相手が上。もちろん防御力も相手が上だ。


 だがしかし、速さは私がまさっている。


 ――まだ、いける。


 私は全力で魔力を練り上げる。


 オークを貫く力を。そして、さらなる速さを。


 練った魔力を、全身に巡らせる。


 有り余った魔力が身体から溢れ出し、陽炎のように揺らめく。


 すると痛みが引いていき、代わりに感覚が冴えるのを感じた。


 そして今までに感じたことのない高揚が、脳を支配していく。その感覚に、思わず口の端を吊り上げた。


「――ふふふ、これが最高にハイッてやつかあ!」


 私の変化に、オークが歩みを止めた。先程までの余裕そうな表情はそこにはない。代わりに、その赤く光る瞳には警戒の色が窺えた。


 策を講じるまでもなく、勝利を確信する。


「――覚悟は出来たかな、オークさん?」


 私は微笑みを崩さずに問いかけるが、答えは返ってこない。


 沈黙の中。オークは大剣を構え、私は身をかがめる。


 そして――駆けた。


 一歩で加速し、地面が割れる。


 ――圧倒的スピード。


 自身の知覚すら振り切ったスピードに、オークは反応出来ない。――――私も反応できない。


「はぇ――?」


 弾丸のように飛び上がった私はもう――誰にも止められない。


 そしてオークの驚愕する顔を捉えた、その時。


「――ぅむっ!?」


 オークと唇が重なり、その勢いのまま顔がめり込んでいく。


 ――い、いやああぁぁああああああああッ!!


 それでも勢いは収まらず、オークと一緒になって吹き飛んだ。


 木々をなぎ倒す音が連続して響く。


 森の中を進み、しばらくして止まった。


 折り重なって倒れるオークの体が、ピクピクと痙攣している。


 ……く、くるしい。……息ができない。


 めり込んだ顔を引き抜こうとするが、身体が言うことを聞いてくれない。


 段々と意識が遠のいていく。


 このままだと窒息死してしまう……!


 オークの顔にめり込んで窒息死……。


 ……そんな、かっこわるい死に方、……私は、みとめ、ない……認めない、ぞ…………。


 そうして、意識を失った。

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