6.アイリ流抜刀術奥義

「待ちたまえ、そこのお嬢さん」


 後ろを振り返ると、無駄にカラフルな装備を身にまとう、二十代半ば程の美男がいた。


「君みたいな可憐な少女が、危険な冒険者になろうというのかね……なんとも嘆かわしい」


 その男は片方の手を額に当て、天を仰ぎ、目を細める。鷹揚な……いや、芝居がかったかのように大仰な動作。舞台俳優もびっくりな、わざとらしい動きだ。


 今度はキザったらしく前髪をかきあげて、こちらに目を向けてきた。こっち見んな!


「そうだな、良ければ私が冒険者について手取り足取り、色々と教えてあげようではないか。――そう、色々とね?」


 そう言って微笑み、整った顔を怪しく歪めた。


 おお、ちょっとヤバそうな奴に絡まれてしまったな。どうしよう。


 悩んだ結果、私は回れ右して出口に向かった。


「ちょ、ちょっと待ちたまえ! 無視とは酷いじゃないか! この私の教えを乞うことが出来るのだぞ!」


 一瞬で目の前に回り込まれた。めんどくさいな。


「どなたか知りませんが結構です」


「この私を知らないだと? いいだろう自己紹介といこうか。私はC級のフロリアン。そう、あのフロリアンだ……!」


 どのフロリアンだよ。


「いや、知らないです」


「なん……だと……? この私を知らないとは……くくく、面白いやつだ。気に入った……!」


 気に入られてしまった。

 どこに気に入る要素があったのだろうか。


 助けを求めて周りを見渡してみると、こちらを見て話している冒険者が何人かいた。耳をすませる。


「あのフロリアンに目をつけられるとは……ついてねぇな」


「あの子おわったわ」 


「おい、助けてやれよ」


「嫌だよ、前に割って入ったやつがどうなったか知ってるだろ?」


 このフロリアンさんは有名人らしい。

 次に私は、さっきの受付係のお姉さんに目を向ける。


 目をそらされた。……クソが!


 くっ、これは自力で頑張るしかないらしい。


「迷惑です。そこをどいてください」


「なに、照れなくてもいいのだよ」


「照れてないですよ!」


「さあ、行こうか」


「行きませんよ!」


 こちらに手を差し出してきたので、ベチンと叩いて振り払う。


「ッ! こ、この私に向かって手を上げるとは……どうやら躾が必要なようだな……!」


 彼は話の通じないタイプのようだ。凄まじい同族嫌悪で思考が満たされていく。殴ってやろうか!


 フロリアンは私を見据えて、腰の細剣に手をかける。


 頭に血が上り始めていた私は、それに応じて、背負った二本のロングソードに手をかけた。そして結構まずい状況だと気付く。


 こ、殺されないよね、大丈夫だよね?


 始めて剣の柄に触れたことによる緊張。そして場の緊迫する空気に、血の気が引いていく。


 足がガクガクと震え始めた。


「くくく、どうした。震えているぞ」


「ふふふ、いい目をしていますね。この超絶微細なステップに気が付くとは。これはいつでも相手の動きに反応できるように、あえて震わせているんです」


 錯覚だろうか。フロリアンの身体が淡く光を放っているように見える。

 直感が魔力だと告げてくる。


 フロリアンが動くのが分かった。

 その瞬間。


「ギルド内での戦闘は禁止ですよ」

 

 さっきの受付係のお姉さんが割って入ってくれた。お姉さんの怜悧な眼差しが私達を順に射抜く。


 お、おおお! お姉さん! ありがとう!

 見捨てられたのかと思ったよ!

 さっきはクソとか思ってすみません!


 ふう、助かった。あとはお姉さんに任せて、私は退散するとしよう。グッバイ、いかれた剣士さん。


「――こういうことは外の訓練場でお願いします」


 …………は?


「ああ、すまない。では行くぞ」


 そして私は訓練場に連れていかれた。




 ──────────




 訓練場に人集りができていた。


 その中心では、私とフロリアンが向かい合っている。どうしてこうなった。


「覚悟はできたかな、お嬢さん?」


 刃を潰した模擬剣に手を添えて、こちらに微笑みかけてくる。


 一体なんの覚悟だろう。


 フロリアンは模擬剣を使ってくれるらしいので、私が死ぬことはない……たぶん。


 耳をすませば、集まった野次馬の会話が聞こえてくる。どうやら皆で賭けをしているらしい。完全に楽しんでいるようだ。

 その中には受付係のお姉さんも、もちろんいた……クソが!


 いや、中には私を心配してくれている人もいるみたいだ。


「また犠牲者が出るのか……可哀想に」


「あのロリコン野郎め……」


 ん? いまロリコンって言った?


 まあいい。とりあえずこのよく分からないイベントを乗り越えよう。


「準備はいいか? では――始め!!」


 賭けを仕切っていたおっさんの合図で、試合が始まった。


 心の準備は整っていないけれど、やるしかない。


 短く息を吐いて、視線はフロリアンに向けた。無駄にカラフルな装備のせいで目がチカチカする。


 私はとりあえず、背負ったロングソードに手をかける。


 フロリアンは剣を上段に構え――消えた。


「ッ!?」


 ――いや、消えたと錯覚するような速さで動いたのか。(適当)


 私は大きく後ろに跳んだ。


 次の瞬間、フロリアンが現れ、私の首があった場所に剣が振るわれた。


 っべー! あれに当たったら普通に死にそうなんだけど!


「くくく、今ので大体の実力が分かった」


「こ、殺す気ですか!?」


「くくく、そんな簡単なことはしないさ。これは躾なのだから、なッ!」


 フロリアンが一瞬で間合いを詰めてくる。


 ――さっきよりも速い!?


 私はとっさに回避行動をとろうとしたが、すでにそこは、フロリアンの剣の間合いだった。


 ――殺られる!


 しかしフロリアンは剣を振らずに、さらに間合いを詰めた。


 顔と顔がぶつかるほどの距離。


 そこは――キスの間合い。


「でたぞッ! フロリアンの奥義、強制キッスだッ!!」


 ――ヤられる!?


 嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ!!


 私は足に力を込め、本気の回避行動をとる。すると足に力が集まる感覚があった。


「間に合えぇえええあああああああああ!!」


 強制キッスを間一髪で避け、そのまま横に転がり距離をとる。


「ほう、身体強化が使えたか」


「――なんてことするんですか!」


「何って、接吻だが」


 そう言って不思議そうな顔をした。


 よし、殺そう。こいつは死刑だ。 


 私はフロリアンを睨みながら、剣を抜こうとして、――その途中で手が止まった。


 あ、あれ? 鞘から、剣が、抜けない……!


「くくく、実に面白い。君の背丈で、その長さの剣を背負って抜ける訳がないだろう」


 そう言いながら、フロリアンが歩いて間合いを詰めてくる。


 まずい。今まで剣を抜く機会がなかったから、気付けなかった。

 某、黒の剣士ことSA〇のキリットスタイルで、剣を二振り、背負っている。

 彼が片手剣なのに対して、私はロングソード、長剣なわけだ。これを背中の鞘から抜こうと思えば、私の腕の長さだと、あと倍くらいは必要かもしれない。


「こ、これは抜けないのではなく、まだ抜いていないだけ、ですよ」


 もちろん嘘だ。


「フロリアンさんは抜刀術を知らないのですか……?」


 そう言って私は不敵に微笑えんだ。

 引きつった笑みになってしまった。


「ほう、抜刀術か。目にしたことはないが、知ってはいるさ。でもそれはどう考えても、物理的に抜けないだろう?」


 その通り……!


「ふふふ、私の抜刀術は、それを可能とする。それは私の間合いに入った瞬間、分かることです。……試してみますか?」


「くくく、おもしろいッ!」


 フロリアンが歩みを止め、剣を上段に構えた。


 私はそれを見据え、思考を巡らせる。


 剣帯で鞘を背中に固定したせいで、どうやっても抜けそうにない。帯を外す時間もない。


 ……いや、まてよ。私にはチート魔法、アイテムボックスがあるではないか! 一旦収納して出せばいい!


 ふふふ。よし、あとはフロリアンの速さに対応する手段だ。


 そういえば、さっき『身体強化がつかえたか』とか言っていたな。


 もしかしたら、回避の時に感じた力。あれが魔力かもしれない。それを知覚し、全身に巡らせる。――出来る!


 この一瞬ですぐに良い考えが浮かんだ。

 私は追い込まれれば、驚異の頭脳を発揮するらしい。


 息を吸って吐いた。ただ呼吸をひとつ。それだけで体内の魔力を認識できた。背負った二振りの長剣のうち、片方の柄に手を添える。


「くくく、強制キッスはなしだ。私の本気の剣を見せてやろうッ!」


 次の瞬間、フロリアンの姿がブレた。


 しかし、その姿は捉えている。


 時間の流れが緩やかになるのを感じた。


 脳の処理速度が加速し、音が消え、視界から色が消える。


 時間が引き延ばされ、緩やかになった時の中。


 どこか他人事のようにフロリアンを見据えつつ、私はアイテムボックスを発動させた。




 ──────────




 フロリアンは魔力で身体強化し、一気にアイリとの間合いを詰めた。


 常人の目では、決して追えない速度。


 しかし、素人であるはずの彼女の双眸は、フロリアンを見据えていた。


 その事実に驚嘆しつつも、さらに加速し間合いをつめる。


 ここでようやく、アイリが動き出した。


 アイリの何も握られていない手が、フロリアンに差し出される。


 なんの意味もない行為。


 フロリアンはそれを警戒しつつも、自身の間合いに入ったアイリに向けて、剣を振り下ろそうと魔力を込めた、その瞬間。


「――ここは私の間合いですよ」


 アイリの差し出された手には、いつの間にか剣が握られていた。


 その剣は既に、フロリアンの腹を貫いている。


「――は? がはッ」


「アイリ流抜刀術奥義『剣が遅れて現れるよ』」


 アイリの声が響き、フロリアンの顔が歪む。


 警戒はしていた。していたはずだ。


 しかし、その剣の軌道が全く見えなかった。


 それどころか、いつ剣を抜いたのかさえ分からなかった。


 それはまるで、剣が遅れて現れたかのような――絶技。


「……くくく、これが抜刀術、か」


「ええ、これが抜刀術です」


 アイリの勝利で試合が終わった。

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