第30話 真夜中の追撃戦


「そうですか」


 ここまで来たら流れに身を任せるしかない。

 俺は意を決して隣の建物に飛び移った。無論そのまま立ち止まるなんてことはなく、どんどんと勢いをつけながら次の建物へと進んでいく。


 ここが建物の密集している王都じゃなければこんな芸当は出来ないのだから自分は今貴重な体験をしているのだと思うことにした。


 「まさか生きているうちに屋根飛び泥棒みたいなことをするとは思いませんでしたよ」


 「そうかね」


 「こっちは冒険家でもなければただの公僕ですからね」


 「はは、君もこんな状況でよくそんなことが言えるな」


 「もう、悩んでいる暇なんてないでしょ」


 「そうだね」


 こんな会話をしながらも俺達は夜の町中を飛んでいく。時には通りを飛び越えなければならないこともあって生きた心地がしなかった。しかも――


 「おっと、止まった方がいいぞ」


 そう言われて俺は慌てて急停止する。すると俺が一歩踏み出そうとした屋根にナイフが突き刺さり、周囲に電撃が走る。相手に致命傷を与えない範囲で動きを止める魔法〈雷投刃〉だ。

  

まるで何もない風に装って軽口を言いあってる間にも追撃は止まず、ひっきりなしにこういった攻撃が飛んでくる。


 ヴォルフさんが逃げつつも、奴らの攻撃を防いでいるからこそ俺も逃げられているが、俺一人だったらとっくにやられているだろう。

 

振り返れば建物一つ分の離れた所に三人はいた。最初はもっと距離があったから少しずつその差を詰められている。


 だが、そんなことにおびえている場合じゃない。

 俺は相手の攻撃を躱したのを確認してからまた飛んだ。

 もう、ずいぶんと長い事こんな追いかけっこをしている気がする。


 最初の下宿先からかなり離れたところにまで来ている。ジグザグに進んだから屋根の上を伝ってこれたが、ここから先は背の高い建物の数も減ってくる。そろそろこんなことも出来なくなってくるだろう。


 だが、そう思っていたのは向こうも同じだったらしく、しびれを切らしたのか次の建物に俺が飛んだところで決着をつけるべく攻撃を仕掛けてきた。「危ない!」というヴォルフさんの声と共に横に突き飛ばされてなければ俺は攻撃を受けていただろう。


飛ばされた勢いで屋根の上を転がった俺は危うく落ちそうになったほどだ。身体強化魔法をかけているとはいえ、この高さから落ちたらと思うと恐怖はぬぐえない。


 振り返ればヴォルフさんの左腕に鎖が巻き付いていた。しかもただの鎖ではなく時折電気が流れているのがわかる。鎖は追手が突き出した右手の手のひらから伸びている。


 〈雷縛鎖〉、ランドルフ王子が模擬戦で見せた〈砂縛網〉と同じように相手を拘束する魔法だが、ただ動きを止めることに特化した〈砂縛網〉と違い、電気を帯びたこちらは相手を束縛しつつダメージを負わせることを目的としている。威力を上げれば相手を気絶させることも容易だ。本来なら凶悪犯と対峙した警邏隊が用いる捕縛用の魔法で、その中でも使用に制限のかかっているものだ。

 

さらに、相手はヴォルフさんを警戒してかもう一人も〈雷縛鎖〉を使いヴォルフさんの右腕も拘束した。


 「グッ!」


すさまじい電撃が鎖を伝わっているのが見える。あのヴォルフさんが苦悶の表情を見せているなんて……


ついにヴォルフさんは攻撃に耐えきれなくなってしまったのか、膝をついてしまう。

そのことを確認した最後の一人は茫然とその様子を見ていた俺の方へ向かうべく、ヴォルフさんを鎖で抑えている二人を飛び越えて頭上よりこちらに接近しようとした。


「フッ、甘いな」


ヴォルフさんが隣でそうつぶやくのが聞こえた。


なんとヴォルフさんは立ち上がったと思うと、両手で鎖を掴み思い切り上に放り投げた。

当然、魔法を発動していた二人の追手の体も鎖と共に宙に浮いた。そしてその二人を飛び越えようとした最後の一人と空中で派手にぶつかった。


その様子を確認すると、おもむろに右手を挙げたヴォルフさんは素早く手刃で二つの鎖を切断すると、もみ合いながら自由落下を始めた三人の追手に対し口を開くと強烈な衝撃波を放った。


〈口砲撃〉と呼ばれる攻撃魔法の一種で、口からまるで竜を思わせる強烈な風のブレスを撃ちだすというものだ。


(まさか、現実で見られるとは……)

 

放たれた衝撃波は三人を直撃し、大きく後方に吹っ飛ばされ建物の屋根から落ちて行った。


 「……死にました?」


 「まぁ、たぶん生きているだろう。あいつらもプロのようだし、加減はした」


 「それなら良いでしょうけど……」


 特にする必要もないのについ追手の心配をしてしまった。それくらい衝撃的な一撃だった。


 「さて、これで追手については一安心だが……立てるかね?」


 俺は突き飛ばされてからずっと座ったままだった。


 「……無理みたいです」


 どうやらさっきまでは無我夢中だったから出来たことだったようで、急に現実が見えてきたら腰を抜かして動けなくなってしまった。ただの倉庫番である俺に一連の出来事は身体が追い付かない。


 五分後、そこにはヴォルフさんに背負われて移動する情けない俺がいた。

 何も出来ずに運ばれること数分。俺達は町の中心地から外れた川沿いに来ていた。


 「そろそろ歩けるかね」


 「もう平気ですよ」


 そう言って俺はヴォルフさんの背中から降りた。


 「ところで隠れ家ってどこなんです?」


 あたりを見るが、川以外には特に何もない。せいぜいが下水に降りるためのマンホール――


 「もしかしてそこですか」


 なんとなーく答えが分かりながらもマンホールを指さした。


 「正解だよライナス君」


 そう言うと、普通は開かないはずのマンホールを外しながら「ニヤリッ」とした笑みを浮かべヴォルフさんは言った。

 かくして俺は人生初、下水に降りることになった。



 下水道はこの国が建国されたすぐ後に造られ、それ以降街の広がりに合わせて増築を繰り返しながらも八百年以上も前のものが壊れずに使われ続けている。


 「どこまで行くんです?」


 下水道にある点検用の道を歩きながらヴォルフさんに聞いた。かれこれ十分は歩いているように思える。


 「もう少しだよ」


 そういうって振り返るヴォルフさんは〈発光〉の魔法で光らせている右手をヒラヒラさせながらそう返した。。


 「それさっきも言ってません?」


 「そうかね?」


 「……もう良いですよ」


 これ以上言っても疲れるし、俺は黙って歩くことにした。

 すると、今度はヴォルフさんが口を開いた。


 「ところでライナス君」


 「なんです?」


 「何故君が襲われたかわかるかい?」


 「……推測の域を出ませんがおそらく」


 「彼らの正体も?」


 「……はい」


 「くっくっく……」


 「何がおかしいんです?」


 「別におかしくない。ただ君はやっぱり優秀だなと」


 「そんなこと、ないですよ。」


 そうだ、もし俺が本当に優秀ならこんなことにはならなかった。

 もっと早く、こうした事態になる可能性を考えていれば――いや、こんな事は起きるわけないと楽観視してたから――


 「俺は忘れていただけで、何の役にも立ってないです」


 「そんなことはないだろう? 現に私の役には立っている。君のおかげで姫様の居場所も見当がついていることだしな」


 「……いつからです?」


 「何がかね?」

 

 「いつからランドルフ王子が怪しいということが分かっていたのですか?」


 俺がそう言うと、ピタリとヴォルフさんは歩みを止めてこちらを見た。


 「すぐに気づくべきでした。アカデミーにいた時と駐屯地にいた時でヴォルフさんの態度はまるっきり違ってました。最初は、模擬戦の様子を見ていたから冒険家として、戦いの趨勢を見ているうちにああいう表情をしていたのだと思いましたが、さっき追手と戦っている時にも同じ顔をしていました」


 俺はヴォルフさんの顔を見た。


 「あれは、戦いを見る人の顔じゃなくて、敵を見るときの顔です。あの時にはもうわかっていたのでしょう? ランドルフ王子が事件に関わっていることが……」


 「君はいつから気づいていたのだ」


 「俺ですか? ついさっきですよ。笑っちゃいますよね、今まで大事なことをずっと、ずっと忘れていたのですから」


 俺はヴォルフさんの顔をまっすぐ見れず、目をそらした。


 「でも、考えてみればわかることです。マーサ王女もランドルフ王子もおそらく目指している点は一緒のはずです。でも、マーサ王女と違ってランドルフ様は大胆に、かつすぐに行動を起こしたのだからこうなったのでしょう」


 「ではどうしてマーサ様ではないと?」


 「マーサ王女の真意は分かりかねますから、正確なことはわかりません。ただあのお方はこうした手段を好まれないことを知っています。だからこそ強引なアカデミー改革に舵を切ったのでしょう。ランドルフ王子も失敗した時のことを見越してその準備は行っていた。でも、王子にとってそれでは遅いと感じられた」


 そこで一旦俺は言葉を切った。

 

 「だから、王子はこの計画に思い至ったのです。この国の全ての魔法が消滅する前に、再び魔法の力で満ち溢れた国とするために、姫様の命と引き換えに……」


 そう言いつつ、俺はあの時の姫様との会話を思い返した。

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