第5話 変わらぬ朝を迎えて

 昨晩の事を振り返ると、我ながら随分と取り乱したものだと思う。


 「……考えても仕方ない。倉庫に行って、その男とやらに会ってみますか」

 

確か、今日の交代は六時のはずだ。

 コートのポケットに入れっぱなしなっていた懐中時計を取り出して確認してみると、丁度五時半だった。

 ここから王城までは十分足らずだが、なんだか落ち着かないし俺はすぐに家を出ることにした。


 下の階に降りると、パン屋の主人は既に起きていて、おかみさんと一緒にせわしなく働いていた。おそらく、最近併設したカフェの開店準備をしているのだろう。俺が軽く挨拶をして出ようとすると、「今日は随分と早いね」と主人に言われたが、理由を言うわけにもいかないから「そんなことないですよ」と流すことしか出来なかった。


 四月の初めといっても流石にこの時間帯ではまだまだ気温も低く、ひんやりとした感じだ。街もまだまだ動き出すには早いということもあって、昨日の喧騒が嘘のように静かであった。

 普段の俺だったらこの静けさも乙なもんだと感じたかもしれないが、昨日の今日ではこの静けさが嫌だ。

 まるで、俺が真っ直ぐ倉庫に行くまで皆が黙っているような、さっさと与えられた指令をこなせ、といった無言の圧力のようなものを感じた。


 (まあ、俺が神経質になっているだけだろうがな……)


 そんなことを気にしてもしょうがない。俺は「よしっ」と気合を入れなおすと、足早に街中を進み、男が待っているであろう倉庫を目指した。



 朝方の倉庫は街中と同様に静かなものであった。

 それはそうだ。こんなところに朝っぱらから来るような奴はいやしない。

 でも、今から俺はそんな時間帯だっていうのに訪ねてくる男に会わなきゃいけないんだから妙な気分だ。

 そんなことを思いつつ、倉庫の入り口に歩いて行ったら、不意に入り口の扉が開いた。

 突然のことで、俺は思わず後ずさってしまった。


 (おいおい、俺の気配を察してお出迎えってことか。はっ、先方は随分と早くから俺を待っていたらしいな……)


 俺は出てくるであろう、件の男を両手の拳を握りしめながら待ったが、実際に出てきたのはあくびをしながら片手で後頭部を掻いている夜勤明けのハインリヒだった。


 「おっと、びっくりした。ライナスか、今日は随分と早いな」


 俺が、扉の前に立っていたこともあって、ハインリヒは一瞬驚いた様だったが、すぐに眠そうな顔に戻った。


 (そういえば、まだ交代が済んでいなかったわけだから夜勤組が残ってるんだった……)


 そう思うと、手紙の男がいると思って妙に身構えていたのが急に馬鹿らしくなってしまった。


 「はぁ~緊張して損しちまったぜ……」


 「なんだ、なんだ。人の顔を見てため息なんかつかなくても良いじゃねぇかよ」


 「いや、悪い、ちょっとな。それよりケルシャーはまだ中にいるのか? 昨日の管理担当はお前とあいつだったろ?」


 「あいつならついさっき、散歩してくるって出てったよ。おそらく、いつもの庭園にいるんじゃないか? 気分悪そうにしてたしよ」


 そう言って、ハインリヒは最近整備されて立派になった王城前の庭園の方を見た。


 「おいおい、あいつまだ“時間慣れ”してないのか。あれでも半年だろう」


 時間慣れとは、倉庫内の異様な時間の流れに適応することだ。俺らみたいな管理人は、精神強化の魔法をかけているから他の利用者よりもはるかに倉庫内での環境に適応しているが、新人の場合はそれでもまだ体に違和感が生じて気分が悪くなることがある。


「言ってやるな。あの倉庫での時間慣れには長いと一年ぐらいかかるだろ? あいつは微妙に繊細なところがあるからな、まだ慣れないんだろ。」 


 そう言って、ハインリヒは肩をすくめた。


 「それより、もう来たんだったら今のうちに引継ぎを済ませとくか。今日のお前の相方は誰だっけ? ロッドか?」


 「いや、あいつは昨日が三日目だから今日は休みさ。今日からは確かアクセルのはずだ。」


 「そうか。じゃあ、ともかく引継ぎをやるか」


 俺は頷くとハインリヒと共に倉庫に入った。

 倉庫管理人の引継ぎは簡単だ。引継ぎ用の書類(自身の勤務時間内の簡単な報告付き)に管理者用の魔法でサインをするだけ、五分程度で終わるものだ。それに、サインは二人いる当直の管理人の内、階級の高い方、もし同格の場合は勤務歴の長い方がするだけで良いことになっている。


 今日の場合は、アクセルよりも俺が、ケルシャーよりもハインリヒの方が階級が上にあたるから、俺たちが済ませればよいことになっている。ちなみにロッドは俺と同い年だが、勤務に就いたのは俺の方がわずかに早いため、俺の方がこの場合サインすることになる。


 まあ、実際はもっと細かい規定があるが、毎日やっているうちに簡略化されていった。上も日々の業務だからとこの状況を黙認している節がある。

 まあ、誰だって面倒な作業を毎日したくないものだ。



 倉庫に入ってすぐの利用者用受付カウンターで引継ぎを済ませたらハインリヒもさっさと帰ってしまった。帰り際にケルシャーの様子も見に行くと言っていたが、微妙にふらついているあいつの様子を見ると、途中で倒れて寝ちまうんじゃないかと心配になった。


 (たくっ、いくら機密性が保たれる必要があるからって、このバカでかい倉庫の内部管理を二人体制でやらせるのは どうかと思うがね。)


 だが、実際の所この倉庫に貴重な品がごろごろしているのも事実であるし、そもそもこの特異な環境に耐えられる程度の精神魔法耐性の高い魔導士の数が足りないのも実情だ。


 (……それに外部から見れば大きいが、中は受付と休憩室、それに入るたびに部屋が変わると言っても、各階には十部屋しかないし、出入り口も一か所……お偉いさんから見りゃあ人員を増やす必要もないか……)


今更この状況に愚痴を言っても何も始まらないし、それよりも件の男が来るのを待つことにしよう。


 そう思って、俺はカウンター脇の管理者専用口を通り、奥にある休憩室の扉を開けた。


 (ハインリヒの話じゃあ、今は誰もいないようだし、ここで待っていればそのうち来るだろう)


 休憩室の中は、思った通り誰もいなかった。


 二人用のテーブルと、丸椅子が二脚、向かって正面には戸棚があって、休憩時に飲める紅茶セットが一式揃っている(水は、外の井戸から汲む必要があるが)、それと、未使用の備品が入った木箱が四つほど左側の壁機側に積まれている。


 倉庫の構造上窓がなく、入室時に空気循環用の魔法と明かりの魔法が発動する仕掛けがあるだけの無味乾燥な部屋があるだけだった。

 さて、後は相手が来るのを待つだけだが……それまでどう時間をつぶそうか。


 いっそのことお茶でも入れて優雅に待つかと思ったその時、俺の視界に一瞬妙なものが映った。

 今、俺が立っているのは休憩室の入り口で、丁度中に入って後ろ手で扉を閉めたばかりだ。

 この部屋に入るその時まで、俺は確かに部屋の中に誰もいないことを確認していた。


 なのに、今俺の視界の左端に何か大きくて黒い物体が蠢いている。

丁度、積み上げられた木箱の前に、まるで床にへばりつくような格好で……


 (なんだ……あれは……)

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