第4話 渡されたもの


 「先輩、またボーッとしてた様子でしたけどちゃんと授業聞いているんですか?」


 講義が終わり、あくびを噛み殺しながら教室を出たところで不意に声を掛けられた。


 「……見てたんですか?」


 「はい、教室のドアが開いていたものですから。それよりも最前列の席に座っておきながらぼんやりとするなんて先輩も大胆なお人ですね。何度か講義をなさっている教授も先輩の方に何度か視線を送ってましたよ」


 面白いものを見たような顔で笑いながら話す彼女を見て、俺は力なく返答する。


 「それで、講義中の俺を観察するためだけにここに来たわけでもないでしょう? 要件はなんですか?」


 「そうでした。先輩、確かこのあと少しお時間をいただけないでしょうか。少々分からない事がありまして……」


 ゴソゴソと、自分の肩にかけている鞄からノートを取り出そうとしている姿を見て、俺は気づかれないようにため息をつく。講義が終わったから中庭で昼寝をしようと考えていた自分の計画が遂行されないことを悟った。

 しかし、嬉しそうにアレコレと自分に話しかけてくる後輩と過ごす時を何処となくよ転んでいる自分がいることも否定できなかった……


――――――



 目が覚めた時、自分の胸元がじんわりと湿っていることに気が付いた。頭は動かさず、眼球だけを右に左に動かしてあたりを見渡した。

 真上に見えるのは古びた木製の天井。所々にガタが来ていて、補修した痕跡が見られる。

 右側には同じく木製の薄い壁、夏場は暑く、冬は寒いことこの上ない壁だ。

 左に見えるのはボロボロのソファーに、片足が短い椅子と、傷だらけのテーブル。椅子には、倉庫の管理人に支給される濃いグレーのコートが掛かっている。

 

 間違いない。ここは俺の借りている王城近くのパン屋の三階にある部屋だ。去年、平の管理人用の寮が嫌になって、借りた安部屋だ。決して、何処かの見知らぬ部屋に監禁されているわけではないようだ。


 「随分と懐かしい夢を見たものだな……」

 そう言いつつ体を半分起こして改めて自分の服を見てみた。


 「うぇ、汗でびっしょりじゃねぇか。通りで気色が悪いと思ったよ……」


  ぼやいたとしても今朝は洗濯をしているような暇はない。

俺はのそのそとベッドから這い出すと、すぐ脇にある扉の半分ずれたクローゼットを開け、中から比較的まだ新しい代えの制服を取り出すとさっさと着替えた。


 「こういう時、いちいち服選びをしなくていいのは制服の特権だよな」

 誰に聞かせるまでもなく呟くと、コートを手に取るべく椅子の方へ向かった。

 

 無造作に椅子に掛けてあるコートを右手で取りつつ、チラリとテーブルを一瞥した。

 そこには俺がいつも使っている日用品とは別に。この場には似つかわしくないほどきれいな封筒が一通置いてある。


 「こんなのがあるから、あの時の夢を見たのかな……」


 封筒を眺めていると、昨日、食堂で起きたことが思い出される……

 

――――――


 「ライナス・クルトナーだな」


 声の主は後ろにいるから姿は見えないが、声の質からして男性であることは間違いなかった。

 知り合いに話しかけるような気軽さは一切ない。

 まるで、街中で見つけた犯罪者に声をかける警邏隊の隊員みたいな声だ。

 俺は突然のそうした冷たい呼びかけに「ゴクッ」とつばを飲み込みつつ


 「……誰だあんたは……」


 どうにか言葉を返すことが出来た。なぜ、この時すぐに「そうだ」と男の質問に答えなかったかわからかったが、ともかくこの異様な質問者に返事をすることは出来た。


 「質問に答えるつもりはない」


 どうもこの男は俺の想像以上にヤバい奴なのかも知れん。てっきり、俺の知り合いか誰かが俺を驚かそうとしているのかと思ったが、そうではないらしい。

 男の声は冷たいままだし、その喋り方には有無を言わさず答えさせようとする雰囲気があった。


 どうしたもんか。俺とて魔術倉庫で働く身だ。魔法の心得はある。

 ただの一般人程度であれば魔法で軽くあしらうことも出来る自信もある。


 だが、この男にそれが通じるかは分からない上に背後を取られている。これが戦場だったら俺は素直に降伏するだろう。


 兎に角、これ以上回答を先延ばしにすることは出来ないな……


「……そうだ、俺がライナス・クルトナーだ」


 覚悟を決めて、俺は声を絞りすように答えた。後ろの冷たい雰囲気が少しだけ和らいだような気がした。


 「……お前に渡すものがある。振り向かなくて良い。こっちが勝手に渡すだけだからな。渡したものは必ず確認しろ。いいな」


 それだけ言うと男は何も言わなくなってしまった。自分に何かが手渡されたような感覚もないし、何の反応もない。とりあえず、振り向かずに十秒ほどいたが、さすがに俺もしびれを切らしてつい振り返ってしまった。


 「おい、あんたは一体誰なんだ!」


 だが、その返事はなかった。

 それどころか、男の姿もなく、後ろの席は空っぽだった。


 あたりを見渡してみたが、仲間内で飲んでいる幾つかの大工のグループがいるだけで、怪しげな男がいるようでもなかった。

 一瞬、外に出たのではないかと思ったが、ここの店は扉を開閉するとつけられているベルが鳴るようになっているが、その音も聞いていない。


 俺が得体のしれない奇妙な感覚を覚えていると、


 「はい、ライナスさん。本日のお任せは三種の肉の盛り合わせと野菜スープですよ!どうです、これなら文句も出ないはずです! あれ? どうかしましたか?」


  ちょうどミラが皿に乗せた飯を運んできたとこだった。


 「いや、なんでもないさ」


 そう言って俺が正面を向くと、カサッと何かが膝の上で当たる音がした。


 「なんだ?」


 自分の膝を見ると、一通の封筒が上に置かれていた。

 こんなものいつの間に……きっと、あの男が置いた封筒に間違いない。


 「やっぱり変ですよライナスさん。さっきからじっと自分の膝ばかり見て? そこに何かあるんですか?」


 そう言うと、テーブルの上に肉の盛り合わせとスープを置くと、俺の膝を覗き込んできた。


 「ええい、やめんか! シッシッ!」

 「うわぁ、何するんですか! もう、ライナスさんのけち!」


 俺が両手で覗き込んできたミラを追い払うと、彼女はブツブツと文句を言いながら厨房の方へ戻っていった。


 ミラが去ったのを確認してから俺は素早く封筒を確認した。封筒自体は大きいものではなく、表面を触った感覚では紙が一枚入っているくらいであることがわかった。

 あて名は書いておらず、裏返してみると、ただ封がしてあるだけで、それ以外はなにもなかった。


 「何だこりゃ?」


 どう見てもただの封筒にしか見えず、とりあえず封を切って中身を確認することにした。


 その時だった。

 封を触った瞬間に、裏面全体に紋様が浮かび上がったのである。

 

俺はその光景に思わずギョッとしてしまい、危うく封筒を落とすところであった。


 紋様は、ほんの数秒もしないうちに消えてしまい、それ以降、俺が封を開けても何も起きなかった。


 (こりゃ、魔術的な方法で封がしてあったな……おそらく誰かが封を開けようとした瞬間に紋様が浮かび上がるようにしてあったんだ。まったく、手が込んでるときたもんだ……)


 だが、そんなことを考えつつも、封を開ける俺の手はかすかに震えていた。

 何せ、一瞬だが見えたその紋様を見違えるわけがなかったからである。 

 

(……王家が一体何の用だっていうんだよ……)


 俺の目に映った紋様、それは大きく翼を羽ばたかせている竜と交差した杖と剣が画かれた紋章であった。

 そんな紋章をこの国で掲げているのは一つしかない。

 建国以来、千年以上もの間、この国を統治している由緒ある一族。

 ――――――ヴェントナー家の紋章である。


(だがしかし、なんで王族が俺に連絡をよこすんだ? あの紋章を魔術的に浮かび上がらせる仕掛けを施すのは特別なことがあるときだけで、ほとんどの場合は国の中枢を担うような立場の人間にしか送られない。だが、俺は一介の倉庫管理人に過ぎないんだぞ?)


 グルグルと頭の中で様々な考えが浮かんでは消えたが、納得のいく回答が浮かぶことはなかった。


 (……ここで何を考えてもしょうがないか、もしかしたら俺の無遅刻無欠席が評価されて、なにかの賞状をもらえるのかも知れないし、うん)


 もしそうだとしても、労ってくれるのは管理局長のはずなのに、あまりに混乱した俺にはそうしたことで無理やり納得する以外に状況を飲み込むことは出来なかった。

 俺は震える手でどうにか中身を取り出した。

 しかし、中に入っていた物を見た俺はますます混乱することになった。


 中に入っていたのは俺の予想した通りに厚紙が一枚。

 そこには一文だけ書かれていた。


 『明朝、倉庫にてある男が貴殿を訪ねる。協力されたし』


 その一文を除いて他に何も書かれておらず、何か魔術的な仕掛けなども施されていないようた。


(例え何らかの仕掛けがあったとしても、俺程度の魔術の力では到底看破できるはずもないか……)

(だが、この指示は一体なんだ? そもそも、その男とは誰の事だ?)

 

 結局、中身を見たところで、謎が謎を呼ぶばかりだ。


 俺はとりあえず、封筒をコートのポケットに入れ、運ばれてきた料理を食べ、家に戻った。でも、料理は何の味もしなかったし、家に帰る途中、歩きなれた道で何度も躓いて転びそうになった。きっと、俺は疲れているのだろう……

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