第110話、温かな光を浴びて


 すべてがぼやけていた。


 わたしは……わたしは。


 考えられない。いや、考えたくない。何もかも無駄。意味なんてない。ただ為すがまま。わたしは、何も興味はない。わたしが誰かも、どうでも……いい。


 影が過る。耳にあの嫌な笑い声が蘇る。いやだ。考えたくない。思い出したくない。

 見たくない。思い出したくない。あの醜い化け物どもが笑う。来るな! 来ないで!


 あ……あぁ……あ。


 いやだ。思い出したくない。キエテ、記憶から、きえて――


 ここがどこだからわからない。わかりたくない。笑い声が聞こえる。聞きたくない。

 冷え切った心。このまま血液も凍れば、静かに死ねるか。このまま闇に溶けるように消えてなくなりたい。

 指先から、感覚がなくなって、やがてこの空っぽの頭を溶かして、消えるの。


 暗い。暗い。冷たい、闇の中へ。


 ……。


 温かい……。凍える寒さが消えていく。ポカポカとした光だ。かじかんだ指に血が巡る。


 体は動かない。そのはずなのに、光がわたしの氷を溶かしていく。

 血が巡った。生命の息吹を感じた。日を浴びて蕾が花を開くように。光? 血の巡りが、わたしから光を求めさせる。


 温かい光を全身に浴びて、なおその温かさを求める。もっと、光が欲しい。

 それは生き物としての欲求だったのか。

 空っぽになることを望んだはずのわたしが、無意識にそれを求めた。


 光を探す。どこからの光か? そんなものはわかっている。わたしはそちらに顔を向けた。


 ぼやける視界。よぎった邪悪な化け物の影が、光によって霧散していく。流されていく。嫌なものが、流れて消えていく。


 あぁ、心地よい。ポカポカする胸。冷たいものを溶かしていく光を、わたしはもっと浴びたいと渇望した。

 視界をぼかしていた氷が溶ける。いや、これは、涙……? ぼやけているはずなのに、視界がクリアになっていく。

 光が立っていた。あぁ、温かな光源――これが神だ。


 わたしは温まった体を動かした。周りでも同じように光を見つめる娘たちがいた。

 光の主は、知らない男性だった。しかし神々しい。先ほど何故神と感じたかわからない。でも神に違いない。その何者かはわからない人物に、わたしは自然と拝んでいた。

 それは周りも同じだった。



  ・  ・  ・



 それはわたくし、フレーズにとっても信じられない光景でした。

 生きる気力を無くした――体は治療できても心までは治せず、正直どうしたらいいかわからない方々……。抜け殻のようだった彼女たちが顔を上げ、ジョン・ゴッド様を見つめているではありませんか!


 自分で動ける方々も、あのお方の放つ光を見つめ、憑き物が落ちたような顔をしています。


 この場にいるわたくしたちでさえ、この温かなぬるま湯のような心地よさを光から感じました。

 何だか体の疲労も消えていくようでした。一様に優しく温かく、不安が取り除かれていくにも。

 まさしく、神のご威光……!


 さすがは主、ジョン・ゴッド様……!

 いえ、人を恐れさせる感情を抱かせないのですから、ご威光と言うには少し違うかもしれません。

 けれども、無条件で服従してしまいそうな、服従したくなりそうな気持ちがこみ上げてきました。


 まさしく神の御業。ジョン・ゴッド様の光は、それまで置物同然にまで壊された人たちを癒し、動かしたのでした。。

 わたくしにも見えます。保護された彼女たちが光を浴びていた時、黒い靄のものが出て消えていくのが。


 きっとこれが彼女たちに取り憑いていた悪いものだったのでしょう。それらが取り除かれて、明らかに彼女たちが生気を取り戻していきました。

 そして光が消えた時、彼女たちばかりか見守っていたわたくしたちですら、とても切ない気持ちになりました。

 それだけ心地よく、優しい光だったからです。


 ただ、彼女たちが人としての意識を保ち、皆普通に会話できるレベルにまで回復したのは、これまで面倒を見ていたわたくしたちからすれば、とても喜ばしいことでした。

 それまでは、自分たちの無力を噛みしめ、助けることができないもどかしさに苛まれていましたから。


 驚くべきはここからでした。

 無気力、精神を病んでいた彼女たちが、自分たちで生活できる状態にまで回復したのですから、早速、自分たちが住む住宅の確認と部屋割り、生活に必要な水や食料の調達方や炊事場などの施設確認を始めたのです!


 当然ですが、皆がジョン・ゴッド様を敬い、神に等しい存在として接していました。自分たちを病んでいたものを晴らしたのが、ジョン・ゴッド様だと皆わかっていたのでしょう。


 さて、全てジョン・ゴッド様にお任せも行きません。わたくしたちも役に立たなければ。

 世話係を手配したのですが、この様子ですとそんなに大勢はいりませんね。わたくしは率先してお部屋の方に案内します。


 部屋自体は、どこも同じなので、部屋割りさえ決めていただければ、あとはご自由に、なのですけれど。


「こんな広い部屋を使わせていただけるのですか!?」


 本日からこちらの集合住宅を使う皆様は、お部屋の広さに驚かれていました。わたくしも、下々の方のお部屋の広さは存じ上げていないのですが、わたくしの部屋より広いのですから、気持ちは理解できます。


「はい、お一人、一部屋、お使いになってくださいね」

「そ、そんな! これだけ広ければ、三、四人でも広いですって!」

「そうなんですの? ですが、皆様にもプライベートというものがありますでしょう? 一部屋と言わず、家のご気分で住まわれては?」


 家であれば、部屋を区切るなりして三、四部屋あってもおかしくはないですわよね。

 皆様、呆気にとられていました。広すぎる、綺麗すぎる、等々、何故か及び腰になられておりましたが……。自分には不釣り合いだとか言うのですが、そういうものなのでしょうか。


 そんな皆様ですけれど、わたくしがソルツァール王国第一王女と知った時、またも吃驚されてしました。

 名乗ってはいましたが、それを覚えていない方もいらしたようで。でも、それを認識できるくらい回復したことは、わたくしにとっても喜ばしいことでした。

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