第54話、ドレスがもたらしたもの
グリシーヌ王妃は、娘であるフレーズ姫が上機嫌なのを見逃さなかった。
呪いを取り除き、姫に活力を与えたジョン・ゴッド。恩人である彼の魔境の屋敷に通っているフレーズ姫は、ますます元気になり、活発に勉学、魔法習得に励んでいる。
日々、成長していく娘の姿を見るのは、母親としても嬉しいことだ。呪いのせいで不憫な生活を強いられていた頃が長く、半ば諦めていたから、その反動は凄まじい。
母も嬉しいが、一番嬉しいのはフレーズ姫本人である。
その日は、特に機嫌もよく、さらにどこから手に入れたか、薄いピンクのドレスを持参していた。
これを汚さないように、保存しておくにはどうすればいいか、と侍女たちに相談するフレーズ姫を見やり、グリシーヌ王妃は、ドレスと対面した。
なんて素敵なのだろう。
古くからの伝統的なそれと少々異なるデザインである。しかしそのドレスには、柔らかさがあった。何というべきか、見た目の固さではなく、風、軽い空気感、いや優しさを感じたのだ。
色合いのせいだろうか? 原色のものが主流にあって、フレーズ姫のドレスは、そのどれとも違う明るい色をしていた。
薄い色合いなのだけれど、色はしっかりあって、春の温かさ、優しさを感じた。そうこれは春だ。春を体現する色だ!
「こんなドレスは見たことがないわ!」
思わず声に出ていた。
「お母様!?」
フレーズ姫がビックリしていた。そんなつもりはなかったグリシーヌは声を落とした。
「ごめんなさいね、フレーズ。あなたが機嫌良さそうなのを見かけたものだから、ついね」
機嫌がよかったのと見慣れない色合いのドレスを持っていた、特に後者が強かったが、それは言わなくてもよいことだろう。
機嫌がよさそうと言われ、フレーズ姫は恥ずかしそうな顔になった。グリシーヌは構わず続けた。
「この素敵なドレスは、どうしたのかしら?」
「はい、ジョン・ゴッド様からいただきました」
半ば予想通りの答えだった。魔境の屋敷に行ったのだから、ジョン・ゴッドが関わっていないはずがないのだ。
「実は、ドレスパーティーがありまして。わたくしやイリスは、ジョン・ゴッド様からいただいたドレスで、晩餐会を――」
「ドレスパーティー……?」
名前にドレスと名がつくということは、メインはドレスだったのだろう。グリシーヌは、その名のパーティーに心当たりがなかったが、仮面舞踏会的なものか、あるいは珍しいドレスを集めて、令嬢方が来たり、ファッションを語ったりする新しいパーティーなのかもしれない。
……何それ、私も行きたい。そんなパーティー。
フレーズ姫が語るところによると、軽い立食パーティーの類いで、特に特別なことはなかった。ダンスもなかったし、ただ食べたりお喋りするだけ。違うのは、むしろパーティー前で、色とりどりの素晴らしいドレスを眺め、気に入ったものを着るということか。
「普段顔を合わせる方々だけの内々のパーティーでしたので、人目を気にせず、好きなドレスを着れるということでしょうか……。ウイエに聞いたら、パーティーでドレスを自由に選ぶというのは、中々難しいそうで」
「あぁ……」
グリシーヌは納得する。王妃である自分は、割と選択肢は広いが、貴族の娘たちにとっては、難しいこともある。
パーティーともなれば、ドレス一つをとっても色々と考えねばならない。特に家柄にも、一族の『色』というものがあって、それ以外の色のものを身につけるのが難しいという暗黙のルールがある。
また上位の貴族がいる場合、あまり豪華に着飾り過ぎても駄目というのがあったりする。普通に下級貴族だと娘のドレスをポンポン選ぶほど買えないということもある。逆に裕福な家柄でも、仕来りやら参加者に合わせて、専門の衣装係がコーディネートすることが大半なので、『自分で好きに選ぶ』というのはかなり贅沢かつ、淑女たちの憧れでもあった。
――私も、フレーズの着ているような色合いの優しいドレスを着たいわ。
グリシーヌは思う。だがそれを公式のパーティーで言ったら最後、周りの衣装係や上級貴族出の家臣たちが、一斉に小言を漏らすだろう。
『これは、グリシーヌ王妃の色ではございません――』
『王家の一員として、こちらの色を――』
『国王陛下との不仲説が出る恐れがございますので、陛下の選ばれた色を――』
自己満足で強行もできよう。しかしそれを人前で披露すれば、悪い方の噂が貴族や社会に広まってしまう。人間は人の噂話、根も葉もない話を膨らませて悪く言うのが好きなのだ。……それで夫である国王や、子供たちに迷惑をかけるわけにもいかない。
「お母様……?」
不思議そうな顔をするフレーズ姫。グリシーヌは我に返る。
「い、いえ、とても素敵なドレスね」
「ですよね! ジョン・ゴッド様は素晴らしいドレスを沢山ご用意していました。見ているだけでも、目がとても幸せでした!」
とても楽しそうにフレーズ姫は言う。そうなるとグリシーヌもまた我慢ができなくなった。
これが羨ましいという感情だ。そしてそのうちの一つが目の前にあって、否が応でも期待が上がるのだ。そして見てみたいという欲求は抑えられないものとなる。
「私も見たいわ」
・ ・ ・
グリシーヌ王妃が、夫である国王に、自分もジョン・ゴッドの魔境の屋敷に行きたいと告げた時、王は苦虫を噛み潰したような顔をした。
「いきなり何故?」
公務以外で、城の敷地外に出ることがほぼないグリシーヌである。その彼女が城の、いや王都の外に出るというのは、国王にとっては冷水をかけられるほどの衝撃であった。
「フレーズ姫がお世話になっておりますし――」
「……」
それは建前だよな?――国王は、お見通しだった。猫を被っているのが見え見えであった。
「何があったのだ?」
「……実は、ジョン・ゴッド殿は、衣装に関しても素晴らしい才能をお持ちのようで」
「そうなのか?」
「そうなのです。フレーズ姫も、彼女に似合うドレスを一着、プレゼントされまして」
「言ってくれれば、私も君にドレスを何着でも用意するぞ?」
ちょっと張り合うようなことを言ったのは夫としてのプライドか。少なくとも正妃に対して、今なお愛情を向けているのがわかる。
「ありがとうございます。ただジョン・ゴッド殿の製作したドレスは先進性を垣間見ましたので、ぜひに視察しておきたいと思いまして。陛下も、一目ドレスを見ればお分かりいただけるはず。……諸侯らからも一目置かれますわよ?」
「……」
国王は、グリシーヌの望みに答えるのだった。
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