第56話 怒り
窓枠を叩く音がはっきりと室内に響き「誰だ!」と護衛が誰何の声を発したが返事はなし。
護衛の騎士が長剣を抜き、壁に背を預けて近寄ると一気に窓に手を掛けて開く。
窓と周囲を見回していたが、すぐ下に転がる死体を見て声を上げる。
「伯爵様! 下に・・・死体・・・らしき物が」
この一言が、リンガン伯爵邸大騒動の始まりだった。
「警備兵! 不審者が侵入しているぞ!」
「非常呼集だ! 休んでいる奴は叩き起こせ!」
「伯爵様の周囲を固めろ! お前は下に行ってあれを確かめてこい!」
静まりかえっていた伯爵邸は全ての部屋の灯りが灯され、各部屋の隅々まで不審な者が潜んでないか調べられた。
それは屋敷の外、庭や小さな森も含めて徹底的な捜索が行われた。
その間に、窓の下にあった死体を収容して訓練場の片隅に運ばれたが、腕は折れ両手足の指を潰されアキレス腱と肘の腱を断ち切られていて、拷問された後に殺されている事が報告された。
その時に指に挟まれていた紙片を差し出したが、書かれていた文面に首を捻る。
「しかし、此奴は何者だ?」
「何故伯爵様の執務室下に置かれていたんだ?」
「拷問した後でご丁寧に首を掻き斬っているし」
「マジックポーチに入れて運んだのだろうが、どうやって邸内に忍び込んだのだ?」
「何か判ったか?」
「隊長、それが素っ裸でして、拷問されたとしか。あの紙切れの意味は何ですかねぇ」
「此処へ放り込まれたのなら伯爵家に関する者だろうと思うので、警備隊と騎士達に面通しをさせて此の男の身元を調べろ。判らなければ使用人達にもだ」
* * * * * * *
「伯爵様、死体の指に挟まれていた紙です」
騎士の一人が紙片を差し出したが、嫌な顔をして執事に「読め」と命じる。
不浄な物を持つ様に指先で受け取り用紙に目を向けると〔頭の上に気を付けろ〕の一文のみであるが、頭の上・・・あの男か、と顔色が変わる。
嘗て此の部屋をキラービーで溢れさせ、先日は冒険者ギルドで騎士達を死に至らしめた男。
「どうした、デイオス?」
「だっ、旦那様、こっこれを」
執事が差し出す紙片を身を捻って避け「読め!」と命じる。
「頭の上に気を付けろ、です。先程の死体を確認してまいります」
主の許しも得ず執務室を飛び出して行った執事を、伯爵の息子二人と護衛の騎士達が驚きの表情で見送る。
* * * * * * *
「死体を見せろ!」
「執事殿、何事ですか?」
「いいから、死体の顔を見せろ!」
執事に命じられて、訓練場の片隅に置かれた死体の所へ案内する。
死体に掛けられたボロ布をめくると、苦悶の表情ながら良く知る顔が出てきた。
「余程恨みを買ったのでしょう、腕は折られ手足の指を潰された挙げ句・・・」
「もう良い! 誰にも見せずに始末しろ」
騎士の説明を遮り真っ青な顔で引き返して行く執事を、そこに居た者達が不思議そうに見送る。
* * * * * * *
ノックもなく執務室に跳び込んできた執事は、急ぎ主の側に近寄ると「あの死体はルクゼンでした」と耳元で囁く。
それを聞いた伯爵の顔色が変わる。
「父上、何か判りましたか? 父上!」
「煩い! 黙っていろ! あの男がしくじったのか」
「旦那様、声が大きゅうございます」
「お前達、出て行け、全員此の部屋から出て行け!」
「父上、何事ですか?」
「喧しい! 黙って出て行けと言っている!」
青い顔の伯爵と執事を残して、息子達や騎士達が部屋を出ていく。
「なぜ、しくじった。弓での遠距離攻撃を命じたのではなかったのか?」
「はい、ルクゼンには蜂の事は教えずに、弓の巧者を使えと言いつけておきましたので、あの男を殺してからでないとルクゼンが死ぬはずがありません」
「だが奴が死んで死体が持ち込まれた」
「頭の上に気を付けろとは、キラービーの事かと」
「ルクゼン殺害の罪で捕らえろ」
「それはあまりにも無理があります。襲うのは町の外でと命じていましたので、目撃者もいません。あの男を罪に問えません」
「では街中で射殺すか」
「ルクゼン以外に口が堅く、信頼出来る男が居ません」
「ならどうする? キラービーに襲われたら、とても助からんぞ!」
「当面は此の部屋で蚊遣りを焚いて燻し、立て籠もるしか方法が御座いません」
「あの男が死ぬまで立て籠もれと申すのか」
「いえ、一時的にでも和解し、旦那様は王都に身を移されては如何でしょうか」
「儂に逃げろと申すのか!」
「あれをあの男が操っているのなら致しようがあるやも、なれどテイマー神様の加護で守られているとなると・・・」
「守られているとなるととは何じゃ?」
「まことテイマー神様の加護なれば、あの男が死んだとてキラービーが攻撃してこない保証は御座いません」
「お前はあの時、その様なことは言わなかったではないか」
「私の無知で御座いました」
片腕の執事に深々と頭を下げられて、言葉も出なかった。
* * * * * * *
一日おいて深夜に塀を跳び越えて街に侵入すると、伯爵邸へと急ぐ。
屋敷裏の高木に登り、即席の担架を吊してハンモック代わりにして眠る。
夜明けとともに邸内の動きを探るが、警戒は厳重だが俺の潜む高木などは気にかけていない。
建物の周囲と内部を中心の警戒態勢のようだ。
建物周辺の警備は三人一組で回り、時々騎士数人が付いてくるので、彼等を揶揄ってやる事にした。
《ビーちゃん達、居るかな?》
《マスター、なになに》
《居るよーマスター》
《お呼びですか~》
《返事をしてくれた仔だけ来てくれるかな》
《はーい》
《行きまーす》
《何をするの♪》
《ちょっとチクッとね》
《やるやる! いっぱいチクチクしちゃうよ♪》
《いやいや、そんなに沢山チクチクされたら困るんだよ。君から行こうか》
《どれどれ、何れを刺すの!》
《彼処にいる人族を一人刺してきてね。刺したら直ぐに離れるんだよ》
《はーい、行って来まーす》
〈何が有ったんだか知らないが。ピリピリしているよな〉
〈不審者の侵入があったとか聞いたけどな〉
〈建物の周りばかり見張ってないで、裏の森とか柵の外も警戒した方が良いんじゃないのか〉
〈そうだろうけど、騎士団長の命令だからな〉
〈痛てっ〉
《キャッハハハハ》
〈キラービーだ! 又来るぞ〉
《もう一度刺しちゃうよー》
《ビーちゃん! 刺すのを止めて上に上がれ!》
《えー、マスターもう一回だけ、だめ?》
《だめ!》
やれやれ、時々好戦的な奴がいるから困る。
次ぎに現れた警備兵には騎士が三人付いてきていたので応援を呼び、騎士達を4、5回ずつ刺すようにお願いする。
《行くぞー》
《任せなさーい》
〈痛てててて〉
〈何だ? 痛ってーぇぇぇ〉
〈蜂だ、逃げろ!〉
〈待ってくれー〉
倒れた仲間を放置して逃げ出す騎士と、刺されまいと逃げてしまった警備兵。
二人の騎士が倒れたままだが、助けに来る者がいない。
暫くして現れたのは、滑稽なほどに着ぶくれした警備兵達で、倒れた騎士二人を引き摺っていく。
「申し上げます。屋敷周りを警備していた者達が蜂に襲われたそうです」
「蜂に襲われたとは?」
「はっ、最初は一人が刺されたのでしたが、騎士達と警備に就いた者達がキラービーに襲われました。二人は倒れたままの様です」
「デイオス、これは奴か? それともテイマー神様の怒りか?」
「まだ判りませんが、彼の怒りを買ったのは間違いないでしょう。今回の事が偶然なのか彼の怒りか、はたまたテイマー神様の怒りなのかは未だ判りません」
《マスター、何やってんの》
《皆呼んじゃいました》
《マスターが怒っているって言ってるよ》
《お手伝いしま~す》
あちゃー、なんで呼んでもないのにこんなに集まるのよ。
《俺の側に来ちゃ駄目! そこのお家の周りを飛んでいなさい》
《此れってお家なの?》
《中に何か居るよ》
《おー、人族だよ》
「だっ、旦那様! 窓の外・・・」
執事に言われて窓を見れば、数匹のキラービーが飛んでいる。
中には窓ガラス越しに中を窺う様に浮かんでいるし、その数がどんどん増えて羽音も聞こえ始めた。
「窓を、窓を開けるなよ! 屋敷中の窓を開けるなと言え! 窓も扉も決して開けるなと言え!」
やれやれ、俺の潜むところへ集合されたら見つかっちゃうじゃないか。
ミーちゃんは震えて俺の懐に潜り込み、出て来ようとしない。
2号と3号は植え込みに隠れていて《マスター、蜂がいっぱいででられないです~》なんて言っている。
屋敷の周囲に人影がないのを確認して飛び降りると、そのまま屋敷の屋上へ向かって全力ジャンプ。
屋根の上でお肉の切り身を作って広げていく。
《皆、ありがとうね。お肉を並べているので食べたら巣に帰りなよ》
《お肉♪》
《マスターのお肉は、美味しいお肉~》
《マスター、ありがとう》
《俺のお肉~》
ビーちゃん達がお肉に気を取られている隙に、急いで元の木に登り日暮れを待つことにする。
「キラービーの姿が減っているぞ」
「あんなのに襲われたらどうしようもないな」
「冒険者ギルドで襲われた奴等を見たか?」
「毒の苦しみからか酷い形相だったそうだ」
「あれか、以前この屋敷に来た冒険者が連れている護衛だとか」
「テイマーが蜂を使役出来るのか?」
「何か、その冒険者の機嫌を損ねたり危害を加えると襲い掛かって来るらしいぞ」
「なんて厄介な冒険者なんだ」
「で、その冒険者を怒らせたのか?」
「知らんよ。この間は怒らせたらしいが、あれから随分経つからな」
「なんでぇ、何にも判らないって事か」
* * * * * * *
「旦那様、蜂が、キラービーが去って行きます」
「蜂が見えなくなっても、窓は開けるなよ!」
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