吉武 止少

 Kさんの母校は何人もの文化人を排出した名門高校だ。

 学力はそれほどでもないが、地元では有名で、年寄り連中なんかは下手な私立にいくよりも喜ぶほど信頼されていた。

 そんな学校なので卒業生たちからの寄付金もそれなりに多く、図書室は市立図書館とまではいかずとも分館よりは充実していた、という。


 本の虫であったKさんはそこに入り浸り、北方謙三の三国志やトルストイの全集、果てはウォルト・ディズニーの伝記など読めるものは手当たり次第に読んだ。

 引っ込み思案で友達のいなかったKさんにとって、本は最高の楽しみだった。


 ある時Kさんは、借りてきた図書の中に一葉の栞を見つけた。

 何かの押し花がラミネートされた、丁寧なつくりのものだったという。


 挟んであった本のタイトルは失念してしまったが、貸し出しカードの記述はただ一行で、7年も前だった。


 持ち主はとっくに卒業しているだろう。このまま再び本に挟まれ、何年も、下手すれば何十年も存在すら認知されない栞を想像すると、どうにもいたたまれなかった。

 昼休みを使って、本を借りずに図書室内で読破した生徒がいるかも、と司書教諭の断りを得て、持ち主を探す張り紙をしてしばらく預かることにした。


 栞を外し、本を読む。


 室内ならばともかく、ベンチや電車内では栞を置いておく場所もない。

 親指と人差し指でページを挟み、人差し指と中指で栞を挟むかたちで、持ったまま読書を続けた。

 いつものように本を開き、物語が佳境に突入したところで不思議な感触が右の指に伝わった。


 夏風に揺れたカーテンが指先を撫でるような感触だと思った。


 最初は気のせいだと思ったが、物語が良いところに差し掛かるとさわり、さわり、と指先を撫でられる。

 頻度は1ページに一度か二度程度。

 集中を削がれて読書を楽しみづらくなったKさんは読書する手元が映るように鏡を置いてみたり、すばやく本をひっくり返したりしてみたが、原因は見つけられなかった。


 そんなある日、いつものように本を開いたKさんは、今日も何かが撫でるのかな、と気もそぞろになってしまった。

 文を目で追わずに手元を見つめながらじっと待っていると、さわり、と感触があった。

 Kさんは思わず悲鳴をあげて本を落とした。


 開いた本の下側、真っ白な薬指と小指が見えたのだという。


 色が違う。大きさが違う。形が違う。

 自分の指ではなかった、とKさんは断言する。


 夏の風、と思っていたのは、人肌のようなぬるい温度だったのだろう。

 しばらく考えてみて、あまり力が入れられていない薬指と小指は、自分が本を広げた時によく似たポーズになることに気づいた。


「よくよく考えると、あれは誰かがページをめくろうとしていたんだと思う」


 自分と同じように人と関わるのが苦手で、物語の世界に浸ることに喜びを見出した誰かが脳裏をよぎったという。


 自分より読むのが早いから、せき立てるように指を動かしていたのかもしれない。


 そう考えると、文通相手のような、距離感の不思議な友達がいたような気さえした。


 なんだか悪いことをした。


 そんな風に思って読書を再開したが、驚いた拍子にどこかへ落としてしまったのか、いつの間にか栞は手から消えていた。

 辺りを見回したが、とうとう栞は見つけることができなかった。


 それ以来、Kさんは読書中に指を撫でられることはなくなったという。

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吉武 止少 @yoshitake0777

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