第12話 カルファの過去

「アタシが物心ついてすぐの話だ。


 アタシの両親は、ここいらじゃあ有名な大商人の夫婦でさ。アタシが赤ん坊の頃も、アタシを連れて色んな国を回ったそうだ。


 ずっと昔のことだから、朧気な記憶しかねえけど。こことは文化も生活様式も丸っきり違う、海の外にまで足を運んで、この大陸の名産品を売りに行ったりもしていたらしい。


 アタシに物心がつき始めた、4歳になるまでの話だったけど。


 今いる、この『エルメス』に向かう途中で、事件は起きた。


 ベヒーモスっていう凶暴な魔物が現れて、ソイツらが両親の載っていた馬車を襲撃しやがった。


 一瞬のうちに馬車は粉々になって、両親もぶっ飛ばされて、後は想像にお任せするが、まあ結果としては、大惨事だったな。


 後から聞いた話じゃあ、現場は酷い有様だったらしい。今考えても、アタシだけ生き残ったのが奇跡としか思えないくらい不思議な光景だったそうだ。


 アタシも幼いながらに思ったさ。わたしはもう死んじゃうんだ、ってさ。


 けどそんな時、白いフード付きのコートを羽織った女が現れた。


「安心しろ。君は、私の全身全霊を賭けて、守ってみせる」


 顔は変な仮面で隠してるし、その上にはフード被ってたし。明らかに怪しさ満点、秘密がヒミツのヴェールを被っているような感じの、変な女だった。


 その人が、後にアタシのマスターになる人――ジェーン・ドゥだ。


 マスターは本当に、強かった。反則だろって思うくらい、夢でも見てるんじゃあないかってくらい、強かった。


 ベヒーモスの攻撃を軽々とかわして、詠唱もせずに拳や脚に強化魔法をかけて、外すことなく、的確に一撃を打ち込んで。


 そして、見たことも聞いたこともないような必殺技で、ベヒーモスを跡形もなく消し飛ばしちまった。


「す、凄い……」


 まるで広大な夜空に輝く星々が、一斉に落ちてくるみたいにさ。あまりに凄すぎて、今でもアレをどう表現したらいいのか分からねえ。


 マスターのお陰で、アタシは無事に生き延びて、こうして今カフェのマスターを継いでるんだが。


 ……でも同時に、小さかったアタシは独りぼっちになっちまった。


 その時、マスターが言ってくれたんだ。


「おいで、カルファ。私と一緒に来てくれないかい?」


 あの人はそう言って、手を差し伸べてくれた。


 最初はちょっと怖かったけど、行く当てもなかったアタシはその優しさを信じて、マスターの手を取った。その手は、とても温かかった……」


 ***


 そこまで語り終えると、カルファは天井を仰ぎながら、そっと右手を伸ばした。


 どうやらその右手が、マスター、もといジェーンの手を取ったという右手なのだろう。


「両親が殺されたって……それって、リーベには……?」


「前に一回話したかな。まあ、両親が商人だったとか、詳しく話したのはアンタが初めてだけど」


「マジかよ。てか、その話本当なのか?」


「嘘言ってどうする。全部マジ話だよ、両親が死んだのも、マスターに助けられたのも、マスターがバカみたいに強かったことも。あと、夜空に輝く星が落ちてきたのも」


「あれ比喩表現じゃなくてマジだったのかよ!」


 だとしたら、それはそれでこの世界が滅んでいてもおかしくないような気もするが。


 いや、それ以前に滅茶苦茶強そうな「ベヒーモス」を一瞬で圧倒して、しかも必殺技で消し飛ばすって。ジェーン・ドゥ、一体お前は何者なんだよ。マジで。


「それからは、マスターと一緒に修行したり、釣りに出掛けたり、一緒に寝たり、カフェを開いてみたり、一緒に寝たり、一緒に寝たり……」


「寝てばっかじゃねえか! 他にもあるだろ!」


「アハハ! まあとにかく、親っていうか、なんか頼れる大人の姉ちゃんと一緒にいる感じで、とても楽しかったなぁ」


 そこまで言って、カルファはため息を吐き、俯いた。


「それから何年か経った、雷雨の日。買い出しの帰り道で……リーベに出会った」


「リーベに……?」


「アイツはボロ布みたいになった服を限界まで引っ張って、今にも途切れちまいそうなくらい、薄く荒い呼吸をしていた。それを見てると、何だか昔のアタシを思い出しちまってさ……」


「思わず連れてきちゃった、と」


 するとカルファは「正解だ」と言うように肯き、今度は窓の方を見た。


 外ではピエロのように愉快な格好をした芸人達が踊りながら演奏をしている。


 アコーディオンや太鼓、笛に二又の見たこともないような変な楽器を吹き鳴らしている。


 しかし、外から聞こえてくる音楽が響かないほど、カルファは憂鬱とした表情を浮かべていた。


「結果は皆まで言わずとも、ウチで面倒見ることになったんだけど。マスターは突然行方不明になっちまうし、リーベは元気で明るい子ではあるけど、ドジだし……」


 カルファはじっと、俺の尻尾を見つめる。


 うん。これに関しては同感だと言わざるを得ない。


 彼女のドジを直すのも、今後の師匠としての課題かもしれない。覚えておこう。


「それに、アイツは……」


「それに、何だ?」


 そこまで言って、カルファは首を横に振る。


「いや、この話はもう少ししたら話すわ」


「んだよそれ! 余計気になるじゃあねえか!」


「悪いな、けどコイツは“今”じゃあねえ。たとえシショーのアンタでも、まだ言えねえんだ。言ったら多分……余計に気を遣わせちまうし」


 また意味深なセリフを言いおって、カルファ。


 するとさっきのように、彼女はゲラゲラと笑い、そして俯いた。まるでジェットコースターのように乱高下するテンションには、流石の俺でも付いて行けないぞ……


 と、少しの間を置いてから、カルファは静寂を破った。


 俺にだけ、抱えている不安の種を見せるように、弱々しい声色で。


「だからさぁ、不安なんだ。アタシに、リーベを幸せにできるほどのことが出来るのか。マスターみたいに、リーベのいい保護者になれてるのか、ってさ」


「それが、さっきの話と――」


 さっきの“ヒミツ”と繋がっているような気がして、俺は声を挙げる。だが、自然とその問いは喉を迂回して沈んでいく。


 気になるという感情よりも、気まずい感情が先に来たからだ。


『“今”じゃない』。言ったら、余計に気を遣わせてしまう。


 それは俺にだろうか。いや、俺しかいないだろう。リーベが知らなくとも、カルファは、そしてジェーンは、そのヒミツの正体を知っている。


 いや、しかし。――不安、か。


「距離が近すぎても過保護になっちまうし、かといって離れちまったら無関心に見えちまうし。それにさっき、リーベがドジやった時みたいに、ちょっとキツく言っちまうし……」


「そういう、もんなのか。保護者っていうのは」


「さあな。アタシの両親には悪いけど、もうどんな人だったか覚えてないし、マスターは“保護者”って言っても、マジで師匠とかに近い感じだったし。アタシなりに、試行錯誤中」


 頬杖を付き、カルファは黄昏れた表情をする。その横顔はまるで、子供の教育方針に頭を悩ませる母親のような、複雑に絡み合った苦労を背負っている。そんな表情をしていた。


 確かカルファはまだ20代前半、まあ大人の女性に年齢を聞くのは野暮だから、深くは追求しないし、それこそ俺自身、さほど興味がないから聞かないが。殆ど年齢も離れていないリーベの幸せを、こんなにも深く、深~~~く考えている。


 昨日出会ったばかりの俺よりも、ずっと一緒にいるから、当然と言えば当然だが。俺以上に、リーベのことを思っている。


 母親というにはまだ若い。それでも、女手一つ、血のつながりのない少女――リーベの未来を一生懸命に考えている。


 そんな彼女が、ダメダメ? 否、


「そんなことはねえと思うぜ、カルファ。カルファは、立派に保護者をやれてるさ」


「ほぉ、というと?」


「そのキツく言っちまうのだって、リーベのことが心配だからだろ? それがカルファのアネゴっぽい口調で、ちょっと怒ってるように聞こえるだけだ」


 言うとカルファは「うぐっ」と、腹に吹き出しの矢が刺さったような嗚咽を漏らした。彼女自身、原因には心当たりがあったのだろう。


 悪いことをした。


 俺はフォローを入れるつもりで、即興で出力した言葉を直接、感情のソースを添えて告げる。


「で、でもよぉ。リーベだって、カルファが自分を大事にしてくれているってことは、分かってる筈だぜ? むしろ俺が見た感じ、ドジで慌てん坊なのは、リーベがよく自覚してる気がする」


 だから、ドジをする自分に負い目を感じている。


 リーベは真面目な子だ。真面目で、純真で、目標のために一生懸命だ。


 これは俺の、単なる憶測に過ぎないことだが。彼女は、心の底に「迷惑になるかも」という不安の種を抱えている。


 ドジをしたり、なかなか上手く魔法を扱えなかったり、そもそも記憶喪失の居候なのに、と。


 勿論そんなことはない。リーベにはリーベなりの事情があるし、現に、誰も彼女の存在を迷惑だなんて思っていない。そこには俺も含まれる。


 もし俺がリーベに拾われていなければ、今頃ガルーダや、それこそ“ベヒーモス”なんかのオヤツになっていた。


 それにこうして、自分から変わろうという意思を、その原動力を与えてくれた。


「だから、つまり、何が言いたいかって言うとさ。リーベのことを信じて、あえて手を離してみるのも、一つの手なんじゃあねえかって、俺はそう思うんだ」


「あえて、手を離す? そんなことをしたら、リーベは崖から真っ逆さまに落ちるぞ?」


「カルファは一体どこにリーベを置いているんだ! ライオンじゃああるまい、もっと平和なイメージはできねえのか!」


 急にボケられた。しかも、どうしてそんな我が子のように、我が妹のように可愛いリーベを崖にさらしているんだ。


 そういえばライオンは、我が子を崖から突き落とし、帰ってきた子を育てるという逸話がある。だがそれは、あくまでサバンナを生きる百獣の王族の話であって、人間でやれば普通に死ぬ! というかライオンの子でも普通に死ぬわ! 


 これが、俺が猫であることとかけて言っていたのなら、山田君に座布団を持ってきて欲しいものだが、生憎俺は歌○師匠じゃあないので、それはできない。


「えっ、アタシ今上手いこと言ったのか?」


「無自覚かッ!」


 カルファめ、なかなかどうして、無自覚にそんなワードが出てくるのか。ちょっと羨ましいぞ。


 それはそうと、あえて手を離す話、だ。大幅に脱線してしまった。


「親代わりったって、カルファが全部を背負う必要はねえと思うぜ。リーベに判断委ねてみて、リーベが困った時には、そっと手を差し伸べるんだ」


 休日の公園で、補助輪なしの自転車を練習する子供と、そのお父さんのように。


「絶対に離さないでね」と言う子供から、あえて手を離すように。リーベにはもう、補助輪も、常に支える手もいらない。


 と、自転車の存在しない異世界|(あるかもしれないけど)では通じない例えはここで完結させて。


 カルファは深く考えるようにして唸り、


「じゃあアタシは今後も、リーベの姉御として見守るとするかなぁ」


 ニシシ、といたずらに笑って言った。


 彼女の笑顔を見ていると、お姉ちゃんと話しているような感じになる。近所に住む、俺達によくちょっかいをかけてくる、気のいい姉ちゃん。


 まあ、紅咲光輝の人生のページには、そんな登場人物は誰一人として登場していなかったけど。


 閑話休題。


「じゃあ俺は、リーベのお兄ちゃんかな?」


「いや、お前はペットだろ。どこからどう見ても」


 しれっと、息を吐くように否定された。


 まあ、うん、確かに俺は猫だけど。一応生物学上はオスだし、中身は善良な一般の男子高校生だ。それをペットだ何だと呼ばれて喜ぶのは、ある一定層のドMだけだ。


 なんの耐性も快感を覚える機能も持っていない俺からしたら、結構傷つくぞ、それ……


「でもまあ、俺だってこれからはカフェの一員なんだしさ。困ったことがありゃあお互い様、だろ?」


「それもそうだな。じゃあそん時はシショー、アンタにも手伝ってもらうからな」


「ああ、任せておけ」


 俺はそう言って、右手を胸にぽんと当てようとした。


 前足が短すぎて、全然届かなかったのだ。そのせいで、結果的に右手、もとい右前足を伸ばすだけに終わってしまった。


 カルファはその姿を見て、爆笑した。


「お前、やっぱり可愛すぎるな……」


「んなっ……!」


 男である以上、可愛いと言われるのは少々屈辱的だが……猫なら、そこまでダメージはない。


 これからはカワイイ路線で売っていこうか。


 と、これまた訳の分からないことを語っていると、カルファは時計を見上げて言った。


「そういやリーベの奴、遅いなぁ……」


「遠くまで買い物しに行ったんじゃあねえのか? それとも、売り切れてるとか?」


「店ったって、ここから徒歩で10分くらい先の方だぞ? それにあそこで食料が品切れになることなんて年に6回、あるかないかだぞ?」


 結構あるじゃねえか。とは思いつつ、リーベがなかなか帰って来ないのは確かに不自然だ。


 いやしかし、まさか昨日のように事件に巻き込まれる、なんてことがあるはずない。


 仮にリーベがドジで不器用だったとしても、そこに追加で「不幸体質」なんかがオマケで付いて来るなんて、それはいくらなんでも神様のいじめがすぎる。


 それに俺達はさっき、あえて手を離して彼女を信じようと言ったばかりだ。


「まあ、強盗に人質に取られるようなことでもない限り、大丈夫だろう。リーベは――」


 と、その時だった。


「か、カルファちゃん! た、大変ッ!」


 バンッ! と勢いよく玄関口の扉が開いた。振り返ると、そこには町娘のような格好をした幼気な少女が、息を切らして立っていた。


 やがて少女はカルファと出会ったことに安堵したのか、ぐったりと、その場にへたり込んでしまう。


「だい――」


「アンタ大丈夫かい? 一体、何があったのさ!」


 俺の言葉を遮って、カルファは勢いよく立ち上がる。


 危ない、冷静に考えたら俺、リーベがいない時は喋っちゃダメじゃあないか。


 危うく喋りそうになっちまった。


 少女は、カルファから受け取った水を飲んで息切れを落ち着かせると、カルファの両肩をガッチリと掴んで、緊迫とした表情で言った。


「リーベちゃんが、リーベちゃんが……強盗に捕まっちゃった!」


 その瞬間、俺の顎が外れた。


 それも無理のない話だ。だってその展開はついさっき俺が言ったことだ。それがまさか現実になろうと、つい12段落前の俺が思うものか。


 いいや、ともかく起きてしまった以上一大事だ。


 畜生、こんなことなら俺も一緒に行くべきだったか。後悔したって遅いとは分かっていても、リーベをそんな危険な目に……


「こうしちゃいられねえ! ナゴ助、早く行くよ!」


「あ……ニャア!」


 俺は元気よく鳴き声で返事をして、カルファと共にカフェを後にした。

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