第7話 帰還:報酬を持って
「ナゴ助ッ! 後ろッ!」
後ろを振り返ると、そこにはガルーダの大きな手があった。
(嘘だろ、まだ生きてんのかよッ!)
しかし、避けようにも掌は既に急降下している状態で、今から逃げることはできない。
そういえば、人は死ぬ寸前、スローモーションになったように世界の動きが遅くなるといった話を聞く。
今まさに、目の前でそれが起こっていた。
ゆっくりと落ちてくるガルーダの手。
叫びながら走ってくる、リーベの姿。
そして、最後のあがきの如く逃げようと試みる、俺。
だがもう遅い。遅かった。
「ダメーーーーーッ‼」
リーベの叫び声が、後から鼓膜を揺さぶる。
と、次の瞬間――
――バッ!
一体何が起きたというのだろうか。
気が付くと俺は、リーベに抱かれていた。
瞬間移動したように、ガルーダの掌から少し離れた所に移動していた。
「リーベ……?」
「間に……合った……? うっ!」
よく見ると、リーベの服は煤塗れになっていた。
しかも、脚は燃えかすの残骸で切ってしまったのか、真っ赤な血が溢れ出している。
あの一瞬、リーベは俺を助けるために転がったのだ。
「リーベ、どうして、俺なんかのために――」
「分からない……。でも、誰かを助けるのに、理由なんて、いらないでしょ?」
そう言って、屈託のない笑みを浮かべる。
その笑顔には、なんの対価も欲しない、無欲な優しさがあった。
だが、その後ろでガルーダが起き上がる。
『おのれ……侵入者め……! この命に代えてでも、貴様らを排除するッ!』
「コイツ、不死身かッ……⁉」
よろけてはいるものの、ガルーダはゆっくりとこちらに近付いてくる。
せめて一度、一発限りでも魔法が使えていれば、確実に倒すことはできるだろう。
しかし粉塵爆発をした際に、今日の分の魔法を使い切ってしまった。
脚を怪我してまで助けてくれたというのに、何も出来ずに終わってしまうのか。
不甲斐ない。自分の無力さが、自分の不知が、憎くて仕方が無い。
「……うおあああああああああああッ!」
いや、魔法がなくたってどうにでもなる。
このまま守られるばかりじゃあいけない。
無茶だとしても、俺にはリーベを守る責務がある。
今日の分の魔法が使えないからなんだ。自分を呪ってどうなるというんだ。
自分にそう言い聞かせながら、ガルーダに向かって突進する。
そして、愛らしい肉球の付いた手から爪を展開し、ガルーダの顔面に目がけて拳を放った。
超古典的だが、最もシンプルな技の一つ。
〈体当たり〉。そして、〈ひっかく〉だ。
「ドラァァァッ!」
生まれ変わると誓ったんだ。
その思いを、こんなところで終わらせたくない。ただその一心だけで動いた。
猫パンチは、ガルーダの顔面に命中した。
威力の方は言わずもがな、あまり期待できるものではなかった。
『ぐっ! 貴様、小さき分際で――』
攻撃された怒りで、ガルーダは拳を大きく振りかぶる。
と、次の瞬間、
――シュンッ!
ガルーダの首に、白い一閃が走る。
するとガルーダの首はゆっくりと横にスライドし、やがてゴトリと鈍い音を立てて落下した。
身体はそれに気付かずに、拳を叩き込もうとしたが、まるで操り人形の糸が切れたように、力なく倒れてしまう。
「……えっ?」
「いつもより早くガルーダが目覚めるとは。やはり、もう迫ってきているというのか? 厄災が」
女性の声が、静かな森の中に響く。
後ろを振り返ると、そこにはリーベではない女性が一人、静寂の中に佇んでいた。
白いフードを纏い、顔には銀色のヒーローを模した仮面を被っている。
昔の特撮番組でこんな奴がいたような気がするが(ウルトラな銀色の巨人)、しかし、胸部の膨らみやタイツに包まれた脚、レオタードのようにやけにピッチリとした服装から、女性だと分かった。
「しかし間に合ってよかった。一瞬でも、ガルーダの動きが止まっていなければ、最悪なことになっていただろう」
彼女は言いながら、リーベの前にしゃがむと、胸ポケットから怪しげな瓶を取り出す。
「お、おいアンタ! 何者だ! リーベに触るなッ!」
「猫が喋った……? まあいい、安心しろ。私は怪しい者ではない、コイツもただの傷薬だ」
どの口が言うか。明らかに怪しさしかない。
だが、彼女は薬を自分の手に写し、優しい手つきで患部に塗り込んだ。
薬が染みるのか、リーベは痛みに喘ぐ。
「あまり動くな。傷は浅いとはいえ、感染症になりかねない。我慢しろ、リーベ」
「リーベ? アンタ、どうして名前を……?」
「かつて彼女の保護者だった。それだけのことだ」
抑揚のない声で、彼女は淡々とリーベの手当を終える。
すると、リーベは彼女の姿を見て一言、
「ま、マスター? マスター、ですよね?」
と、消え入りそうな声でそう言った。
するとマスターと呼ばれた彼女はリーベの肩を担いで立ち上がると、俺の方を向いた。
「君に警告しておく。これから、エルメスでは史上最悪のことが起きる。きっと君がここに来たのも、それを止めるためだと私は考えている」
「史上最悪の、こと? なんなんだよそれ!」
「私も詳しくは知らない。だが、それを止める鍵は君と、リーベにかかっている。それは確かなことだ。だから頼む」
そう言うと、彼女は一つ間を置いて、宝石のようなものを胸の前に出しながら、言葉を紡いだ。
「リーベを、そしてエルメスを守ってくれ」
「……」
未だに、それがどういう意味だったのかは分からなかった。
しかし彼女の言葉に異様な重量を感じ、静かに肯いた。
「アンタは、一体何者なんだ……?」
別れる前に、俺は訊く。
すると彼女は宝石に魔力を注ぎ込みながら、
「そうだな……ジェーン。ジェーン・ドゥと名乗らせてもらおう」
と答えた。
次の瞬間、宝石はピカッと激しい輝きを見せ、真っ白な光に包み込んだ。
やがて光が晴れたかと思うと、そこは森ではなく、エルメスの中央街だった。
光に視力を奪われていた間にワープでもしたのか、そこには俺とリーベだけが立ち尽くしていた。
何故か、怪しい彼女、ジェーン・ドゥだけがいなかった。
(ジェーン・ドゥ……)
たしかそれは、ジョン・ドゥの女性形。日本で言えば、名無しの権兵衛のような使われ方をしている仮の名でもある。
とどのつまり名無し。
結局正体不明じゃねえか!
顔も分からなければ、行動原理の不明。更には名前まで明らか偽名。
「女は秘密を着飾るもの」とはよく言ったものだが、あれは最早〈秘密を着飾る〉とかの次元じゃあない。
〈秘密が秘密を着飾っている〉の方が正しい。
ただ唯一分かったのは、彼女を拾って育ててくれた恩人ことマスター、それが彼女だったということだけ。
そうしていると、目の前に建っていたカフェの扉が開いた。
そこの店主と思しき黒髪の女性は、リーベと目が合った瞬間、突然彼女に抱きついた。
「リーベ、アンタどこに行ってたの! 森に入ったって門番から聞いて心配してたんだぞ!」
「ごめんなさい! でもカルファ、これには事情があって……」
「うわ、アンタこんなに服まで汚して……あれ? ペンダントは?」
「ニャー」
と、ここで鳴いて彼女の視線をこちらに向けさせた。
きっと瞬間移動した時、ジェーンがかけてくれたのだろう。リーベのペンダントは、俺の首にかかっていた。
それを見て、カルファは俺の前にしゃがみ、優しく頭を撫でる。
「アンタ、もしかしてリーベのためにこれを?」
俺は肯く。
するとリーベは、俺を優しく抱き上げながら、勢いよくカルファに頭を下げた。
「ねえカルファ、お願い! この子を、ウチで飼わせてください!」
「はぁ? ウチはカフェだぞ? それに動物を飼うなんて、そんな簡単なことじゃ――」
「それは、分かってる。けど、この子は師匠として――」
「バカなこと言うんじゃないよ。猫が魔法使えるワケ……」
そこまで言って、カルファと目が合った。
黙り込むカルファ。静まりかえった街に静寂が走る。
緊張感が走る中、カルファは何かを察したようにため息を吐いた。
「成程。マスターが言ってたのはこれのことか」
「マスター?」
「いいぜ、その子をウチで飼うことを許可する」
「ほ、ホント⁉ カルファ、いいの⁉」
「ただし、条件が三つある!」
そう言って、カルファは一本ずつ指を立てながら続ける。
「一つ、面倒は全部リーベが見ること。二つ、今以上にカフェの手伝いを頑張ること。三つ――その子が師匠だというなら、技を全部パクる気持ちで打ち込め」
一つずつ指が上がる度、リーベの表情が明るくなっていく。
勿論、リーベは半端な覚悟を持った人間じゃあない。カルファから提示された条件に、彼女は元気よく肯いた。
「うん! ありがとうカルファ! これからよろしくね、ナゴ助!」
「ナゴ助? もう名前まで付けてるのか? ったく、アンタはいつもそそっかしいねぇ」
カルファはニッと歯を見せて笑いながら、俺の頭を撫でる。
彼女が俺のことをどう思っているかは知らないが、歓迎されているのは確かだろう。
「おっとコイツも汚れてんな。リーベ、風呂は沸かしてあるから、まずはさっさとこの子洗ってこい。乾かすのはアタシでやるから」
「はーい!」
また元気よく返事をすると、リーベは俺を連れてバックヤードの奥へと向かった。
いや待て。風呂へ行くってことはそれはつまり……
混・浴ッ⁉
いや、嬉しくないと言えばそれは嘘になる。
ガルーダとの激闘で得た報酬と言われたらなんだか納得してしまいそうだが、報酬にしてはお釣りがデカすぎやしないか⁉
落ち着け、落ち着けナゴ助。そんなんだから前世で彼女いない歴=年齢だったんじゃあないか。
だが、リーベに洗われるというのは、悪くない。
ああ、猫最高。
***
「さーてと、ナゴ助覚悟しろ~!」
「へ?」
つい4行前の文章と矛盾するが、最悪だ。
まだ、リーベと浴室の中にいるという状況はまだわかる。流石に猫一匹で身体を洗うなんてことはできないから、仕方が無い。
汚れを落とす行為も、まあわかる。ガルーダとの闘いで煤や泥まみれになってしまったのだから。
「り、リーベ? 君は一体これから――」
「何って、ナゴ助を洗うのよ?」
「洗うったって、リーベは入らないのか? 風呂?」
「ナゴ助を洗ってから一人で入るわよ! ナゴ助、もしかして見たいの?」
「ああいや、そういうわけじゃあ、ないけど」
「ならいいじゃない。問題なし、モーマンタイ!」
「なんでそれを知っているんだ!」
背後にしゃがむリーベの姿は、バスタオルを巻いた姿ではなく、ニーハイソックスを脱いだ生足のリーベ。
とどのつまり、服を脱いでいない状態にある。
更に、お風呂の湯気が浴室内に溜まっているせいか、毛先から身体が湿っていく不快感を覚える。
そういえば猫は水が苦手らしい。一部お風呂好きの猫もいるらしいが、俺は前者、水嫌いの猫らしい。
つまり、俺はこれからリーベにお湯責めの刑を執行されてしまうのだ。
「さーて、チャチャっとやっちゃうぞ~!」
そう言って、リーベはシャワーの水を出す。
ああ、終わった。完全に終わった。
これを猫になったから一緒の浴室に入れたと喜ぶべきか、水嫌いになったから最悪と捉えるべきか。
ところで、俺は何故猫になってしまったのだろうか。
思い返して見ると、生前の記憶が鮮明に浮かび上がってきた。
『チーターみたいになりたい』
死ぬ間際、俺が何度も言った言葉だ。
一日三回までと制限はあるものの、禁術以外の魔法を既に極めているのは、チートと言っていいだろう。
実際、俺がなりたかったのはその〈チーター〉であって、決してネコ科の動物である〈チーター〉ではない。
ん? チーター、みたいに……
まさか――
(『チーターみたいに』って言ったから、ネコ科の動物、ネコになったと言うのかッ⁉)
その瞬間、俺の中にあったモヤモヤが繋がり、一本の線になった。
いや、うん。確かに俺は『チーターみたいになりたい』と言った。
チーターみたいになりたいって言ったけど……
「くらえナゴ助! ウォーターっ!」
その瞬間、背中から生ぬるい水をかけられ、一気に背中が重くなった。
その驚きと同時に、俺は腹の底から叫ぶ。
「ギニャァァァァァァァァァァァァッ! ネコになるのは聞いてませぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇんッ!」
悲鳴にも、魂の叫びにも似た声は、静まりかえった夜の街に響き渡ったとか。
俺とリーベの修行の日々は、こうして始まった。
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