第5話 紅咲光輝 ~VSガルーダ その2~

 紅咲光輝という人間は、非常に無気力でつまらない男だった。

 夢も希望もなく、ただただ「人生はクソだ」「世界はクソだ」と嘆き、たいして変わる努力もせず、怠惰に過ごしていた。

 それを、死ぬまでずっと、同じ一日をループするかのように。小説の同じページを、右端の行から読み返すように。

 友達だって、人間不信だったから一人もいなかった。いや、《作る》という努力すら怠っていた。


「紅咲の奴、また一人だよ」

「ほっとけよあんな根暗。無愛想だし面白くもねぇ」


 聞こえる声量で陰口を聞かされて、それでも机に伏し、寝ているフリをして〈孤独〉であり続けた。

 怖かったんだ。また否定されてしまうのが、俺なりの努力を否定されるのが。

 それを全て、出る杭を叩く社会のせいだと宣って、努力することから逃げてきた。

 俺という人間は、実に空虚で、愚かで、臆病なだけだった。

 それがもし、人間のまま転生していたら。

 きっと俺は、手にした《大魔道士》とかいうチート能力を持て余して、変わる努力もせず、異世界でもまた「この世界もクソだ」と、嘆いていたかもしれない。

 当然、リーベと出会うこともなかっただろう。

 しかし、今は違う。

 俺はまだ、どんな音楽が好きなのかすら知らない女の子のために、こんなヤバい森まで足を踏み入れた。「死ぬかもしれない」なんて、そんな恐怖すら忘れて。

 そんなこと、前世の俺じゃあ、絶対にあり得なかった。

 じゃあ何故命を捨てるようなことをしてまで、彼女のために行動したのだろう?


『余所者の私を受け入れてくれた街の人達の役に立ちたいの』


 その時、リーベが語っていた夢のことを思い出した。

 記憶喪失で、マスターという人物に拾われた少女。どこの誰かも分からない、敵国のスパイかもしれない、正体不詳の少女。

 そんな彼女が、どこの馬の骨とも、猫の骨とも知れない俺を信じる、純真で心優しい性格に育ったのは、リーベを心優しく受け入れ、一人の大切な〈隣人〉として見守っていてくれたからだろう。

 

(同じだ――)


 俺も今、リーベの師匠として、彼女に優しく手を差し伸べられている。

 まだ出会って半日しか経っていない。しかし、俺にはなんとなく、リーベがマスターに拾われた時の気持ちを理解できた。

 誰にも拾われずに野垂れ死んでしまうかもしれない、一抹の不安。そこに差し伸べられた、希望の光。

 俺は既に、その希望の光を掴んでいた。


(そうか。あの時俺が青髪の少女、ネムに飛びかかったのは――あの子の目標に共感したからッ! リーベの壮大な夢を、純粋に〈応援したい〉と、心の底から思ったからだッ!)


 その時、俺の中で何かが燃えた。かつて捨てたはずの、見向きをしようとしなかったものが燃えた。

 その炎はやがて黄金色の光となり、真っ暗な夜空に現れた一番星のように、強く輝きを増す。

 まるで、自分から俺のもとへ戻ろうとするように。「ここにいる」と、俺を呼び寄せるように。

 そして、光の正体をハッキリと認識した瞬間、俺の中で大きなものが芽生えた。


(昔、俺が全てを諦めて捨てちまった〈夢〉、〈目標〉――彼女には、リーベにはそれがあったッ!)


 リーベの《大魔道士》になるという夢には劣るかもしれない。しかし、俺にとってこの思いは、どんなゲームのラスボスよりも、どんな神話の神であろうと敵わない、ドデカいものである自信があった。

 叶うか叶わないか。そんなことは些細な問題でしかない。

 俺は、俺は――――


 *


「リーベを大魔道士にするまでは……死ねんッ!」


 俺は立ち上がり、ガルーダに向かって叫んだ。

 その叫びこそ、俺の新たな目標。


(ネコとして、師匠としてリーベを導く。それが俺の新たな〈目標〉だ)

「そのために、テメェはここでぶっ倒すッ!」

『ほぉ? 気でも触れたか、小さき獣よ』


 ガルーダは俺を嘲笑い、ゆっくりと近付いてくる。奴は自分の勝利を確信しているようだ。

 現状俺は、立っているのがやっと、骨折していなさそうなのが奇跡なくらいだ。ここから逃げるのは、不可能に近い。

 だが、俺はこの一瞬で、ある〈秘策〉を立てた。

 成功率は期待できないし、殆ど奇跡に近い秘策。だがこれは最早〈成功する〉か〈失敗する〉とか、そんな問題ではない。


(やる。やるしかないッ!)


 俺は覚悟を決め、ガルーダから距離を取る。それと同時に、スキルの一つ《探知》を発動し、周囲の状況を探る。

 その瞬間、脳裏に戦闘機のレーダーのようなものが見えた。案の定、この騒動のせいだろう、小動物のようなものの反応はない。

 俺を中心に、後方に大きな反応――ガルーダとあと一つ、人間? らしき反応があった。

 その瞬間、俺の〈秘策〉――プランAが決まった。


(俺が今日撃てる魔法はあと一発のみ。今ここで極大魔法を撃てば、森にどんな被害が及ぶか分からない。まして、極大魔法を撃ったからと言って、ガルーダを確実に討伐できるとは限らない。だが――)

「こっちだガルーダ! 殺せるもんなら殺してみろッ!」

『観念しろッ! グラアアアッ!』


 ガルーダは雄叫びを挙げながら、俺に目がけて拳を振り下ろす。だが、俺はそれをジャンプで華麗にかわす。

 その代わりに、背後にあった木はガルーダの拳により木っ端微塵になる。


『貴様、何故避けるッ!』

「悪いな、ネコってのはすばしっこいもんだからよぉ」

『おのれ、鬱陶しい不届き者の分際でッ!』


 ガルーダは怒りに身を任せ、何度も拳を放つ。しかし、それが俺に当たることはなかった。

 ネコ故の身体能力なのだが、正直どの攻撃もスレスレで躱せている状況。下手をすれば殴り飛ばされて死んでしまう。

 怖くないと言えば嘘になる。だがこれを耐え凌げば、この逆境を乗り越えられる。確証はない、藁にもすがる思いだが、俺は俺を信じる。

 たとえこれで倒せなかったとしても、それは必ず生きて帰れる道。俺が、新たな俺として生まれ変われる道。そしてリーベの師匠としての、覚悟の道ッ!

 

「うらぁぁぁぁぁっ!」

『グラアアアッシャアアアア!』


 ガルーダの猛攻で、次々と木々が粉微塵になっていく。粉微塵になった木片は衝撃で舞い上がり、まるで雪のように降り注ぐ。

 だが、いくら闇雲に殴っていても、俺に攻撃が当たることは一度もなかった。その屈辱で更に怒り、森一帯にドラムのような激しい音が鳴り響く。

 木片の雪で視界が塞がれている状態で、最早ガルーダにはなにも見えていない。しかしそれでも、拳は飛んでくる。

 だが、俺はコイツを待っていたのだ。


(ガルーダの攻撃は、その筋肉にものを言わせた物理攻撃、主に殴るのみ。あの《激震》とやらも、結局は地面を殴って擬似的に地震を起こしていただけ。威力は本物だが、それ故に音と衝撃が凄まじくなる。だが逆説的にそれは――)

「音が大きければ大きいほど、自分の居場所を教えることになるッ!」

『何……?』

「アンタは森の王、その名に見合った実力はある。音が出ようが出まいが、そいつがデメリットになることは殆どない。ただし――」


「近くにもう一人――強力な助っ人がいる場合を除いてだがなぁッ!」


 ハッタリだった。まだどれほどの実力があるのか分からないし、「落ちこぼれ」と言われていたから、強力とは言えないかもしれない。

 だが俺に〈あるもの〉を持っていない彼女なら――


「ナゴ助ッ!」


 その時、木片の積もった森の広場に、少女が現れた。


「り、リーベっ⁉」

「誰だか知らないけど、ナゴ助には指1本触れさせないんだからッ!」


 リーベだった。いや、《探知》スキルで既に来ているかもと薄々気付いていたが、まさか本当に彼女だったとは。

 リーベはガルーダを前に杖を構えているが、しかし、その脚は恐怖でガタガタと震えていた。

 こんな暗い森の中、一人で心細かっただろうに。ここに来るのに、勇気が必要だっただろうに、それでも、俺のところまで来てくれたのだ。


「リーベ、どうして……」

「話は後! ここ、コイツを、た、倒せば帰れるの、よね?」


 落ち着け、と言いたかったが、こんな状況だ。落ち着いていられる筈もない。


『何かと思えば、人間の小娘か。強力な助っ人とは、笑わせる』

「勝手に笑っとけ鳥頭!」

『グラアアアアア!』


 言い返すと、ガルーダは拳を大きく振りかぶって突進してきた。

 だが、これで全てが揃った。俺の秘策――プランAの準備がッ!


「いいかリーベ、一度しか言えねえ。俺が奴の攻撃を惹きつける! 戻ってきたら、炎魔法を放て」

「えっ、でも――」

「俺を――信じてくれ」


 俺はそう言い残し、ガルーダの方へと突撃した。

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