第3話 夢見る見習い魔法使い
そんなこんなで、弟子にしてくださいと懇願されて3時間ほど。
俺はリーベに連れられて、街にやって来た。
高い壁に囲まれたこの街は『王都エルメス』と言うらしい。
「う、うおおおお!」
橋を渡って、大きな門を潜った先に広がるのは、まさに幻想的な世界だった。
石畳の敷かれた道、レンガ造りの民家。街を行き交う子供達は麻製の服を纏い、元気いっぱいに駆け回っている。
そして、微かに鼻を
「夢か、これ……いや、現実、だよな?」
未だに実感が沸かない。しかし、この五感で余すことなく感じるものが、現実であると教えてくれる。
何より、一番の驚きは、街の人達が〈スマホを持っていない〉ことだ。
異世界だから、スマホなんていう不思議な板を持っている人間が、この世界にいなくて当たり前なのだが。俺のいた世界では、何処を見てもみんなスマホを片手に歩いているのが普通だった。
勿論、歩きスマホは危険だからやめるべきだ。しかし20年ほど前は板とにらめっこをしていない、この世界のような景色が普通だったのに。
常識の変化というのは、実に流れの早いものだ。
閑話休題。
「珍しいの?」
「ああ! こんなすげぇの、映画のセットでしか……。ああいや、俺、野良でも街生まれじゃあねえからさ」
「そっか。でもそれじゃあ、生まれてからずっと大変だったでしょ」
「えっ?」
「平原で生まれたネコちゃんって、ほとんどが魔物のごはんになっちゃうって聞いたことあるから」
マジかよ、やっぱりあそこ魔物いたのかよ! しかも弱肉強食の世界⁉
転生して最初に出会ったのがリーベでよかった。これがよく分からない魔物なら、今頃魔法を使う暇もなく、三時のおやつにされていただろう。
しかし、これから彼女についていったとして。恐らく両親に飼っていいかどうか訊くのだろう。
さっき聞いたとおり、壁の外は危険だ。もし「元いた場所に返してきなさい」などと言われたら最期、それこそ本当に〈三時のおやつ〉になってしまう。
「なあリーベ、本当に大丈夫なのか? ご両親、ネコを触ったらくしゃみとかしないか?」
どんな理由があろうと、ペットを飼うのはそう簡単なことじゃあない。
彼女の両親がどんな人間か、ネコアレルギーがあるかどうか、そんなことは知らないが、彼女の両親が「ダメ」と言えば、それで話は終わってしまう。
それを懸念して俺は訊いた。するとリーベは、
「……」
「リー、ベ?」
「ああ、ごめんごめん。なんでもない、なんでも……」
なんでもないものか。リーベは俯き、悲しい表情をしていた。
どうやら地雷だったらしい。それも、両親に関することは、他人が干渉してはいけない領域の一つに数えられる。それほど危険な話題だ。
しかし、リーベは自分を落ち着かせるように大きく息を吸い込むと、周囲を確認し、路地裏へと入っていった。
路地裏は、意外とさっぱりとしていて、綺麗な場所だった。
石畳はそのままに、西から差し込む日光のお陰か、そこまで暗くはない。だが周りは居酒屋と思しき施設で囲まれており、入ってきた路地からは、俺達の姿は完全に隠れてしまう。
秘密の話をするには、うってつけの場所だ。そこでリーベは、俺を膝に置いて話し始めた。
「実は私ね、記憶喪失なんだ」
「……へ?」
「お父さんやお母さんのことも、私がどうしてここにいるのかも。ここに来る前のこと、全部思い出せないの」
「ま、待て待て。じゃあつまり君は……」
「うん。覚えてるのは、私の名前だけ」
そういえば、リーベは名乗ったとき「リーベ」としか言っていなかった。
それに、両親のことを覚えていないとなると、彼女は一体どこに住んでいると言うのだろうか。
もし一人暮らしなのだとしても、下宿先がペット不可でもない限り、飼おうがどうしようが、それはリーベの勝手だ。
「あ、でも家はちゃんとあるわよ? マスターに拾われて、それからずっとそこで暮らしてるの」
「マスター? すごい名前の人が出て来たな」
「マスターって、カフェのマスターね?」
そっちの方か。てっきり、賢者とか仙人のような〈マスター〉かと思ってしまった。いや、だとしたら俺はいらないじゃあないか。
つまり、リーベは今カフェに住んでいる、というわけか。
それはそれで、ネコアレルギーの客を考慮して、ネコを置いてはダメなのでは?
「リーベ、カフェならそれこそ、ペットはダメじゃあないか?」
「だからお願いするの。まあ、もし無理だとしても、ネコさんには庭で過ごしてもらうけど」
「庭?」
「ええ。お店の外に、ちょっとした畑があるの。そこで暮らせば、安全でしょ?」
確かに安全っちゃあ安全だけど。そこまでして彼女の家に居座るのは、罪悪感を覚える。
俺がどうしても飼って欲しいとしつこく言っているのなら、それは恥知らずもいいところだ。いやしかし、どうしても飼いたいとは言っていない。
つまりこれは、彼女が俺を飼うために出した条件みたいなものか。
それに、外の方が魔法の練習もできるし……ん? 魔法?
「リーベ、何で俺なんだ?」
「なんで?」
「なんで、どこの猫の骨とも知らない俺に弟子入りしたいんだ? ちょっとした個人的な好奇心なんだが。もしかしたら、俺が嘘をついてる、度し難い大ホラ吹き野郎かもしれないだろ?」
「えっ、ネコさん嘘ついたの?」
リーベは言って、口に手を当てた。よほど俺のことを信じていたのだろう。
しかし、すぐに微笑んで、
「なーんて。ネコさんが嘘を吐く理由なんてないじゃない」
と優しい表情を向けて笑った。
確かに、彼女に嘘を吐いてなにか得をすることはないし、理由もない。
リーベは既に、俺が大魔道士であることを信じていたのだ。
「それに、なんとなく分かるの。ネコさんには、普通のネコちゃんにはないオーラ? がある」
「オーラ? 一体君は――」
そこまで言って、口を噤む。その答えを、俺は既に知っていたから。
リーベは記憶喪失なのだ。とどのつまり、先の問いの答えはただ一つ――〈分からない〉だ。
「けどね。多分、これのお陰なのかも」
「これ? これって……?」
「今見せるね。これ、人前であまり見せるなって言われてるから、いつも隠してるんだけど――」
リーベはそう言って、服の下からペンダントを取り出した。
少しメッキの剥げた金の縁――ベゼルと言うらしい――に、赤い宝石が埋め込まれている。その宝石はこの、仄暗い路地裏にも拘わらず、まるで太陽の光を吸収したように光っていた。
その光にはなにかパワーがあるような気がして、つい心が引き込まれてしまいそうになる。
「じゃじゃーん! どう、キレイ?」
「ああ……ソイツは……?」
「なんだろう、私もよくは分からないわ」
俺は思わずずっこけた。大事なものっぽいのに、本人に分からないなんてことがあるか。
リーベはペンダントを手のひらに載せると、もの懐かしそうにそれを見つめて言った。
「でもね、これを持っていると、お父さんとお母さんが近くにいてくれているような気がするの」
「それじゃあそのペンダントは、ご両親の?」
「多分……。これを手がかりに、いつか会いたいなぁ……」
そうか。そういうことか。
リーベのご両親のことは、当然分からないし、俺のような野良猫が干渉していい話じゃあない。しかし、この不思議なペンダントは、リーベの正体を突き止めるための手がかりだ。
そして、そのペンダントには、魔法が関係している。きっとリーベが魔法を覚えることで、その謎が解けるのかもしれない。
「リーベ、君はそのために魔法を?」
「それもあるけど、余所者の私を受け入れてくれた街の人達の役に立ちたいの。勿論、大魔道士として、歴史に名前を残すわよ?」
次々と夢、目標が出てくる出てくる。
自分の生まれを突き止めるだけでなく、街の人の役に立ちたい。そして、歴史に名を残す。ハッキリ言ってしまえば、欲張りだ。
あの麦わら帽子の海賊でも、ここまで壮大に、あれもこれもと夢を叶えようとはしない。
しかし、それがいい。彼女は夢のために一生懸命だからいいのだ。
対して俺は、これといった夢もなければ、これからどうしようか、そんな目標もない。
「馬鹿馬鹿しい」
と、その時だった。リーベのものでも、俺のものでもない声が、リーベの夢を嗤った。
声の主を振り返ると、そこには青髪の少女が立っていた。
「あなた、ネムッ⁉」
「鈍くさい気配を感じて来てみれば、やっぱりあなたね。リーベ」
少女、もといネムは嫌みったらしく言う。
リーベとは知り合いのようだが、その態度は随分とあからさまだった。
「そのネコはお友達? 埃まみれで、お似合いじゃない」
「そうかなぁ……」
「チッ。皮肉を真に受けて、腹立つ……」
ネムは忌々しそうに舌打ちをした。
リーベはと言えば、彼女の皮肉に気付いていないようで、ただ困った顔をしている。
皮肉など、真に受ければただ傷ついてムカつくだけだから、彼女の対応が模範解答なんだろうけど。
ネムはサイドテールに結った髪をいじり、露骨に嫌な表情をしている。
と、リーベの胸元に気付き、
「あら、それは何かしら? よーく見せてちょうだい」
杖で魔法を発動し、リーベのペンダントを奪った。その動きは無駄がなく、俺が気付いた頃には、既にペンダントはネムの手に渡っていた。
「うわっ、メッキ剥がれてるじゃない。でもこの宝石、あなたには勿体ないくらい綺麗ね」
「か、返してっ! それは私の――」
「気安く触らないで、汚らわしいっ!」
「きゃっ!」
「そんなに取り返したければ、魔法で取り返しなさい。まあ――」
「落ちこぼれのあなたには無理でしょうけど」
リーベの全てを否定するように、ネムは強調して言った。
その瞬間、俺の中で何かがキレた。
「ミニャアア!」
俺は爪を展開し、ネムの手に目がけて飛びかかっていた。
この時はまだ、なぜ彼女に飛びかかったのか分からなかった。気が付けば、身体が勝手に動いていた。
「な、なによ汚らわしいッ!」
「にゃあっ!」
俺の攻撃も虚しく、ネムに跳ね飛ばされてしまう。
しかし、俺の奇襲に驚いたネムは、リーベのペンダントから手を離した。
「ネコさん、大丈夫?」
「あ、ああ。何とか――」
後は取り返せばいい。そう思っていたが、空高く飛んでいったペンダントは、
――ガァァァァ!
偶然か狙っていたのか、通りかかったカラスに奪われてしまった。
「あ、ああ……」
「フン。私は知らないから! 恨むならそのネコを恨むことね!」
捨て台詞を吐き捨てて、ネムはその場を後にする。
リーベは、ペンダントがカラスに奪われたことにショックを受けていた。膝から崩れ落ちて、ペンダントの飛んでいった方を見つめている。
彼女は魔法がからっきしと言っていたが、優しい彼女のことだ。カラスを魔法でどうこうすることはできない。たとえ、魔法を自在に操れていたとしても、同じだろう。
「リーベ、アイツは大事なものって言ってたよな」
「えっ?」
「必ず取り返す」
俺はそう言って、路地裏の窓枠を経由して民家の屋根まで登る。
「ネコさん、待って!」
「大丈夫だ、絶対に戻ってくる!」
元はといえば、俺がカッとなってネムという少女を襲ったことが原因だ。
ネコだろうが人間だろうが、やらかしたことには、しっかりとケジメを付けなければならない。
俺はペンダントを取り返すため、ただそれだけのために、屋根から屋根を伝って、カラスを追った。
(くそっ! 一丁前に空なんて飛びやがって……)
鳥なのだから、飛んでいて当たり前だが。文字通り〈天と地の差〉がある俺とカラスを前に、距離は段々と開いていく。
屋根を登って距離を詰めても、カラスは更に上空へと高度を上げる。
――グアアアア! グアアアア!
そして、煽るようにしゃがれた声で鳴き声を上げる。
やがてカラスは壁を飛び越え、その奥に姿を消す。
仕方なく屋根から地上に降り立って見えたのは、街の西門だった。その奥には、夜の帳を思わせるほどに鬱蒼と茂った森が広がっていた。
なぜか持っていた探知スキルで見ても、森の奥には何十もの小動物の生体反応がある。そして一つ、森の中を突き抜ける影が見え、スキル外を通って消えた。
(あの先が……奴の住処か……)
怖くないと言えば、それは嘘だ。今は夕方、そろそろ夜になる。
とどのつまり、凶暴な夜型の魔物が活動し始めてもおかしくない時間。
しかも、どこまで広がっているかも分からない森の中から、一匹のカラスを探すのは、アメリカの広大な麦畑に投げた1本の縫い針を探すように、困難だ。
いやしかし、ペンダントを取り返すと約束したのだ。
(ここでビビってリーベを悲しませるのと比べれば――)
覚悟を決め、俺は西門を突っ切った。
――黒猫が西門を突っ切った頃。後から追いかけてきたリーベは、西門の前で膝に手を付き、大きく深呼吸をする。
しかし、光輝――ネコは既に、森の奥へ消えた後だった。
「ネコさん、どこに行っちゃったの……?」
辺りを見渡すが、黒猫の姿はどこにもない。
心配するリーベ。彼女の耳に、西門の門番の会話が聞こえてきた。
「あのネコ、追わなくていいのか?」
「諦めろ。俺達が追っても死ぬだけだ」
「死ぬだけ? まさか……」
「ああ。そのまさか。あの森、例年よりも早く――」
「ガルーダが、冬眠から目覚めちまったからな」
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