第1話 俺、開眼ッ!
――暖かい。燦々と輝く太陽の日差しが、俺の身体を照らす。
周りは草原だろうか。風に吹かれた草木が、ざわざわと心地良い音を奏でている。
(ここが、天国か……?)
目を開ければ、天高く伸びる花が出迎えてくれた。
その奥には、青々と茂った草原と、雲ひとつない青空が広がっている。
そして、涼しい風と太陽の日差しが、俺の身体を優しくマッサージしてくれる。
とても心地がいい。ずっとここで横になっていたい。
だが、ぶわっと風が吹き上がった時、俺は違和感を覚えた。
身体を持ち上げるように吹き荒れる風。それはまるで、全身の〈毛という毛〉を持ち上げられるような感覚。
俺の髪は男子にしては長い方だ。いや、この場合「あった」が正しい表現だろうか。
アグレッシブという、ギリギリ目にかからない程度の長さ。マッシュルームヘアに近い髪型を想像してくれたら、多分それが俺の髪型だった。
それに、俺はそこまで毛深くはない。
むしろツルツル。口髭も薄い方ではあったが、念入りに剃って、保湿クリームを塗るほどには気を遣っていた。
特段〈モテたいから〉とか、明確な理由はない。ただ個人的に、ヒゲ面の自分が見たくなかった、それだけだ。
むしろ、イマドキ剛毛男子はあまりモテない。まあ、年齢イコールの俺が言うなって話だが。
いやいや、それとこれとは話が別だ。
とにかくこの感触で気付いたのは、俺の全身には今、毛が生えまくっている、ということだ。
腕や足は勿論、顔全体も毛で覆われている。お腹も背中も、手のひら、足の指、耳の裏、そして尾てい骨から伸びる――なんだこれ?
とにかく、頭の先から足の先まで、丸々全身、毛で覆われている。
(……どういうことだ?)
立ち上がってみると、再び違和感。
人間の平均的な身長は150センチ程度。興味がなくて忘れたが、俺の身長は確か170センチを超えていたはず。いや、160強だったか、まあどっちでも変わらない。
しかし立ち上がって見えたのは、ちょっと高くなっただけで何も変わらない景色。
つまり、寝転がっていた時とさほど変わらない景色しか見えなかったのだ。
思い返してみれば、最初に目を開けた時からおかしかった。
(そういや、なんで花を下側から見ることができるんだ?)
視界に映っている花は、茎から花びらが放射状に広がる部分、つまり下から見た状態にあった。
仮にこれが人間だった場合、赤ん坊や顔の小さい子供を例外として、“ただ寝転がるだけ”じゃあ絶対に拝むことはできない。
しかも、今の俺はどうやって立っている?
地に足は着いている。だが、手も地面に着いている感覚がある。とどのつまり、四つん這いの状態だ。
しかし、赤ん坊のような〈はいはい〉の姿勢じゃあない。例えるなら、犬や猫のような、いわゆる四足歩行の動物――四肢動物《ししどうぶつ》に近い感覚だ。
何より、尾てい骨から伸びている変な感覚は、おそらく尻尾だろう。
仮に西遊記の孫悟空とか、ドラゴンボールが始まって間もない頃の、少年期孫悟空のような猿だとしても、もっと人間に近いから、猿ではない、はずだ。
これらの情報から導き出されること。それは――
(俺は、人間じゃ……ない?)
最早それしか考えられない。四肢が地面に着き、頭の先から脚のつま先、尻尾まである毛の感触、極端なまでに低い視点。
これが人間だとは到底思えない。
まさか、なにか特殊なスライムにでもなったと言うのか?
否、ソイツは既にいるから違う。
何より俺には今、四肢の感触があって毛深いのだ。彼のようなもちぷよボディとは似ても似つかないし、ヤツは最初目が見えていなかった。
そもそも、毛深いスライムなんて、アイデンティティを自ら潰しているじゃあないか。ひんやり、もちもちしているから、スライムはいいんじゃあないか!
いやいや、なにを熱くスライム談義をしているんだ、俺は。
じゃあ蜘蛛か? あり得ない。ちゃんと四肢はその言葉通り、〈4本〉しかないからだ。
じゃあ何だ? 俺が全く知らない魔物か?
(どうなっちまったんだよ俺……。ここは天国じゃあないのか?)
いやもう、天国とか夢の方がいい。
まずそもそも、毛むくじゃらな時点で生理的に受け付けられない。
動物になったとかなら別だが、人間だった場合、これでは完全に清潔感もクソもない。
だが現状、自分の姿を確認する術がない。
当然だ。こんな草原の中に偶然鏡が落ちている、なんてことがあるものか。
あったとしても破片くらい――そもそも、破片が散らばっている場所に裸足で近付けるか。
と、あれこれ必死に考えている時だった。
――ファサッ。
突然、周りに影ができたかと思うと、暗闇が俺を包み込んだ。
刹那、俺は驚きのあまり、
触ってみた感触は、布のようだ。
鼻に意識を集中してみると、ふんわりとした甘い香りが漂っていることに気付く。
だがこの〈布の檻〉、何だか分らないが、俺の力では動かすこともままならない。
何故か暗闇の中でも鮮明に見えるが、それでも脱出口すら見当たらない。
「はぁ、はぁ、やっと追い付いた~」
遠くから少女の声が聞こえてくる。どうやらこの〈布の檻〉の持ち主だろう。
向こう側に居る彼女はしゃがみ込むと、俺を閉じ込めていたそれを持ち上げた。
〈布の檻〉の正体は、どうやら帽子だったらしい。それも、魔法使いが被っているような、あの三角帽子だ。
「もう、今日は風が強くてやんなっちゃう……。あれ?」
彼女が帽子を上げると同時に、可愛らしい顔をした女の子と目が合った。
ツインテールに結ったピンクの髪。スカートから覗くニーハイソックスに包まれた脚。そして、大きく実った双子の果実(たわわ)。これほど立派なもの、漫画雑誌のグラビアコーナーでしか見たことがない。
といっても、グラビアを見たのは「興味ないね」と言えば嘘になるくらい、足の指が数本入るくらいしかないが。
閑話休題。
少女の顔立ちは可憐という言葉が似合うほど美しく、俺の心は一瞬にして奪われた。
「天女様がいるなら、きっと彼女のことを言うのか……」
「? ネコさん今喋った?」
あまりの美貌に、つい心の声が漏れ出してしまった。
きょとんと首を傾げる彼女の顔が、また美しい。けど痛い……。
いや待て。今、彼女なんて言った?
聞き間違いじゃあなければ、今〈ネコさん〉と言った気がする。
「あの、今俺のことなんて――」
「えっ、ネコさんって……」
やっぱりだ。俺の耳に異常は無い、しっかりと〈ネコさん〉と言っている。
だが理解出来ない。突然草原で目覚めたかと思えば、ネコになってました? 転生したらネコだった件、とでも言うのか?
あり得ない! あり得ないあり得ないッ!
だが少なくとも、今の俺が人間じゃないことは確か。そして目の前にいるのは女の子。
その瞬間、俺はあることを思い出した。
「すみません。差し支えなければ、手鏡を貸していただけないでしょうか……?」
手鏡。女の子といえば、髪型を整えたり、メイクしたりするために、ポーチとかに入れていることが多いはず。
少なくとも、俺の学校にいた女子は授業中でもお構いなしに、机の上に鏡を立てていた。
俺の偏見でしかないが、持っているはずなのだ。
目の前にいる誠実、ザ・清楚と言ってもいいような彼女が、そんなギャルには見えないが。
思った通り、彼女は不思議そうな顔をしながらも、
「コンパクトならあるけど……」
と、腰に付けたポーチからピンク色のコンパクトを取り出し、俺の前に置いた。
俺は一応会釈した後、恐る恐る鏡の中を覗き込んだ。
コンパクトサイズで小さい鏡だったが、俺の姿を見るには申し分ない大きさだった。
そこに映っていたのは――
モフモフとしていて、触り心地の良さそうな黒い体毛。クリクリとした丸く黄色い瞳。頭から生えた猫耳は、ぴょこぴょこと可愛らしく動く。
見間違える筈がない。その姿はまさしく猫、黒猫だった。
試しに手を上げてみれば、鏡の中の猫も前足を上げる。
試しにウィンクをして見せると、鏡の中の猫もウィンクする。
そして馬鹿にするように舌を出してやると、鏡の中の猫もザラザラとしたピンクの舌を出してきた。
ああ、間違いない。これは俺だ。この猫は、俺だ……
「って、俺! 猫になってるぅぅぅぅぅぅぅッ⁉⁉⁉⁉⁉」
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