第266話 26『集まる眼差し』

 何とか謝礼を置いてくる事が出来た侯爵は、従者とともに王都の邸宅に向かっていた。


「しかし、聞きしに勝る奇傑であるな。真、得難い薬師殿よ」


 侯爵が、自身に言い聞かせるように言う。


「はい、偶然とはいえアレクセイ様は良い縁を得られました」


 今侯爵は馬車の中、腹心の従者と二人きりだ。


「だが慎重に動かないと、かの薬師殿の機嫌を損ねてしまう。

 宰相殿から聞くところによると、ずいぶん苛烈な性格をなさっているようだ」


 侯爵は、アレクセイとアンナリーナの話す様子を見てまず一番に、単純に婚姻を結べないか考えてみた。

 だが、それはすぐに却下。

 宰相の話では国王も彼女を狙っているようだが、けんもほろろに扱われていると言う。

 宰相派=国王派のサバベント侯爵家としては国王と諍いを起こすわけにはいかない。

 婚姻という形での取り込みは諦めたが、この先も “ こちら側 ”に付けたい侯爵は現状維持を決めた。


「イゴールには特別な事をしないように指示を。

 ……黒闇の森に分け入るつもりのようだ。これからも良き縁を続ける事ができるだろう。

 今はこれで満足するしかあるまい。

 ただ、周りを嗅ぎまわる鼠は払って差し上げないとな」


 狡猾な笑みを浮かべた侯爵と、了承の意味で頭を下げた従者。

 知らずしてアンナリーナは、宮廷権謀に巻き込まれてしまったのだ。



 侯爵とアレクセイたちが帰って行って、気疲れしたアンナリーナは手足を投げ出してソファーに腰掛けていた。


「リーナ様、お疲れ様でございます」


 アラーニェから差し出された盆には透き通った液体が満たされている。


「レモネード……

 ありがとう、アラーニェ。

 何かもう、ほっこりしちゃうよ」


「それは良うございました。

 ……リーナ様、少し顔色が悪うございますよ。明日は授業以外はお休み下さい」


「そうだね、そうしよう。

 今夜は薬湯を飲んで寝るよ」


 そんなアンナリーナのあずかり知らぬところで、事態は動き出そうとしていた。



 アンナリーナの能力は元から高く、学院内でも一定以上の評価を得ていたが、アレクセイの件で新たな科の教授に目をつけられた。

 コンスタンティン・ノボコフ。

 治療医科の教授である。



「それ、面倒くさいです」


 ユングクヴィストに振られた話に、アンナリーナは露骨に不快感を表した。


「だが医術を学べば薬学も幅が広がるぞ?」


 それはアンナリーナも良くわかっている。だが、手ほどきを受けている間に治癒魔法が使える事が露見した場合、恐ろしい事になる。

 反面、確かに医術の知識に興味は尽きない。


「今は未だやりたい事があるので、少し保留させていただけませんか?」


 お互いが嫌々ながらも妥協点を見つけて、アンナリーナはユングクヴィストの部屋を出て行く。

 知らず知らずのうちに絡め取られていく自分に対し、アンナリーナは苦々しく思う他はない。

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