後編

 ロジーヌは今自分を取り巻いている状況に、全く理解が追いついていなかった。


 船員の脚を治した後、クラースにエンデミラン王国の女王と謁見してほしいとお願いされ、陸地に着くや否やあれよあれよという間に馬車で王都まで移動し、クラースが約束を取りつけた二日後に、王城で女王陛下と謁見することとなった。


 道中、ロジーヌの生まれ故郷であるオルドラン王国とエンデミラン王国の文化の違いについて教えてもらったり――意外なことに魔法を除けばそこまで大きな差異はなかった――魔法について教えてもらったり、クラースが言っていた聖女について教えてもらったりしたため、常識的な部分において粗相をすることはないと思いたいが。


 新天地に着いて、いきなりその国の主と謁見はいくらなんでも緊張が半端ないので、そのせいで粗相をやらかさないかと、我が事ながら心配で心配でたまらないロジーヌだった。


 謁見の間の前まで案内された、正装フォーマルドレス姿のロジーヌがソワソワするのを見て、付き添いとして同行していたクラースが苦笑する。


「大丈夫。公爵家の娘なだけあって、ここに来る前に見せてもらった君の礼儀作法は完璧だったよ」


 言いながらもクラースは苦笑を深め、ロジーヌが首を傾げたくなるような意味深な言葉をつぐ。


「だがまあ、女王陛下の前では、礼儀作法などあってないようなものだがな」

「それってどういう――」


 と、訊ねようとしたところで、謁見の間の扉が開き、ロジーヌは思わず口をつぐんでしまう。


 いくら頭に〝大〟が付くといっても、一商人が女王陛下との謁見を取りつけられたこと自体が普通ではない。

 こうして自分が女王陛下と謁見できるのも、クラースの商人としての地位と才覚だけではなく、女王陛下そのものが規格外な人物なのかもしれないと、ロジーヌは気を引き締める。


 そんな想像どおり、謁見の間に入ったロジーヌを待っていたのは、見た目からして規格外な女王だった。


 歳の頃は、おそらく三〇にも届かない。

 王衣ドレスではなく軍服に身を包んでおり、腰には剣を帯びている。


 クラースからはあらかじめ跪拝きはいする必要はないと言い含められていたが、仮にその必要があったとしても、跪拝することも忘れて見入ってしまいそうな、美しくも苛烈な女王だった。

 

「よく来てくれた、クラース。それから、ロジーヌ・ワークル……で合っておるか?」


 訊ねられて、ロジーヌは裏返った声で「はいっ!」と答える。


わらわはナルシア・シェール・エンデミラン。クラースから聞いておるじゃろうが、この国の女王をやらされている者じゃ」

「陛下。好きこのんでやっているくせに『やらされている』はないでしょう」


 当たり前のようにツッコむクラースに、ロジーヌは思わず目をみはり、


「七割くらいは好きこのんでやっとることは認めるが、残り三割はめんどくささがまさるからのう」


 平然と応じるナルシアに、瞠ったばかりの目を白黒させてしまう。


 国主という意味ではあらゆる意味でドルニドと違いすぎることに困惑していると、ナルシアはにわかに腰の剣を抜き、


「では、早速じゃが試させてもらうぞ」


 そう言って、あろうことか自身の腕を切り裂いた。


 その場にいた大臣や衛兵のみならず、クラースまでもがなぜか頭を抱える中、ロジーヌ一人だけが悲鳴じみた声で驚愕を吐き出した。


「ななななな何してるんですか!?」


 そして、衛兵に切り捨てられても文句が言えないほどの不用意さでナルシアに近づき、すぐさま彼女の腕に治癒魔法を施して、瞬く間にその傷を完治させた。


 治癒魔法の使い手一〇人がかりでも及ばないロジーヌの治癒魔法を目の当たりにして、大臣や衛兵たちが驚きを露わにする中、自傷から今に至るまでの間ついぞ痛がる素振りすら見せなかったナルシアが得心したように言う。


「なるほど、これは確かに聖女の所業じゃな。尋常ならざる治癒魔法はもとより、他者を助けるためならば、自分のことすら二の次にしてしまう心根も」

「そ、それって……わ、わたしのことを試すにしても、もう少し別のやり方の方が良かったと思うのですが……」


 おそるおそる諫言するロジーヌに、ナルシアは事もなげに答える。


「気を悪くしたのであればすまぬな。じゃが、其方そなたが聖女かどうかを確かめる上では、このやり方が一番手っ取り早いと思うてな」


 思わず、閉口してしまう。

 いくらロジーヌに治してもらうことを見越していたとはいえ、一国の主でありながら手っ取り早いという理由だけで自分の腕を切り裂いてみせたナルシアは、こちらが思っていた以上に規格外な人物だとロジーヌは思う。


 大臣や衛兵たちのみならず、クラースまでもが頭を抱えていることを鑑みるに、規格外それの良し悪しは脇に置いておくとして。


「して、ロジーヌよ。王城ここに来るまでの間に、このエンデミラン王国にとって聖女がどういうものであるかは、もう聞いておるな?」

「はい。聖女とは、神に選ばれた類い希なる治癒魔法の使い手であり、エンデミラン王国にとっては象徴とも呼べる存在であると」

おおむねその認識であっておる。そして長らく見つけられなかった当代の聖女が、其方というわけじゃ」

「わ、わたしが……ですか」


 奇跡的に新天地に辿り着けたと思ったら、自分が新天地そこを治める国の象徴だったなんて話は、ロジーヌの許容量をはるかに超えており、ただただ気後れするばかりだった。


 そんなロジーヌを見て、ナルシアは頬を緩めながら補足する。


「そう重く受け止めなくてもよい。昔ならばいざ知らず、今となっては象徴というのも大袈裟な話じゃからな。とはいえ聖女の存在が、エンデミラン王国の民にとって特別な存在であることもまた事実じゃから、年に一度行われる祭式セレモニーに出席してもらうが、それ以外は聖女として特別何かする必要はない。何だったら、其方そなたの国に戻っても構わんくらいじゃぞ?」


 大臣たちが「さすがにそこまでは……」という顔をする中、ロジーヌは「其方の国に戻っても構わん」という言葉を聞いて、表情を曇らせる。


 その変化に目聡く気づいたナルシアは、


「……そういえば其方は、国からいわれなき罰を受けて、たった一人で海を渡ってきたという話じゃったな。すまぬ、浅慮がすぎた」


 頭を下げる女王ナルシアに、ロジーヌは慌てふためく。


「あ、頭を上げてくださいっ。女王陛下が謝るほどの話でもありませんからっ」


 半ば懇願じみた言葉を聞いて、これはこれでよろしくないと思ったのか、言われたとおりに頭を上げたナルシアは、先程よりも真剣な声音でロジーヌに言う。


「ナルシア・シエール・エンデミランの名のもとに、この国における其方の自由と身の安全は保証する。だからロジーヌよ、聖女の話……引き受けてはくれまいか?」


 異邦人にすぎないロジーヌにとっては、話がうますぎて騙されてはいないかと勘ぐりたくなるような破格の厚遇。

 当然ナルシアも、彼女との謁見を手配したクラースも、ロジーヌを騙そうなどという気は微塵もなく、ロジーヌも騙されているなどとは微塵も思っていない。

 というか、騙されているという発想すらない。


 ロジーヌは、自分如きが国の象徴とも呼べる存在になることに恐れ多さを抱きながらも、あらゆる意味でドルニドとは違いすぎる異国の女王の思いを汲み、返事をかえした。


「わ、わたしなんかでよければ……」











 謁見が終わり、クラースともどもロジーヌが辞したところで、ナルシアは安堵の吐息をつく。


 五年前に先代の聖女が亡くなり、長らく聖女の不在が続いたことが、何か良からぬことが起きる前触れなのではないかと、国民からの不安の声がチラホラと上がっていた。


 ロジーヌにも言ったとおり、今や聖女の存在は国の象徴と呼ぶほど大袈裟なものではないことは事実だが、信心深いエンデミラン王国民にとっては特別な存在であることもまた事実。


 こうして無事に見つかり、決して軽いとは言えない聖女という荷を引き受けてもらえたことには、規格外の女王といえども安堵を覚えずにいられなかった。

 その聖女が、この国における身の振り方についてをお願いしてきたことも含めて。


「歴代の聖女は、一人の例外もなく心が清らかだったと聞く。あるいは、そういう心根だからこそ、神の御業みわざとしか思えぬほどの治癒魔法を授けられるのやもしれぬな」


 傍にいた大臣に、そう話を振ってみるも、


「ええ。ロジーヌ様の爪の垢を煎じたものを、ナルシア様に飲ませて差し上げたいと思うほどに清らかな心根でした」


 敬意もへったくれもない大臣の言葉に、ナルシアは顔をしかめる。

 自分の言動が周りに迷惑をかけている自覚があるため文句を言い返すつもりないが、それでももう少しくらい敬えと思わなくもない。

 もっとも、そんなことを言ったら言ったでかっこ悪いことこの上ないので、口に出すつもりはサラサラないが。


 ロジーヌの印象どおりに規格外ゆえに、普通の国王のように恐れ敬ってもらえないことがちょっとした悩みの種になっているナルシアは、「それにしても……」と前置きしてから独りごちる。


「まさか、魔法という文化が存在しない、遠く離れた異国の地に聖女があらわれるとはな……」


 そこに何かを感じたというわけではないが。


 最近ガルギア帝国の動きがきな臭くなりつつあることを鑑みると、異国の地――オルドラン王国については、今まで以上に注視した方が良いのかもしれない。

 それに聖女ロジーヌも、生まれ故郷に何かあった場合はすぐにでも知りたいはず。


 そう思ったナルシアは、オルドラン王国の島嶼国に派遣した者たちとの連絡を密にするよう大臣に命じた。










 この目で、この脚で、エンデミラン王国を見て回りたい。


 聖女として授かった治癒魔法の力を、皆のために使いたい。


 その二つが、ロジーヌがナルシアにお願いしただった。

 

 本当は誰にも迷惑をかけないよう、一人で旅をするつもりだったが。

 聖女どうこう以前に女一人を旅させるのは単純に危険だということで、大陸も海も渡り歩いて商いをしている、クラースのラミール商会のお世話になることとなった。


「すみません、クラースさん。わたしのワガママに付き合わせてしまって……」

「なに、儂自身が付き合うのは最初だけだ。これでも一応会長だからな、それなりに忙しい思いはさせてもらっている。それに……」


 クラースは、聖女ロジーヌの護衛として派遣された三人の兵士を横目で見やる。


「どんな平和な国にも、野盗は多かれ少なかれいるからな。君が隊商に同行するだけで、三人の手練れにタダで同行してもらえるのは、こちらとしてもありがたい」


 なんとも商人らしい考えに、ロジーヌは「あはは……」と笑うしかなかった。


 そうしてロジーヌは商いの旅に同行することになったわけだが、


(自分でお願いしておいて何ですけど、皆のために治癒魔法使うのって、何をどうすればいいのでしょう……)


 病院に赴いて怪我人を治癒していくことが、手段として最も手っ取り早いことはわかっている。

 けれどそれは、なんとなく、聖女の力をひけらかしているようなやり方に思えて気が引けてしまう。


 聖女然と振る舞うつもりはないし、そもそも振る舞える気もしないが、だからといって進んで聖女らしからぬことをするのは違うと思う。

 たとえそれが、自分の考えすぎであったとしても。


 そんなことをグルグル考えている内に町に辿り着き、何もしないというのも落ち着かないので、クラースにお願いして隊商の荷下ろしの手伝いをしていたその時だった。

 荷下ろしをしている商店の近くで民家の屋根の修理をしていた大工が、足を滑らせて屋根から落ちてしまったのは。


「あがっ……っ……」


 腰から落ちた大工は、腰を打った衝撃のせいか痛みのせいか、呼吸すら覚束ない様子だった。


「だ、大丈夫ですか!?」


 半ば反射的に駆け寄ったロジーヌは、すぐさま大工の腰に治癒魔法を施す。

 瞬く間に痛みがとれ、完治するどころか怪我をする前よりも腰の調子が良くなった大工は、目を丸くしながらロジーヌに礼を言った。


「あ、ありがとうございます! それからつかぬ事をお訊ねしますが……貴方様はもしかして、聖女様ですか?」


 現状、エンデミラン王国は聖女について何も公表していないにもかかわらず、そんな質問されたことにロジーヌは驚きそうになる。が、謁見の際にナルシアから、王国民にとって聖女は特別な存在だとは聞いていたので、


「え、あ、はい……」


 しどろもどろながらも肯定した。

 その返事を聞いて感激する大工に何度も礼を言われ、恐縮するロジーヌを離れたところから眺めていたクラースは、一人得心する。


(聖女が見つかったというのに、なにゆえ女王陛下がそのことについて民に公表しないのかと不思議に思っておったが……そういうことか)


 おそらく女王陛下ナルシアは、ロジーヌがエンデミラン王国を見て回りたいと、聖女として授かった治癒魔法の力を皆のために使いたいとお願いしてきた時に、を決めたのだろう。

 今のように旅をしながら怪我人を無償で治していくことで、聖女の出現とロジーヌの人柄を広めていき、国中の期待が高まったところで、半年後に行われる祭式セレモニーで聖女ロジーヌをお披露目する。


 そういったサプライズや、センセーショナルな手法を好む女王陛下らしいやり口に、クラースは苦笑を浮かべる。

 やれやれ、相変わらず周りを振り回してくれる女王陛下だ――と言いたげな顔をしながら。


 こうしてこの町はしばらくの間、聖女の話題で持ちきりとなり、予定どおりクラースと別れた後、ロジーヌは隊商とともに後ろ髪を引かれる思いで町を後にした。


 町を渡り歩いていると、存外怪我人と出くわす機会には事欠かなくて。

 以降ロジーヌは、ラミール商会の隊商とともに町を渡り歩いては怪我人に治癒魔法を施し、感謝されては町を後にするという日々を送るようになった。


 生まれ故郷では隠しておくしかなかった力で、その生まれ故郷を追われる原因となった力で人々を助けられることが嬉しくて。

 知らない土地土地を渡り歩き、知らない文化に触れるのが楽しくて。

 一日一日が、オルドラン王国にいた時とは比較にならないほど充実した。


 けれど、


「お父様……お母様…………エルラン様……」


 夜になると、ふとオルドラン王国に残してきた大切な人たちの顔が脳裏に浮かび、たまらなく寂しくなる。

 自分が流刑に処されたことで、大切な人たちが非道い目に遭わされていないか心配になってくる。



 そして――



 嬉しさと、楽しさと、寂しさと、気遣わしさに満ちた日々を送るようになってから三ヶ月が過ぎた頃。


 女王陛下の使いからを聞いたロジーヌは急遽旅を打ち切り、王城へと赴いてナルシアに謁見した。


「その話は本当なのですか!?」


 珍しくも語気を荒げるロジーヌに、ナルシアは首肯を返す。


「うむ。とうとうガルギア帝国が動き出しおってな。其方そなたの生まれ故郷であるオルドラン王国を含めた島嶼とうしょ国群を目指して、侵攻を開始したとのことじゃ」

「そんな……」


 色を失うロジーヌに、ナルシアは獰猛さすら感じる笑みを浮かべながら訊ねる。


わらわはこれから、軍を率いて島嶼国群へ向かい、ガルギア帝国の痴れ者どもを返り討ちにするつもりじゃが……其方はどうする?」


 即答できないロジーヌに代わってというわけではないが、傍にいた大臣が諫めるようにナルシアに言う。


「女王陛下。御身おんみは我らがエンデミラン王国をべる唯一無二の存在。陛下にもしものことがあれば、この国はどうなるのです? 毎度毎度のことですが、陛下御自おんみずからが出征なさるのは、どうか――」

「おやめください……などと、寝ぼけたことを言うつもりではなかろうな?」


 底光りすらしているナルシアの視線に射抜かれ、大臣は口ごもる。


「ガルギア帝国にくだんの島嶼国群を押さえられることは、彼奴きゃつらの牙がわらわたちの喉元に突きつけられることと同義。ゆえに妾自らが前線に赴いて味方を鼓舞し、なおかつガルギア帝国に見せつけねばならぬ。ということをのう」


 常日頃から王衣ドレスではなく軍服に身を包んでいるナルシアは、王女という身でありながら戦場に立つことも厭わぬ気性をしている。

 それゆえに、王女の本気を見せつけられた大臣は、諦めたようにこう返すしかなかった。


「わかりました。留守は我々にお任せください」


 その返事を聞き届けたところで、ナルシアはロジーヌに向き直り、再び同じ問いを彼女に投げかける。


「して、ロジーヌよ……其方はどうする?」

「もちろん、同行させていただきます!」


 実は最初の問いを投げかけられた時点で、答えが決まっていたロジーヌは即答する。

 そして、ナルシアに倣って獰猛さすら感じる笑みを――結局上手いこといかなくて小動物が威嚇しているような印象を受ける笑みを浮かべ、言葉をつぐ。


「それに、女王陛下だけではなく聖女も前線に赴けば、命を賭けて戦ってくださっている方々の励みになるでしょうし」


 そんなロジーヌの言葉に、ナルシアはニヤリとんだ。


「それでこそじゃ」










 オルドラン王国は、ガルギア帝国と名乗る未知の国の侵攻を受けていた。


 ガルギア帝国は、魔法と呼ばれる、オルドラン王国では忌避されてきた超常の力を戦術に組み込み、その力と圧倒的兵力をもって、オルドラン王国周辺の島嶼国を瞬く間に占領した。


 その魔の手は当然オルドラン王国にも及び、ガルギア帝国は島に上陸する否や次々と町を攻め落とし、わずか二日で王都まで攻めのぼってきた。


「南部の海岸に船を集結させるよう手配しております。養父上ちちうえ養母上ははうえはその船に乗ってお逃げください。貴方たちにもしものことがあったら、ロジーヌが哀しみますので」


 軍服に身を包んだエルランは、かつての婚約者であったロジーヌの両親――ワークル公爵夫妻に王都から逃げるよう促す。


「確かに仰るとおりですが、王子……あなた様にもしものことがあっても、娘は哀しむことでしょう。ですから、あなた様も――」

「それ以上は言わないでください、養父上ちちうえ。僕には……誰よりも先んじて逃げてしまった父に代わり、最後まで民を守る責務があります」


 う。

 エルランの父であり、このオルドラン王国の国王でもあるドルニドは、ガルギア帝国の力に恐れを為して、民よりも先んじて王都から逃げ出していた。

 それも、自分の身を護るために、王国最大の戦力である騎士団を半数近くも引き連れて。


 さしものエルランといえども、ドルニドの行為に対しては軽蔑を禁じ得なかった。息子として恥じ入るばかりだった。


 だからこそ、だった。

 だからこそ王族として、この身が朽ち果てるまで民を護らなければならない。

 王族としての矜持を民に示さなければならない。


 ゆえに、最愛の人ロジーヌを哀しませることになろうとも、最後の最後まで戦い抜く以外の選択肢は、エルランの中にはなかった。


 その覚悟を見て取ったワークル公爵はこれ以上の説得を諦める他なく、気高き王子の武運を祈って、言われたとおりに王都を脱するしかなかった。


「これで、うれいは消えたな」


 それが嘘偽りだとわかっていながら、エルランはあえて言葉にする。

 その言葉どおりに、最後に一目でいいからロジーヌに会いたいといううれいを、心の奥隅に押し込んで。


 ワークル公爵夫妻が王都から脱するのを見送ったところで、エルランは王都中央にある広場に移動する。

 そこに集結しているのは、エルランと同様この身が朽ち果てるまで民を護るために戦う覚悟を固めた兵士たちと、一部ではあるが王都に残ってくれた良識ある騎士たちだった。


「残ってくれたことに感謝する! オルドラン王国の勇士たちよ!」


 覚悟が滲んだエルランの大音声が、広場に響き渡る。


「相手は異国の大軍勢! はっきり言うが勝ち目はゼロに等しい!」


 そんな王子の覚悟を粛々と受け止めるように、兵士たちは、騎士たちは、ただ黙って拝聴する。


「だが! 我々には護らなければならない者たちがいる! 一人でも多くの友を! 家族を! 愛する者たちを護るために! 我々の命を悪しき侵略者どもにぶつけてやろうではないか!」


 直後、兵士たちが、騎士たちが、地を揺るがすほどのときの声を上げる。


 こうして、エルランたちの決死の防衛戦が始まった。

 王都を脱した民たちが狙われないよう、攻めてきたガルギア帝国軍の目を自分たちに引きつけ、必死になって戦った。


 だが、魔法という力の差はもとより、単純な戦力差は如何いかんともしがたく。


 その差を鑑みれば、エルランたちは善戦したと言ってもいいほどに、驚異的な粘りを見せるも。


「負傷者は下がらせろ! 騎士たちよ! その武力をもって空いた穴は埋め――」


「エルラン様ッ!!」


「――っ!?」


 前線で指揮を執っていたエルランが、火球の魔法で吹き飛ばされたことを契機に、オルドラン王国軍は一気に瓦解することとなった。










 ――エルラン様! エルラン様!


 声が、聞こえる。

 それも、恋い焦がれた〝彼女〟の声が。


 ――エルラン様! お願いですから目を開けてください!


 おそらくこれは、今際いまわきわが聞かせている幻。

 そうでなければ、〝彼女〟の声が聞こえてくるわけがない。

 だけど、


 ――お願いですから……エルラン様……。


 たとえ幻であっても、〝彼女〟の声が涙に濡れていくのを聞いておきながら、永眠ねむりにつくなんて真似はできない。できるわけがない。

 そう思ったエルランは死神すらも張り倒すような勢いで両のまなこを開き、上体を起こした。

 そうしてエルランの目に飛び込んできたのは、



 異国の装束に身を包んだ、最愛の〝彼女〟――ロジーヌだった。



「……ロジーヌ?」


 わけがわからないまま、彼女の名前を呼ぶ。


「はい……はい! ロジーヌです!」


 ロジーヌは感極まったように涙を流しながら、エルランに抱きついた。


 火球の直撃を受け、その爆熱によって吹き飛ばされたことは明確に憶えている。

 だからこそ理解できなかった。


 自分の身に火傷一つ残っていないことも。


 自分が寝ていた場所が王都の石畳であることも。


 戦禍の痕が色濃く残っているにもかかわらず、ガルギア帝国の兵士が一人も見当たらないことも。


 ロジーヌが来ている装束と同じ意匠の、異国の軍服を纏った兵士たちが大勢、王都に駐屯していることも。


 気を失う前とは何もかもが違いすぎて、いったい全体どうなったらこんな状況になるのか、エルランは全く理解ができなかった。


「ふむ、さすがに混乱しておるようじゃのう」


 そう声をかけてきたのは、三〇歳手前くらいの、軍服に身を包んだ女性だった。


わらわは、ナルシア・シェール・エンデミラン。ここからはるか東方にある、エンデミラン王国の女王じゃ」


 その言葉だけで、ナルシアが軍勢を引き連れてガルギア帝国の軍勢を追い払ってくれたことを把握したエルランは、すぐさま立ち上がって礼を言おうとするも、


「エルラン様!」


 体がふらついてしまい、傍にいたロジーヌが慌てて抱き支える結果に終わってしまう。


「無理をするでない。いくら聖女の治癒魔法で傷が完治したとはいっても、発見した当初の其方そなたは生死の境を彷徨さまよっておったからのう」

「聖女?」


 聞き慣れない言葉に眉をひそめるエルランに、ロジーヌはオルドラン王国を追放されてからの経緯を話した。


 さらには、ナルシアに同行して今回の戦いに従軍したことを。


 王都に向かうまでの道中に、ロジーヌの両親であるワークル公爵夫妻を含めた大勢の民と、ドルニド国王が率いる騎士団を保護したことを。


 ナルシア率いるエンデミラン王国軍が、その圧倒的武力をもってオルドラン王国に上陸したガルギア帝国軍を全て追い払ったことを。


 今現在、島嶼国を占領しているガルギア帝国軍を追い払いにかかっていることを。


 ロジーヌはナルシアに補足してもらいながらも、事細かにエルランに話した。

 エルランはオルドラン王国の王子として、ナルシアにあらためて礼を言ってから訊ねる。


「ところで、保護したという我が父は?」

「ああ、それはだな……」



「これはこれはナルシア女王! こんなところにいらしたか!」



 噂をすればというタイミングで、ドルニドが姿を現す。

 聖女と呼ばれるようになったロジーヌはもとより、生死の境を彷徨った息子エルランに一言も声をかけないまま、媚びへつらうような笑みを浮かべてナルシアに懇願する。


「女王に折り入って相談したい儀があるのですが、女王が治めるエンデミラン王国と我輩が治めるオルドラン王国……名前の系譜から見てもわかるとおり、おそらく我々の起源ルーツは同じのはず。そうでなければ、我が国から聖女があらわれるわけがございませんからなぁ」


 そう言って、ドルニドは「はっはっはっ」と笑う。


 その聖女を流刑に処した張本人でありながら、笑いながらそんなことをのたまうドルニドに、さしものロジーヌも複雑な表情になってしまい、息子であるエルランも苦々しい顔を浮かべ、ナルシアに至っては汚物を前にしたように顔をしかめていた。


「して、ここから本題になるのですが、女王よ……是非とも我がオルドラン王国と同盟を結んではくださらぬか? 同じ起源ルーツの仲間同士、手を取り合うのは当然の話ですからな!」


 などと言ってはいるが、またガルギア帝国が攻めてきたら、エンデミラン王国に追い払ってもらおうという魂胆が見え見えだった。

 さすがに見るに堪えなかったエルランが「父上!」と諫めようとするも、


「かまわぬ。オルドラン王国との同盟自体は、妾も考えていたことじゃからのう」

「そうですかそうですか!」


 喜色を浮かべるドルニドを前に、ナルシアの瞳に底意地の悪い光が宿る。


「して、ドルニド国王よ。同盟にあたり、一つだけ是が非でも呑んでもらいたい条件があるのじゃが」

「条件、ですか?」


 わかりやすく嫌そうな顔をドルニドに、ナルシアは刺すような視線を向ける。


「不服か?」


 途端、ドルニドは慌ててかぶりを振る。


「いえいえ滅相もありません! 我が国は女王陛下に救ってもらった身。、条件の一つや二つ呑んで当然というものです!」


 救ってもらった身でありながら、しれっと対等な同盟を結ぼうとする狸っぷりに、やはり苦い顔をするエルランをよそに、ナルシアは底意地の悪い笑みを浮かべながらドルニドに告げた。


「そうかそうか。ならばドルニド国王よ、今ここで、国王の座をエルラン王子に譲ってもらおうではないか」


「………………………………へ?」


 間の抜けた声が、ドルニドの口から漏れる。

 ロジーヌも、エルランも、突然すぎるナルシアの宣告に言葉を失うばかりだった。


「ふむ、言い方が悪かったか? ならばよりわかりやすく言ってやろう。妾は愚物と対等の同盟を結ぶつもりはない。国のことは其方そなたの息子に任せて、其方はさっさと隠居せい」

「そ、それはいくら何でも口が過ぎますぞ、ナルシア女王!! しかも其方のやっていることは、立派な内政干渉ではないか!! いくら女王といえども、我が国のことに口出しするのはやめていただきたい!!」

「そうか。ならば同盟はナシじゃな。同盟国でもない妾の軍が居ても落ちつかんじゃろうから、エンデミラン王国軍は一兵も残すことなく撤退することを約束しよう」


 そうなってしまえば、再びガルギア帝国が攻めてきた際は、今度こそ占領されるのは必至。

 しかし、国王という座で好き勝手やってきたドルニドが、王座から退しりぞくなどとは軽々けいけいには言えず。


 相手の葛藤を見て取ったナルシアは、ここぞとばかりに誘惑の言葉をドルニドに投げかけた。


「なに、タダで息子に王座を譲れとは言っとらん。我が国に領主のなり手が見つからぬ領地があってな。土地の広さは我が国でも随一の領土なのじゃが……」


 そんなナルシアの言葉を聞いた途端、ドルニドは迷うことなく王座から退くことを決断したのであった。




 その後――




 ドルニドに代わって王座に就いたエルランは、同盟を結んだエンデミラン王国と良好な関係を築いていった。

 ドルニドが執り行なった民を虐げるような悪政の数々を改め、民のためになるまつりごとを執り行ない、さらには魔法の文化を取り込むことで、着実にオルドラン王国を発展させた。


 聖女としての祭式セレモニーに出席した後、ロジーヌは晴れてオルドラン王国に戻ることができ、ナルシアの許可をもらった上で、王国に身を落ち着けることとなった。


 その瞬間を誰よりも待ち焦がれていたエルランは、ロジーヌと再婚約を結び、その半年後に彼女と結婚した。


 それによって、エンデミラン王国民の中から、聖女が王女を務めるオルドラン王国に移り住みたいと、たとえそれが叶わなくても周辺の島嶼国に移り住みたいという者たち現れ、ますますオルドラン王国は発展していった。


 ナルシアはその流れを利用して、オルドラン王国を含めた島嶼国群にエンデミラン王国軍を駐屯させ、結果として防衛力が増強。

 その結果、あくまでも噂話になるが、ガルギア帝国が島嶼国群の侵攻を諦めたという話をチラホラと耳にするようになった。




 そして――




「本当に、毎日が夢のようです、エルラン様」


 王城のバルコニーから平和になった王都を見下ろしながら、ドレスに身を包んだロジーヌは言う。


「僕もだよ、ロジーヌ」


 同じように王都を見下ろし、ロジーヌの肩を抱きながら、エルランは言う。

 そうしてしばらく密着していた二人だったが、


「……エルラン様……その……わたし……そろそろ限界です……」

「……僕もだ」


 そんなやり取りを交わし、二人して顔を赤くしながら体を離した。


 ロジーヌにしろエルランにしろ奥手も奥手なせいか、今のようにただ寄り添い合っているだけでも二人にとっては刺激が強いらしく、ご覧の有り様になっていた。


 少し離れたところで様子を見ていた侍従が「跡継ぎができるのは、まだしばらく先になりそうですねぇ」と思いながら、温かい目を向けていることにも全く気づかないくらいに、いっぱいいぱいになっている二人のもとに、伝令にやってきた兵士が告げる。


「失礼します! 先の戦禍で使えなくなった廃墟の解体中、壁の崩落に巻き込まれて大勢の怪我人が生じたとのことです!」


 怪我人が出るようなことがあったらすぐに伝えてほしい――そんなロジーヌのワガママから生まれた聖女への伝令。

 それを聞いた途端、ロジーヌは赤みがかっていた顔を引き締めて、エルランに言った。


「エルラン様! 行って参ります!」

「ああ、一人でも多くの者を救ってやってくれ!」


 平和になったというのにせわしない国王と王女を見て、侍従は先程思ったことを、今度は口に出して言う。


「跡継ぎができるのは、まだしばらく先になりそうですねぇ」































「ナルシア様、よかったのですか?」


 女王としての執務に忙殺されていたナルシアは、要領を得ない大臣の問いに片眉を上げる。


「何がじゃ?」

「オルドラン王国の元国王――ドルニドに、領地を与えてしまって」

「ああ、そのことか」


 ナルシアは、底意地の悪い笑みを浮かべながら大臣の疑問に答える。


其方そなたも知っておろう。我が国最大の領土を誇っていながら、誰もあの土地の領主をやりたがらぬ理由を」



 ◇ ◇ ◇



「なんじゃこりゃぁあぁああぁあぁあぁああぁぁあぁあッ!?」


 ドルニドの悲痛な叫びが、こだまする。


 ドルニドが領主を務めることなった領地は、土地の八割が山々で構成されている山脈地帯。

 領主の館から最寄りの町に降りるにしても軽く半日はかかる、未開に等しい土地だった。


「聞いてない……こんな話は聞いてないぞぉおぉおぉぉッ!!」


 四つん這いになって項垂れる、ドルニド。

 そんな彼の頭に、偶然頭上を通りかかった野鳥がポトリとふんを落としていった。



 ◇ ◇ ◇



「暗君とはいえ、曲がりなりにも一国を治めていた男じゃからな。あの地をどう料理してくれるか、お手並み拝見といこうではないか」


 愉しげに笑うナルシアを見て、大臣は思う。

 この女王陛下を敵に回すくらいなら、ガルギア帝国を敵に回した方がまだマシかもしれない――と。

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追放された公爵令嬢、新天地で聖女になる 亜逸 @assyukushoot

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