追放された公爵令嬢、新天地で聖女になる

亜逸

前編

 今のロジーヌのように、突然変異的に魔法の力に目覚める者が極稀に現れるが、魔法という概念が存在しないためにその力は不気味がられ、目覚めた能力如何いかんによっては処刑されることもあった。


 だから、突然目覚めたこの力について、ロジーヌは墓場まで持っていくと心に誓った。


 それから予定どおりにエルラン王子と婚約を結んだロジーヌは、まるでそれが定められた運命だったかのように惹かれ合っていき……ロジーヌも。エルランも、式を挙げるまでもなく互いが互いのことを生涯を賭けて愛することを誓った。


 それからの数年は穏やかに幸せに流れていったが、二人が式を挙げる予定の年齢――ロジーヌが一七歳、エルランが二〇歳を迎えた頃で事件は起きた。


 エルランの父、つまりはオルドラン王国の国王ドルニド・オルドラン暗殺未遂という大事件が。



「父上! しっかりしてください! 父上!」



 切羽詰まったエルランの叫び声が、森の中にこだまする。


 地面にへたり込むドルニドの左胸からは止めどなく血が流れており、豪奢な王衣に染み込んだ赤が刻一刻とその範囲を拡げていた。

 弓矢を胸に受けたドルニドが、迂闊にもその矢を引き抜いてしまったせいで、今なお広がり続けている赤だった。


 エルランの傍にいたロジーヌが、着ていた真白いドレスのスカートを引き裂き、その布地を使って止血を試みるも、白い布地が瞬く間に赤に変わるだけで血が止まる気配はない。


 護衛についていた騎士たちが、国王を襲った賊を返り討ちにしていく中、ロジーヌは思う。

 このままではエルラン様のお父様が死んでしまう――と。


 ゆえに、ロジーヌは覚悟を決めた。

 墓場まで持っていくと決めていた治癒の力で、ドルニドを癒すことを。


「ドルニド様、失礼します」


 ロジーヌはドルニドの左胸に掌を掲げ、治癒の力を発動。

 掌から放たれた暖かな光が、ドルニドの左胸の傷を癒していく。


「ロ、ロジーヌ……その力は?」


 呆気にとられながら訊ねるエルランに、ロジーヌはおそるおそる正直に答える。


「治癒の力です……四年ほど前に突然この力に目覚めて……その……今の今まで黙っていて、ごめんなさい」


 最悪、エルランに嫌われるかもしれない――そう思っていたロジーヌに、エルランは優しい言葉を返す。


「謝る必要もなければ気に病む必要もない。我が国がこういった超常の力に忌避的であることは、王子である僕が一番よくわかっているからね。仮に僕と君が逆の立場であったとしても、同じように秘密にしていたさ。それより……父の傷、治せそうか?」

「……おそらくは」


 エルランのことを安心させてやりたいけれど、今まで治癒の力を使ったのが怪我をした小鳥を癒した一度だけなので、どうしても自信のない返事になってしまう。

 そんな返事とは裏腹に、ドルニドの矢傷はみるみる塞がっていく。


 そして――


「もうよい」


 血色すら良くなったドルニドの言葉を聞いて、ロジーヌは安堵しながら治癒の力を止める。


 ドルニドは、紛うことなき命の恩人をマジマジと睨みつけると、息子エルランすらも瞠目させる言葉を、自分の命を狙った賊を全て片づけたばかりの騎士たちに投げかけた。


「我が騎士たちよ、ロジーヌを――この化け物を拘束せよ」











 襲撃を受けたのが森の中とは言っても、森を切り裂く形で街道が設けられており、町から町の移動に多くの国民が利用しているため、王族が地方の町の視察のために行き来しても危険はない――という油断を突かれて起きたのが、ドルニド国王暗殺未遂事件だった。


 そして、騎士たちによって全員斬り殺された賊の正体は、ドルニドによって潰された村の住人たちだった。


 親だからこそ信じたい、親だからこそ大事にしたいという王子エルランの思いとは裏腹に、ドルニドはどうしようもないほどの暗君だった。


 時に恣意的に、時に利己的にまつりごとを執り行ない、己の欲を満たすためならば民を虐げることも厭わない。

 暗殺未遂事件を引き起こした者たちの村が潰れた理由にしても、「我が国にみすぼらしい村など必要ない」という、言ってしまえばドルニドの気分のせい。


 おまけにその村が生産していた小麦は、オルドラン王国で生産されている小麦の二割を占めており、そこの小麦を生命線にしていた小さな村々からは餓死者が出る始末。

 当のドルニドは、みすぼらしい村の連中を労せず駆除することができて一石二鳥だと喜んでいるものだから、暗殺未遂事件が起きるのも無理からぬ話だった。


 顧みることもなければ、省みることもない。

 そのくせ保身のために、騎士団という王国最大の戦力を押さえることには抜かりない。

 そういったしたたかさを持ち合わせていることが、ドルニドのタチの悪さに拍車をかけていた。


 このままドルニドの好きにさせていては、いずれ国は立ち行かなくなる。

 だからこそ、王子であるエルランは決死の覚悟でドルニドの行為を諫めたことがあったが、頬に痣が残るほどの折檻を受けた挙句、三日間の謹慎をくらう結果に終わってしまった。


 だが――


(今回ばかりは、退くわけにはいかない!)


 決死を越えた覚悟を胸に、エルランは父に向かって怒声を上げる。


「父上! 今すぐロジーヌを、僕の婚約者を牢から出していただきたい!」

「エルラン、何度も言っているだろう。アレは化け物だ。だから、アレはもうお前の婚約者ではない。本当の婚約者はいずれ我輩が用意してやるから、アレのことはもう忘れろ」


 にべもないドルニドに、エルランは歯噛みする。

 そんな息子に向かって、ドルニドはさらなる凶報を叩きつける。


「それに心配せずともアレは近い内に牢から――いや、この国から出ることになる。たとえ化け物でも首を刎ねない我輩の寛大さに感謝するがいい」


 寛大さどころか、ドルニドの厚顔無恥さにエルランは絶句する。


 ドルニドはこう言っているのだ。

 ロジーヌのことを国外追放にする――と。


 そして、島国における国外追放は事実上の流刑るけいであり、この国おいては処刑の次に重い罪に相当している。

 流刑それを、息子の婚約者であり、自分の命の恩人でもある相手に科すというのだ。

 最早、恥知らずなどという次元ではない。


(そこまで……そこまで堕ちていたのですか! 父上!)


 エルランは血が滲むほど唇を噛み締め、覚悟を固める。

 もしかしたら、こうなることを覚悟していたロジーヌと同じように。全てを捨てる覚悟を。


「どうしてもロジーヌを国外追放するというのであれば、僕も一緒に追放してください」

「ならん」

「ならば、僕は勝手にロジーヌについて行きます。勝手に政を決める、父上と同じように」

「それもならん」


 ドルニドがそう答えることはわかっていた。

 わかっていたから、エルランはきびすを返した。

 勝手にするという宣言どおりに父の言葉を無視して。


 そんな息子の覚悟を見て、ドルニドはなぜか勝ち誇ったような笑みを浮かべる。


「そうか……アレのせいで、大事な一人息子まで失うというのであれば仕方ない。アレを生み、育てたワークル公爵夫妻には、その命をもってあがなって他ないな」


 ロジーヌの両親を殺すと明言され、エルランは立ち止まり、親の仇に向けるような目を父親ドルニドに向ける。


「それが一国の王のやることですか!」

「逆に訊くが、国民を見捨てて女の尻を追うことが、一国の王子のやることなのか?」


 自分のことを棚に上げた挙句、国民を虐げている自覚があるともとれる発言。

 開き直りと呼ぶにはあまりにも醜悪がすぎるが、ロジーヌを追うことは国民を見捨てることと同義であることは、どうしようもないほどに事実。

 ゆえにエルランは、悔しげに口ごもるだけで反論一つ返すことができなかった。


 そんな自分とは似ても似つかぬ生真面目な息子の反応に、ドルニドはますます勝ち誇った笑みを浮かべながら、とどめの言葉を投げかける。


「お前があの女の後を追うのをやめるというのであれば、ワークル伯爵夫妻は一切罪に問わないことを約束してやるが、どうする?」


 最早完全にロジーヌの両親を人質として扱っているドルニドに怒りを覚えながらも、エルランは絞り出すような声で、聞き分けの良い返事をかえすしかなかった。


「わかり……ました……っ」










 数日後。


 牢から出されたロジーヌは、国が用意した、決して仕立てが良いとは言えない旅装に着替えさせられた後、オルドラン王国東部にある砂浜に連行された。


 そこに繋ぎ止められていたのは、大海原を渡るには無謀と言わざるを得ない小舟が一艘。

 一応水と食料は積み込まれてはいるが、どれほど切り詰めても一週間程度しかもたない量だった。

 体裁的には死刑ではないというだけで、その内容は実質死刑に等しい。


 当然のように、婚約者エルランや両親が見送りにくることは許されておらず、別れの挨拶すらできないまま、ロジーヌは小舟に乗せられる。

 流刑の執行人が腰にいていた剣を抜き、桟橋に繋ぎ止めていた小舟のロープを切り捨てる。


 王国東部の海の潮流は大海原へと流れており、その流れに乗ったが最後、この島には――オルドラン王国には戻ってこれない。

 海の向こうには、こちらとはまた違った文化の大陸があるという話らしいが、王国が近隣の島嶼とうしょ国以外と交易しているという話は聞いたことがないので、眉唾の域は出ていない。


 もう生きて国に戻ることはないと、エルランにも、両親にももう二度と会えないと思ったロジーヌの視界が涙で滲む。

 けれど、せめて生まれ故郷は最後までこの目に焼きつけておこうと思い直し、涙を拭って徐々に小さくなっていくオルドラン王国を見つめ続けた。


 島の形が見えなくなったところで、ロジーヌは生まれ故郷に背を向ける。

 あるかどうかもわからない大陸に行き着く可能性は、限りなくゼロに等しい。

 だからといって生きることを諦めては、両親には勿論、自分のことを愛してくれたエルランにも顔向けできない。


 自分を愛してくれた人たちに、自分が愛した人たちに恥じないよう、最後の最後まで希望は捨てないと、ロジーヌは心に誓った。


 そうしてロジーヌは、与えられた水と食料を切り詰めながら海を渡り、途中で発見した無人島で体を休め、新たに水と食料を調達してから出発し……一ヶ月という、ドルニド国王が聞いたら耳を疑うような長い期間、ロジーヌは海を渡り続けた。


 このまま進み続ければ、もしかしたら本当に大陸に――新天地に辿り着けるかもしれない。

 そんな希望を抱いていたロジーヌだったが。


 数日後――


 ロジーヌの乗る小舟は、突如として巻き起こった嵐に呑み込まれた……。











 目を覚ましたロジーヌは、視界に天井が映っていることに目を白黒させる。

 行く手に嵐が見えて、どうにかして回避しようとしたけれど叶わず嵐に呑み込まれて、小舟から投げ出されて、死を覚悟して……そこから先は気を失って何がどうなったのかはわからないが、まかり間違っても屋内に辿り着けるような状況ではなかったことだけは確かだった。


 ここはあの世なのか?

 それとも夢でも見ているのか?


 とりあえず、頬をつねってみる。

 かえってきたのは、目に見える光景が現実だとロジーヌに確信させるには充分すぎる痛みだった。


 上体を起こし、周囲に視線を巡らせる。

 ロジーヌが寝ていたベッド以外には、戸棚と椅子があるだけの狭い部屋だった。


 天井も含め、壁と床は木製。

 外の様子を確認したいところだったが、生憎この部屋には窓が設けられていない。


 可能性としては、嵐によって荒れた海に流されて人がいる陸地に辿り着いた、あるいは、偶然通りかかった船に助けられたといったところだろうが、


(あの嵐の中、舟から投げ出されて助かるものなのでしょうか?)


 そんな疑問を抱いていると、突然部屋の扉をノックする音が響き渡り、ロジーヌの表情に緊張が走る。


「起きているかね?」


 おそらくは五〇代くらいの男の声が、扉の向こうから聞こえてくる。

 おそるおそる「どうぞ」と答えると、如何いかにも商人という風体ふうていをした、声音の印象どおりの男が扉を開いて中に入ってくる。


「とりあえず自己紹介といこうか。儂はクラース・ラミール。ラミール商会と言えば、だいたい察しはつくだろう?」


 とは言われたものの、全く察しがつかなかったロジーヌは、思わず小首を傾げてしまう。

 その反応に少なからずショックを受けたクラースは、肩を落としながらも独りごちた。


「まさか知らんとは……これでも一応、大陸有数の大商人のはずなんだがなぁ……」


「大陸」という単語が聞こえた瞬間、ロジーヌは自己紹介を返すことも忘れて、素っ頓狂な声でクラースに訊ねてしまう。


「い、今! 大陸と言いましたか!?」

「あ、ああ……確かに言ったが……」


 ロジーヌの食いつきっぷりに気圧されていたクラースだったが、すぐに何かに気づいたような顔になる。


「まさか君は……え~っと……」

「あっ、ごめんなさい! 自己紹介がまだでした!」


 と頭を下げてから、ロジーヌは名乗る。


「わたしはロジーヌ・ワークルと申します。この度は、その……助けていただきありがとうございました」


 何をどう助けてもらったのかはさっぱりわかっていないが、状況的にはクラースに助けられた以外は考えられないので、今度はお礼の意味を込めてもう一度頭を下げる。


 大商人を名乗るだけあって洞察力に優れているのか、ロジーヌの反応を見て色々と察したクラースは、


「君を助けた経緯については、追い追い話すとしよう。それよりもロジーヌくん……君はもしかして、〝西〟から来たのかね?」


 一瞬ロジーヌは考え込むも、自分の流刑が執行されたのがオルドラン王国東部――言うなれば島の東部であったこと、潮の流れに任せてそのまま東に向かって船を進めたことを思い出し、コクコクと首肯を返した。


「ちなみに、何という名前の国から来たのかね?」

「オルドラン王国です」

「ああ……あそこか。あのあたりにある島嶼国はの文化がない上に、ガルギア帝国との緩衝地帯にもなっているから、女王陛下からは接触を避けるよう厳命されている国だったな」


 だからこそ、クラースの瞳に好奇の光が宿るも、


「〝まほう〟? がるぎあ帝国?」


「知りたい」という点においては、ロジーヌの方がよっぽどなので、クラースは呼吸一つで自制してから彼女の疑問に答えた。


「ガルギア帝国は、軍事力をもって国々を併呑へいどんすることを是としている危険な国歌でな。我らがエンデミラン王国を侵略する足がかりとして、オルドラン王国を含めた島嶼国を虎視眈々と狙っているのだよ」


 まさか自分の生まれ故郷が、国王ドルニドの横暴以外の危機に晒されているとは思ってもみなかったロジーヌは、思わず息を呑んでしまう。

 その反応を見て、クラースは補足するように言葉をつぐ。


「島嶼国との接触を避けているというだけで、こちらはこちらでガルギア帝国に睨みを利かせているからな。絶対に安心などとは口が裂けても言えんが、だからといって今日にもガルギア帝国が攻め込んでくるような危機的状況ではないことだけは、儂が保証しよう」


 まあ、儂の言葉に何の保証もないと言われたら言い返せんがな――と、クラースは苦笑するも、臆面もなくそういうことを言える人間の言葉だからこそ信じられると思ったロジーヌは、ほんの少しだけ胸を撫で下ろした。


「それから魔法についてだが……こちらに関しては、君をどう助けたのかを説明するという意味でも、実際に見てもらったほうが早いだろう」


 そう言ってクラースは、ロジーヌの体調が歩ける程度にまで回復していることを確認してから、部屋の外に連れ出した。


「ここって船……ですよね?」


 狭い廊下や設備を見た限り、十中八九船の中だという結論はロジーヌの中で出ているが、その割りには陸地にいるのではないかと錯覚するほどに船が揺れていないため、どうしても声音は自信のないものになってしまう。


 そんなロジーヌの心中を察したクラースは、肯定しながらもこちらの疑問にも答える。


「ああ。船の揺れが、ほとんどないのも魔法の力によるものだ」

「〝まほう〟……」


 それは一体どういう代物なのか……クラースに連れられて甲板に出たところで、魔法それがとんでもない代物であることをロジーヌは知ることとなる。



 船は今、嵐の真っ只中を航行していた。



 そのくせ、甲板の上に立っているにもかかわらず、ロジーヌの髪は全くと言っていいほど棚引いていない。

 まるで、船の周囲が不可視の壁に覆われているような、その壁が嵐から船を守っているような、そんな状況だった。


 言葉を失うほどに驚いているロジーヌの反応に満足したのか、クラースは得意げに語る。


「結界と言ってな。害意から身を守る魔法を使って、この船を守らせている。だから、結界の内側は、暴風なんぞ吹いてないし、波も荒れてないわけだが……」


 一転して、クラースは苦手なことを語るように言葉をつぐ。


「その害意の基準というものが、魔法を使ってる者から見てもいまいちよくわかってなくてな。同じ嵐でも、ある程度風が通ったりすることもあるのだが、今回はそういうわけではないから風魔法の使い手を三〇人ほど集めて、帆に風を送り込むことで船を走らせている」


 そう言って、帆に向かって両掌をかざしている三〇人の船員を指で示した。


「すごいですね……〝まほう〟……」


 ロジーヌ自身、治癒の力という魔法じみた力を使えるため、なんとか理解が及んでいるが、それでも声音はどこか呆然としたものになってしまう。


「魔法は確かに凄い。だが、一個人が使う分にはそこまででもないのだよ。儂も魔法の心得はそれなりにあるが、できることと言えば……」


 クラースは胸の前に持ち上げた掌を天に向け、握り拳ほどの大きさの火球を具象させる。


「わっ!?」


 当然のようにロジーヌが驚いたせいか、クラースは面映ゆそうに「この程度だからな」と言ってから話を続けた。


「とにかく、魔法の力で嵐から船を守ったり、風を起こして船を走らせたりするとなると、大勢の魔法使いが必要となる」

「だから、一個人が使う分にはそこまででもないと?」

「そういうことだ。とはいえ、どんな分野にも秀でた者がいることからもわかるとおり、ごくごく一部になるが例外も存在するがな。……とまあ、魔法については以上だ。それから君をどう助けたかについてだが……」

「それもまた〝まほう〟の力で……ですよね?」

「そういうことだ。他に何か、聞きたいことはあるかね?」


 折角だから、どんな質問でも受けつけようと言わんばかりのクラースを前に、ロジーヌは少しだけ考え込む。


(もしかして、わたしの治癒の力って……)


〝まほう〟かもしれない――そう思ったロジーヌは、意を決してクラースに訊ねることにする。


「あの……〝まほう〟には、人や動物の怪我を治すものもあるのですか?」

「もちろん。治癒魔法は一般的ポピュラーな魔法の一つだからな。……いや、まさか……後で訊こうと思っていたが、君が一人で漂流していたのはなのかね?」


 どこまでも察しが良いクラースに、ロジーヌは首肯を返す。


「はい。わたしは、ある日突然目覚めた治癒の力を国に知られてしまい……流刑に処されました」

「なんと……魔法の文化がないとはいえ、まさか魔法の力に目覚めた者に、そこまで重い罰が科されるとは……」


 クラースは痛ましげな表情を見せた後、先程までよりも優しさが滲んだ声音で言う。


「エンデミラン王国では、国民の半数以上が何かしらの魔法を扱うことができる。それゆえに、この船に乗っている者の中に、君の治癒魔法を忌避する者は一人もいない。だからというわけではないが、エンデミラン王国に到着するまでの間は、この船でゆっくりと身と心を休めるといい」

「あ、ありがとうございます!」


 頭を下げて礼を言うロジーヌだったが、命を助けてもらっただけでは飽き足らず、そこまでの厚遇を受けるのは気が咎めるものを感じてしまう。


 そういった性分も含めて、人からよく「公爵令嬢らしくない」と言われていたロジーヌは、この場においても「公爵令嬢らしくない」ことをクラースに提案した。


「ですが、命を助けてもらっておきながら、何もせずに休んでいるというのも厚かましい話です。ですので、どのような雑用でも構いませんから、わたしにこの船のお手伝いさせてはいただけないでしょうか?」

「手伝いと言われてもな……」


 困った顔をしていたクラースだったが、ロジーヌにもできる手伝いが思いついたのか、一瞬だけ片眉を上げる。

 目聡めざとくそれに気づいたロジーヌは、ここぞとばかり食いつく。


「あるのですねっ?」

「……あるにはある。君が治癒魔法を使えることを見込んでの話になるがね」


 そうしてクラースが向かった場所は、やはりというべきか、船内の医務室だった。


 ベッドには苦悶の表情を見せる男の船員が仰向けになっており、その船員の脚に、船医と思しき老爺ろうやが治癒魔法を施し続けていた。


「この方……もしかして脚を?」


 ロジーヌの問いに、クラースは首肯を返す。


「ああ、折れている。嵐に見舞われた際、結界魔法を張る前に荒波で船が傾いて見張り台から落ちてしまってせいでな」

「め、面目ないっす」


 心底申し訳なさそうに謝る船員に「気にするな」と返してから、クラースは話を続ける。


「先にも話したとおり、魔法は一個人が使う分にはそこまでたいした力ではない。だから、一人の力で治癒魔法を施しても、折れた脚をくっつけるには半日近くかかってしまう。船医以外にも治癒魔法を使える者はいるにはいるが、今はその全員が結界魔法を張るのにあたっていてな……」


 ロジーヌとて、嵐に呑み込まれた身のため相応に衰弱している。

 だからこそ、手伝いをさせることに後ろめたさを覚えているのか、クラースは先程の船員以上に申し訳なさそうな顔をしながら、ロジーヌにお願いした。


「見てのとおり、うちの船医はけっこうな年齢としでな。半日も治癒魔法を行使させるのは現実的ではない。三〇分でもいい。うちの船医に代わって、船員こいつに治癒魔法を施してやってくれないか?」

「もちろんです!」


 ロジーヌは、三〇分どころから一時間でも二時間でも頑張ってみせると意気込みながら、船医に代わって船員の脚に治癒魔法を施す。


 この時、ロジーヌは一つ、失念していたことがあった。

 ロジーヌが流刑に処される発端となった、ドルニド国王暗殺未遂事件において、ロジーヌは治癒魔法を使って、致命傷に近かったドルニドの怪我をものの数秒で完治させてみせた。

 その治癒力は、クラースの言う一個人の力を大きく逸脱していた。


 ゆえに、


 折れた脚をくっつけるのも、ものの数秒だった。


「あれ? もう全然痛くねえ?」


 すっかり完治した脚をプラプラさせる船員に、クラースも船医も驚きのあまり口をあんぐりと開く。

 クラースの話を聞いていた手前、やった本人であるロジーヌも驚いている始末だった。


 そんな中、先んじて我に返ったクラースが呟く。


「これほどの治癒魔法……間違いない、ロジーヌくんは聖女だ」

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