第12話 侍と魔術師
そこはヒノモトの木造邸宅。
その家の主は、強面の老人だ。
年齢にそぐわぬ筋骨隆々の体躯。痛々しい顔の傷はその厳格さをさらに引き立てる。
長崎貞盛。御歳六十半ば。
そんな百戦錬磨の強者は今―――
「ばか!ばか!おじいちゃんのばか!」
「すいまっせんでしたあああああ!!!」
―――若い女の足元で跪いていた。
☆
「……いや、すまんて。わしもあいつを行かせる気は微塵もなかったんだって。許せ孫よ」
「……おじいちゃん、ほんと肝心な時に役ただずなんだから」
「ぐはぁっ!」
役ただず、という言葉が相当きたらしい。
ビクッと痙攣し、胸を押えて蹲る。
貞盛に対しているのはおよそ十六、七の若い娘だ。
艶のある長い黒髪と黒目、ヒノモトの女性らしい貞淑な雰囲気を纏っている。
柔和な人柄を思わせる顔立ちは今は怒りに歪ませ、足元の貞盛をゲシゲシと足蹴にしている。
「仕方なかろう!あいつよりによってわしに薬を盛ったんじゃぞ!?しかもアレ、クマとか獰猛な獣を眠らせるガチのやつ!あいつわしを何だと思っとるんじゃ!」
「まあおじいちゃん、ちょっとした薬じゃ眠りそうにないもんね」
「月!お前この話聞いてまだあやめの肩を持つか!」
月と呼ばれた娘が曖昧に笑い、貞盛はちょっと不貞腐れながら喚く。
「でも結局、あやめを一人で行かせちゃったのはおじいちゃんのミスでしょ?薬にしてもおじいちゃんが油断してなかったら簡単に引っかからないはずだもん」
「む、うぅ」
「あやめはやるって言ったら絶対やる子だって知ってるでしょ?手段はさておきとにかく結果を求めるタイプ。昔から何をやってくれるか分からなかったじゃない」
「……それは……はい」
「三年も一緒にいて、なんで今さらそんな手に引っかかるの?ほんとは止める気なかったんじゃないの?」
「そんなことは……微塵も……」
孫にひたすら問い詰められ、そろそろ貞盛の精神は限界に来ていた。
歳をとって、微妙にメンタルが弱くなったらしい。
「は〜あ」
月はもういいと言わんばかりに貞盛を見放し、憂鬱そうに縁側に腰をかける。
広い庭園。幽玄な雰囲気を演出するししおどしや巨大な松の木、鍛錬のための巻藁が目に入る。
「……あやめ、大丈夫かな」
「……問題ない。あやめにはああ言ったが、あいつはそう簡単にやられるようなタマではないわ」
「そんなのわかんないじゃん!」
月が責めるように貞盛を見上げる。
「あやめが誰よりも強いのは私も知ってる!でもあやめが行ったのは魔術師の国だよ!?この国の魔術師でさえ、全国の有力な武士たちが簡単に負けちゃうくらい強い人たちばっかりなのに!なんでそんなに落ち着いていられるの!」
「……確かに魔術師と侍はあまりにも相性が悪い」
貞盛は草履を履き、ゆっくりと中庭に出る。
「まず、間合いに入れん。魔術は遠隔攻撃が多く、距離を詰める前に落とされる。よしんば近づけたとしても、魔術師は自身の魔力で身を守り、刃をまったく通さん。武士が朝廷のクーデター軍に大敗したのはそこが要因じゃ。だが、それでも問題ない」
貞盛は、いつになく真剣な表情でキッパリと言い切った。
「あやめは、狐火の乱の生き残りじゃ」
「!!」
狐火の乱。今から三年前、不知火運命を盟主とした最後の武士の反乱である。
武家政権を倒した朝廷は、これまでの鬱憤を晴らすかのように武士弾圧政策を推し進めていた。
各地の武士たちは黙ってやられてなるものかと、多くの反乱を起こした。その最後にして最大規模の反乱が狐火の乱である。
「ま、待って!あれは確か三年前の戦争でしょ!その時まだあやめは十二歳じゃない!」
「家格のある武士の子なら、その歳で戦争に出るのは珍しくない。実際、あやめは当時最も戦果を挙げた侍じゃ」
「……!」
「あやめが如何にして魔術師と渡り合ったのか。その理由は数多あるが……最たる要因はコレじゃな」
貞盛が取り出したのは、二本の剣だ。
一本はヒノモト産の刀。もう一本は西洋のバスターソードである。
「月、お前は不思議に思ったことはないか?武士が振るう刀は、なぜああも容易く人の首をはねることができるのか……」
「え……」
「たとえば切腹の際、介錯を務める侍は、罪人が苦しまぬよう一太刀で綺麗に首を落とす。おかしくはないか?人の頚椎はお前が思う以上に頑丈。あのように力感なく、綺麗な切断面で首を落とすのは、人間の細腕では難しい……」
「それは……やっぱり技術と鍛錬を積んでるからじゃ……」
「無論、それもある。じゃがいくら鍛錬を積もうと……少なくとも西洋の剣では、あのように首は落とせん」
「そ、そうなの?」
刀で首を落とす。それはヒノモトでは一般的であり、珍しいわけじゃない。侍と名乗れるまで鍛錬を積んでいればできて当たり前。何故そんなことができるのかなど、考えたこともなかった。
「ああ。その理由は剣の構造と使い方にある。西洋の剣はいわば『重さで斬る剣』。一方刀は『技で斬る剣』なのじゃ」
貞盛がバスターソードを軽々と振り回し、巻藁に向かって……一振。
だが、バスターソードは巻藁を半分斬った所で刃が止まり、切断にまでは至らない。
「西洋の剣はその重さと使い手の腕力で叩くようなイメージで斬る、力任せの剣じゃ。強引に斬り込むため切れ味は鈍く、仮に首を落とそうものなら何度も何度も頚椎に叩き込まねばならん。だが刀はむしろ薄く、軽い……切れ味に特化した剣。本来、薄ければ容易に折れてしまうところを、極限まで鋼から不純物を追い出し、側と芯を別工程で造る製法によって、折れず、曲がらず、よく斬れる刀を造り出している。よって……」
斬!
貞盛の目の前に置かれた巻藁が、貞盛の一太刀によって綺麗に真っ二つになってしまった。
「このように、軽い力で一刀両断できる」
その切断面の美しさは、貞盛が如何に剣の達人であるかを容易に想像させる。
「無論、いくら刀を振り回そうと、素人では
巻藁すら斬れん。じゃが鍛錬を積めば巻藁を斬ることができ、さらに突き詰めれば人間の首も、もっと鍛え上げれば大木も、そして……」
斬っっっ!!!
貞盛がまったく無駄のない太刀筋で刀を振るう。
「極めれば……巨岩も斬り裂ける」
瞬間……庭園にあった岩がいとも容易く横一文字に真っ二つとなり、ずずずず……と岩の切断面同士がずれて、ずうううん……と岩の上部が地面に転がる。
「刀は、鍛錬を積んだ分、より多くのものを斬ることができる……。あやめは極限まで刀を極めたことで、魔力に覆われた魔術師を斬るにまで至ったのじゃ。当時まだ十二歳で……な」
月は絶句する。当時まだ幼子が、そこまでの力を手にする。あまりにも異常だ。
一体、どんな地獄をみれば、そこに至ることができたのか。一体何に突き動かされて、そこまでの極地に至ったのか。
ひとつ言えるのは、生半可な覚悟では……間違いなくできなかっただろう。
「あれから三年。あいつはより強くなった。あれだけの力量ならば、いくら魔術大国の強者といえど、そう遅れはとるまい」
貞盛は、どこか誇らしそうに語る。
「思えばあの子は……この国で収まるような器では無いのかもしれん」
☆
「……見事……」
ぱっ、と鮮血が咲き乱れるように宙を舞う。
アレスの肩から正面には斜めに痛々しい刀傷が刻まれ、一目で致命傷だとわかる。
そのまま、アレスは力なく崩れ落ちた。
「ごめんね、ちょっと搦手使っちゃった」
少し申し訳なさそうに言いながら、これから死にゆく敵をじっと見下ろす。
その瞳からは、何を思っているかがまったく読み取れない。
「……ふん。戦場で卑怯なんて言葉は言い訳にすぎん……」
あやめは、アレスの隣にゆっくりと腰を下ろした。
自分のエゴでこれから奪おうとする命との、最後の対話。
「……思えば、初めから天井を落とすことを狙っていたのだな。そのために……敢えて派手に逃げ回り……自然な形で柱や間仕切りを破壊させた。……思えば避け切れるはずの攻撃を敢えて柱を盾に防いだのも……このための布石……。仲間の合流を狙っていたというのも……真の狙いを隠すための餌……」
「……いんや、最初フローラ待ちで逃げ回ってたってのはマジだよ」
あやめが遠くをぼんやり眺めるながら言った。
「でも、一つしかない策に依存するのは、戦い方としたら悪手じゃん。どんな状況でも勝ちを拾うための一手を探し続けるのが強者ってやつでしょ」
「……ふ、違いない」
アレスは穏やかに笑った。その目には、先程までの射殺すような眼光はどこにもない。ただただ、優しく笑ったのだ。
「……名前、なんていうの?」
あやめが静かに問うた。
「……アレス」
「そう、私はあやめ」
あやめは懐からキセルを取り出すと、ふう、と煙を吐いた。
「……アレスって、多分王室直属の魔術師団の人だったんでしょ?なんでここに来ることになったの?」
「……おそらく、お前の知っている通りだ。……何も珍しいことじゃない、ただ仲間だと思ってた者たちの策略にハマり、職を追われた……それだけだ」
「……そう」
あやめはきゅっと唇を強く結び、ほんの少しだけ苦々しく表情を歪めた。……ほんの少しだけ。
「正直、アレスはまじで強かった。ただ強いだけじゃない。アレスには戦う者の『矜恃』があった。あれだけの強さ、相当の鍛錬と覚悟があってこそだと思う。きっと、前の職場では誇り高くて、紛れもない正義の魔術師だったんだろうね」
「……ふん、本当にそうなら……こんな外道には……堕ちんさ。所詮……俺はあの場所に相応しくなかった……それだけだ」
「確かに道は間違えたかもね。……でも何かを間違えたとしても、苦悩して、正義のために努力を重ねた日々が嘘になるわけじゃないよ」
「……努力、か」
アレスの脳裏に、かつての自分の姿が再生される。ただ己の信念のため、誇りを持って任務に向き合ってきた……在りし日の自分。
少しずつ、アレスの呼吸が弱々しくなる。
「……どこで……間違えたのだろうな。俺は本当に……地位も名誉も……どうでもよかった……。ただ……俺が戦うことで……少しでも何かが守れたら……ただそれだけで……」
そのまま、アレスの言葉は徐々に小さくなり……。
そのまま……息を引き取った。
「……そっか」
あやめは、ゆっくりとアレスの亡骸に向き合う。
「……やっぱり、アレスは誇り高い魔術師だよ」
そう言うと、あやめは静かに手を合わせた。
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