第11話 無常

「……殺す、か」

これまで逃げ一辺倒だったあやめから放たれた明確な殺意。

だがアレスは動じることなくあやめを見据える。

「……不可能だ。お前がいくら手練であっても、魔術師の俺にはその刃は届かん。いや、そもそも近寄ることすら叶わない。」

それは、魔術師としての覆せぬ常識。

魔術師は身体中を魔力がめぐり、一般的な物理攻撃は一切通じない。

この魔力の壁を突破できるのは、同じく魔力を込めた魔術攻撃、あるいは魔導器だけだ。

さらにアレスは周囲に展開された樹木を見やり、続ける。

「……俺の魔術は、特に近接戦闘を得意とする敵に対し、優位にことを運べる。常に敵の間合いの外側から攻撃を仕掛け、間合いを縮めるには樹木を掻い潜らなければならない。この状況でもなお、本気で俺に勝つつもりか?」

それはいわば、天然の要塞だ。

例えば獣道すらない樹海の中を、労せず真っ直ぐに走り抜けることは出来るか?できるわけが無い。

ヒノモトでも拠点となる城を簡単に落とされぬよう、古くから山城を主流としている。これは同様の理屈で、騎馬隊の進軍を阻むためにある。(ただし鉄砲台頭以降は平城が主流であるが)

この二重の要塞の攻略、仮に魔術師相手でも多くの者が為す術なく返り討ちにあうことだろう。

だが、あやめはなおも揺らぐことは無い。

「勝つよ」

ただ真っ直ぐ、そう言い放った。

「むしろ、アンタがそんなつまんない常識に縛られてるだけの奴なら、負ける気しない」

その姿は凪のように穏やかで、山のようにどっしりと構え、まさに歴戦の侍を思わせる。

一分の隙もなく、半身のままアレスに対峙すし、……そのまま納刀。

「……どういうつもりだ?」

戦闘の常識から外れた行為。納刀という戦闘モード解除の所作。

それが、アレスをさらにイラつかせる。

「来なよ、アンタのつまんない『常識』ってやつをひっくり返してやる」

その言葉を挑発と捉えたのか、アレスの眼光が一段と鋭さを増す。

「……良いだろう。魔術戦の花、正面からのぶつかり合いで雌雄を決しようではないか」

その瞬間、アレスの周りの樹木が音速に届きうるスピードであやめに襲いかかる。

物量、それを覆う魔力は今日一番のものだ。

ここにきて、アレスのコンディションは最高潮に達したのである。

「……この世界の当たり前なんて、いとも容易く変わってしまう」

あやめが、ゆっくりと柄に手をかける。

「常識は非常識に変わるし、不可能だって可能になる。ずっとあると信じてたものだって、いつか消えてしまう」

身体の開きを閉じ、やや姿勢を低くし、居合の構えをとる。

「変わりゆく世界で常識に縛り付けられてたら、何もかもに取り残される。大事なものも全部、零れ落ちる。私は―――」

それは、アレスの攻撃が眼前に迫る直前。

「私は、世界はいつだって自由だ」

抜刀一閃。

その一振は、音速なんて優に超えていた。

超一流と目される戦士ですら、その一振すら目で追い切れない。

固定観念も、先入観も、常識も、何もかもが斬り裂かれるように無意味になる。

そんな規格外の刃が、鉄壁を誇るアレスの魔術を真っ向から斬り捨てた。

「――――――!?」

ここで、初めて能面のようだったアレスの表情が驚愕に歪む。

「(……一体どういうことだ!?)」

一瞬、何が起こったのか分からなかった。ただ目の前のありえない光景に、遅れて脳が理解する。

アレスの樹木は綺麗に輪切りにされてボトボトと地面に落ちていく。

そう、すべて斬られたのだ。魔力が漲り、決して刃の届くことがないはずの魔術が、ただの刀にいとも容易く真っ二つにされた。

しかし……

「(……カラクリがわからん……ッ!あの攻撃には膨大な魔力が込められていた……ッ!

魔導器はおろか下手な魔術師の炎熱魔術でも焼き切れないはず……ッ!それをただの刀でアレを斬った……ッ!?)」

洞察力に優れ、あらゆる戦場を生き抜いてきたアレスにすら、どうやって自身の魔術を斬ったのかが見当もつかなかった。

そして……背中に寒気が走った。

「(……もし、あのスピードで樹木を掻い潜られ、間合いに入ってしまったら……!?)」

あれだけの魔力に覆われた樹木が真っ二つだったのだ。まともに斬られればアレスは即死を免れられない。

加えて、魔術師は魔術の発動中、別の魔術を発動できない。故に樹木の操作中に懐に入られれば、防御壁も展開できず、為す術なくやられてしまう。

「(……見誤っていた。魔術師の身体強化を優に超えたフィジカルとスピード、相手の思惑を看破する直感、そして魔力の壁を貫通する斬撃……。一つ選択を間違えればこちらが狩られかねない……!)」

ここで、アレスはようやく気がついた。

目の前にいるのはただ狩るのが難しいだけの『獲物』ではない。

そもそも、これは一方的な『狩り』ですらなかった。

ここは『戦場』であり、目の前にいるのは己の生命を脅かす『強敵』なのだ。

「……見事だ」

それは、敵に対する心からの敬意と賞賛。

未知の異能によって自身と同等に渡り合う強者への礼節だった。

「……理屈はわからん。だが、この一振りと集中力。およそ何万、何億と剣を振り続けなけらばたどり着けない境地。これが武を極めた者が辿り着く最果てなのだろう」

再びアレスが魔力を漲らせ、新たな樹木を生成する。

「……だが、俺は過去、お前のようなタイプの敵と幾度も戦ったが、一度たりとも接敵を許したことは無い。攻撃は脅威だが、それならば近づけなければ良いだけ」

「そう、じゃあルールはシンプルだね。アンタの攻防一体の魔術を私が斬るか、その前にアンタが串刺しにするか……」

「……その通り」

アレスは心なしか楽しさが表情から滲んでいた。そしてそのまま、右手を振るう。

「……さあ、死闘を演じよう」



死闘。その言葉はまさに二人の戦いを指すに最適な言葉だった。

四方八方から、アレスの樹木が隊をなして襲いかかる。

あやめはそれらを無数の太刀筋ですべて斬り捨てていく。

疾風の如きスピードでアレスに突進。進路を阻む樹木を容赦なく真っ二つにしながら距離を詰めていく。

一瞬で彼我の距離が残り数メートルになった。

その瞬間、地面から無数の根が垂直に伸びていき、まるで盾のようにその進路を阻む。

斬!

あやめはそれを一太刀で横一文字に斬り捨てる。

しかし真っ二つになった根の盾の切れ目から鋭利な樹木が真っ直ぐ串刺しにしようと襲いかかる。木の盾を目隠しにした奇襲攻撃だ。

さらに後方からは先の攻防の隙に回り込んでいた別の樹木。

あやめの不意をつき、かつ逃げ場も奪う効果的な挟撃だ。

あやめはギリギリでブレーキをかけ、真っ直ぐ跳躍し回避。眼下では樹木同士がぶつかり合って爆ぜる。

そのまま樹木に飛び乗って再度距離を詰めにかかるが、既にその距離は先程よりも広がっていた。

あやめもそうだが、アレスも一切の隙を見せることはなかった。

故に、互いに決定打がないまま、戦いは膠着状態に陥る。

アレスの攻撃をあやめが斬り、かわし、距離を詰めようとする。

だがアレスも隙のない鉄壁の防御によって、あやめの間合いを巧みに遠ざける。

先程から、ずっとこれの繰り返しだ。

だが、少しづつ、戦況は確実に変化していた。

「(……ぐっ……)」

アレスだ。表情は相変わらずの能面だが、内心冷や汗をかいていた。

「(……まずいな。魔力を消費しすぎた)」

そう。アレスはあやめと対峙してからずっと、強力な魔術を行使し続けてきた。

アレスの魔力量は驚異的だが、無尽蔵では無い。ここにきてじわじわと、その限界が近づいてきたのだ。

一方あやめは、当初は完全に逃げ一辺倒で、全力の攻勢を始めたのはかなり後だ。

最小限の逃げでスタミナを温存していた差が、ようやく現れ始めたのだ。

依然、あやめはアレスの樹木を次々に斬っていく。

このままではジリ貧。

この状況を受け、アレスは勝負に出ることを決断するのだった。



アレスの樹木が、奇妙な動きを見せ始めた。

樹木同士が、まるでロープのように絡まり合い、一本の大樹を形成する。先端は鋭利に尖り、ドリルのように半自律的に回転も加わっている。

それが、十本。

数は極端に減ったが、これぞアレスの奥の手。

樹木同士が絡まることでより強度と威力を底上げし、回転によって空気抵抗を減らしたことで、巨大化したにも関わらずスピードはまったく落とさない。

もちろん代償はある。巨大化した樹木の操作のため大量の魔力を消費するのだ。

アレスは基本持久戦を得意とするため、コストが膨大な魔術をあまり好んで使用しないが、戦況を覆すカードとしては強力無比である。

魔力は残りわずか。この奥の手を捌かれればアレスの敗北が確定する。

だが、アレスはあやめを倒すための賭けに出たのだ。

十の大樹が、巨体に似合わぬスピードで無慈悲にあやめを串刺しにしようと襲いかかる。

「(……これはちょっときついかな〜)」

再度、あやめは逃げに徹することになった。

一本だけでも相当な魔力を漲らせていた樹木だ。複数が合わさったことで素の強度だけでなくその魔力も合算され、威力・強度ともに驚異的に跳ね上がっていた。

さらに、あやめの回避も、先程以上に余裕のないものに変わっていた。

ひとつひとつの回避が危なっかしいギリギリのばかりとなり、もはやいつ捉えられてもおかしくはなかった。

「(……いける、俺の魔力が枯渇する前に、捉えられる!)」

アレスが勝ちを確信したその時。

あやめがアレスに背を向け、真っ直ぐ走り出したのだ。

「(……ここにきて逃げる気か!?……させん!)」

十の大樹に魔力を漲らせ、同じように真っ直ぐあやめを襲う。

単純な直線距離の競走であれば、今のアレスの魔術の方が速い。

だがここで違和感が襲う。

あやめが真っ直ぐ走るその先には、一本の柱がある。

柱との距離が詰まっているにも関わらず、あやめはそのスピードをまったく緩めないのだ。

あやめはそのまま真っ直ぐ駆け抜け、刀を振りかぶり、一閃。

斬!

すれ違いざまに柱を真っ二つに斬り捨てた。

瞬間。

ゴゴゴゴゴゴゴ…………

―――ガラガラガラガラッ!!!!!

「!?」

突如、地鳴りのような音を立て天井の崩落が始まった。

「(まずいッ!)」

アレスが内心動揺する。

通常であれば、魔力に覆われた魔術師は天井が落ちてきた程度では致命傷には到底なり得ない。しかし……

「(今は魔術を振るう右手と樹木に魔力を集中させている!加えて魔力は枯渇寸前……!身体の大部分はほとんど魔力に覆われていない!)」

要するに、今崩落に巻き込まれたら致命傷だ。魔術師とて、魔力がなくては生身の人間と強度は変わらない。

アレスは慌てて攻撃を軌道修正する。

あやめを追う樹木を引っ込め、自身の身を瓦礫から守る樹木、瓦礫を吹き飛ばす樹木を巧みに操作する。

ずがあああああああん!!!!!

寸前の所で、アレスを襲う瓦礫を天井ごと吹き飛ばす。

瞬間、違和感。

「(……どこへ行った!?)」

あやめが視界から消えた。

その時、アレスは理屈ではなく、長年培ってきた戦闘の感覚に従い、背後に目をやる。

そこには―――

「(いつの間にッ!)」

姿勢を低くし、居合の構えをとったあやめ。

既にそこは、死の間合いにあった。

「ちぃぃぃぃぃい!!!」

ここからでは、樹木の防御は間に合わない。

一か八か、樹木を解除し、最後の魔力を振り絞って自身の身体を魔力で覆う。

だがそれは、もはや悪あがきに等しい。

あやめは刀を抜き、抜刀。

その神速の一閃は―――

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