第10話 本当の悪意

「デタラメだッッッ!!!」

カリナが怒気を撒き散らし、獣のように咆哮する。

「相手の魔力の振動を止める!?一方的な魔術の封印!?そんな万能じみた魔術が存在するわけないだろう!?」

受け入れられない。そんなカリナの本音がありありと伝わってくる。

自信が魔術を封じられている以上、フローラの言葉はすべて真実というのはわかっている。理論上はフローラの言う通り魔術を封じられることも。だが……。

「魔術の世界は等価交換の原則があるのはアンタも知ってるだろ!?破壊力や強力な魔術式の効果を追求すれば、その分莫大な対価を求められる!こんなとんでもない能力を使えば、アンタの魔力じゃすぐ枯渇して―――」

そこまで言って、カリナは頭の隅に引っ掛かりを覚えた。

「(……そういえばおかしい。こんな反則級の魔術があるなら最初から使えばいい。なぜわざわざ面倒な策を幾重にも弄して……)」

そこまで逡巡し、はたとフローラの先刻の言葉を思い出す。

『時間切れ』

「……ああ、そういうことか」

カリナが悟ったように脱力し、虚空を見上げる。

「条件付き起動……ッ!魔術に発動条件を設けることで等価交換の原則をクリアしたってことかい!!!」

「はい、正解です」

まるで出来の悪い生徒を教える教師のように、柔和に微笑むフローラ。

だが、今の話によってカリナは別の疑問を覚える。

「(いつだッ!?一体いつこいつの発動条件を満たした!?そもそもこんなデタラメな魔術の発動条件なんてそう簡単にクリアできるもんじゃないだろ!?この私相手に戦いながらそれを満たしたっていうのかい!?)」

あまりの情報の濃さに、頭の中であらゆる疑問が湧いては溢れてくる。もはやパニックに等しい状態だった。

「ふふ、理解できない、といった様子ですね。もっとも、それは当然のことです」

フローラが優雅に髪をふわりとかきあげる。

「すべての状況を一発でひっくり返せるカードは、得てして相手の常識の外側にある。そうでなければ切り札たりえませんから」

確かにカリナは強かった。超一流と言ってなんら差し支えはなかった。

魔力の総量も、魔術の出力も、テクニックも、カリナが上回っていたはずだった。

だがフローラはそんなすべての事実をねじ伏せてしまう化け物だった。

ただそれだけの話だったのだ。

「……聞いた事もない……ッ!魔術を封じる魔術なんざ……!」

「言ったじゃないですか、私の固有魔術だと」

途端、カリナの手足がゆっくりと氷づいていく。

魔術には通常使われる魔術とは別に分類される『固有魔術』が存在する。

通常の魔術、たとえばフローラの氷槍やカリナの炎などは、魔術師であれば修得不可能というわけではない。もちろん魔力や個人との親和性、得手不得手によって威力や精度は大きく変わるが、同様の性質を持つ魔術、要は形自体であれば誰もが会得できる。

だが、固有魔術はその術者の完全オリジナル、門外不出のブラックボックスであるため、誰一人同じ魔術は使えない。

仮に誰かに伝授したとしても、開発者独自の魔力操作や感覚に完全に依存しているため、会得はほぼ不可能と言っていい。

「固有魔術……ッ!アンタ一体何者なんだい!?そのおかしな魔術だけじゃない!立ち回り、駆け引き、何もかもが歴戦の魔術師のそれだ!ただの学生がそんな……ッ!」

「それですよ」

「……!?」

「それこそが貴女の敗因です。貴女は格下である私を侮り、一方で私はそこにつけ入り貴女を倒す準備を粛々と進めていた……。ようやく気づきましたか?これから狩られるのは……貴女だということに」

その瞬間、悟った。

ああ、この女は化け物だと。

今はまだ年齢的に自分よりも魔力や出力は下だが、この才覚ならあと数年……あるいはもっと早く自分を抜き去ってしまうだろう。

加えてあんなデタラメな魔術、ただ才覚があるだけでは完成し得ない。

長きに渡る魔術の研鑽、常軌を逸した執念がなければ修得は不可能だ。

すべてにおいて、この少女は自分を上回っていたのだ。

「……まったく、とんだ化け物を相手にしちまったもんだよ」

さっきまで荒れ具合とうってかわり、穏やかに、力なく笑う。諦観の笑みだ。

手足は先程から少しずつ氷が侵食している。

もう身体はほぼ全体が氷縛されてしまっていた。

「……楽しかったよ、最期の相手がアンタで良かった」

そんな言葉を言い遺して。

カリナは完全に氷塊と化したのだった。



時は少し遡り。

あやめがアレスを相手取り、フローラがレイナと行動を共にしていた頃。

闇金会社のボスが、死屍累々と化した事務室で力なく壁に体重を預けていた。

「……ヒヒッ、問題ない。あの二人が連中さえ始末すれば、すべて元通りだ」

まるでうわ言のように、焦点の合わない目でそんなことをぶつぶつと呟く。

「……まだ終わってない、まだ俺たちは……」

「おやおや、ずいぶん派手にやられましたね」

「!?」

振り返るとそこに居たのは……不気味な高身長の男だ。

背は180を優に超している。服装は黒の燕尾服、黒のネクタイという、ずいぶん固い服装だ。

だが何より不気味なのは……顔だ。

素顔を白い薄ら笑いの仮面で覆い、シルクハットを被っている。

その外見とどこかおどけたような物言いが、薄ら寒さを感じさせる……そんな男だった。

「あ、あんた!やっと来たか!」

「すみませんねえ、これでも予定より早めに着いたつもりだったのですが」

男が死屍累々の室内を見渡すと、面白そうに笑った。

「それにしても……どうやら痛いしっぺ返しを食らったみたいですねえ。大方、無理な取り立てをして逆に噛み付かれたのでしょう」

「笑い事じゃねえよ!それにまだ現在進行形だ!今侵入者のガキ二人をウチのもんが追ってる!」

「……ほう?侵入者は子供だというのですか?」

ボスの言葉を聞き、興味深そうに顔を覗き込む。ボスは思わずたじろぎ、慌てて目を逸らした。

「そ、そうだ!だが追ってるのはそっちから斡旋してもらったあの腕利きの魔術師だ!すぐにでも捕まえて商品を……」

そんなことを言いかけた、その時だ。

「ああ、もうその必要はございません」

それはまるで、既に男への興味を失ってしまったかのような、冷淡な口調だった。

「……は?」

「そんなことよりも私、その御二人に興味がありますねえ。こんな場所にたった二人でだなんて、さぞ将来有望な御仁なのでしょう」

そんなふざけたことを言う男に、ボスは完全に頭に血が上ってしまう。

「ふざけてる場合じゃないッ!!!これは今後の取り引きにも関わる事態なんだぞ!!これで商品が戻ってこなかったらアンタたちだって困るんじゃないのか!?」

「ええ、まあ確かにこちらも多忙を極めております故に、生贄の確保は御社に完全に委託しておりましたけれどもね?」

生贄、そんなおぞましい言葉を事も無げに言う。

「申し上げた通り、もう必要はないのですよ」

「どっ、どういう意味だ……!」

吠えるボスに対し、男はやはり落ち着いた紳士のような振る舞いを崩さない。

「……実は必要な人数は残り三十人ちょっとでして。それならちょうどこの場で調達できるではないですか」

「……は?」

その言葉の意味を、ボスは理解できなかった。いや、理解したくなかったのだ。

だが、否応なしに気づいてしまう。背中に寒気が走ったその瞬間……。

「うあっ」

ボスはその場で、糸の切れた傀儡のように、力なく倒れ伏していた。

「……さて、計画に必要な命はそろいました。後はアレを完成させれば任務は完了……」

男はゆっくりと、その場に倒れたゴロツキたちへ魔術式を施す。

男が魔力を注ぐと……彼らに刻まれた幾何学的な魔法陣から、白い発光する球体が顕現する。

いや、正確には彼らの中から球体が引きずり出されたと言った方が正しい。

そしてそのまま、その三十を超える球体はすべて男が持つアタッシュケースに格納されてしまった。

「(ふむ……それにしても子供の侵入者ですか……)」

男がアタッシュケースを持ち上げ、その場から去ろうとした時、やはり引っかかったのはその侵入者だ。

「(面白そうな予感がしますねえ)」

薄ら笑いの仮面が、ほんの少し、小さく揺れた。



あやめとアレスの戦いも佳境を迎えていた。

壁や天井は木の根で覆われていたり、あるいは破壊されており、もはや元の内装の面影はほとんどない。

空間同士をを隔てる間仕切りはほとんど半壊し、柱は倒れ、だだっ広い空間が広がっている。

そんな内部の様相が、戦いの壮絶さを容易に想像させた。

あやめは依然として捕まらない。

アレスがあの手この手であやめを追い詰めようとするが、あやめの勘とフィジカルによってすんでのところでするりと切り抜けられてしまう。

「……よく逃げるものだ」

あれだけの大規模な魔術を振るっているにも関わらず、魔力切れどころか息ひとつ切らさないアレスが感心するように言った。

「……危機を察知する直感、反射とスピード、敵の狙いを看破する洞察力、抜け目のなさ……本当に戦い慣れている。どれも相当の修羅場をくぐっていなければ出来ない芸当だ」

より一層の魔力を漲らせ、あやめを睥睨する。

「……だが、時間稼ぎはもう無意味だ」

「……」

「大方、もう一人の魔術師の合流を待っているのだろう?逃がしたと見せかけ、別働隊として動かし、隙をついて俺を背後から討つ……悪くない戦術だ」

アレスは既に、あやめの狙いを見抜いていた。そして、敵を折るための事実を通告する。

「……先程、同僚から敵接触の合図があった。今頃女の魔術師がお前の仲間と交戦しているはずだ。奴は軽薄だが、炎を操れば奴の右に出る者はいない。お前の仲間はここに来ることは絶対にない」

それはまるで死刑宣告のようだった。事実、攻撃が通るフローラの合流さえ無ければ、アレスに致命傷を与える攻撃は来ない。

そんな怖さのない攻防など、ぬるいとしか言いようがない。あやめを捕まえるのは至難だが、永久にかわし続けられるわけではない。疲れが出れば必ず隙を見せる。この建物から出しさえしなければいずれは捕まえられる、そう考えているのである。

「……あとはゆっくりとお前を削り、捕らえる。せいぜい自分の寿命を伸ばすために躍起になるがいい」

ゆっくりと右手を向け、新たなる樹木を生成し……違和感が襲う。

負けるはずのない戦いだ。そのはずなのだ。それなのに……。

「まじかー、フローラ敵とがっちゃんしちゃったんだ。これむしろこっちが助っ人に行った方がいいのかなあ」

あやめには万策尽きたという絶望感が微塵も感じられないのだ

それどころか、アレスを倒す前提の話すらしている始末。

「……ずいぶんと戯言を吐くな。まさか現実も見えていないのか?」

流石のアレスも苛立ちを隠せなかった。その眼光はより鋭くなり、視線だけで人を殺せそうな程だ。

だがあやめは気にした様子は微塵もない。

「まさか。私なりにちゃんと地に足着いた戦いをしてるよ。だから一番安全にアンタを討てる策を実行してたんじゃん」

ゆっくりと。

ゆっくりとアレスに歩み寄って。

「約束もあるし、出来れば危険な戦い方はしたくなかったんだけどね。でも決めたよ」

真っ直ぐに言い放った。

「ここからは……命をかけてアンタを殺す」

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