第9話 絶対零度
その戦場は筆舌に尽くし難いものだった。
カリナが魔力を漲らせると、周囲に複数の魔法陣が展開される。
そこから現れたのは龍だ。無論本物の龍ではない。龍の姿を模した高温、高密度の炎だ。
古代を生き、人から神と等しく崇められ、畏れられたあの伝説の龍が、まるでそのまま現世に蘇ったかのようだった。禍々しさと神々しさが矛盾なく成立するその龍が、まさにフローラを喰らい尽くそうと襲いかかる。
だがフローラも瞬時に防御壁を展開し、その怒涛の攻勢をすべて防ぎ切る。
「ハハハッ!これも防ぐかい!だがそういつまでも持たないだろう!?」
再度、絶え間ない炎の龍が顕現する。
見方によっては、常人であれば灰すら残らない壮絶な火力を、フローラが鉄壁の防御で防いでいるように見えなくもない。
だがそれを差し引いても、圧倒的。フローラは完全に防戦一方だ。
「(想像以上……ですね)」
表情からは読み取れないが、フローラは内心舌を巻いていた。
「(あれだけ力任せに魔術を振るっているというのに、魔力がまったく乱れていない。魔力の枯渇を待つのは現実的ではありませんね)」
加えて、カリナはただ力任せなだけじゃない。あれだけの高エネルギーの炎。完璧に制御するには緻密な魔力のコントロールが必要だ。でなければ魔力は暴発するか、周囲に拡散してしまうところだろう。すなわちこの魔術はカリナが超一流であることの証なのだ。
フローラの思考も束の間、また炎の龍が隊列を成して襲いかかる。
フローラが選択したのは、同じ防御壁ではなく……氷の壁だ。圧倒的凍気を放つそれは、触れるだけで全身が凍りついてしまいそうなほどだ。
しかし、カリナが繰り出すのは炎。氷で受けるには相性が悪すぎる。
一見すると悪手だが……。
ゴウッ!!!
圧倒的凍気と圧倒的灼熱波がぶつかり合い一瞬にして白い世界が形成される。
「(これは……ッ!水蒸気……!?)」
これにより、完全にフローラの位置を見失ってしまったカリナ。
「(炎の勢いで一気に晴らすか?いや、
それは単純すぎる。誘いの可能性もあるしね)」
闇雲に魔力を大振りすれば、いかに優れた魔術師であっても隙が生じる。その隙を突かれればカリナであれど防御が間に合わない可能性もある。
「(この視界不明瞭な中、私なら何をする?まずはプレッシャーをかけて精神を削るだろうね。常に周囲を警戒させ、追い込んだところを即座に刈り取る。事実、私の周りに複数の魔力の波動を感じる)」
カリナが周囲に注意を払うと、前方、左後方、右上方……複数の魔力の気配を捉えた。
いかにも「色んなところから狙ってます」と言わんばかりだ。
「(まあ、これは全部フェイクだろうね。どこから攻撃が飛んでくるかわからない状況を作り出し、十分圧をかけ、距離を取って安全圏から狙う。……とみせて本命は……)」
刹那。カリナの後方の霧がほんの少しだけ揺らいだ。
「背中からの近接攻撃だろう!?」
分かっていたと言わんばかりに振り向きざま火炎放射を浴びせる。あまりタメをつくっていない分、先の炎の龍より威力は落ちるが、それでも無防備な魔術師を丸焼きにするには十分な火力だ。
今の攻撃で水蒸気も一気に吹き飛ぶ。視界が確保された中でカリナが見たのは……。
「……へえ、これでもダメかい」
ギリギリ防御壁で凌いだフローラが立っていた。カリナの火力が落ちている分、何とか即席の防御魔術でいなしたのだ。手首の袖口からは氷の刃のようなものが見える。恐らくあれで背後から喉を斬るつもりだったのだろう。
「いやはや、本当に恐れ入ったよ。今の攻撃、お嬢ちゃん本気で殺しに来てたろ?その歳で覚悟決まりまくりじゃないか」
「……当然です。ここは魔術師が相対する戦場。綺麗事では生き残れませんから」
「……良いねえ。近頃の日和った魔術師とは訳が違う。本気で気に入っちまったよ」
ペロリ……と舌なめずりをするカリナ。その目は一段と獰猛さを増したように思える。
一方のフローラの心境は……。
「(……遊ばれてますね)」
どーしたもんかと内心肩を竦めていた。
「(先程の攻防、あの急激な環境変化、視覚の喪失があったにも関わらず、冷静に戦況を分析し、こちらのフェイクもあっさり見破った上で私の狙いを看破した。さすがは歴戦の魔術師です……が)」
フローラは内心ほくそ笑む。
「(こちらの本命にはまだ気づいていないようですね?)」
あくまで狙いを完全に見透かされ、次なる一手を必死に逡巡する……そんな雰囲気を装い、フローラは半身でカリナと対峙する。
「ところでお嬢ちゃん。さっきの攻防で一つ気づいたことがある」
途端、カリナがからからと笑いながら、ある確信したことを指摘する
「お嬢ちゃん、近接戦闘は苦手だろう?」
確信をついたようなカリナの物言いに、フローラはただ押し黙る。
「ハハハッ!図星かい?まあ根っからの魔術師ならそんなもんさね。お嬢ちゃんみたいなタイプは特にね。だが一流の魔術師ってのは、自分の致命的な弱点はひた隠しにする技量を身につけるか、克服するかをしてるんだよ」
そう言うと、カリナの両手から灼熱の炎が漲る。
「ちなみに私は……どっちも得意、さ♡」
刹那、カリナの足元が爆ぜた。
炎をブースターにし、爆風に乗って常軌を逸したスピードでフローラとの間合いを詰めると、灼熱の拳を振り上げる。
再度氷の壁を展開し、目くらましを試みるが、魔力のみを漲らせた左拳で簡単に氷の壁をぶち破り、本命の右腕で捉えにかかる。
なんとかギリギリで身体を右に捻って攻撃をかわすが、爆風によってフローラの身体は吹き飛ばされてしまった。
余裕の笑みでカリナが悠然と近づいてくる。
「さっきまでみたいに、お得意の遠距離攻撃の攻防なら、まだ勝負にはなってたかもね。だが弱点が割れた以上、遠慮なくそこを攻めさせてもらうよ。至近距離から爆速の拳を受けたんじゃ、さすがに防御壁は間に合わないだろう?」
そう言い残すと、カリナがその場から消えた。いや消えたように見えたのだ。
一瞬で間合いを縮め、今度こそフローラを捉えんと迫り来る。
だが、攻撃の刹那、フローラは足元に氷を貼ると、摩擦係数を消し飛ばし、滑りながら素早く後方へ距離をとる。
「小賢しいねッ!そんなものが通用するわけないだろッ!!」
更に追撃しようと、踏み込む右足に炎を漲らせ、地面を強く蹴った……その瞬間だった。
「……は?」
足元から、カリナとは別の魔力が放出され……暴力的に爆ぜた。炎で身体を包み、なんとか直撃を避けるが、衝撃でカリナの身体は後方へ吹っ飛ばされた。
「(これは……ッ!魔術トラップ!?いつの間に……いや今はそれよりッ!)」
後方に視線を向けると、当然そこには氷の槍がズラリと密集している。このままでは串刺しは免れられない。
「こんのッ……!」
カリナは空中で強引に身体を捻ると、爆炎を漲らせた拳で、氷の槍を力ずくでぶち破る。
フローラの氷は、いかに歴戦の魔術師であれど簡単に砕いたり溶かすことは不可能だ。しかしカリナは炎のエキスパート。まるで薄氷を割るかのように氷の槍を薙ぐ。
なんとか串刺しは回避した……だが背中はがら空きだ。
隙だらけの背後から、無数の氷槍が迫る
これでは防御壁も炎の放出も間に合わない。カリナにもはや防ぐ手はない。
だが……。
「はああああああッ!!!!!」
カリナは灼熱を纏った両の拳て、氷の槍を次々と粉砕していく。
近接戦闘も得意と豪語しただけはある。その拳は並の格闘家でも追い切れない程無数に繰り出され、その熱波によって氷の槍は次々脆く溶けていく。
チェックメイトのはずだった。だがカリナはフローラによる怒涛の攻撃をすべて凌いでみせたのだ。
だが、ぜえぜえと息を切らせたその表情に余裕は無い。そこに浮かんでいたのは……驚愕だ。
「(このガキ……ッ!一杯食わされた!!!『近接戦闘が苦手』……これもフェイクだったのか!!!)」
カリナは今の攻防で、フローラの真の目的をすべて看破した。
「(さっきの霧の中……複数のフェイクの魔力の波動に紛れて、魔術トラップを構築していた……ッ!そして敢えて近接攻撃に隙をみせて近接戦闘に持ち込んだ……ッ!後は逃げるふりをしながらトラップまで誘導すればいい!思えば『攻撃をじらして精神を削る』というのもミスリード!本当はあの時間でトラップを構築していた……!)」
カリナはもはや戦慄を覚えていた。フローラの策略はあまりにも鮮やかで手際よく、かつそれを一切悟らせなかった。
しかもいくつかの策略を自然な形で見破らせることで、真の狙いを隠す巧妙さ。
悪魔のような知略に、背中を寒気が走った。
「(だが……凌いだのはこっちだ。まだ流れは私にあるはず)」
そう言い聞かせて動揺をねじ伏せると、いかにも格上然とフローラに歩み寄る。
「……惜しかったねお嬢ちゃん。並の魔術師なら……いや、過小評価はよそう。あれなら超一流相手でも仕留められたかもしれない。実際私もやばかったしね」
カリナの表情から余裕が消えた。それは敵に心から敬意を評し、対等な魔術師を相手取る油断ない目だ。
「だがこれも相性さ。炎を得意とする私なら、お嬢ちゃんがどんな攻撃をしても強引に火力でねじ伏せられる。ちょうどさっきみたいにね。それにこっからはさっきみたいな小細工はもう通用しない。私もそう何度も罠にかかるほど間抜けじゃないんでね」
先刻の攻防で、フローラがどんな戦闘スタイルで、どんな思考をした魔術師なのかはだいたい見当がついた。もはや簡単にフローラの術中にははまらないだろう。
だというのに……フローラの口元は弧を描いていた。
「はい、流石は腐っても元・王室直属の魔術師団です。先程の攻撃で仕留めたと思ったのですが……やはり手強いですね」
なぜだ。もうこの少女に奥の手はないというのに。
なぜか、寒気が止まらない。
「ですが、もう時間切れ。……貴女の負けです」
「……今度は何のハッタリだい?」
あまりに突然の勝利宣言に、流石のカリナも訝しむしかない。
「ハッタリではありませんよ。ただ事実を伝えただけです。まだお気づきになられないのですか?」
そんな、挑発するような物言いに、青筋を立てるカリナ。
「……良いだろう。乗ってやるよ、その挑発」
ゆっくりと、その右腕をフローラに向ける。
「吹っ飛びなッ!!!」
先程とは比べ物にならないほどの圧倒的な魔力を練り上げ、その力を放出せんと魔力を右手に漲らせ――――――
――――――そのまま何も起こらなかった。
「(―――え?)」
おかしい。身体に異変はない。何らかの呪いを受けた記憶もない。
なのに、どうしてか……
「(ま、魔力が……練れない?)」
今まで呼吸をするように振るっていた炎が、まったく発動しないのだ。
いくら魔力を練っても……いや魔力そのものが練れないと言った方が感覚的には近いかもしれない。
「……なっ!ど、どうなってるんだい!?」
ここにきて、初めてカリナが動揺を露わにする。
「ふふ、ようやく気づいたようですね」
勝ちを確信し、妖しく微笑むフローラの手の平……その上にあるものが浮かぶ。
「……温度計……?」
それは、見た目はいわゆるガリレオ温度計だ。だが温度を表す中の小さなフロートには幾何学的な方陣が組み込まれ、どこか異質な魔力を放っていた。
「魔力というのは、たとえるなら水が沸騰する様子が近いです。水に熱を加え沸点に到達すると気体になるように、魔力を練り上げれば魔術という現象が起こる」
唐突に始まった例え話に、カリナはフローラの真意を図りかねた。
「水が沸騰する時、水の分子は激しく振動しています。逆にこの振動が小さくなれば水は氷となる。魔力も同じように、魔術として昇華する時、その粒子は微細な振動を起こしているのです。私は氷の魔術を応用し、魔力の振動を止めることができる」
「!!?!?!?!?」
「もうお気づきですか?魔力の粒子運動を止めてしまえば、魔術は発動しない。今の貴女がまさにその状態というわけです」
ありえない。そんなはずない。そんな言葉が喉の奥につっかえる。
なぜなら……そうでなければ自分が魔力を練られない理由が見つからないからだ。
「これが私の固有魔術……『絶対零度』」
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