第5.5話 フローラという少女

フローラという少女について話しておこう。

フローラは今から16年前、とある名門家族の一人娘として生を受けた。

彼女の家は王国に古くから仕える名門であった。およそ数百年前、エルドランド王国発足時の国王レオニスのブレーンとして国の創設・安定に寄与し、一代で繁栄を築く。以来一族は国を支える重鎮となった。

また、魔術師の家系としても名門であった。元々王国の貴族は魔術師の家系で占めているが、フローラの一族はその中でも抜きん出た才を誇る魔術師を代々輩出してきた。

このような歴史的背景から、彼女の家は王国の貴族トップスリー、いわゆる御三家に数えられるほどであった。

それゆえに、少女は生まれながらにその身に余る期待と責任を背負うこととなる。それは、本来健やかに育つべき子供が背負うことなど考えられない重荷。大人ですら、すべてを放り出して逃げ出したくなるような責務だった。

だがそんな周囲の期待にフローラは答え続けた。

それを可能にした要因は、主に二つ。

一つは、彼女に備わった才能。フローラの魔力量は常人より遥かに多い。さらに魔術操作や感覚にも優れ、通常習得に最低一ヶ月以上かかる魔術も、数日あればマスターできた。

二つ目は、高い知能と頭の回転の速さ。彼女は幼い頃から優れた理解力と非常に合理的な思考を待ち合わせており、魔術理論はもとより算術、政治学、経済学、語学といった学問を瞬く間に修得していった。

当時七歳にして、歴代一の天才とも呼び声高かった。

フローラは精神面での成熟が非常に早かった。同年代と比べても非常に落ち着いており、その立ち振る舞いは大人と比べても遜色なかった。

いや、彼女の場合そうならざるおえなかっただけかもしれない。

幼い頃から一族を支える当主になるための英才教育を施され、必要以上のプレッシャーをかけ続けられてきた。それに耐えるために、努力せざるおえなかった、幼くして大人にならざるおえなかった。それだけかもしれない。

フローラは冷めた子供だった。それは彼女の周囲の人間によるところが大きい。

フローラは幼い頃から父によくパーティに連れられた。ここはいわば貴族の社交場であり、将来に向けたコネ作りやライバルになりうる者たちの腹の探り合いの場でもある。ここに来るということはすなわち政治の実地訓練を意味する。

建前、打算、欺瞞…。右のものは気に入られるために作り笑いと心にもないお世辞を垂れ流し、左のものは弱みを握って寝首を掻こうと近づいてくる。

そんな世界の裏側が当たり前に隣にある中で、フローラが人間を信じられるわけがなかった。

ある日、フローラは家を飛び出した。彼女が十歳のときだった。理由はなんてことない。ただ糸が切れてしまっただけだった。

不必要に与えられ続けた金銭を幾ばくか握り、ただただ当てもなく彷徨っていた。

気づけばずいぶん遠くまできた。フローラはいつのまにか第三区にまで辿り着いていたのだ。

目的もないが、帰る気にもなれなかったので、ただ大通りを行き来する人々をぼんやりと眺めていた。

そんな時、不意にフローラの肩に誰かの手が触れた。

「ねえ、貴女ここで何してるの?」

「……私、ですか?」

見れば、それは自分と同じ歳の頃の少女だった。ショートボブの亜麻色の髪、少し垂れ目で、優しげな少女だ。

「そうだよ〜、もしかして迷子?お父さんとお母さんは?」

「別に迷子というわけではありませんよ」

フローラはそっけなく答えた。

「そうなの〜?なんだかすごくやつれてるけど大丈夫?お腹減っちゃったのかな?」

「ご心配にはおよびません」

そう言うとすぐ少女から視線を外す。これ以上少女と話をするつもりなどなかった。だが

「これ、よかったら一緒に食べよ〜!お母さんが作ってくれたの!」

そう言うと少女はカバンから小さなお弁当箱を取り出す。

「いえ、私は……」

正直、誰が作ったかもわからないものを口にするなんて気持ち悪くてできないのだが……。

くきゅ〜

ずいぶんと可愛らしい音が鳴った。それも無理からぬことで、フローラは朝から何も食べていなかったのだ。

「あはは!やっぱりお腹空いてたんだ〜!」

フローラはバツが悪そうにそっぽを向いた。


⭐︎


「ほらこれあげる!美味しいよ!」

フローラは半ば強引に少女に連れられ、近くの公園に来ていた。

ここにくる途中、少女はレンという名前だと聞いた。レンという少女に特に興味はなかったが、やることもないし、レンに害意もなかったので、しばらく付き合うことにしたのだ。

レンはお弁当からサンドイッチを手に取ると幸せそうに頬張った。

それを見て、フローラもゆっくりとサンドイッチを控えめにかじる。

「……美味しい」

「でしょ〜!お母さんの料理は世界一美味しいんだよ〜!」

「それはさすがに過大評価だと思いますが」

胸を張って誇らしげに言うレンに、フローラは冷ややかに言った。

「も〜、そんなことないもん!お母さんはね、お店だって開いてるんだよ?お客さんみんな美味しいって言ってくれるんだから!ふーちゃんもお店のご飯食べたらびっくりするよ?」

「……ふーちゃん?」

「うん!フローラだから、ふーちゃん!可愛いでしょ〜?」

「まあ、好きに呼んでもらって構いませんが」

そう言うと、サンドイッチを少しずつ食べ進める。

正直、フローラはレンという人物がいまいち掴めなかった。妙に馴れ馴れしく、なにも考えてなさそうな言動。ただ、不思議と嫌な感情はなかった。

「まあお店をやっているのは納得です。このクオリティなら、報酬をもらうには十分でしょう」

「でしよ〜、お母さんのお店はレイっていって、とっても人気なんだよ〜!ふーちゃんも来なよ!」

「……まあ、機会があれば」

「本当〜!絶対だよ!約束ね!」

「約束はしかねますが……」

ええ〜、と可愛らしく頬を膨らませるレン。

「それで、ふーちゃんはあんなとこで何してたの?学校はないの?」

不思議そうに問うレイに、フローラは適当に誤魔化すように話した。

「今日はお休みです。というか貴女はこんなところにいて大丈夫なのですか?」

「あはは〜、ほんとは行かなきゃなんだけど、ふーちゃんが気になっちゃって、今日はお休み!」

「あとで叱られても知りませんから」

「うう〜……」

そこから先は、なんて事のない時間だった。

やれお父さんとお母さんが仲がいいだの、お父さんがお母さんの料理が大好きだから結婚してお店を開いただの、学校の友達が面白い子だの、およそ中身のない話ばかり。

だが、そのすべてが、フローラの知らない世界ばかりだった。人はそんなに信頼し合えるのか。そんなに笑い合える関係があるのか。聞けば聞くほど信じられなくて、同時にそこに対する憧憬があった。

それ以来、フローラは忙しい時間の合間を縫ってこっそり抜け出しては、レンに会いに行くようになった。

いつの間にか、レンに対する興味が湧いていたのだ。

レンと話をしている時は、あの重たい枷が外れた気がした。レンと笑っている時は、あの重圧から解放された気がした。

後から気づいたが、きっとフローラにとって初めて心から友達といえる存在だったのだ。

そう、だったのだ。あの日までは。


⭐︎


今日もフローラは、いつものようにこっそり家を抜け出してレンに会いにきた。

前に会った時、今日はお店に行くと約束した。友達の家に行くということ自体初めてで、いつもと種類の違う、妙な緊張があった。

だが約束の時間を過ぎてもレンは来なかった。これまでフローラが約束の時間を少し過ぎることはあっても、レンが約束に遅れることなど一度もなかったのに。

妙な胸騒ぎがして、フローラはいつもの公園を出た。お店の場所は知らなかったが、レンは『人気』と言っていた。さすがに誇張はしているだろうが、それなりに繁盛しているのなら、聞けば誰かしらが教えてくれるだろう。

レンに初めて会った大通りについて辺りを見渡していると、こんな声が聞こえた。

『聞いた?レイのお店の子の話』

『なんか、行方不明らしいな』

『家出するような子じゃなかったけどねえ……まあ家庭の事情は外からじゃわからないけど』

瞬間、背筋が凍った。身体中から力が抜け、奈落に突き落とされる感覚に襲われた。

行方不明?もしかして事件に巻き込まれた?どうして?

家出だけはない。レンからよく両親のことは聞いていたし、あの幸せそうな顔は嘘じゃなかった。

ならなぜ?レンはどこへ行った?

吐き気を催してしまうほど早鳴る心音を押さえつけ、冷静になろうと努める。

考えて考えて考えて……一つ、恐ろしい可能性に行き着く。

まさか、自分のせいではないのか。

人が行方をくらました時、真っ先に思いつくのは誘拐だ。しかしレンは一般家庭の子供にすぎない。ただの娘を攫ったところでメリットがない。

だが自分なら話は別だ。

上流階級、それも国に深く関わる一族の娘であれば、身代金なり怨恨なりいくらでも理由は思いつく。もちろんフローラは自己防衛の心得はあるので簡単に捕まるつもりはないが、手練れの魔術師複数人に囲まれれば分が悪い。

もし自分が度々ここにくることを知られていたら。

もし犯人がレンと自分と間違えて誘拐したのなら。

嫌な想像は加速する。

今からお店の場所を突き止めてレンの両親に事情を話すか?

いや、それをしたところで自分はレンの行方の手がかりを持っているわけではないし、レンの両親から手がかりになりそうな話を引き出せるかは微妙だ。そんなものは警備隊にすでに話しているだろうし、急に押しかけた上見ず知らずの自分にそれを話してくれるとは思えない。

家に戻って父に相談するか?なんと話をすればいい。家を黙って抜け出していることも民間の女の子と友達になっていることも父は知らない。そんなことバレたら何を言われるかわかったものじゃない。そもそもただの子供の失踪で人を動かしてくれるとは思えない。

なら自分で探すか?どうやって?索敵の魔術はまだ実戦で使うには不十分だ。対象が所持していたものを媒介にしないといけないし、現時点でフローラの索敵範囲はそう広くない。第三区から犯人が出ていればもうお手上げだ。

頭の中はぐるぐると思考が流れていくのに、それに対して体はなすすべもなく、ただ突っ立っているだけだった。


⭐︎


「……お父様」

「……ん?」

あの後、フローラはすぐ家に引き返して、父に助力を求めることにした。

たとえ無理だと分かっていても、今の自分には、これくらいしかできることはなかったから。

すべてを聞き終え、冷え切った視線で見下ろす父に、それでもフローラは縋るように言う。

「……罰はいかようにも受けます。ですがお願いします。レンの捜索を……」

「ならん」

深々と頭を下げ、懇願する娘を、にべもなく切り捨てる。

「その程度のことで一々動かす人員などない」

「……!」

わかっていたことではあった。だがここまで真っ向から拒否されると、さすがのフローラも堪えるものがある。

フローラは攻め方を変え、交渉を試みることにした。

「……ですがお父様。おそらく犯人の真の狙いは私です。となると首謀者は当家に恨みを持つ貴族……。レンを捜索することで、その証拠を掴める可能性も……」

「甘い」

しかし、父の反応は冷淡だった。

「大方、証拠を掴めれば、ライバルを蹴落せると言いたいのだろう。だが、奴らはそんな間抜けではないわ。末端の魔術師を雇い、誘拐したのなら蜥蜴の尻尾切りが前提。自分に繋がる証拠を残すわけがない。故に動いても無駄だ」

「それは……」

「そもそもお前が勝手な動きさえしなければ易々と誘拐なぞさせぬわ。故に放っておいても問題はない」

話は終わりだ、と言わんばかりに外出の支度を始める。

そんな父の背中を眺めながら、フローラは血が滴るほど拳を握りしめることしかできなかった。




後日、第五区の郊外で少女の遺体が発見された。

調べた結果、数日前から行方がわからなくなっていたレンという少女の遺体だと判明した。

少女は第三区を一人で歩いているところを誘拐され、第五区で数日監禁後、殺害されたとみられている。

遺体から少量の魔力残滓が検出されたことから、犯人の中に魔術師がいる可能性が浮上したが、以降手がかりは掴めずにいる。


⭐︎


フローラは自室のベッドに横たわり、ぼんやりと天井を見上げていた。

やるべきことは山ほどあった。レンがいなくなったからといって、今まで義務づけられていたことがなくなるわけじゃない。

だが、もはやすべてがどうでも良かった。

レンが遺体で発見されたことを知った日から、ずっとフローラは己の無力感と罪悪感に苛まれていた。

フローラは今まで、自分が周囲より秀でた存在であると、そう思っていた。

家柄も、才覚もそうだ。自分は将来一流の魔術師になるものだと、そう信じて疑わなかった。

だがそんなものは自惚れだったのだ。大切な友人一人守れないで、何もできなかったくせして、何が魔術師か。何が貴族か。

しかも誘拐された原因は他でもない自分だというのだから、なお救えない。

自分の不始末で友達を危険に晒し、助けるどころか何もできないまま殺さたことを後から聞かされる。

道化にもほどがある。

そのくせ、自分はレンにべったりだった。

浅ましくも疲れた心を癒してもらう拠り所としていたのだ。

笑い話だ。レンにはそっけない態度をとっておいて、実はずっと頼って、甘えて、依存していたのだ。

貴族である以上、恨まれたり狙われたりすることは珍しいことじゃない。

そんな自分と関わることでレンも危険に巻き込むかもしれない。

そんなことは心のどこかでわかっていたのに。

レンをを守ることすらできないなら、最初から甘えなければよかったのに。

会うことをやめていればよかったのに。

それでもどうしようもなく会いたくなって、寄りかかりたくなって、危険とわかっていてだらだらと会い続けていたのだ。

そのせいで、レンは誘拐された

自分のせいだ。自分のせいだ。自分のせいだ。

自分が弱いせいで、自分が甘えてしまったせいで。レンを死に追いやったのだ。


⭐︎


この日からだ。フローラが今の生き方になったのは。

他人にも家にも頼ることなく、自分一人ですべてを守れる力を求めるようになったのは。

魔術師としての力量、知略、交渉術、コネ……何かを失わないために、利用できる力のすべてを欲したのだ。

すべては、あの時と同じ思いをしないため。

一人で戦えるようになるため。

一人で大切なものを守り抜くため。

そして、誰かに甘えることも、頼ることもしなくなった。

レンを死に追いやった『それ』を、自分の中から排除したのだ。

守る側である自分が『それ』をするべきじゃないと思ったのだ。

『それ』をしてしまえば相手は簡単に崩れてしまうと知ったから。

『それ』自分に力がないことを肯定する象徴でもあったから。

『それ』はフローラが求める力とは真逆だったから。

他人のすべてを拒絶してしまおうと思ったこともあった。

でもできなかった。

それをしてしまえば、レンとの日々を否定することになってしまいそうだっから。

レンはきっと、自分のそんな生き方を望んでいないだろうから。

いや、それはきっと言い訳にすぎない。

フローラは未だにレンの生き方に憧れているのだろう。

心のどこかであのような生き方を望んでいるのだろう。

フローラのその生き方では決してたどり着けない、矛盾した願いだとも気づかずに。

こうしてフローラはひとりぼっちとなったのだ。同じ貴族や魔術師は誰も彼も信用できない。レンのような一般階級や非魔術師は守るべき相手であって、それは対等といえる存在ではない。

そうやって少女は精神的に孤立したまま、6年の時が過ぎ。

何の因果か……今度は、レンの実母が誘拐されてしまったのだった。













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