第7話 ハリボテ

「おおー、でっか」

あやめの目の前にあったのは巨大な鉄の塊。

漆黒の体躯、巨大な車輪、後方には人が数十人は乗れる客室が備わっている。

いわゆる魔導機関車と呼ばれるそれは、公営の交通機関を一身に担う世界に類を見ない革新的な乗り物である。周辺は多くの人でごった返し、店舗も駅弁、お土産品、ご当地のグルメの出店などがひしめく盛況具合。

現在あやめたちは魔道機関車に乗るために駅のホームまで来ていた。

「ふふ、驚きましたか?」

無邪気にはしゃぐあやめ見て、コロコロと笑うフローラ。

「魔導機関車は、魔術師が魔力を込めたマナタイトと呼ばれる鉱石を動力源として走る大型列車です。本来数百年後にできるはずの技術を、魔術の発展によって大きく先取りしたと言われているほど先進的なもので、他国には普及していないエルドランドが誇る魔術発展の結晶なんです。さすがに開通しているのは第一区から第五区の王都内のみですが」

フローラが丁寧に解説してくれるが、好奇心に突き動かされるがままのあやめにはあまり届いていないようだった。

敵の本拠地は第五区。あやめ達がいる第三区からは歩きだとだいぶ距離がある。というわけで、時短のため産業革命の賜物である魔導機関車さんに頼ろうと相成ったのである。

あやめは人生初の機関車ということで、それはもうテンション振り切っていた。

「ねえねえ、お弁当買お!私ハンバーグ弁当がいい!あ、じゃん負け弁当奢りにする?」

「あの、遊びに行くわけではないのですが……」

あやめのはしゃぎっぷりを見て、苦笑いしながらも窘めるフローラ。

だが、いかにも心外な、と言わんばかりにあやめが反論する。

「わかってないな〜。これから大事な決戦だからこそ、エネルギー補給が重要なわけで」

「さっきウキウキでお土産コーナーを見ていたじゃないですか」

2秒で論破されてしまった。

「いいじゃん、どうせ次の列車が来るまでなんにもできなかったんだし。帰りが遅くなったらお土産買う時間ないかもしれないじゃん」

そう言うとあやめは悪びれもせず、お弁当が陳列されている棚に目線を戻す。

「まあ、変に気負うよりは良いのかもしれませんが……」

フローラの視界には、あんまりにもいつも通りな姿のあやめ。

いちおう、相手は子飼いの魔術師を複数人、保持している。しかもその実力は未知数。

あまりガチガチになられたり、重苦しい雰囲気を出されるのも困るが……もう少し緊張感を持ってもいいのではなかろうか。

フローラは嘆息する。

「では、私はグーを出しますね」

だがそれはそれとしてじゃん負け弁当には乗る。

しかもにこやかな顔してえぐい心理戦まで持ちかけるというガチ仕様だった。

「うわっ、いやらしい。こっちを動揺させる作戦?」

「ふふ、じゃんけんをただの三分の一の確率勝負だと思っていませんか?これは駆け引きの勝負ですよ?」

フローラがいかにも挑発的な笑みを浮かべる。あやめもつられて獰猛な笑みに変わった。

「へえ……、やるからには全力で、か。いいねそういうの。実に私好みだ」

「ふふ、ではルールは一回限りの真剣勝負。負ければお弁当の代金を全額負担。恨みっこなしですよ?」

そういうやいなや、二人の間には、常人が入り込むことができないほどのピリピリとした空気が立ち込める。その場にいるだけで、この空気に当てられてしまいそうだ。コイツら弁当屋の前で何やってんだとか不毛なツッコミは不要だ。これからシリアス展開になるんじゃないんかいというツッコミもなしだ。

「有識者は言っていた……『ギャンブルのない人生はサビ抜きの寿司みたいなもん』って……。これが人生、生きてるっていう感覚なんだね……」

「ふふ、あやめ。最近所持金が底をつきかけていると嘆いていませんでしたか?やめるなら今のうちですよ?時には勇気ある撤退も必要ですから」

「冗談。ここまで来たら引けないよ。私がお前に敗北ってやつを教えてやる」

※この人たちは今、お弁当賭けじゃんけんをしています。

「準備はいい?」

「ええ。いつでも」

両者が向き合い、不敵に笑い合う。

「それじゃいくぞ!!じゃーんけーん!!!」


⭐︎


「私、フローラ嫌い」

あやめが不貞腐れながら、もしょもしょと弁当を口に運ぶ。

まあ、予想できたことではあるが。

あやめは負けた。それはもう気持ちのいいくらいの完敗。勝負は一瞬で決した。

現在、すでに機関車は駅を発ち、現在あやめ達は乗客室の中だった。

「ふふ、最初に言ったではないですか。どちらが勝っても恨みっこなしだと」

そう言って淑女然とした微笑みを浮かべるフローラ。

フローラも同じく弁当を食べているのだが、さすがはお貴族様。その所作は無駄がなく洗練されており、まるで高級なコース料理を食べているかのような、まあとても絵になる光景だった。まじで同じものを食べているのかこの人は。

「確かに言った。真剣勝負だって。恨みっこなしって。勝者総取りだって。でもさ……」

あやめがわなわなと肩を振るわせた。

「よりによって一番高いやつ選ばなくてもいいじゃん!私が所持金そんなないって知ってたよね知ってて破滅に追い込んだよねえ!」

そう。フローラが選んだのは一般的な弁当の金額の約3倍程度のちょっとお高めの弁当。

ちょっといい産地でとれた小麦粉を使用したサンドイッチと、ちょっと有名な牛肉。この時期ではあまり見られない海産物が入ってたり、いわゆるプチ贅沢なお弁当だった。

もともというほど高くないあやめの給料。それに加えて今日もスイーツ展やら何やらと遊んで散財したおかげで所持金はだいぶ心許なかった。フローラは知ってたけど高いやつを選んだ。ほんと容赦なかった。

「私はきちんとルールに則っていましたよ?勝った場合に選べるお弁当に特段金額制限はありませんでしたから」

フローラは余裕の表情で負け犬の遠吠えをいなしていた。

「というか、私はきちんと宣言通りにグーを出しましたよ?なぜわざわざチョキを出したのですか?自分から負けに行って文句を言うのは筋違いかと」

「だってフローラって性格悪いじゃん」

なぜか急に罵倒した。

「私がグーに勝とうとパーを出す、フローラならそう予想してチョキを出してくるだろうなと!そう読んで最初はグーを出す予定だったんだよ!でも『なんか単純すぎん?』て思って、フローラならそこまで私の思考を読んでパーを出してくるって!そう裏の裏をかいてチョキを出したのに!出したのにい!」

「絵に描いたような策士策に溺れるですね」

深読みのしすぎで意味不明な結論を叩き出していた。

結局、フローラは宣言通りグーを出してあっさり負け。

しかもフローラのお弁当が高額だったため、あやめ自身のお弁当は安めのものになった。おかげであやめはすっかりいじけてしまっていた。

「ほら、機嫌を直してください。私のお弁当、分けてあげますから。美味しいですよ?」

「……食べさせてくれたら機嫌直る」

あやめがそっぽを向いて、窓枠に肘をのせ、頬杖をつく。

「ふふ、仕方がないですね。はい、どうぞ?」

「ほんとにやるんかい」

ちょっとこの展開は予想してなかった。フローラは何の躊躇いもなく木製のフォークに牛肉を刺してあやめに差し出す。

「(あれ?これまじでもらっていいの?自分で言っといて何だけど)」

まさか乗ってくるとは思ってなかったので、さすがにちょっと考える。

「(いや回し飲みとかならまだしも、ガッツリフォークじゃん。思いきり口の中に入っていくやつじゃん。さすがにこっちも遠慮するよ?フローラのことだし何か罠とかある?)」

思考すること約0.5秒。

「(まいいや)」

しかし普通に乗っかることにした。だって向こうがいいって言ったんだもん。

さすがにガッツリフォークに口をつけるのはどうかと思ったので、なるべくフォークには触れないように器用に肉だけ持っていく。

だって、ガッツリ口つけたらキモいもん。そういうプレイが前提のお店とかならお金払ってる立場だし後腐れないけど、知り合い相手にそれをやるのはキツい。

「お、これ美味しいじゃん。高いだけはあるかな」

「ですね。この味であの金額なら、むしろ安い気もします」

「それは諸説あると思う。ていうかさ」

「?どうかしましたか?」

「これから私らレイナさん助けに行くんだよね?緊張感なさすぎじゃね?」

「それをよりによってあやめが言うんですか?あれだけ空気を壊しておいて」

ジト目を向けるフローラ。お土産物色してたり奢りじゃんけん持ち出したりあーんしろとか言い出したのもあやめだ。前科三犯。スリーアウトチェンジ。

「私に言わせれば、乗っかる方も同罪だと思うんだけど」

「言い出しっぺのあやめの方が責任のウェートは大きいと思いませんか?」

怒涛の責任のなすりつけ合いが始まった。

「それに、レイナさんはおそらくまだ無事です。向こうも私達がここまで早く居場所を突き止めるとは思ってもいないでしょうし、攫った債務者は彼らにとっては商品です。そう手荒にはしないはず……」

「まあそうだろうけど。どこかのの貴族や政治家に売り飛ばすにしても今日すぐに取引とまではいかないだろうし」

そう言うと持っていた弁当の残りを胃に詰め込む。そのまま殻をゴミ箱にポイした。

「ただ、救出した後の話ですが、借金の問題をどうするかですね。不正や違法性があったという証拠を現地で回収できれば良いのですが、もしそれができなかった場合、借用書をタテに取られたらこちらは反論ができません」

先ほどとは一転してフローラの表情が真剣なものに変わる。

「それに関しては問題ないよ」

あやめがむふー!と得意げな顔で断言する。その顔に何か妙案があるのかと期待するフローラ。

「フローラは『私徳政』って言葉知ってる?」

「……存じませんがロクなものでないことは察しました」

「うちの国には借金を帳消しにするために金貸の家に押しかけては大暴れして証文を燃やしまくる偉大な文化があってさ。とりあえずレイナさん助けたら建物ごと燃やせばよくない?」

「何もよくないですが?」

「いえ〜いレッツ土一揆」

「お願いですからもう犯罪紛いのことはやめてくださいね。店の風評に関わりますから」

とはいえ、他に代案も見つからないし最悪本当に火を放つのもやむなしか……と思案する。

徐々にあやめに毒されてきているフローラ。

魔術師がいる中でそんなことできるのかという疑問はあるが。

そんなことを話していると、フローラの懐に入れていた魔晶石が反応する。

「なにそれ?」

「通信用の魔晶石です。遠くにいる人と会話ができるんですよ」

フローラが解説すると懐から取り出した魔晶石を通じて男の声が聞こえる。デイラだった。

「もしもし、どうだい列車の旅は」

「おお、ほんとにおっちゃんの声だ」

「はい、とても楽しんでますよ、あやめが」

「緊張感ないなあ」

なんとなく車内の様子を察したデイラが呆れたような声を出す。

「それはそうと続報だ。件の闇金なんだがな、連れて行かれた被害者の足取りがなぜかまったく掴めなかった。完全な行方不明だ」

「何か足がかりになりそうな話や噂すらも出てこなかったんですか?」

「ああ、まるで煙のように消えたとしか思えんほどな。手を組んでる仲介屋が相当優秀か……とにかく、相手が得体の知らない『ナニカ』ってことは間違いない。二人ともくれぐれも油断だけはするな」

硬い声で忠告するデイラ。

そのまま通信は途切れた後も、えも言えぬ気持ち悪さが漂うのだった。


⭐︎


「あれが敵のアジトですね」

フローラたちの目線の先には、レンガが積み上げられた古びた建物。

建物の作り自体は豪奢なもので、まるで城や要塞のような外観をしている。フローラ曰く、ここは随分前に放棄されたホテル跡らしい。

ここ第五地区は元々は観光名所として賑わいを見せていた場所だった。

しかし数十年前、近場の高山から鉱毒が流れ出し、そこに住まう多くのものが病に侵されてから状況は変わった。

多くの者が土地を捨て、客足も途絶え、いつしかここはほとんど誰も寄り付かなくなってしまった。

今では件の組織のように公に商売できない者が集う病巣に成り果ててしまったのだった。

「そういえばゴーレムってどっから呼び出すわけ?思い切り手ぶらで来てるけど」

「ふふ、見ててください」

そう言うとフローラの指先に魔力が集中する。そのままフローラは地面に幾何学的な魔法陣を描き始めた。

素人同然のあやめでもわかる。速い……にもかかわらず繊細で力強い魔術式だ。

みるみるうちに5つの魔法陣を描き上げてしまった。

そして、フローラが魔力を注ぐと、それぞれの魔法陣からゴーレムが出現する。

「おお、なんか出てきた」

「転移魔術です。事前に魔術式を施して紐付けしたものをこの転移用魔法陣から呼び出すことができるのです」

「言ってる意味はわからんけどなんか便利なのはわかる」

ちっとも説明が理解できていないあやめをよそに、フローラがゴーレムに命令を下す。

「既に先程偵察に出した使い魔がレイナさんの位置を特定しました。人数は四十人弱、内魔術師は五人。特にその中の二人……ローブを纏った男女が元王室直属の魔術師団員でしょう」

「なるほど。脱出の時にその二人と鉢合わせるのだけは避けたいね」

「ふふ、最悪見つかりそうになったら私が隠蔽と防護の結界を施します。うまく身を隠しながら脱出しましょう」

「めちゃくちゃ頼りになるやんけ〜」

あやめの素直な賛辞に少し嬉しそうに微笑むと、フローラは手を差し出した。

「さあ、早くレイナさんの元へ向かいましょう」


⭐︎


「ああ、今日は女一人段取りがついた」

男が魔晶石越しに誰かと話をしている。レイナを攫った闇金のリーダーだ。

「まあそう言うな、そっちも目標人数手前で気持ちがはやってんだろうが、こういうのは波があるんだ」

男は通話相手をそう言って諌める。

「それより前から言ってた頭数そろったら……分かってるよな、キチンと報酬はもらうぜ?」

暗い嗤い声が響く。男は通信を切ると他の仲間がいる事務室に戻る。

そのソファに座らされているのは……レイナだ。

表情は抜け落ち、その目は深淵のように虚。目元は少し赤く腫れている。手足は縛られ身動きが取れない。逃げることはできないし、逃げる気力すらもなかった。

「(ふーちゃん……あーちゃん……)」

これから自分がどうなるのかを理解していながら、レイナは二人を案じていた。

そんなレイナを嘲るように男がレイナに追い打ちをかける。

「これから先方がこっちにくる。なあに、お前さんが思ってるような苦痛はないさ。別に男の相手をするでも、手足を切り刻まれることもねえ。すぐに楽になるさ」

そんな意味深な言葉に、レイナはむしろ得体の知れない寒気を覚える。

「はは、レディをそんなに怖がらせるもんじゃないよ、ボス」

そう言ってゆらりと近づいてきたのは20代後半の女だ。

燃えるような赤い髪と、獰猛な瞳。整った顔立ちからは大人の妖艶さが垣間見え、プロ顔負けのスタイルの良さを魔導服に包んでいる。

その横に立つのは、女と年の近い青年だ。

漆黒のような黒髪、不気味さを感じさせる病人のような青白い肌。しかし放たれる冷徹な視線は射抜いたものをすくませる凄みがある。

一つわかることは、この二人がこの中で圧倒的に強く、殺しに慣れているということだ。

「ねえ貴女、こんな強面の野郎ばっかに囲まれて疲れたでしょ?私とおしゃべりでもどう?」

「……あ……え」

戸惑うレイナに構わず、その顔に気安く触れると顎をくいと持ち上げた。

「へーえ、えらく若いじゃないか、その年で借金なんざ、随分苦労したんじゃないか?」

女がレイナのよこにドカっとこしかけ、まるで旧知の仲のように気さくに話しかけてくる。しかし、レイナは恐ろしくて目を合わせることもできない。

「……そこまでにしておけ、カリナ」

カリナと呼ばれた女は首だけを傾け男を一瞥する。

「なんだい、邪魔すんじゃないよアレス。今から女子会なんだ」

「……仕事中だ。戯れるのは後にしろ」

「ははっ、もしかしてアンタも混ざりたいのかい?まあいかにも友達いなさそうだもんねえ。それならそうと素直にそう言いなよ」

「……女狐が」

アレスの言葉に気を悪くした雰囲気もなく快活に笑うカリナ。

その時だった。

ズドオオオオオオン!!!!!

まるで地響きのような爆音が建物に響き渡る。その場にいる全員思わずよろめいては困惑の色が広がる。

「……エントランスに魔力反応。侵入者だな。具体的な数は不明だがおそらく複数」

「……へえ、こんなとこに乗り込んでくるなんて、さぞ骨のあるやつなんだろうねえ」

そう言ったカリナは狂気に満ちた、歪んだ笑みを浮かべていた。

「アレス、どちらが先に侵入者を狩れるか……ひとつ、勝負といこうじゃないか」

「……くだらん。俺は報酬通りの仕事をするだけだ」

「いいじゃないか。アンタ最近強いやつと戦えてないから張合いないって言ってただろう。ちょっとでもゲーム性があれば多少は楽しめるんじゃないか?じゃ、先行くよ」

そう言うや否や、カリナは全速力で駆けて行ってしまった。

「……バカが」

アレスもその後を追い、部屋から消えていった。

そして、何が起こっているのかまったく理解できていないレイナは、不安と恐怖で瞳を揺らすしかないのだった。


⭐︎


アレスとカリナを含む魔術師たちが出払った室内。

不測の事態にもかかわらず、場の雰囲気は随分と弛緩したものだった。

「ふん……どこのどいつが乗り込んできたかは知らんが、終わったな」

そうほくそ笑んだ。

「特に、あの二人は別格だ。元は王国に仕えたプロの魔術師……あの二人が相手じゃロクな死に方はせん」

男はレイナの横に腰掛けると、そのまま華奢な肩に腕を回す。

「だから……『もしかしたら助かるかも』なんて淡い期待はせんことだ。後が辛いだろう」

「……っ!」

不躾に下品な顔面を近づける男に、レイナは思わず顔を背ける。

少しずつ、少しずつ顔が近づき、そして……

ドカアアアン!!!

突如、爆音とともにドアが吹き飛ぶ。

「なっ……!なんだ!?何が起こった!?」

あまりにも前触れなく起こった出来事に、流石の男たちも驚愕に目を剥き、騒動の正体を探らんと視線を向ける。

そこにいたのは……二人の子供。

「どうも〜カフェ&レストラン『レイ』デリバリーサービスで〜す」

キセルを口元に、そんな軽薄なことを言いながら乗り込んでくるあやめの表情は、まさに獲物を狩らんとする獅子のごとく、凶暴な笑みであった。

「今夜は特別サービスだ。ここにいる全員、もれなく地獄へデリバリーしてやるよ」

「あ、あーちゃん、ふーちゃん!」

「なんだァ……てめえ、さっきの侵入者か?」

「この人数相手にずいぶん強気じゃねえか……!」

数瞬、あっけにとられ硬直していたものの、すぐにあやめたちを捉えようと詰め寄ってくる。

そのまま、何ら躊躇いもなく殺すつもりで得物を振り上げ襲ってきた。

「ふっ!」

しかしあやめは最初に襲ってきた男の鉄パイプを太刀どりで奪って……

「ぐはああああ!!!」

その勢いのまま全力で殴打すると、そのまま一直線にレイナの元へ駆けた。

「ぎゃあああああああ!!!」

「こいつ……ッ!バカ強え!」

その進路上にいる敵を鉄パイプで次々殴打して瞬殺(殺してはいないが)していく。

「調子に乗るなッ!」

その周囲にいたものが、弾丸の如く猛進するあやめを止めようとする。

しかし……

「なあっ!」

「あ……足がっ!!」

いつの間にか、男たちの足が凍り、地面にピッタリと張り付いている。

「(ふふ、貴方達があやめに気を取られている隙に、こっそり足元に微弱な冷気を流しておきました)」

もし魔術師であるフローラが全開で相手を凍らせにかかれば、間違いなく相手を殺すか、一命を取り留めても社会復帰は望めないレベルまで追い込んでしまう。最悪レイナもただではすまない。

「(後遺症が残らない程度の魔術出力となると、今のが限界。せいぜい一瞬足止めする程度でしょう。でも……それで十分ですよね?)」

その一瞬で、すでにレイナとあやめの間の距離は数メートルまで縮んでいた。

「く、くそっ!」

ボスがレイナを人質に取ろうとレイナを引き寄せナイフを取り出そうとするが…。

「吹っ飛べえええええ!!!」

「ごはああああああああ!!!」

それよりも先に顔面を鉄パイプで殴打され、壁まで吹っ飛ばした。

「レイナさん、無事?」

「あ、あーちゃん……。私は平気……」

「良かった、じゃあ私のから離れないで」

即座にレイナを自身の背中に匿うと、そう言ってふわり穏やかに笑った。

「クソガキィ……ッ!よくも……ッ!お前たちッ!!こいつら逃がすんじゃねえぞッ!!!」

吹っ飛ばされたリーダー格の男が、痛みを堪えながらゆっくり立ち上がる。

同時に、二人を睨むのは二十人ほどの強面の男たち。魔術師ではないとはいえ、明らかにカタギの人間ではない。手にはナイフや銃を携えている。

「ここまで派手にやってくれたからには……覚悟は出来てんだろうな……!片方は魔術師のようだが……この人数相手にここ抜けられると思うなッ!!」

男が、鼻血を流しながら品性の欠片もない笑みで哄笑した。

「ガキの分際で!俺たちに楯突いたこと、後悔させてやるッ!!お前達全員ッ!!あのオンボロの店とともに葬ってくれるわッ!!!ふはッ!!はははははははははははははは!!!!!」

この期に及んで、確信に満ちた、勝ち誇った高笑いを上げる。その様は、もはや誰もが生理的に受け付けることができない、下卑た笑みだった。

「試してみろよ」

ゆらり、あやめが近づく。

「お前たちが罪なき者を食い物にして立ち上げたハリボテの城と、レイナさんや多くの人の想いで守られた堅い巨城。さあ……最後に残るのは一体……どっちだろうね?」

刹那。

!!!!!!

名状し難い生理的嫌悪が男たちを襲う。生命に備わった危機察知能力が、全力で警鐘を鳴らす。

その隙のない構えが雄弁に語っていたのだ。

『地獄を見るのは、お前らだ』と

「ぁ……あ」

あやめの放つ異様な殺気、獰猛な笑み。

まるで蛇に睨まれた蛙のように、たちまち動けなくなってしまった。

「ふ……」

それでも、なんとか声を振り絞り。

「ふざけるなあああああ!!!」

自分たちが、恐怖を感じていると。狩られる側は自分達だと。

そんな事実、認められるかと言わんばかりに、やけになって叫ぶ。

だが、この者たちは大きな思い違いをしている。

残りの戦闘員は約二十人弱程度。

相手はたかが子供二人。

しかしこの二人にとっては……たかが二十人なのだ。

「ぐああ!」

「ごへあ!?」

あやめは後ろのレイナに細心の注意を払いつつ、引き続き鉄パイプで次々敵を殴り倒していく。

フローラも練り上げた魔力を全身に纏い、徒手空拳で圧倒している。

魔力で身体能力のステータスを上昇させる……いわゆる『身体強化』というやつだ。

「(な、なんだ……ッ何者なんだこいつら……ッ!)」

そして、ほんの一分足らずで……そこに二の足で立つのはあやめとフローラのみとなった。

「く、クソがッ……!」

「相手が悪かったね。レイナさんは返してもらうよ」

あやめがレイナの手を引く。

そう。彼らは大きな思い違いをしていたのだ。

例えばフローラ。先程はレイナ救出を優先し魔術の出力をかなり抑えていた。

そのイメージに引っ張られ、『足止め程度の魔術の威力』=『魔術師としての技量や魔力量大したことない』と錯覚させた。魔術の出力の最大値は魔力総量と効率よく打ち出す技量に集約されるからだ。

魔力総量が少なければ、身体を覆う魔力も少ない。ワンチャン銃が通る、そう考えた。

だが、結果は真逆だ。

あやめにしてもそうだ。魔術も使えない子ども相手であれば、体格も良く、荒事に慣れた自分たちが圧倒的に有利。負ける確率など万に一つもないと思っていた。

それがどうだ。たった一人相手に大の大人がたばになっても敵わない。

もはや、悪夢を見ているようだった。

「……くくっ、ハハハッ!ああ、なるほどそういうことか」

突如、ボスがすべてを察したように笑った。

訝しむように、フローラたちがボスを見やる。

「お前ら、どうせオレたちが汚ねえやり方で借金こさえさせたとでも思ってんだろうが……残念だがそいつは間違いだ」

ゆらり……ボスは力なく立ち上がるとある一枚の紙を取り出す。

それは借用書だった。

「オレたちはキッチリ正規のルートで金を貸したまでだ。コイツ……いやコイツの旦那は、間違いなく自分の意思で判を押たのさ。……娘のためにな」

「……え……?」

その言葉に顔を強張らせたのは、フローラだ。

「なんだ、知らねえのか。コイツの旦那は……」

「やめてッ!!!」

レイナが悲痛な叫びをあげるが、ボスはむしろ気をよくしたようにペラペラと喋りだした。

「コイツの旦那はな、娘を殺した犯人を探し出して復讐するために金を借りてたんだよ。方々の探偵やら調査所を周って、情報をかき集めてな。だが結局なんの成果もないまま借金だけが膨れ上がっていった」

ぎゅうっ……とレイナが拳を握りしめて俯く。

「バカなやつだ。魔術師が関わってるから警備隊も匙を投げたってのに。素人ごときじゃ犯人を捕まえるなんざ不可能。だが娘を失ってすで正気じゃなくなってた奴は、この女をほっぽって諦め悪く探し続けて……結局どっかへ蒸発した。借金だけ残してな」

ボスは下品な笑い声を上げ、なおも滔々と語る。そんなことをしたとて、己の敗北は変わらないというのに。

「……この国には対凶悪魔術師の専門組織とかないの?」

「……あるにはあります。ですがそこは年中人手不足で、国家を揺るがす凶悪犯罪にかかりきりになりがちです。一市民の少女の殺害、あるいは下手人が野良の魔術師というケースでは、十分な人材が送り込まれていないこともありえます」

フローラはギュッと拳を握り、苦々しい表情を浮かべる。

それに気を良くしたのか、なおもボスが言葉を続けた。

「本当に哀れだなあ。娘は殺され旦那には逃げられ借金まみれ……。その上であんなボロボロの店にいつまでも未練がましくしがみついて……。本当に不幸で、哀れで、無意味な……あぎゃああああああ!!!!!」

すべてを言い切らないまま、ボスは後方に吹っ飛んだ。あやめが持っていた鉄パイプを全力で投擲したのだ。

「ぐ……あ……テメェ……!」

「何勘違いしてんだ」

あやめが借用書を拾い上げる。吹っ飛んだ衝撃でボスの手元からはらりと落ちたのだ。

「ここの借金が正規か犯罪紛いかなんてどうでもいいんだよ。どうせ証文を消せば終わりだし」

「な……ッ!そんな堂々と踏み倒すやつがあるか!?」

「私の国じゃよくあることだもーん」

そういうとあやめは証文をビリビリに破く。

「これで借金を証明できるものはなくなった。犯罪紛いで踏み倒されたって言ったところで、大声じゃ言えない商売してるお前らのことなんて誰も信じてくれない」

そう言うと破いた証文を派手に上空へ放り投げた。千切れた紙クズがひらりひらりとボスの頭に落ちてくる。

「……確かにレイナさんはこれまで理不尽な不幸に遭ったのかもしれません。でもあの店を守ってきたこれまでは、不幸でも無意味でもありません」

フローラが尻もちをつくボスの前に見下ろすように立つ。

「あの場所で、私はたくさんの優しさを見ました。たくさんの思いやりを見ました。貴方達には……見えないのでしょうね。お金のような鈍い光とは比べ物にならないほどの、眩くて透明な光が」

フローラの敵をまっすぐ見据え、毅然として言い放つ。その瞳には覚悟と決意が強く現れていた。

「貴方達が何をしようが、あのお店には指一本触れさせません。これ以上関わるなら……私は私のすべてをかけて貴方達を葬ります」

「わかったでしょ。お前たちじゃ私たちに敵わない。とっととあそこから手を引きなよ」

「……アマチュアが随分と嘯くではないか」

「!?」

低く、暗い声が響く。あやめとフローラが振り返ると……そこにはアレスが悠然と二人を見据えていた。

「……何もわかっていないようだな。お前たちは今、社会の暗部を敵に回した。もはや破滅は定まった未来だ」

強い。

一眼でそうわかった。力強い魔力がアレスの身体中に満ちている。魔力量だけなら明らかにフローラが格下だ。にも関わらずアレスの表情には油断も慢心もない。一切隙のない佇まいで睥睨している。

この男が、元王室直属の魔術師団の魔術師なのだろう。

「(……なるほど、少しはできるようだな)」

向こうではボスが「早くこいつらを殺せっ!」と勝ち誇ったように喚いているが、その声はアレスには届いていない。ただ冷静に二人の能力値を瞬時に概算する。

「(二人とも子供だが……魔術師の方は明らかに『できる』な。この状況でも魔力が澱みない)」

魔力は精神状態とリンクする。精神が不安定になると魔力には特有のゆらぎが生じ、繰り出す魔術は暴発するリスクが伴う。

「(得物待ちの方は……非魔術師か。だが慣れている。魔術師の少女より隙がない)」

意外にも、アレスは非魔術師のあやめに一定の評価を下した。アレスは戦闘を生業としている分、一般的魔術師に比べると相手が強者であれば魔術師でなくとも決してみくびらない性質をしていた。

「(……だが問題なし。得物持ちの攻撃は俺には届かん。せいぜい撹乱程度。魔術師の少女に注意さえすれば良い。足手纏いの女の存在を考えれば……カリナの合流を待つよりここで二人とも始末するが早い)」

冷静に、冷徹に状況を分析し、そう結論づけた。

「ふはっ、ふはははははっ!これでもうお前らはおしまいだ!!アレス、早くこいつらを始末しろッ!!!」

「……イエス、ボス」

魔力を漲らせた右腕をまっすぐ構える。その前に立ったのは……あやめだった。

その表情は穏やかだった。この状況でも、いつも通り、楽しそうにアレスに話しかける。

「えらく色々考えてくれてたみたいじゃん。元プロって聞いてたけど意外と慎重なんだね」

「……当然。戦場では些細な油断が死に直結する。まして魔術師同士の戦いに絶対はない。油断して格下に敗北などごまんと聞く」

「ああ、それ私の国でもあるわ。下剋上ってやつでしょ」

側から見れば呑気に雑談しているようにも見えるが、この二人の間には素人が立ち入れないほどの緊張感があった。ほんの些細なきっかけで殺し合いに発展する、そんな緊迫。

「……フローラ」

あやめが、アレスを油断なく見据えながら名前を呼ぶ。その緊迫感とは裏腹に、いつも通りの声色で。

「……私は友達に重たいものを背負わせる気はない。全員で帰って晩御飯食べて、明日もいつも通り店を開く。その事しか考えてない」

澄んだ声だ。よく通り、凛として、心地良さすら感じる……そんな声。

「私を信じてくれる?フローラ」

信じる、他でもないこの場面だからこそ、その言葉には重みがある。

フローラはまっすぐあやめを見据える。

「……はい、信じます」

穏やかに微笑み、迷わずそう答えた。その瞬間、あやめが初めて刀を抜く。

「(……なッ!)」

それは、あまりにも衝撃的だった。

あやめを油断なく見ていたにも関わらず、アレスにその太刀筋はおろか、刀を抜く瞬間すらもまったく見えなかったのである。

そして……

ガラガラガラッ!!!

フローラとレイナが立っていた床が、格子状に入った切れ目から崩れ去っていく。

そのまま二人は下階に落下していった。

「……なるほど。仲間に足手まといを託したか。まあベターな選択だ」

これで、あやめとアレスの一対一。あやめが殿を務める形だ。

「……お前のその姿。東方の『侍』という種族だろう。身を挺して仲間を守る、それが侍の生き様というやつか?」

「なんか勘違いしてない?」

あやめが笑って距離を詰める。

「あいにく、私は他人のために命を捨てるような殊勝な性格はしてないよ。それに……」

あやめは迷いなく言い放った。

「私もう侍辞めたんだよね」

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