第2話 犯罪者に人権なんてないよねっ!
皐月の月初め。
見渡す限り続く大海原と地平線。そこにポツンと浮かぶのは一隻の船。
『福竜丸』と書かれたその船は、フリュート級の大型貿易船である。とはいえ、この広大な海に比べれば船の大きさなど些事も同然なのだが。
その船の上で、煙を潜らせる者がいる。
青の羽織に帯刀、長い髪をうなじで束ね、その佇まいには達人の風格を感じさせる。
不知火あやめ。つい先日、ヒノモトを発った元士族である。
マストに寄りかかり、海風に羽織をたなびかせ、キセルを吸うその様は、その風格と相まって非常に絵になる。
その周りではヒノモトの航海士や商人と思わせる身なりのものがせっせと働いていた。
「ほらほら〜働け働け〜」
「クソがッ……!なんで俺たちがこんな目に……ッ!」
「だって犯罪者に人権ないし」
「「「鬼かお前はッ!」」」
元服して間もない若造が顎でコキ使うという地獄絵図。船員たちはなんでこうなったと言わんばかりに涙目と化していた。
その原因は数日前に遡る。
⭐︎
東方の国、ヒノモト。
魔術発展の中心である南蛮国から東に位置する小さな島国。豊かな自然、美しく広大な海の幸によって育まれ、しかし火山の噴火や地震といった天災にも見舞われることも少なくない、まさに自然の恵みと脅威、表裏一体の世界で人々は生きてきた。
極端に海外交流の少ない国柄によって作り上げられた建築様式、絵画、思想など独自の文化圏を有する国でもあり、刀なんかはその最たる例といえよう。
遥か大昔は百余の小国が分裂する群雄割拠の時代だった。
それを統一したのが神武天皇…現在の朝廷のトップに立つ天皇のご先祖様にあたる人物である。
以降、天皇を中心とした朝廷による中央集権体制が取られるようになったのが、今から千年以上前のお話。
そして、今から数百年前。中央の政治の動揺の中で地方の世情が悪化。
疫病、異民族や朝廷の支配から外れた辺境民の侵攻。そんな地方行政を立て直そうと、中央からより強い権限を与えられたことで、権力を傘に着るようになった悪徳な地方官。
そんな混沌の中、さらに人々を絶望に駆り立てる末法思想。
そんな中、戦乱や異民族、地方官に対抗し、己が財産を、一族を守らんと、絶望、己が過酷な運命に抗わんと武器を取った者たちがいた。これが侍の始まりだ。
中でも有力な武士は、桓武天皇から分家した桓武平氏と、清和天皇から分家した清和源氏。
多くの武功を挙げる中で彼らの力は、やがて朝廷の目に止まり、政界にまで進出するようになる。
やがて多くの戦乱を平定する中で、朝廷を超える政治的権力を有するようになり、ついに武家による独自の政治組織を創り上げ、ヒノモトはいつしか武士の国となった。
ここ瀬戸内の港『音戸の瀬戸』も、武家全盛だったころに開削された港の一つ。
当時最大の勢力を誇った桓武平氏によって開かれた場所である。
そんなどでかい港で、福竜丸の船員たちが慌ただしく動き回っている。
「おい 商品の積み込みは終わったか?」
「はい 多方完了です。あとは連中を積み込むのみです」
船のリーダーらしき者が、船員に問う。
この福竜丸、表向きは正式な商取引を行う貿易船であるが……実際は街中で攫ったヒノモト人の仲介・売買を行う密貿易船であった。
ヒノモトでは人身売買に関しては武家政権時代に禁止しており、朝廷もその路線を引継ぎ、厳しく取り締まっていた。しかし、実際はヒノモト人を高く買い取る国も少なくないので、結局楽に儲かるこの界隈は未だに根強く残っている。
すべての積み込みが完了したのを確認すると、リーダーと船員達はみな足早に出航に取り掛かる。
港が少しずつ遠ざかる。
奴隷達がこの場所に帰ることは、もうない。
「うう…っ。ぐずっ」
船内の一角。そこには貿易品が入った木箱と共に、売買予定のヒノモト人がきつく拘束され、すし詰め状態で押し込められていた。
数にしておよそ20人程度。その中の1人、出港から絶え間なく泣き続ける女がいる。
女は町人の娘であった。決して裕福な家庭とは言えなかったが、心優しい父と母に育てられ、平穏に育ってきた。そろそろ縁談も考える年齢。女が攫われたのはそんなことを話していた矢先だ。
青天の霹靂だった。いつもと同じ平凡な一日のはずだった。夕暮れ時、女は見知らぬ連中に突如捕えられ、わけもわからぬままここに連れてこられた。
道中、自分を攫った男の会話を耳にした。どうやら自分は奴隷として攫われ外国人に売り飛ばされるらしい。
女はすでに理解している。もう二度とヒノモトには帰れぬことを。父と母に会えなくなることも。見ず知らずの土地で、自身の知る常識など通じない価値観を持つ外国人によって、あらゆる苦痛と恥辱を受ける日々が待っていることも。
だがわかっていても、何もできない。できるのはただ、絶望し、己の運命を呪うことのみ。
女だけではない。ここに押し込められた奴隷全員、同じように絶望の色を浮かべる。
船はすでに発った。助かる見込みはゼロだ。
……カタカタッ、カタカタッ
「……?」
不意に、妙な物音がした。
船の揺れによるものとは違う。妙に小刻みで、まるで木箱そのものが揺れるような音。
女が見やると、そこには少々大きめの木箱。
気のせいではない。木箱は船の揺れと隔離されたリズムで震え、次第にそれは大きくなる。
そして……
「ああああああああああああ!!!!!!」
「えーーーーーーーーーーー!!!?!?」
突如、木箱は内部からブチ破られ、中から人が爆誕する。
青の羽織とうなじで束ねた長い髪、刀を帯刀した年若い侍。見るからに、奴隷というわけではなさそうだ。
「えっ……!なっ……!ななななななんですか貴方!?」
「んー、私?私は通りすがりのただの侍……あ、違うわ」
こほん、と一息置き
「一般人だよ☆」
「この状況でそれは無理があるでしょう!!?」
先ほどまで絶望に打ちひしがれていたことも忘れてつっこむ。
他の奴隷に至ってはもはや状況に追いつけず処理落ちしている。なにげにこの中で女が一番メンタルが強いのかもしれない。
「ここは奴隷を売買する商船なんですよっ!?貴方明らかに奴隷で捕まったわけじゃないですよね!?なのになんで……」
羽織の侍……不知火あやめは事もなげに笑う。
「いやー、まあちょっと色々あって都合の良い密貿易船を探しててさ、隙を見てこっそり忍び込んだんだよね」
「何があったらそんなの探すことになるんですか……」
言ってる意味がさっぱり分からなかった。
「おっ、知りたい?これがもう聞くも涙語るも涙の話でさあ……よっと」
そんなことを話しながら、あやめはよっこらせと身を潜めていた木箱から這い出した。
「ところで美人のお姉さん」
「……な、なんでしょう」
どうしよう。美人と言われてこんな嬉しくないことがあったろうか。
「アンタたちさ、攫われた奴隷でしょ?」
「……!」
女の顔に再び暗い影がさす。攫われた奴隷。自分では認識していたつもりだったが、他者から改めて指摘されると、腹の奥がぐっと重たくなるような感覚に陥る。
「……はい」
女は絞り出すようにそう答えた。
「私を含め、ここにいる全員、南蛮国に売り飛ばされるために捕まった者たちです。元々は農業や商売を営んでいただけの一市民だったのですが……ある日突然、あの者たちに捕まって、無理やりここに連れ込まれました」
「わしはたまたま、人通りの少ない路地を歩いていたら…急に後ろから袋を被せられて…」
「わたしも1人で農作業をしていたら……」
ここにいるものたちは、いわば事故にあったようなものだ。
何か落ち度があったわけでも、明確な理由もない。ただ人攫いが通りかかったタイミングで、偶然1人でいたから。攫うに都合が良かった。ただそれだけで攫われたのだ。
もはや運命を呪う他なかった。
だがあやめはそんな重い空気を意に介さず、ふっと笑って、あっけらかんと驚きのワードを口にした
「じゃあ、助けてあげようか?」
「!?」
予想外の言葉に思わず息を呑む。助ける?この状況で?いったいどうやって?
あまりに非現実的な言葉を思わず否定したくなる一方、心の奥底で求めていた言葉に歓喜したい気持ちが混ざり合い、女の胸中は混沌としていた。
「助けてあげる。ここにいる全員。まとめてヒノモトにさ。その代わりちょっと手伝ってもらうけど」
「て、手伝う……?」
あまりに突然の出来事、怒涛の展開に上手くついていけない。
「私さー、実は南蛮国のエルドランドに行きたいんだよね。でもそのための資金もコネもないからどうやって渡航しようか困っててさ。だから連中ボコって、この船と労働力、丸ごと奪って南蛮に渡ろうかなーと」
「はいいっ!?!?」
もはや何度目かわからない意味不明な発言。まるで休日の予定を決めるかのように話すあやめに理解が追い付かない。
「貴方正気ですかっ!?第一それ犯罪でしょ!?」
「やだなあ、犯罪者はあっちだよ」
「シージャックも犯罪だから!」
もはや言葉遣いを取り繕う余裕すらなくなってきた。そんな女に気を悪くするでもなくケラケラと笑う。
「と、というかあの人たちと戦う気ですか!?無茶ですよ!」
女ははっきりとそう言い切った。
「相手はただの商人ではありません!刀を持った、侍です!それもかなりの手だれが何人も……!」
女は悲痛な声で言う。再び、この場に絶望が滲んだ。
「ここに来る途中、隙をみて逃げ出そうとした方がいらっしゃいました。ですがすぐにバレて、その場で……!」
顔を青ざめさせてうずくまる。
奴隷がなます切りにされ、肉塊に変わる様を思い出してしまったのだ。
「素人の私ですら、只者ではないと感じさせられました……。貴方一人では、とても……」
「へえー、侍を用心棒に雇ってるんだ」
だが、あやめはやはり変わらず、楽しそうにケラケラ笑う。
「大方、弾圧政策のあおりにあって牢人化した連中ってとこか。まー今どき侍のやることなんて、身分捨てて商売やるか、悪どい商人の用心棒か傭兵か……。侍も落ちたもんだねえ」
「貴方もその侍では……?」
「私はもう辞めてるから」
「武士ってそんな気楽にやめれたんだ……」
あっけらかんとそう言うあやめを見て、もうまともに理解することを放棄しよう。そう思った女であった。
「でも、問題ないよ」
あやめがふっ、と笑う。
相手が多数の侍だと聞いても、全く臆する様子を見せなかった。
「相手が侍だろうが、何人いようが問題ない。全員ボコって、私はタダで外国に渡って、アンタたちは故郷に帰れる。これはもう決定事項だから」
こともなげに、そんなめちゃくちゃなことを言う。
普通に考えて、たった一人で何十人といる手練れを相手取るなど不可能だ。数秒持てば御の字、即座に斬られる未来が見て取れる。
「あ、あなた一人に、何が……」
「できるよ」
そう、毅然と言ってのけた。
「嘘でも、虚勢でもない。奴らは全員私が狩る。必ず、アンタたちを助けてやるよ」
あまりにも純粋な、あまりにも真っ直ぐな眼。思わず、女がたじろぐ。
「(この人……本気で……!)」
あやめの目を見れば嫌でもわかる。どれだけ否定の言葉を並べたところで、どれだけ無謀かを問いたところで、きっとこのサムライは行くのだろう。
「そこで、さっきの手伝ってって話に戻るんだけどさ」
あやめがポン、と手をたたく。
「私と戦ってよ。奴隷から抜け出すために」
そう、とんでもないことを口走った。
「は、はい!?」
女はブンブンと横に首を振る。戦う?連中と?何を言っているんだコイツは。
「無理に決まってるでしょ!?私たちは素人ですよ!?しかもあんな手だれを何十人も……!無茶言わないでッ!」
「違う違う。戦えって言っても、別にこっちに加勢しろとか、連中と命張って斬り合いをしてほしいとかじゃないよ。ただ私が連中とやりあってる間、自分たちが人質に取られないように抵抗してて欲しいんだよね。さすがにアンタたちを守りながらは戦えないし、1人でも人質に取られたら不利だからさ」
そう言ってあやめは、適当な木箱を蹴破る。
バラバラになった木箱から出てきたのは……刀剣だ。
「こいつは輸出用の刀剣だ。まあ美術品としてだから、殺しの武器としては不足だけど、ないよりマシでしょ」
魔術全盛の今、武器は戦争用の需要はさほどないが、ヒノモトの刀剣は美術品としての需要がある。連中は奴隷と共に、刀剣で小遣い稼ぎをする算段らしい。
「これから私は連中に正面から突撃する。最初はたかが一人の侵入者相手だ、相手も油断してるだろうし、人質を取る理由がない。だが状況が変わって劣勢に転ずれば、迷わずアンタたちを人質にして盾にしてくるだろう。『これ以上暴れたら、お前のせいで罪もない無関係な人間が死ぬぞ!』って感じでね。そうなったらここにいる全員を五体満足で返すのは絶望的になる」
あやめは、さらに続ける。
「だから、そうならないよう、ここで籠城して抵抗して欲しいんだ。もちろん、アンタたちが落とされない勝算はある。奴らにとって奴隷は商品。よほど不味い動きをしない限りは傷なしで生かしたいと思ってるはず。傷物の奴隷はガクッと値が下がるからね。それに私が向こうで派手に暴れれば、主要戦力をこっちに回せない。そうやってほんの少し時間を稼いでくれれば、あとはこっちでなんとかするよ」
奴隷たちの視界に、床に無造作に転がる刀剣が入る。
「(身を守る……!?これで……?)」
たちまち奴隷たちに嫌な緊張が走る。あやめの眼は……。
「(……!)」
やはり、本気の目だ。
先ほどからふざけた態度をとっているあやめだが……、その言葉がすべて冗談なんかではなく、まじりっけなしの本気であることは、ここにいる全員が感じていた。
「まあもう私を信じて乗るしかないでしょ?ここにいたらどうせ奴隷になって一生地獄だし。逆に成功したら元の生活に戻れる。とりあえずしょうがないから南蛮までは行ってもらうけど……遭難したんで助けてくださーいって言っとけば、向こうが船出してヒノモトに送り返してくれるさ。漂流民の送還は割と前例があるし」
「それは……!」
女が言葉を詰まらせる。
「そんなこと言ったって、無理ですっ!貴方みたいな狂人とは違って、私たちはただの民間人なんですよ!?それに生かしておきたいなんて、ただの想像じゃないですかッ!もし殺されでもしたら……ッ!」
「じゃーどうすんの?ここで大人しくしてたら二度と帰れないよ?それだけは断言できる。親とか恋人とか、もう一生会えなくなるけど、いいわけ?」
「そ、れは……っ!でも無理です……!私達は、所詮戦う力のない……弱者ですから……」
奴隷たちはみな俯き、戦う気力どころか生きる希望すらも失った目をしている。
場は完全に意気消沈としており、容易に逃れられない重苦しい雰囲気に支配されていた。
そんな奴隷たちを、あやめがじっとを見やり―――ゆっくりと口を開いた。
「―――その昔。とある国に極悪非道な領主が着任した。そいつはそこに住まう農民たちを弱者と嘲り、それはひどい搾取を行ったそうだ」
急に何の話だ、と奴隷たちは訝しむ。だがあやめは気にする様子もなく続けた。
「領主のあまりの横暴さに耐えられなくなった農民たちは、全員が一丸となって武器をとり、決起した。農民たちは大規模な反乱を起こし、ついにその領主を国から追い出した。その後その国は暫くの間、百姓による自治が成立した……」
あやめの目は真っ直ぐだった。先程までの軽薄な雰囲気はなりを潜め、少したじろいでしまいそうな凛とした空気を纏う。
「アンタたちは、確かに殺し合いと無縁な一市民だ。でも戦う力がないなんて私は思ってないよ。自分の命が、尊厳が脅かされそうになった時、運命に抗おうとする力を必ずどこかに宿してる……」
あやめの言葉に奴隷たちが口をつぐむ。奴隷は嫌だ、でも武器を取るなど無茶だ………そんな相反する思いに右往左往している。
「そもそも勘違いしてるみたいだけどさ」
葛藤する奴隷たちに、あやめは諭すように語りかけた。
「剣を交えることが、敵の首を討ち取ることだけが『戦う』ってことじゃない。危機に瀕した時、自分ができること、為すべきことを全力で全うすることが『戦う』ってことだよ」
「……っ!」
「本当に、今できることは何一つないの?もしどうしても無理って言うなら、これ以上は何も言わない。なるべくこっちに刺客が来ないよう善処する。でももし、臆病風に吹かれて自分にできうることから目を背けているだけなら……まずはその恐怖と向き合うべきじゃない?」
「あ……ぅ」
奴隷達は、言い淀む。
「(わかってる……。このまま何もしなければ行く先は身の破滅だってことも……。何もしなくても誰かが助けてくれるなんて……そんな虫のいい話はないってことも…。現在を変えるには……自分が立ち上がるしかないってことも……?でも……っ!)」
わかっているのだ。そんなことは。
あやめの言葉は、ただただ恐怖に支配されるがままだった奴隷たちの心を的確に抉った。
「もう一度言う」
あやめが全員を見やる。その雰囲気はすでに別人そのもの。
その瞳は吸い込まれてしまいそうなほどにまっすぐで……目を逸らしたくても逸らさない、不思議な眼差しだ。
「もちろん死ぬ確率はゼロじゃない。無謀なことを言ってることもちゃんとわかってる」
目を、逸らせない。そのまっすぐな瞳に、吸い込まれていくようだ。
「でももし、ほんの少しの可能性だったとしても、それが細くて頼りない糸だったしても、それに賭けたいなら、自分の最低な運命を否定したいと思うなら、……一緒に戦おう。必ず私が全員助けるから」
ざわざわ……
にわかにその場が揺れる。
勝てば助かるかもしれない。でも、恐ろしい。あの人斬りに、あの悪党どもに立ち向かうことが。
第一、たかが一人の侍に、一体何ができるというのか。あの人数差、あの練度。一人で挑むなど間違いなく自殺行為だ。この侍が殺されれば、それに与した自分達とて、何をされるかわからない。
だが。
「本当に……」
それなのに。
「本当に……助けてくれますか?」
女が、震えながら言葉を紡ぐ。
すがるようなその目には、まだ恐怖の色は消えていない。だが確かに、僅かな希望と覚悟を見た。
「当然っ!」
むふー!と胸を張ってそう答える。なぜだろう。こんな意味不明で、こんなふざけた侍なのに。不思議となんとかなりそうなのだ。根拠もないのに、そう思わされてしまうのだ。
気づけば。
そこにあったはずの絶望が、少しずつ塗り替えられていく。
⭐︎
「ククク……。今回も難なく出航に漕ぎ着けたな」
「ですねえ……ここまで来れば、もはや大金を手にしたも同然ですから……ククッ」
滞りなく船は出航と相成り、リーダーとその腹心らしき男が勝ち誇ったように嗤う。その様子から察するに、人身売買に手を染めたのは一度や二度ではないらしい。
「さあて、ずいぶん儲けさせてもらったし、しばらくは……」
「あはは、そりゃ無理だよ」
「「!?!?!?!?!?」」
男2人がばっと飛び退く。
「この船と乗組員は全員、今から私の奴隷になるから」
「だっ、誰だッ!貴様いつの間に……ッ!」
「すごいねえ、こんなわかりやすく三下ムーブかましちゃってさあ〜。まあおかげで何の罪悪感もなく利用させてもらえるからいいけどさ」
ケラケラ笑う、身に覚えのない侵入者。
青の羽織に帯刀、キセルを片手にした侍…あやめであった。
「貴様ッ!いったいどこから!」
あやめはキセルに火をつけ、ふうーと煙を吸う。
「そうそうアンタらさ、金づるの奴隷の方々は入念にチェックしてたみたいだけど、それ以外はザルそのものよ?もうちょいちゃんと積み荷の管理に気を配った方がいいんじゃない?」
「!?ま、まさか積み荷に……ッ!」
「そりゃ、人身売買に比べりゃ他の輸出品なんて小銭にしかならんから、適当になるのかもしれないけどさあ、せめて帳簿くらいはつけたら?まさかこんなアホな方法が通るとはね」
「いやアホはお前ぇ!!!普通こんな船に一人で乗り込むバカがいるか!?何考えてんのほんとに!!!」
そうこうやりとりをしているうちに……
ダダダッ!騒ぎを聞きつけた他の船員たちが駆けつける。
その数およそ数十名。特筆すべきは……全員が帯刀している、ということだ。
「あー、なるほどねえ」
あやめが納得したように笑う。
「侍を傭兵にしてるんじゃなく、アンタら自身が侍か」
「ご明察」
リーダーが勝ち誇ったように嗤う。
「我々は、もとは長門の領主に仕える者でな。政変で領主一族が取り潰しになり、我々は牢人化。その後弾圧政策から逃げるように商人になったのだが、これがまた苦戦してね。やはり我々はこういった荒事が性に合っているらしい」
そういって肩をすくめる。
「それで犯罪に走ったと。通りで隙だらけなわけだ。ここにまともな商人なんてだーれもいないんだから。いろんな意味でね」
「はは、耳が痛い。まあ仮に不手際があっても大体が力で片付けられる範囲内。多少の粗相もご愛嬌よ」
一斉にあやめに対し刀を構え、あやめの退路を塞ぐように陣形をとる侍たち。そこにネズミ一匹逃げる余地はない。
「やれ」
そのゴーサインの瞬間、一斉に襲い掛かる無数の太刀筋。
刀はスピードに特化した武器。それが四方からたった一人を目掛け降ってくるのだ。並みの使い手ではたちどころに肉塊と化しているだろう。
だが。
「なッ!!」
あやめはそれをゆるりとかわす。
それはまるで水のように。
それはまるで踊るように。
無数に降りかかる神速の太刀を、かわす、捌く、いなす……。
しかもあやめはまだ、刀すら抜いていない。
「死ねえええ!」
正面から大きく斬りかかってくる。
「そんなんじゃ死なないよ」
しかしそんな全力の斬撃もむなしく空を切り、あまつさえ……
ズガアアアアアッ!!!!!
「ごがあああッ!!!」
隙だらけの顔面に思い切りグーが入る。
「舐めるなクソガキがああああ!」
今度は後ろからの一閃。
しかしそれもくるりと身を翻し、すんででかわす。
「(かかった!死ねッ!)」
そう心の中でつぶやくと同時に、仕込んでいた暗器を飛ばす。いわゆる飛刀と呼ばれるそれは、ヒノモトからほど近いとある大陸発祥の暗殺武器である。
「(コイツさっきからぎりぎりでかわしてばかり!ならこれは避けられまい!)」
迫りくる死の一閃。それを。
ペシ。
「子供騙しじゃん」
「はいいい!?」
あっさり二本指でキャッチ。そのまま腹部に蹴りを見舞う。
「あがあああああ!!!!!」
あやめの壮絶な一撃をもらった侍は、周りの複数人を巻き込み盛大に後方へ吹き飛ぶ。
「なんだ……ッ!」
それは、まさに悪夢のような光景。
一瞬で終わるはずだった。一方的な虐殺となるはずだった。
それがどうだ。
一瞬どころかいつまでたっても殺せない。それどころか刀が掠りもしない。逆にこちらはなすすべなく反撃をくらい、あれだけいた侍が次々に打ち倒されてされていく。
「なんなんだこれはあああああああ!!!!!!」
「さあ」
あやめが息の一つも切らすことなく、妖しく笑う。
「なんでしょう」
刹那。その姿が消える
ドガアアア!!!
瞬時に間合いを詰め懐へ入り、鋭いボディブローを一閃。さらに迎撃してきた侍たちの攻撃をうまくかわし、同士討ちを誘う。誘う。誘う。誘う。
その勢いは衰えることない、まるで突如発生した暴風。
気づけば、あれだけいた侍たちが二割程度しか残っていない。もはや全滅は必至だ。
ならば残った手は……
「奴隷だ!奴隷を人質にとれッ!!!」
リーダーが無慈悲な指示を送る。
「(先ほどから刀を抜かず、徒手空拳のみで無力化するにとどめている……。この侍に殺しの度胸はない!ならば人質はこの状況としてはクリティカルな選択のはずっ!)」
そうほくそ笑む。しかし
「無駄だよ」
「は?」
即座にリーダーの考えを看破し、笑って否を突きつける。
「奴隷を人質にとるのは無理」
「…どういう意味だ」
「そのままの意味。アンタたち思惑通り大人しく人質にはならない」
その時、とある侍から報告が入る。
「ほ、報告しますっ!現在奴隷どもが貨物の刀をとって籠城!狭い部屋で全員が固まっているため、制圧に時間がっ!」
「バカなッ!」
⭐︎
その頃。奴隷たちは。
「人質なんかになってたまるかあーーー!!!」
「俺たちを舐めるんじゃねえーーー!!!」
「こ、こいつら……っ!」
「これ以上抵抗するなら容赦は……ッ!」
「ま、待て!曲がりなりにも商品を傷物にするのは……っ!」
二十数名による激しい抵抗。商品ゆえにあまり極端な攻撃もできない。怪我を負った奴隷など壊れて使い物にならない不良品を売りつけるも同然。
そもそももし仮に虫の息の人質をとれば、あやめはその人質の命を諦め、動きを止めない可能性が高い。人質は元気だから人質たりえるのだ。
ゆえの、拮抗状態。
「あのお侍さんが勝つまで、絶対耐え抜くぞ!俺たちで足を引っ張るなーーー!!!」
「うおおおおお!!!!!」
⭐︎
「奴隷どもの分際で……ッ!!」
リーダーは忌々しそうに歯噛みする。
「何故だッ!!奴らはただの奴隷だぞッ!!戦う力もない、強者に利用され、搾取されるだけの弱者だッ!!なのに、なぜ…ッ!!!」
「お前たちは勘違いをしている」
あやめが悠然と告げる。
「侍だから、魔術師だから強いんじゃない。戦う力がないから弱いんじゃない」
力強く。
「運命に抗う覚悟を持った奴らが強いんだ」
そう、告げた。
「見誤ったな。その愚かさが、お前たちの敗因だ」
その表情は不気味なまでに終始変わらない。
「くそっ……ッ!手の空いている者は向こうの応援をッ!」
「そんなのいないだろ」
刹那。
あやめの威圧感がさらに膨れ上がる。先ほどよりも勢いを増して侍たちを大立ち回りで制していく。いまだに、刀は抜いていない。
「いや、無理ですうううう!!!!!」
「むしろこっちが援軍欲しいくらいで…っ!ぎゃあああああ!!!」
こっちはこっちで、阿鼻叫喚の地獄絵図だ。
リーダーは歯噛みするしかない。
「(何て誤算だッ!本来ならこの侍の始末のための応援が欲しいのに……ッ!たかが奴隷相手に応援だなど……ッ!いや、そもそもなぜたかが一人の侍にここまで手を焼かされねばならんのだッ!)」
もはや、誤算という言葉では片付けられない。この侍。コイツの存在そのものがイレギュラーなのだから。
そうしているうちに、あやめは次々襲いかかる敵を薙ぎ倒していく。敗北のカウントダウンはすでに始まっているのだ。
しかし……
「まだだ……」
リーダーがポツリとつぶやく。
「まだこちらにはこれが残っている……」
そう。
戦いに精通したものであれば、切り札は隠し持っていてしかるべきなのだ。
パアアアアンッ!!!!!
乾いた音が響き渡る。その発砲音は……リーダーの手元からだ。
その手にあるのは黒い鉄のなにか。先端からはモクモクと煙があふれ、その独特なにおいが鼻を衝く。
その先にいるのは……あやめだ。首を少し傾け、黒いものから放たれた鉄をすんでのところでかわしている。空を切った鉄はマストにめり込み、その木を焦がしている。
「へえ……」
あやめが目を細める。
「ちゃんと奥の手があったんだ。えらいえらい」
その黒いものは……ピストルだ。
真剣での間合いを無視した一方的な殺戮の武器。古くに侍が使用していた鉄砲を小型最適化したものだ。
「余裕ぶっているのもそれまでだ。もはや戦況は決まった。お前の負けだ」
リーダーが余裕を取り戻し、降伏勧告をする。
「認める。お前は強い。あの奴隷どもも甘く見ていた。だがここまでだ。ここで降伏して奴隷となるなら、命だけは助けてやる」
銃口をまっすぐあやめに向けて問う。
あやめが強いといえど、刀の間合いの外から時速数千キロで一方的に狙撃されては勝ち目はない。多対一での戦闘ならなおさらである。
降伏勧告は受けて然るべき。そのはずだ。
だが
「反吐が出る」
あやめはそれを、一笑に付した。この逆境でなお、瞳は一切揺るがない。
「そうか」
ならば、もう言うことはあるまいと。
「死ねッ!!!」
それを合図に、一斉に侍たちが斬りかかる。
あやめはそれを踊るようにかわし……
パアアアン!!!
その瞬間、再び発砲音が響き渡る。
「(決まったッ!今のかわし方ではこの弾丸から逃げようがあるまいッ!)」
このリーダーとて、腐っても侍。強者だ。
実力を認めた相手を決してみくびらない。
ただ発砲しただけではあやめの身体能力ならかわしてしまうかもしれない。それを考慮し、あやめが他の攻撃をかわして生まれた隙をついての発砲。油断なく、数の利で確実に命を刈り取る。
まっすぐ、間違いなくあやめの鳩尾に目掛けて跳躍する弾丸。
死ぬ。あやめは間違いなく。
だがその刹那。侍たちは信じられないものを見た。
発砲の瞬間、あやめはまっすぐ向き合い柄に手を取り、構える。
そして、抜刀。
ズバアアアアン!!!!!
「!?!?!?!?」
瞬間。とんでもない速度で迫り来る弾丸を、それ以上のスピードの居合いで叩き斬った。
それだけではない。
居合いの回転そのままに、近くで斬りかかってきた侍を殴り飛ばし、刀を奪う。
「そおおおおおりゃあああああ!!!!」
そして、投擲。
とてつもない剛腕で放られた刀は、弾丸にも迫るスピードで真っ直ぐ飛んでいき、そして……
「がああああああ!!!!!」
リーダーのピストルを持つ手に直撃。リーダーが苦悶の声を上げた。
その勢いはすさまじく、たちまちピストルは海へと弾き飛ばされていく。
「このッ……!」
鋭い相貌で睨みつける。
だがそこに、あやめはいない。
「なっ……!どこに……」
刹那。
思わぬ反撃を受けリーダーが動揺する隙をつき、あやめが神速で間合いを詰め、懐に潜り込んでいる。
すでに、死の間合いだ。
「しまっ……!」
「やあああああああ!!!!!!!」
目にも止まらぬスピードで繰り出された一太刀。リーダーがあやめの峰打で殴り飛ばされる。
この瞬間、すべての勝負が決したのであった。
⭐︎
その後の顛末を話そう。
あやめに武器をすべて強奪され、船も乗っ取られ、色々わからされた侍たち。
彼らに残された選択は、負け犬らしく従順に主人の命に従うことのみだった。
「とりあえず、目的地はエルドランド王国。奴隷のように死ぬ手前まで働かせるから、よろしく☆」
とまあ、行き先はあやめ希望の世界一の魔術大国。
そして数ヶ月後ようやくエルドランド王国へ到着した。
奴隷たちは晴れて解放され、向こうで漂流民としてなんとか帰国できるよう努めるらしい。その後彼らは無事にヒノモトに帰ることとなる。それはまた別のお話。
「ありがとうございました」
奴隷だった女が、あやめに頭を下げる。
奴隷商人たちは全員もれなく船のマストにくくっておいた。捕えられた者はこれから送還の手続きに向かうらしい。
「?なんで?むしろこっちは無理言って手伝ってもらった立場なのに」
「とんでもございません。貴方がいなければ私たちは今頃奴隷として売られているところでした。それに……」
女は胸に手を当て、微笑む。
「なんだか、とても大切なものを頂いた気がします」
それはひまわりのような、温かい笑顔であった。
「そう、それじゃ」
あやめはふわりと笑うと踵を返して歩き出す。
「あっ……」
そんな侍の背中を見送りながら。
「本当に、ありがとうございました!」
女は、感謝の意を全力で伝える。
夕焼けに染まったエルドランドの港。
物語は、まだほんの序章にすぎない。
作者のちょっとしたあとがき
まさかこんな字数使ってヒロインすら出せないとは……
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます